逃げ出し聖女と情報屋
聖女とは、神を慕い、神に愛され、特別な力を賜った、清廉潔白な少女である。
……と大抵の人は思っているらしいが、そんなことはない。単なる他者によって都合がいい奴である。
「……神とか知るか」
そんな聖女である私は現在、小さく恨み言を吐いて、窓から飛び降りていた。
屋根の上を走り抜け、街灯を掴み滑り落ちる。人に見つからないように隠れつつ、植え込みの間を無理やり抜けて敷地を出た。そのまま路地裏に入り込む。足を止めずに、より荒れた場所へ。
「ああ、実家のような安心感……って本当にある意味実家だわ」
ところせましと干された洗濯物、道脇に落ちている酒瓶。酷い汚臭。
ごろつきや浮浪者がそこらじゅうにいるここは、城下の貧困街。通称ゴミ溜め。私の生まれ故郷。
一息ついてローブについた葉を払う。げ、口の中にまで……。ぺっぺ!
「ふぅ……」
フードを深く被って辺りを見渡した。あまり昔と変わらない。
今日もいつも通り仕事をしていたら、急に衛兵達がやって来た。城に連れてくるよう王命を受けたと言う。空気だけで、これがいい呼び出しではないこと、そしてそれを隠していることを察した。
まあ、元々嫌な予感はしていた。
“直に厄災が起こり、それを鎮めるために聖女が顕現する”
大魔女の予言から十数年が経った。聖女は見つかったのに、その厄災は起こらず。聖女の異常な治癒力のせいで腕のいい医師は国外へ行ってしまい、教会は権力を増した。国民は皆聖女を崇め称えている。つまり、国王からしたら目の上のたんこぶでしかない。
さて、そこまでわかっていてノコノコ捕まるとでも? 否、逃げるに決まっている。適当に嘘をついて部屋に戻り、さっさと逃亡したわけだった。
衛兵達もここに来ないだろう。清らかな聖女様がこんなところに逃げたなんて思いもしないはず。
お生憎様。私の頭に花は一本も生えてないのよ。
「さて、と」
とりあえず、ゴミを漁る。お貴族様の食べ残しが集まっているゴミ箱は代わっていないようで、カビたパンとくず芋を見つけた。もう昼だしなくなっているかと思っていたのに運がいい。盗られづらい懐にしまう。
さて、そこらに倒れている子供でもいないだろうか。なるべく悪そうで弱ってるやつ。
キョロキョロと探していると、這いつくばっている黒い塊を見つけた。少年くらいだろうか。
「ねえあんた」
叩いて揺さぶって呼びかける。うめき声が聞こえた。とりあえず喋れそう。
「私と取引しましょう」
「……あ゛ぁ?」
威嚇できるくらいには元気らしい。それとも声で女だってわかったからか。まあどっちでもいい。
「助けてあげるから、ここらで一番腕のいい情報屋を紹介しなさい」
「っだ、れが、そんなのに騙されると、でも」
「教えても何も減らないでしょう? 信じた方が得だってわかるはずよ」
どうせこのままじゃ死ぬんだから、とまでは言わないけれど。
少し考えた後、ほとんど光のつきかけた目で睨みながらも口を開けた。
「ファウラーの旦那の酒場の地下に、いる。合言葉は、奥のシードルだ」
ファウラーの旦那……聞き覚えがない。まあ十数年まえの記憶なんて正確じゃないけれど。でも、そこまでわかれば十分。
「そ。で、貴方この腹の傷どうしたの?」
「盗まれたのを、取り返した、だけ……だ」
「んで返り討ちにあったわけね。馬鹿なやつ」
まあ、私も連れて行かれて聖女なんかにならなければ、あり得た未来だ。
「じゃ、約束通り治してやるわ」
ほらその傷を見せなさいと起き上がらせ手をかざす。なにか気のようなものを出すように集中すると、そのうちポワポワと光ってきて、傷口が塞がれていく。
「は?」
「じゃ、これで取引成立ね」
……クラクラする。
今にも倒れそうになるのを我慢しながら、何事もなかったかのようにそう言った。
「ああ、このことを他のやつに言ったら、今度こそ、その腹に風穴が空くから」
「ヒッ……」
「じゃあね」
まあ、もちろんハッタリだけれど。他言でもされたら速攻で居場所がバレてしまう。
さっさと立ち去って、ゴミ箱の裏にしゃがみ込んだ。懐に入れておいたパンを口の中に詰め込む。
「あんふぁい傷がふふぁふぁった……」
癒しの力を使うと腹が減る。酷い時には貧血になるし、使い過ぎれば痩せる。
……それなのに教会の奴らときたら聖女だからって質素な飯ばっか食わせて。教皇が肉・酒・女三昧してたの知ってるんだから!
力には代償が付き物。労働には対価が必要。それが世の理のはずよ。もうタダ働きなんてするものか。無償で人を助けるとか、夢見てんじゃないわよ。
「よし、立てる。さっさと酒場に行かないと」
時間は限られているのだから。
適当に襲ってこなそうな子供や老人に話しかけて、情報を得る。クズ芋でもちらつかせればすぐに教えてくれるのだから、昔の記憶も役に立つものだ。
「奥のシードルをちょうだい」
「……突き当たりを右だ」
「どうも」
酒場はごろつきで溢れていた。ローブを着てきてよかったとつくづく思う。小声でマスターに言えば、少年が言っていた通り情報屋がいる地下に通される。薄暗い階段を下っていけば、いかにもな部屋があった。
「いらっしゃい、何を知りたいんで?」
黒髪赤眼の男が、胡散臭い笑みを浮かべて、品定めするかのように見てくる。案外若い。あと顔がいい。本当に情報屋なのか。どっかの貴族のご婦人のペットでもおかしくない。
……まあ、関係ないか。貧困街にいる人間の事情なんてわかってもしょうがない。
「この国で怪我や病気をしている商人を教えて。なるべく金持ちで死にかけだといいわ」
闇医者ならぬ闇聖女。私がいなくなったことで、今まで教会への献金以外無償で治せていたものが治せなくなる。つまり、そいつらを治してやって金を請求すれば手っ取り早く稼げる。
そのためにいい情報屋が必要で……。
「これは驚いた。まさか、あの聖女様がお尋ねになるとはね」
……は?
演技くさく両手を上げる情報屋。一瞬、時が止まったような気がした。
「俺は、この国一の情報屋なんだよなぁ。宮廷の怪しい動きも、教会に衛兵がいたことも、聖女サマが行方不明らしいことも知ってた」
カウンターから出て、こちらに一歩、二歩と近寄ってくる。
な、るほど。舐めてたわ。
「そう。なら信用に値するわね」
でも、残念ね、私はここ生まれよ。そんなことで怯むわけがない。
フードを取って、余裕そうな笑みを作った。
「これが前報酬よ」
ローブの下の小袋から金貨を取り出して、目の前に突きつける。貴族からすれば端金でも、市民階級からすれば喉から手が出るほど欲しい代物だ。
「これから少しの間、金持ちの怪我人、病人を紹介し続けて欲しいの。そうねぇ……十人くらいかしら。無事に終えたら、全報酬を支払ってあげる」
情報は、仕入れるよりも売る方が難しい。ここまで知っている情報屋が、そんな簡単に私の情報を流すことなんてできないはず。下手すれば、自分の身を滅ぼす羽目になる。
だから、私の方を取るしかない。黙って協力してくれれば、安全に金が手に入るのだから、悪い話じゃないでしょう。
「わかった、わかったから、そんな怖い顔をしないでくれ。……一つ聞いてもいいかい?」
「何よ」
「なんで、そんなに金が欲しいんだ? そこまで肝が据わってるなら、さっさと国を出るべきじゃないの?」
そりゃそうだ。関所に手配書が行く前にさっさと逃げた方がいいに決まってる。
でも、私は清らかな聖女様じゃない。むしろ人より意地が汚い。誰よりも生に固執しているし、それゆえにお金にがめつい。この金貨だって教皇から盗んだものだ。
「家を買うのよ、私」
必死に日々を生きてきて、急に聖女にされて、毎日お腹を空かせて、タダ働きをさせられて。次は国の都合で陥れられるの? 冗談じゃない。
こんな場所から逃げ出して、誰もいない自然の豊かな場所に家を買って、家畜を飼って、作物を育てて。毎日お腹いっぱい食べて、ぐっすり寝て、幸せに暮らすのよ。
「……そっか」
情報屋は、少し驚いた顔をした後、笑うようにそう言った。
*
「情報が入ったよ」
「そ、誰」
「トーマス・チャップマン。行商人だね」
数日後、上はどうすればいいのかわからず、未だ大きくは動けていないようだった。正直拍子抜けだ。聖女サマは、表向きでは大病人のために祈祷室に籠っていることになっている。まあ今の状況で、聖女が逃げたなんて言えば、王や貴族の方が疑われるのは間違いない。
「……派手に動いてるけど、大丈夫なの?」
「今貴方が怪我をして私が治したとして、もしも私を裏切れば、その怪我が酷くなって死ぬと言われたら?」
「なるほど、口が裂けても言えないな」
暗に、貴方も一緒に落ちる可能性はないと伝える。
ハッタリ上等。稼ぐためには必要なことよ。
まだ二人目。さっさとこの行商人の従者を探して、近づかないと。会う前に死なれたら、また新しい情報が必要になってしまう。
*
「ねえ、痩せた?」
そう言われて、ふと体を見る。少し痩せたかもしれない。さすがにゴミだけじゃ賄いきれていないらしい。
「……さあ、どうかしら」
とはいえ弱味を見せるわけにはいかない。見せるつもりはない。ここで暮らしていた時も、聖女だった時も、ずっとそうしてきた。私が拾われた聖女であることを知っていたシスター達は、私を馬鹿にするのに必死だった。残飯を投げつけ……。
「あげるよ」
「……何よ、これ」
「昼に食べようと思ってたやつ。パンに余り物を挟んだだけだけど」
差し出されたものは、言うとおり黒パンに野菜やら肉の切れ端が雑に挟まれている。投げつけられたことはあっても、あげるなんて言われたことがなくて、戸惑うことしかできない。
「毒は入ってないよ」
「何が目的?」
「……今後とも、ご贔屓にして欲しいからね」
そう言われて、やっと受け取れた。そのまま齧り付く。どこかあったかいような気がした。
「おいしい」
「口にあったようでよかった」
思わずそう言うと、情報屋が笑ってそう返すものだから、どこか恥ずかしくなってそっぽを向く。余計笑われた。
*
「やっぱり痩せてるよね? 顔色も悪いよ。今にも倒れそうなくらい。」
今日も情報屋はおせっかいだ。確かに、体調がいいとは言えない。けど、他のやつには気づかれなかったのに。なるべく焦りを隠して、否定はせずに、淡々と答える。
「……もうそろそろ、隠し通せなくなるでしょうから。なるべく急ぎたいの」
ついに聖女が失踪したことが噂され始めた。目標まであと半分くらい。急いで稼がないといけない。
「飯を買っても有り余るくらいの案件を紹介してるはずだ」
問い詰めるように言う情報屋。なんだかイライラして、貴方に何がわかると、つい、溢してしまった。
「癒しの力に、代償がないとでも思うの?」
「……具体的には」
「何に使う気?」
なんで、口が滑ったのだろう。最大の弱点を知られてしまっては……。
身構える。油断しすぎだ。
「顧客が死んだら困るからね。まだ報酬を全部もらってない」
ふっと笑ってまっすぐに私を見る情報屋。思わずパチリと瞬きをした。報酬を全部もらってない、それもそうだわ。
そう納得することにした。
「空腹や貧血、吐くことだってある。怪我がどれくらい酷いかにもよるけれどね」
「じゃあ、サービスに、ここに来たときは飯を用意しておくよ」
確かにそれはありがたい、けれど。報酬があるから毒も盛らない、か。チラリと見るとにこやかな笑みを浮かべた情報屋と目が合った。
……食えないやつ。
なんだか、顔が見れなかった。
*
「美味しかった。ありがとう」
用意してくれたご飯は今日もあたたかった。
「これでもう八件目だね」
「ええ、そうね。お金も溜まってきたわ」
もう目標金額に近づいてきた。けれど代わりとでもいうのか、聖女の失踪が正式発表された。
「毎回、毎回、教えたやつよりも君の方が死にそうで心配になるよ」
「死なないから安心して頂戴」
金持ち以外の庶民のやつも治したりしてちょこちょこ小銭も稼いで。忙しい時には五、六件あったりもする。ゴミや普通の食べ物では、やはり賄いきれていなかった。それでも、死ぬわけにはいかない。
「信用できないなぁ。この間なんてここに入ってきた途端倒れたよね?」
「その節は迷惑かけたわよ……」
ジトリと顰めるように見てくる情報屋。
しょ、しょうがないじゃない。なぜかここに来た途端ふっと気が抜けちゃって。
「目の前で倒れられた俺の身にもなってよねぇ」
「だから悪かったって言ってるじゃない」
起きたら脈を測られながら膝枕されていたあれは忘れられない。固かったし、怖かった。
思い出していると、情報屋が静かに口を開いた。
「……あのさ、俺が死にかけても、その力は使わないでくれよ」
耳を疑う。真面目な顔で、私を見つめて、今なんて言った?
いや、別にどうでもいい。
「あなたが決めることじゃないわ。私があなたに借金を負わせるかどうかよ」
「だったら、死ぬ寸前に全財産あげるからさ」
……嘘でしょう。本当に、私の力がいらないの? 私がちょっとお腹が空いたりするだけで、どんな怪我でも治るのに。
絶句しかけて、無理やり顔を作った。睨みつけるようにして、吐き捨てる。
「変なやつ」
「なんとでも言えよ」
顔が緩んでいないか、心配だった。どこかふわふわして、足がついてるか不安だった。
「ねえ、情報屋」
「何だい?」
「……なんでもない」
名前が知りたいなんて、おかしい。知ったところで、何も変わらないのに。
……もうすぐ、家が買える。
*
諜報員が、ターゲットに恋するなんて、馬鹿な話があるだろうか。
「ごめん。報酬はいらないからさ、今すぐ逃げてくれない?」
珍しく嬉しそうな顔で入ってきた彼女にそう言った。
もう限界だった。俺の通常任務は、情報屋に偽装し、隣国での情報を集めること。そして今は、逃げた聖女の行方を追うこと。捕まえられるようなら連れて去り、でなければ応援がくるまでの時間稼ぎ。
ずっと、誤魔化していた。この国やつにも、本国にも。俺は優秀な情報屋であり、諜報員だった。逃げて数時間も立たずに、不確定とはいえ聖女が行方不明なことも知れるほどだ。
でも、所詮は下っ端。諜報部隊なんて、上官は貴族だとしても、他はみんなごろつき上がりの捨て駒だ。反抗したとバレれば、命はない。
「じゃあ買うわ」
ずっと黙っていた彼女は、金貨の入った袋を顔をの前に押し付けてそう言った。
「は?」
何を言っているのだろう。早く逃げろって。
「貴方を買うって言ってるの」
何度も言わせないで欲しいといった口ぶりでそう言われても、無理だ。
見えないところで強く拳を握る。少しでも気を抜いたら、彼女の手を取ってしまいそうだった。
「だ、から」
「なぁに? お金が信じられないの?」
いや、信じるさ。それしか信じれない人生だった。でも、そうじゃない。
「もう家を買ったのよ」
「そっか、おめでとう。でも、俺は」
「……家にね、貴方がいればいいと思ったの」
金糸を揺らして、不思議でしょう? と笑う。眩しくて、思わず目を細めた。
「家を買った時、貴方が頭に浮かんだのよ」
……最初に君がこの店を訪れた時、適当に転がして、すぐに上官に報告しようとしてたんだ。ああ、デマじゃなかった。うまくいけば、いい地位につけるかもしれないとまで思ってた。それが、金持ちを紹介しろなんて言う。教皇に拾われた清らかな聖女様だって聞いてたのに、君は今まで見てきた誰よりも強かだった。……理由を聞けば「家を買うのよ、私」と残酷までに明るい笑顔で言ってさ。君も、ろくな人生を送ってきてないんだって。それだけ察してしまう俺も俺だよ。君が明るく笑ったその瞬間、死を覚悟したんだ。
君が計画通り幸せになることを願ってしまったから。
「何をヘマしたかは知らないけれど、どうせ死ぬんでしょ。じゃあ、私に買われてもいいはずよ」
飯を美味しそうに食ったと思ったら、また無茶して。倒れられた時の俺の気持ちがわかるかよ。もしもあの時君の脈がなかったら、俺はその場で自分にナイフを突き刺していた。
「大きな家には家族が必要なの」
*
「ジェシカ、私の名前よ。そう呼んで。貴方は?」
「俺はカイ。苗字はないよ」
「そう、これからよろしくねカイ」
自分でも驚いた。
人って余裕ができると、他人のことを考え始めるなんて知らなかった。それが、お節介で優しい情報屋なことも。
「これからよろしくお願いしますよ、ご主人様」
「ええ、買われた分しっかり働いてちょうだい」
そう話しながら、二人で大きな家に入った。
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