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昆虫学者 柏木祐介の事件簿

天道虫(てんとうむし)

作者: 船田鏡介

気鋭の昆虫学者が数々の難事件に挑む!

柏木祐介の事件簿、シリーズ第ニ話。


紫外線を見、超音波を聞き取り、かすかな匂いやフェロモンを嗅ぎつける……。

昆虫こそが最高の捜査パートナーだった!


【登場人物/レギュラー】

 柏木祐介(三十四歳) 昆虫学者 東京大学応用昆虫研究室の准教授

 前園弘(三十二歳)  警視庁の鑑識官

 堂島健吾(四十五歳) 警視庁捜査一課の警部補


【登場人物/第二話】

 藤井健次郎(七十六歳) 被害者 藤井コンツェルンの総帥

 藤井博子(二十八歳) 健次郎の孫娘 次期総帥

 浦上博次(ひろつぐ)(三十八歳) 博子の秘書

 藤井人志(ひとし)(五十一歳) 健次郎の長男

 藤井洋次郎 健次郎の次男で博子の父 次期総帥に指定されるも早世

 森田幸蔵(五十三歳) ログハウスの管理人

 アゲハチョウによる殺人事件から程なく十ヵ月になろうという十一月二十六日の夕方、学部内のミーティングを終えて研究室に戻った柏木祐介は、スマートホンにコールバックを求める堂島警部補のメッセージが残されていることに気がついた。

「ああどうも、柏木さん、お久しぶりです。その節はお世話になりました。」

「あの事件の公判の準備、順調に進んでいるようですね」

「ええ、村上朋佳は相変わらず協力的だし、青嶋薫子の盗作の証拠もそろいました」

「そういえば、若松氏が村上さんのために腕利きの弁護士を雇ったそうですね。費用は全部自分が肩代わりすると言って」

「よくご存じですね」

「マスコミ関係の人たちが、今でも何かと教えてくれるんですよ。引き換えにコメントを求められるから、気は使いますが……。とにかく、彼が村上さんのために何かしようとするなんて、思いもしませんでした」

「薫子の自宅を捜索した時、彼も立ち会ったんですが、こんなことを言ってましたよ。―自分も薫子も、競争に勝つためには汚い手も使ってきたが、今回の盗作はさすがに度を越している。老いへの焦りか、それとも若さへの嫉妬か、何が彼女を惑わせたのかはわからないが、いずれにしても、妻の不始末の落とし前は、自分がつけるつもりだ、と」

「あの若松氏がそんなことを……」

「ところが、その一方で、村上朋佳が出所したら、薫子のブランドの立て直しを任せて儲けようとしている。やっぱり食えない親父ですよ」

「村上さんの社会復帰に役立つし、まあ、そのくらいは大目に見てもいいかな」

「そうそう、『週刊朝読』の特集記事、読みましたよ。半年かけて取材しただけあって、なかなかの力作だ。おかげで、村上朋佳への同情の声が高まる一方らしい。減刑を求める署名を呼びかける人物まで現れているそうです。柏木さんも、事件解決の立役者としてすっかり有名になりましたね」

「そこが問題なんですよ。今しがた学部長に、捜査協力はもちろん良いことだが、タレントめいた行動は慎むようにと釘をさされました。僕がワイドショーのコメンテーターでも始めるんじゃないかと疑っているらしい。昆虫が関係する事件なんて、そんなにあるはずがないのに……」

「いや、それが、案外あるかもしれないんですよ……。実は、今回ご連絡を差し上げたのは、もう一度、柏木さんのお智恵を拝借したかったからなんです。急な話で恐縮なんですが、軽井沢にお越し願えませんか?」

「軽井沢、ですか?」

「ええ。本日未明に、軽井沢のログハウスで小火(ぼや)がありました。私は今、その現場に来ているんです。火はすぐに消し止められたんですが、火元の寝室で就寝中だった七十六歳の老人が亡くなりました。検死はこれからですが、状況的には、一酸化炭素中毒が死因だと思われます。その老人には寝酒を飲んだ後で葉巻を吸う癖がありましてね、ベッド周りを中心に燃えているので、出火の原因は葉巻の火の不始末の可能性が高そうです」

「それなら単なる事故では? なぜ堂島さんが? しかも軽井沢なんて、管轄外のはずだ」と、柏木は怪訝(けげん)そうに尋ねた。

「そこなんですよ。亡くなった老人というのが藤井健次郎、あの藤井コンツェルンの総帥です。そして、彼の死に事件性がないか徹底的に調べて欲しいと要請してきたのが、健次郎氏の孫娘で、次期総帥に就任する予定の藤井博子なんです。彼女からうちの上層部に働きかけがあって、私が駆り出されることになったというわけです」

「彼女も現場に?」

「ええ、彼女と秘書の浦上博次(ひろつぐ)、健次郎氏の長男の藤井人志(ひとし)氏の三人が、昨晩からログハウスを訪れていました」

「長男? その人志氏が後継者じゃないんですか?」

「ええ。人志氏は健次郎氏の眼鏡に適わず、次男の洋次郎氏が後継者に指名されました。ところが、三年前に彼が急死し、当時アメリカのビジネス・スクールに留学中だった一人娘がその跡を継ぐことになったんです」

「彼女は放火ではないかと疑っているわけですね。現場をご覧になっていかがでしたか?」

「怪しいものは何もありません。しかし、かえってそこが気に入らない。何と言うか、整いすぎている……。そんな引っかかりを感じていた時に、ちょっと気になるものを見つけましてね、これは柏木さんの助言が必要だ、そう思ったんです」

「何を見つけられたんですか?」

「テントウムシです。十数匹のテントウムシが、寝室に置かれた本棚の周りで死んでいたんです。林の中のログハウスですから、寒さを逃れようと虫が入り込んでくるのは自然なことだし、それが火事で死んでも、不思議なことは何もないんですが、ただ何となく、その死骸だけが、先程お話しした、作られたような秩序から外れている感じがしたんです。私の勘だけで、何とも心もとない話なんですが……」

「わかりました。とにかくそちらにうかがいます。ただ、今日は予定が入ってしまっているんで、明朝の到着で構いませんか?」

「もちろんです。では明日」


 翌朝、柏木は東京七時三十分発の北陸新幹線「あさま」に乗って、軽井沢に向かっていた。軽井沢駅の手前のトンネルを抜けたところで、雪化粧した浅間山を目にした時、十二年前の二月一日の記憶が甦ってきた。

 その日、彼は腎臓病で上田市内の病院に入院中の父を見舞うために北陸新幹線に乗っていて、同じように純白の浅間山を車窓から眺めたのだった。母の知らせによると、父の病状は深刻で、この先は意識が混濁する恐れがあるから、親しい者は今のうちに面会しておいたほうがよいと、主治医から告げられたとのことだった。

 父は柏木の顔を見ると、お前は考えることが好きなのだから、このまま研究者になるべきだ。大学院を出るまでの学費や生活費を援助するくらいの蓄えはある、と言った。その後は、取り組んでいる研究の内容を説明したり、母を交えて子供時代の思い出話をしたりして、父が疲れた様子を見せたところで病室を出ようとしたのだが、別れ際に、父はふと思いついたように、今朝の浅間山は美しかっただろう、と言った。柏木がうなずくと、父は(みずか)らもその景色を思い描いているかのような表情で、二日続きの大雪の後で、うまい具合に雪晴れになったからな、と付け加えた。思い返せば、それが父と交わした最期の会話だった。父が母に看取られながら世を去ったのは、それから六日後のことだった。危篤の知らせを受けて柏木が駆けつけた時には、すでに父は意識がなかった。

 母も父の跡を追うように二年後に亡くなり、上田市に柏木の生家は残っていない。


 軽井沢駅のホームに降り立った瞬間に、硬質な冬の冷気が柏木を包み込んだ。前日の申し合わせの通り、堂島警部補と鑑識官の前園が改札口で柏木を待ち受けていた。

「柏木さん、お久しぶりです。それにしても寒いですねえ」と、前園は身震いしながら言った。

「軟弱なやつだな。それ、防寒仕様の作業服だろう?」

「この時期にマイナス五度だなんて、誰だって震え上がりますよ。警部補がおかしいんです。空手の寒稽古の締めに、琵琶湖で泳いだとかいう話じゃないですか」

「そりゃすごいな。やっぱり、鍛え方が違う……」

「そういえば、柏木さんはこちらの出身でしたね。もしかして、この寒さも平気ですか?」と前園が言った。

「いや、東京暮らしが長いからね。それに、僕が生まれた上田は軽井沢ほど寒いわけじゃないんだ。十一月に氷点下になるなんてことはほとんどなかったな。天気予報で軽井沢の気温を聞くと、別世界のような気がしたよ」

「ま、とにかく車へ。ヒーターを利かせてありますから」

 堂島はそう言って、駅の北口側で待機させている県警のパトカーへと柏木を導いた。


 現場のログハウスに向かう間に、堂島は関係者のプロフィールを柏木に説明した。

「亡くなった藤井健次郎は辣腕(らつわん)の事業家で、長男の栄太郎を差し置いて後継者の座を勝ち取ると、精密機器の製造を中心にグループを発展させ、屈指の財閥に育て上げました。事業の規模は、父親の頃の数十倍に拡大したそうです。彼は自分が次男だったこともあって、実力主義で後継者を選び、長男の人志ではなく次男の洋次郎を次期総帥に任命しました。ところが、昨日もお話しした通り、その洋次郎が早世してしまった。そこで健次郎が後継者に抜擢したのが、洋次郎の長女、現在二十八歳の藤井博子です。東大経済学部卒業後にハーバードでMBAを取得した才媛で、後継者として任命された当初は、さすがに経験不足ではないかと危惧(きぐ)する声もグループ内にあったようですが、二年前に健次郎が軽井沢に定住すると、彼に代わってグループの中枢企業を運営し、着実に業績を伸ばしています。

 健次郎が彼女に経営を任せるにあたって、サポート役を命じたのが秘書の浦上博次です。十二年間健次郎に仕えてきた人物で、健次郎の懐刀(ふところがたな)と呼ばれていました。グループの内情を熟知した彼のサポートがなければ、いくら藤井博子が有能でも、ここまでスムーズに事業を引き継ぐことはできなかったでしょう。

 一方、洋次郎の長男の藤井人志は『三代目は身上(しんしょう)を潰す』という格言を地で行くような人物です。学生時代からすでに経営者としての資質を疑う声がささやかれ始めていました。健次郎が次男の洋次郎を後継者に任命した際には、決定を聞かされた重役達が思わず安堵のため息を漏らしたと噂されたほどで、洋次郎が急死した際にも、誰も彼を後継者に推そうとはしませんでした。

 料理人やメイドは通いで働いていたので、火災の発生時に居合わせたのはこの三人と管理人の森田幸蔵(こうぞう)だけです。出火に最初に気づいたのは彼で、遺体の第一発見者でもあります」

 堂島がそこまで説明したところで、車が現場に到着した。

「あの二階建てのログハウスが、火災のあった藤井健次郎氏の住まいで、その周りの平屋の四棟のログハウスが来客用です。ここからは見えにくいですが、健次郎氏のログハウスの近くに管理人小屋があります。博子氏をはじめとする三人は、定期的に健次郎のもとを訪れていたので、それぞれが使うログハウスも決まっていました。左端が秘書の浦上、その隣が博子氏、ひとつ置いて右端が人志氏のログハウスです」と堂島が建物を指しながら言った。


 出火した健次郎の寝室は二階にあり、柏木たちが入室した時には、関係者の四人はすでに室内に集まっていた。寝室は十畳ほどの広さだが、火は比較的早く消し止められたらしく、ベッドはほとんど焼け落ちているものの、それ以上燃え広がった痕跡はなかった。

「お、いよいよ噂の名探偵のお出ましだ」と、柏木を見るなり藤井人志が薄笑いを浮かべながら言った。中肉中背で五十一歳だが、張りのない肌や、倦怠感のにじみ出た所作に、長年の享楽的生活の影響が見てとれた。

「柏木祐介東大准教授です。昆虫学者としての観点から事故の検証にご協力いただくためにお招きしました」と堂島が言った。

「たかがテントウムシの死骸のために、ご苦労なことで……」

「上のほうから、不審な点はないか何一つ見逃すなと命じられておりましてね。皆さんご理解とご協力のほどをお願い致します」

「わかりますよ」と人志はちらりと博子に目をやりながら言った。

「なにしろ親父は財界、政界に幅を利かせてましたからね。まあ、おかしな噂が立っても困る。いくらでも協力しますよ」

「恐縮です。では柏木さん、まずはテントウムシを見ていただきましょうか」

 堂島はそう言って柏木を死骸の落ちている本棚の前に案内した。

 本棚はベッドとは反対側の、入口のドアの左脇の壁に沿って置かれていて、壁の隙間から棚の前面にかけて、十数匹のテントウムシの死骸が散乱していた。

「ごく一般的なナミテントウですね。集団で越冬する習性があります。さほど乾燥していないし、この火事で死んだようですね」

 柏木は振り返ってベッドの残骸のほうに歩み寄りながら言葉を続けた。

「で、健次郎氏はどこに?」

「そこです」

 前園がベッドのすぐ脇の場所を指して言った。

「うつ伏せに倒れていました。ベッドの中ですでに大量の一酸化炭素を吸ってしまっていたんでしょう。出火に気づいて逃げようとしても、ほとんど歩けなかったようです」

「焼死ではなく、一酸化炭素による中毒死なんだね?」

「ええ、寝具の不完全燃焼が原因で発生したものと考えられます」

 柏木はしばらく考え込んだ後、寝室の中央に集まっている人志達に声をかけた。

「お手数ですが、昨日の出来事を初めから聞かせていただけませんか?」

「じゃあ、昨日の取り調べと同じように、俺が説明しよう。何か間違いがあったら訂正してくれ」

 人志の言葉に、博子らは無言でうなずいた。

「俺たちがログハウスに到着して、客間でミーティングを始めたのが午後三時。この四半期の見通しについて爺さんからネチネチと突っ込まれること四時間、ようやく解放されて夕(めし)にありついた時には、とっくに七時をまわっていた。ま、俺があてがわれている万年赤字のお荷物会社は話題にのぼらず、この(めい)っ子が集中砲火を浴びせられていただけだがね。それもまた期待の裏返しってやつだ。気の毒なのはお()り役の浦上だね。爺さんの引退後はその孫にこき使われて、もうじき四十になろうってのに、独り身のままだ」

「伯父様、口が過ぎます!」

「おっと失礼。だが、俺は本気で同情してるんだぜ。なあ博子、せめて給料くらい、もっとはずんでやれよ」

「藤井社長、お気遣いは有難いのですが、私が独身なのは別に仕事が忙しいせいではありませんし、給与についても別段不満はありませんので」

 浦上は特に感情を害した様子もなく、平然と答えた。

「わかったわかった。で、午後七時過ぎに、我々はディナーのテーブルについた。食事を終えるまでの時間はざっと一時間半。メインの鹿のスペアリブが最高だったよ」

「鹿の料理ですか?」と柏木が尋ねた。

「そう、この十五日に猟が解禁されたところなのさ。野鳥に鹿に猪……。ジビエ料理はあの爺さんの一番の好物だった。この森田って男、実は狩の名人でね」

 管理人の森田は無表情のまま柏木に会釈した。

「夏は釣り竿(ざお)片手に渓流へ、冬はけもの道に(わな)をしかけ、キジ、ヤマドリは鉄砲でズドン、こいつが猟に出たら大漁まちがいなしだ。まあ、こんな陰気で気の利かない奴が首にならずに済んだのは、ひとえに狩の腕前のおかげなのさ」

「伯父様、そんな話は……」

「ああ、わかってるって。食事が終わったのが八時半過ぎ。俺と浦上と森田の三人は、それから二時間ほどマージャンのお相手を務めた」

「マージャンはどちらで?」

「一階の客間さ。爺様の趣味だから、全自動の卓が置いてある。マージャンが終って自分達のログハウスに戻ったのが十一時近く。それから小一時間ほどして寝室の火災報知機のベルが鳴った。あわてて駆けつけたんだが、火なんて出ていなかった」

「その時、葉巻は?」

「吸っていない。まだ夜食の途中だったからな」

「夜食?」

「はい、旦那様は鹿のスペアリブが夕食の時は、夜食にもう一本、ウイスキーと一緒に召し上がるんです」と森田が答えた。

「七十六歳で……、大変な健啖家(けんたんか)ですね」。

「ああ、妖怪か化け物のたぐい……」

 博子に(にら)まれて、人志は口をつぐんだ。

「夜食を運んだのはどなたですか?」

 森田が手を挙げた。

「私です。料理人は(かよ)いで、その時刻には帰宅していました」

「警報器が鳴ったのは夜食を出してからどのくらいたってからですか?」

「三十分にもならないと思います」

「それで、皆さん集まって安全を確認して、それから警報器の電源を切ったんですね?」

「ああ、森田の話だと、一月ほど前にも一度誤作動したことがあって、メーカーに調べさせたんだが、結局故障は見つからなかったそうだ。で、翌日もう一度メーカーを呼んで点検させることにして、あの晩はスイッチを切ることにした。夜中に何度も起こされたんじゃかなわないからな」

「結果として、それが(あだ)となったわけですね。その誤作動というのは夜ですか?」

 柏木の問いに森田が答えた。

「いいえ、昼間、旦那様が外出なさっている時でした」

「ところで博子さん」

 柏木は藤井博子のほうに向き直って声をかけた。

「何でしょう?」

「警報器が切ってあっても、健次郎氏は葉巻を吸ったとお思いに?」

「ええ、頑固な人でしたから」

 柏木はしばらく考え込んでから質問を続けた。

「それで、森田さんが出火に気づいたのが午前一時半頃でしたね?」

「そうです」

「警報器が鳴らないのによく気づかれましたね」

「旦那様は葉巻をお吸いになるので、気をつけていようと思ったんです」

「なるほど、管理人室はすぐ近くだから、見回りにいらしたんですね」

「ええ、寝室の窓が炎で明るくなっていました」

「他に火をご覧になった方は?」

「いいえ」

 博子らは口々に答えた。

「発見が早かったし、初期消火はうまくいったようですね。ベッドは焼けていても、そのすぐ下の床はほんの少し焦げているだけだ」と、柏木は焼け跡を確認しながら言った。

「残念なのは、寝具の不完全燃焼で一酸化炭素が発生してしまったことですね。それさえなければ、健次郎氏も逃げ出したり、助けを呼んだりすることができたはずだ……。さて、僕がうかがいたかったことは以上です。ご協力ありがとうございました」

 柏木は四人に礼を言うと、堂島に話しかけた。

「堂島さん、この後はどうしましょう?」

「ぜひ、専門家としてのご意見をお聞かせください。こちらの皆さんにはそれぞれのログハウスで待機していただくことにしましょうか?」

「うーん、その必要はないかなあ。これは不運な事故であって、特に事件性はないように思いますから」

「事故、ですか……」

 堂島は困惑した表情を浮かべてそう繰り返した。

「そうだ、博子さんは今回の火災に疑念をお持ちのようでしたね。よろしければお残りいただけますか? なぜ僕が事故だと判断したか、もう少し詳しくお話ししたいので」

「そいつはいい。せっかく名探偵にお越しいただいたんだ。納得がいくまで説明してもらわないとな。じゃ、俺はこれで」

 人志は皮肉な笑いを浮かべてそう言うと、ゆっくりと伸びをしながら部屋を出て行った。続いて浦上と森田が去ると、博子はため息まじりに言った。

「伯父が経営している会社ですが、私なら二年で売り上げを倍増させて、完全に黒字化してみせます。伯父は自分にどんな機会が与えられ、何が期待されていたか、何も理解していないんです……。皆さんは私を冷酷な人間だとお考えでしょうね。祖父が亡くなっても、涙一つ流さない。でも、私は祖父が殺害されたのだと思っていますから、犯人がいるかもしれない場所で泣くわけにはいかないんです」

 柏木の目を見つめながら、博子は言葉を続けた。

「柏木先生は事故だとお考えでしたね。理由をお話しください」

「はい、ええと……、すみません、あれは嘘なんです」

 柏木は申し訳なさそうにそう答えると、堂島に話しかけた。

「堂島さん、この様子だと、犯人に悟られずに済みましたかね?」

「ええ、大丈夫だと思いますよ」

 堂島がうなずいた。

「どういうことでしょう?」

「今回の火災は事故ではなく、放火殺人事件です。テントウムシの死因がおかしい。堂島さん、さすがの慧眼(けいがん)ですね」

「いや、ただの勘ですから。どこがおかしいのか、私にはまったくわからない」

 堂島はそう言って、博子とともに柏木の説明を待った。

「健次郎氏の死因は一酸化炭素中毒で、他の有毒ガスを吸った痕跡はなかった。しかし、テントウムシは他の多くの昆虫と同様に、血液中にヘモグロビンがほとんど存在しない。つまり、彼らは一酸化炭素中毒にはならないんです。しかし、火で焼かれたり消火液を浴びたりした痕跡はなかった。彼らの死因は窒息死です」

「それがおかしいんですか?」と堂島が尋ねた。

「ええ、ベッドが燃えたくらいでは、あの寝室は酸素不足状態にはならない。何らかの理由で二酸化炭素か窒素が大量発生して、テントウムシを窒息させたんです。あの火事が小火(ぼや)で済んだのも、おそらくそのせいです。しかし、あの部屋に特殊な消火設備はなかったし、管理人が使ったのも小型のありふれた消火器だった」

「ということは?」

「何者かが意図的に火災を引き起こし、しかも火が燃え広がらない仕掛けをしたのだと考えられます」

「一体どうやって? それに狙いは?」

 堂島が勢い込んで尋ねた。

「まだわかりません。断片的なアイデアはいくつかあるんですが、仮説を組み上げるには材料が足りない。博子さんに残っていただいたのも、さらにお話をうかがいたかったからです」

「あの、そういうことでしたら……」

 博子は少しためらいながら柏木に言った。

「何でしょう?」

「浦上を呼び戻しても構いませんでしょうか? 長年祖父のもとに居りましたから、私以上によく知っていることも多いと思います。詳しくは申し上げられませんが、彼には祖父に死なれては困る事情があるんです。ですから彼は犯人ではありません。もし彼に何か疑いが生じるようなことがありましたら、私も一緒に容疑者に加えていただいてかまいませんから」

「堂島さん、いかがですか」

「ええ、彼にもご協力願いましょう」

 堂島がうなずくと、博子はインターホンを使って浦上を呼び出した。

「ところで警部補、どうやって柏木さんが嘘をついていることに気づいたんですか?」

 前園が不思議そうに尋ねると、堂島はあきれ顔で答えた。

「なんだ、お前、気づいていなかったのか……。柏木さんがあんなに断定的な言い方をするなんて、どう考えてもおかしいだろう? 昆虫学者として犯罪の証拠を見つけられなかったからといって、この火災が事故だということにはならない。わざと犯人が安心しそうなことを言うのは、逆に決定的な証拠が見つかったということだ」

 浦上が戻ってくると、柏木はすぐに質問を始めた。

「まず確認したいのは、警報器が鳴った時に皆さんが寝室に駆けつけた順番です」

「最初は森田です。それから人志社長。私たちが部屋に着いた時には、二人はもう中で総帥と話をしていました」と浦上が答えた。

「ベルを聞いてすぐ寝室に?」

「はい。ただ、もう床についておりましたので、上着を着たりするのに少し手間どりました」と博子が答えた。

「二人はマージャンをした時と同じ服装を?」

「ええ」

「警報器を切るように指示したのは?」

「お祖父さまです」

「二度目の誤作動だと聞かされては、無理もないですね。で、本物の火災の時も、一番乗りは森田だったと。他の方々の到着順は?」

「混乱していてよく覚えていないんですが、三人ともほとんど同時くらいだったように思います」

「わかりました。あとはそうだな……、博子さん、健次郎氏は何か貴重なものを寝室に置かれていませんでしたか?」

「貴重なもの、ですか……?」

「ええ、宝飾品とか」

「いいえ、何よりも実用性を重んじる人でしたから」

「美術品なども?」

「絵画やアンティークが好きだったのは祖母のほうです。その祖母が七年前に亡くなり、所蔵していた作品は、設立した財団法人に残らず寄贈し、管理を任せていました」

「そうですか……」

「あの、よろしいですか?」と、それまで二人のやり取りに耳を傾けていた浦上が口を開いた。

「はい、どうぞ」

「奥様の話が出て思い出したのですが、奥様の銀のティアラを手元に置かれていたのかもしれません」

「あのティアラを?」と博子が言った。

「ええ。奥様が亡くなった後、奥様が使っていらしたアクセサリーは形見として親族の方々にお分けして、残った何点かは貸金庫に預けられたんですが、その中にティアラが入っていた覚えがないんです。遺品の配分と預け入れのお手伝いをしたので、記憶は確かだと思います」

「そのティアラというのは?」と柏木は博子に尋ねた。

「結婚十周年を迎えた際に、長年の苦労をねぎらうために祖父が祖母に贈ったものです。稀少なブルーダイヤが使われている上に、手がけた職人も超一流で、当時の価格で十億はくだらないと話題になりました。結婚当初はまだ会社も小さく、大したことはしてやれなかったという思いが祖父にはあったんでしょう。祖母はそのティアラをとても誇りにしていて、大切なレセプションに出席する時は必ず身につけていました。海外のファッション誌に写真が掲載されたこともある名品です」

「健次郎氏はこちらに定住すると決められた時、ログハウスを改築されましたか?」

「ええ、東京から馴染みの棟梁を呼び寄せて、寝室の内装を中心に手を入れたようです」

「なるほど……。お二人ともご協力ありがとうございました」

 質問を終えると、柏木は笑顔で堂島に声をかけた。

「堂島さん、どうやら材料がそろったようですよ」

「では犯人は?」

「それをお話しするのは、もう少し待っていただけますか。仮説はできたんですが、検証する時間が欲しいんです。ただ、犯人を捕まえる方法を思いついたので、仮説が正しいかどうか、犯人の反応で確かめられそうです」

「犯人を捕まえる方法が?」

 堂島と前園が同時に声をあげた。

「ええ。今は狩猟期間だそうだし、(わな)を仕掛けてやろうと思うんです」

 柏木はいたずらっぽい笑みを浮かべると、考案した罠の内容を説明し始めた。


 打ち合わせを終えて一同が引き上げようとしていた時、博子はふと窓の外に目をやって足を止めた。

「何をご覧になっているんですか?」と、柏木が歩み寄りながら尋ねた。

「祖父が一番気に入っていた景色です。ここにログハウスを建てたのはそのためなんです」

 博子の視線の先には、雪化粧した浅間山の姿があった。

「確かに、すばらしい眺めだ。健次郎氏はこちらのご出身だったんですか?」

「いいえ。でも、曾祖父の小さな別荘がこの近くにあって、子供の頃からよく来ていたそうです。こんなに静かで美しいのに、時には火を噴く……、この山を前にすれば、人間が自然に勝てるなんて考えは一瞬で消えてなくなる、祖父はよくそう言っていました」

 博子は柏木のほうに向き直って言った。

「先程は、お言葉を誤解して申し訳ありませんでした」

「いや、あれは誤解してもらうために言ったんだから、気にしないでください」

「それから、わざわざお越しいただき、ありがとうございました」

 博子は深く頭を下げて礼を言った。

「いえ、おかげで久しぶりに冬の浅間山を見ることができました。実を言うと、僕は信州の生まれなんです」

 そう答えながら、柏木は密かに、博子が写真で見た健次郎にそっくりの目をしていると考えた。


 警察が引き上げるよりも早く、人志は自家用車で東京に戻って行った。博子は浦上とともに翌朝まで残っていたが、管理人の森田に、業者を入れて祖父の寝室を清掃するように命じると、浦上の運転する社用車に乗ってログハウスを去った。

 その日の午後、森田は狩猟のために飼っているポインター犬を連れて健次郎のログハウスに入った。他の使用人には片づけが終わるまで当面仕事はないと伝えてあり、犬を引き入れても見とがめられる心配はなかった。

 そのまま階段を上がって寝室に入ると、彼はジャンパーの右ポケットから小さなポリ袋を取り出し、中身の匂いを犬に嗅がせた。

「よし、捜せ!」

 そう命じられると、犬は身を低くして鼻先を床に近づけ、室内を嗅ぎまわり始めた。だが、火災の後の悪臭が妨げとなっているらしく、優秀な猟犬であっても、命じられた匂いを嗅ぎつけるのは困難(きわ)まりないことのようだった。

「どうした? 見つからんのか?」

 森田がいらだたしそうにそう声をかけた時、犬はふいに足を止めて顔を上げた。

「おっ」

 森田が見守る中、犬は再び鼻先を下げて進んでゆき、入口の右脇の隅に置かれていたウッドチェストの前で立ち止まると、前脚を上げて獲物の発見を知らせるポインター犬特有のポーズをとった。

「そこか、よくやった!」

 森田は声を(はず)ませてそう言うと、犬をドアノブにつなぎ、ウッドチェストに歩み寄った。チェストは造りの良い年代物だったが、新しいキャスターがつけられていて、森田は最近チェストが動かされた痕跡があることを確かめるとチェストを横にずらし、むき出しになった壁と床を調べた。

 森田は床板を指先でさすり、何かが付着している箇所を見つけると、満面の笑みを浮かべた。

「ここだ!」

 その部分には二ミリ程の薄い板が縦と横に一枚ずつはめ込まれていて、それを外すと床板を前後左右にずらすことができるようになっていた。

 彼はここまでくれば後は簡単だと考えていたが、すぐにそれが誤りだと思い知らされた。床板にはからくり箱の(ふた)のような仕掛けが(ほどこ)されていて、外すためには正しい手順で何度も角度を変えながら板をずらす必要があった。

「あの爺いめ……」

 額から汗をしたたらせながら十分ほど試行錯誤を繰り返した末に、手前が二センチほど高くなった床板が突然するりと外れ、森田は床板をつかんだまま尻餅をついた。

「やったぞ、畜生!」

 森田は床板を放り出して穴の中をのぞき込み、銀のティアラを取り出した。

「はい、ご苦労さま」

 柏木の声とともに、彼と堂島、前園、そして三人の県警の警察官が寝室に踏み込んできた。堂島はその大柄な体格からは想像のつかない敏捷(びんしょう)さで森田からティアラを取り上げ、警官二人が両脇から森田の腕を抱え込んで完全に動きを封じた。

 柏木は森田の猟犬を連れてゆこうとしている三人目の警官に声をかけた。

「管理人小屋に何か餌があるはずだから、その子にやってください。お手柄だったから、できるだけ喜びそうなものをお願いします」

 警官が犬を連れ出すと、柏木は入り口のドアの外側で待機していた博子と浦上を招き入れた。

「お待たせしました、どうぞお入りください」

「お嬢様、東京に戻ったんじゃ……」

 森田は思わず声を上げたが、博子の怒りに満ちた眼差しに()すくめられて目を伏せた。

「昨日のうちに小型カメラを仕掛けておいた。はら、そこだよ」

柏木は健次郎の書斎机を指差した。

「僕らは君の奮闘の一部始終をモニターしていたのさ。当然ながら録画もしてある」

「まんまと罠にかかりましたね。柏木さんの読み通りだ」と堂島が言った。

「自分たちの策に自信を持ちすぎているんですよ、この男も藤井人志も」

「伯父も共犯なんですか?」

 こみ上げてくる怒りをかろうじて抑えながら、博子が低い声で尋ねた。

「ええ。ティアラを手に入れるために、二人が共謀して、火災に見せかけて健次郎氏を殺害したんです。おそらく健次郎氏が寝室でティアラを手にしているところを森田が見かけて、人志氏に話したんでしょう」

「推定価格が十億円を越えるティアラを売りさばくなんて、とてもじゃないが、森田の手には負えません。一方、人志氏にはギャンブルで多額の借金があった。グループの株式をそこそこ保有してはいるが、勝手に売却できないように健次郎氏が先回りして手を打っていたので、にっちもさっちも行かなくなっていたんでしょう」と堂島がつけ加えた。

「柏木さん、こいつらは一体どんな手口をつかったんですか?」

 前園の言葉に堂島がうなずいた。

「予定通りに獲物を捕まえることができたし、仮説は正しかったようだ。そろそろ真相をお聞かせ願えませんか?」

「そうですね……。最初に判明したのは、犯行の目的でした。健次郎氏を殺害し、ティアラを奪うことです。殺害に関しては、健次郎氏の喫煙の習慣を利用し、失火に見せかけるのが一番やりやすい方法だった。問題は、健次郎氏を殺害した時点でいかにすばやく火を消すかということでした。ティアラが燃えてしまっては元も子もありませんから」

「窒素か二酸化炭素を使ったんだろうとおっしゃっていましたね」

「ええ。彼らはドライアイスを使ったんです」

「ドライアイス?」

「森田は、夏場に釣った魚の保存などで、ドライアイスを使っていたんでしょう。ドライアイスが溶けると体積が七五〇倍になります。ドライアイスを車に持ち込んで窒息する事故はよく起こってますからね、ある程度の量を購入すると、扱いに関する注意を受けるはずです」

「なるほど、ドライアイスの特性について、基礎知識があったわけだ」と堂島が言った。

「ええ。そして、二酸化炭素による消火装置の誤作動による窒息事故も何度か報道されている。今年も確か一件ありましたね。これらの情報を組み合わせて、今回の犯行が計画されました。実際の手順はこうです。まず森田と人志氏がドライアイスを寝室の前まで運ぶ。寝室を二酸化炭素でいっぱいにするには六十キロのドライアイスが必要です。体積は四十リットル、大きめの登山用リュックなら入るでしょう。それなら森田が持っていても違和感がない。それと、いま言った数値は業界団体がームページに掲載している情報から算出しています。彼らでも簡単に計算できたでしょう。

 次に、火災警報器を誤作動させて、健次郎氏の寝室を訪れる。健次郎氏の注意を引きつけるのが人志氏の役割で、その隙に森田がドライアイスを運び込み、ベッドの下に置く。と同時に、発火装置を寝具に仕掛けておく。発火装置は、(おう)リンや生石灰(せいせっかい)などの自然発火性物質を使ったんでしょう。管理人の立場を利用して、掛け布団の中身を、不完全燃焼を起こしやすいものに入れ替えていたかもしれません。布団が燃えると、一酸化炭素が発生し、健次郎氏が中毒死する。そして、ベッドに火が移ると、その熱でドライアイスが溶け、火を消す。なかなか巧妙なトリックだ。テントウムシの死骸がなければ、見破るのは難しかったでしょう」

「テントウムシ?」と森田が困惑した様子で言った。

「ああ、テントウムシは血液中にヘモグロビンが存在しないから、人間と違って一酸化炭素中毒にはならない。健次郎氏とテントウムシの死因の違いが、謎を解く鍵になったのさ」

 柏木はそう答えると、堂島たちのほうに向き直って話を続けた。

「よくわからなかったのは、火災報知機を誤作動させた理由でした。四つのログハウスの警報器は管理人室で集中管理していますから、鳴らないようにするのは簡単だ。寝室に侵入する口実にはなるが、必然的ではない。マージャンの合間に発火装置やドライアイスを運び込むことだってできたはずだ。あの誤作動の真の狙いは何か、それを考えていた時、博子さんと浦上さんからティアラに関する情報がもたらされました。犯行目的が判明したことで、誤作動の狙いも明らかになったんです」

「というと?」と堂島が尋ねた。

「誤作動には二つの狙いがありました。一つ目は放火と消火の仕掛けを健次郎氏の寝室内に持ち込むこと。そして二つ目の狙いは、ティアラの隠し場所を探ること。夜中にいきなり火災警報器が鳴ったら、反射的にティアラを持ち出そうとするでしょう。そこで、健次郎氏が夜食を取っているタイミングで、警報器を鳴らした」

「なるほど、スペアリブか!」と堂島が声を上げた。

「そうです。スペアリブを食べている時に警報器が鳴って、ティアラを持ち出そうとすれば、隠し場所の周囲にもスペアリブの脂がつく……。それにしても、猟犬を使うというのはなかなかのアイデアだ」

 柏木はそう言いながら床に落ちていたポリ袋を拾うと、中身を確かめて堂島に手渡した。

「スペアリブの食べ残しです」

「どこまでも悪知恵のはたらく奴らだ」

「僕からお話しすることは以上です」

「有難うございます。同じようなことばかり言ってお恥ずかしいが、完璧な推理だ」

 堂島はそう言って柏木を(ねぎら)うと、ゆっくりと森田に歩み寄った。

「森田幸蔵、窃盗の現行犯および藤井健次郎氏殺害の容疑で逮捕する」

 堂島は森田に手錠をかけながら付け加えた。

「藤原人志との共犯関係についても、洗いざらい(しゃべ)ってもらうからな」

「くそ、テントウムシさえ……」

 悔し気につぶやく森田に柏木が言った。

「自然というのはね、人間の思い通りには絶対にならないものなんだよ」

 森田が二人の警官に連行された後、柏木はティアラが隠されていた場所を調べ、一枚の紙片を拾い上げた。

「それは?」と堂島が尋ねた。

 柏木は紙片に書かれた文字にすばやく目を走らせると、藤原博子に歩み寄って紙片を手渡した。

「健次郎氏があなたに宛てたものです」

 博子は部屋の隅で見守っている浦上の顔を見つめると、彼に読み聞かせるかのようにメモ書きを読み上げた。

「『博子へ。浦上と結婚するつもりなら、反対はしない。式ではこれを使うように。健次郎』

お祖父さま、ご存じだったのね、私たちのこと……。それにしても、なんてお祖父さまらしい……」

 言葉につまった博子の眼から、涙が(あふ)れ出ていた。


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