3 化けフェレット①
化けフェレット①
飯塚春菜
「で、どうして本人がいないの?」
篠崎さんに呼び出され、フォンテーヌに来ました。中川さんとわたし。二人しかいないのを見てすぐ言われました。
「あの、水無月遥に呼び出されてて」
「ああ、あの、ディナーショーの件ですか?」
水無月遥は一昔前に一世を風靡したアイドルです。今はおばさん。今度、うちの系列のレストランの一つを貸切にして食事をしながら水無月遥の歌を聴けるというイベントがあるんです。
「そんなの、社長自ら行かなければならないものですか?」
「いや、でも、御指名なので」
「ほんっとに」
怒り絶頂ですな。マネージャー。
「いつまで経ってもふわふわふわふわと。うちの全社員の中で一番予測不可能な行動をとるのは代表取締役です」
「すみません」
「いや、中川くんが謝るところではないでしょう」
「いや、でも、監督不行き届きで……」
怒り絶頂の篠崎さんと目を合わせないように伏せていた顔をそっとあげて、表情を窺う。
「大体、なんですか、あれは。人様にお食事を提供させていただいている会社を、胃がない……」
「マネージャー、落ち着いて。血圧上がります」
「胃がない、会社だなんてっ」
普段は冷静沈着な人なんです。それこそ、目の前で大きな氷山が急にずさぁって崩れて海に飲み込まれても、眉毛をピクリとも動かさずに、船の上のレストランで給仕を続けそうなくらい冷静沈着な。この篠崎マネージャーをここまで興奮させる神谷秀も大したものだな。
「そこまでひどい会社ですか?わたしたちがこんなに苦労して、あっちこっちとわけわかんない行動と言動をとる社長の後始末をつけながらやってきてるのに」
「いや、あそこまで言われるほど酷くはないです」
「それを、なんですか、あの、反省文?」
「はい」
「あれは、中川くん、投稿する前に見たの?」
「……勝手にあげられました」
「一体、仕事をなんだと、経営をなんだと思ってるんですか?あの男は」
「全くでございます」
社長の代わりに中川さんが頭を下げて、篠崎さんの言葉を受ける。すこーしだけマネージャーの引き攣った顔が緩みました。
「削除させなさい。すぐに」
「それが……」
「なに?」
「投稿した直後から、反応が良くてですね。もともと社長は結構熱心なフォロワーがいるので」
「……」
結構、いいねを集めてしまってました。直後からすぐに。
「今更、削除すると返って目立つかもしれません」
「あんな男のあんな発言の何がいいんだか。みなさんも」
わたしの背中をたらーっと冷や汗が垂れる。かんっぜんに、マネージャー、神谷秀のこと嫌いだよなぁ。今度という今度こそ愛想尽かしてやめちゃうかも。そうすると、会社を裏で支えてきてくれていた大きな柱が折れる。
「そして、なんですか。画面上で申し訳ありませんとか言っておいて、さも反省しているかのように世間様には見せておいて、実際に謝りにこいと呼び出したら、子供のように逃げ出して」
「マネージャー、血圧が上がります」
「ふてぶてしいにも、ほどがあります。いろいろなお店で働いてきましたけど、ここまでふてぶてしいのは前代未聞です」
「まったくでございます」
横で項垂れる中川さん。それをチラリと見る篠崎さん。
「中川くんは悪くありませんよ。むしろ、あなたはわたしと同じ被害者でしょう?」
それからマネージャーは終始中川さんと一緒に縮こまっていたわたしの方を見ました。
「あなたもね。飯塚さん」
そして、3人で顔を見合わせると、深く長いため息をついた。
「お茶を持ってこさせましょう。立ちっぱなしでしたね。座ってください」
それから、個室の外を覗いてフロアにいるウェイターに何か言いつけた後、篠崎さんもテーブルにつきました。それからそっと中川さんの肩に手を置いて言いました。
「中川くん、あんまり一人で抱え込んじゃダメですよ。飯塚さん、この人はすぐ無理をしますから、気をつけてあげてくださいね」
マネージャーのその気配りに自然に笑顔が浮かびました。
「はい」
承知つかまつりです。
「無理なんてしてませんよ」
「無理している人ほどそういうものです。今度、神谷秀の言動をよく注意して見てなさい。無理なんてしてないなんて、一生いうことのないような人生を送ってますから、あの人は」
「……」
「ああ、やめましょう。名前を出すだけでイライラしてくる」
ほんっとに嫌いなんだな……、アゲイン。マネージャーはそれからイライラとした顔を元に戻した。
「人事的な部分での問題はどうですか?」
系列店を含めた人材関係の話になりました。
今、我が社は中央にセントラルと呼んでいる管理部門があって、都内に七つの系列店舗を持っています。全てフランスで言えばグランメゾン、高級レストラン。現在、バイトも含めて100名前後の従業員を抱えています。
基本的には組織としては、それぞれのお店がある程度の独立性を持って経営をしているのですが、採用はセントラルで一括して行い、また、人事管理も丸投げはしていない。基本はそれぞれの店の上が管理をして上からの報告を受けていますが、定期的に店のトップを挟まず下と直接面談をしています。そして、この前の高梨君のように下が会いたいと言って来れば中川さんの方から会いに行くこともある。
「あの……」
真面目な顔になった二人を見てわたしは立ち上がった。
「大事な話でしょうし、わたし、外してましょうか」
すると篠崎マネージャーは軽くため息をつきました。
「飯塚さん」
「はい」
「さっき言いましたよね。この人は結構無理をする人なんです」
「はい」
「だから、横にいて話を聞いて、今、どういうことが問題で何をしなければならないのか、あなたも知っていてください」
「はい」
「それで、あなたができることは手伝って中川くんの負担を減らしてあげてください」
なんですと?
「あの……」
「なんですか?」
「気持ちはありますけど、経験と実力がありませんので、わたしにたいしたことはできません」
篠崎マネージャーや中川さんの抱えている問題と、わたしの抱えている問題はスケールが違います。すると、二人にぶっと笑われた。その後、マネージャーはまたわたしにきちんと向き合って言いました。
「まずは気持ちがあることが大事なんですよ。飯塚さん、人間は一生懸命頑張ったらね、意外と結構いろいろなことができるものなんです。自分の底力のようなものを自分で知らないんですよ」
「ああ、それ、神谷社長も言ってました」
チーン
言ってからしまったと思った。遅かったです。マネージャーの顔がムッとしました。
「あ、すみません」
「謝らないでいいですよ。飯塚さんが悪いわけではないですから」
「……」
「口だけは達者なんだから……」
ぶつぶつと何か言っている。わたしの悪い癖です。つい頭に浮かんだことをそのまま口にしてしまう。しまった。
「やめましょう。時間の無駄でしたね」
そして、瞬間的にリカバリーしてまた、氷山が横でずざざざざっと海に一気に沈もうが、眉一つ動かさずに給仕をしそうな雰囲気に戻りました。
「セントラルに動かせそうな子は見つかりましたか?」
そう言われると、中川さんはうーんと唸って両手を合わせると、軽く目を瞑って額をトントンと自分の指で叩きました。ここんとこいつも言われる話。今日もまず言われるだろうと思ってたに違いありません。
「来たいって子はいるんですけど、いまいち戦力になりそうにないというか」
「中途半端な子を入れると、返ってあなたの負担が増えますからね」
会社としては7店のレストランを経営していて、100人前後の従業員がいます。ただ、実務のほとんどは現場であるレストランを中心に行っていて、セントラルはその管理と取りまとめをする部門なので、そんなに人がいないんです。社長と中川さんを含めて、6人しかいません。その内の一人が人事で、系列店から上がってくる勤怠データをもとに給与計算をしたり、社会保険等の実務をしていて、もう一人は経理で各店舗で発生した経費のチェック、そして、決算書を作っている。簡単に言えばそれ以外のことは社長と中川さんが中心になって動いてその補佐として私ともう一人野田くんという男の子がいるだけです。
「本当に必要ですか?」
「中川くん」
篠崎さんが少しピリッとした声を出しました。中川さんはその声を聞くと額に当てていた手を外してまっすぐ前を見ました。
「今まで神谷くんも中川くんもぎりぎりの人員でよくやってきたと思います。でも、ここまでの規模になってきて、更にこれからも大きくするつもりなら、今までのやり方は全部捨てて方向転換しないと」
「方向転換、ですか?」
「今はまだあなたと神谷くんも色々なところに目が届きますが、これから更に店舗が増えたら無理です。だから、あなたや神谷くんの代わりになる人をどんどん作らないと」
なんだか横で聞いていて耳が痛いのです。わたしも。
「人なんて、教えてもやめてくし、教えてもそんなにすぐに成長なんてしないんです。今すぐ、セントラルにもう一人、あるいは二人、人を入れなさい。それで、あなたは人が辞めにくい環境づくりと人を育てて回していく仕組みづくりに専念しなさい」
「はい」
「あなたのポジションの仕事はね、人間相手だから時間を取られるだけじゃなく、心理的負担が重いんです。そういうことができる人が、いつまでもあなたしかいないと、必ず無理が出ますよ」
ため息が出ました。なんだかちょっと心配になってきました。普段こういう様子はわたし達の前では露骨にしませんから。
「最近では、辞めたがっている人はいませんか?」
「まだそこまでいってませんが、不満を持っている人はいます」
「どんなことに不満を持っているの?」
「やりがい、ですかね。毎日、簡単なことしかしてないって」
「うん」
「この前とある子には自分は神谷秀から経営を学ぼうと思って入社したのにと言われました」
ああ、それは、この前の高梨くんだなと思う。
「で、中川くんはそれについてどう思うの?」
「まだ、レストランの何たるかを知らない人に経営と言われても」
篠崎さんはちょっと黙って俯きました。そして、しばらくするとまた口を開いた。
「わたしとしては、今はもう会社は転換期に入っていると思うんですよ」
「はい」
「神谷秀、神谷秀と皆が一極集中するのは良くないのではないですかね」
「……」
一瞬、マネージャーがあまりに神谷秀のことが嫌いだからこういう発言が出たのかと正直思いました。多分中川さんもそう思ったと思う。でも、マネージャーはそんなわたしたちの視線に気づかずに続ける。
「例えば水無月遥についてだって、結局は社長である神谷くんが色々なところに顔を出して営業した結果取れた話ですよね?で、打ち合わせだって社長自ら受けてるわけだし」
「はい」
そこは本人好きでやってると思いますけどね。
「そういうのをもっとお店の子たちにも責任持たせてやらせたほうがいい。それで、自分達の店の売上は、自分達が頭を捻って考えた内容で獲得したものだと実感させなければ、商売のなんたるかもやりがいのようなものもいつまで経ってもわからないまま皆やめていくでしょうね」
「今もでも、できるだけお店に主体を持たせる方向でやってますが」
「もっとね、お店同士で競わせる雰囲気や、あと、その、神谷秀の経営を学びたいと言っているような子たちが前に出られるような仕組みをね」
「難しいですね」
中川さんがまた顔を顰めると、ああ、違う違うと篠崎さんは手を振った。
「そこまで中川くんが考える必要はないです。あの、あっちゃこっちゃ遊び回っている人にこのくらいやらせなさい。自分の会社のことなんですから」
「はぁ」
その後、それぞれの店舗の個別の問題点について確認してゆく。あらかた終わったところでもう夜になってました。お店がディナータイムで忙しくなってくる時間です。
「それじゃ、そろそろ」
テーブルの上に広げていた資料を中川さんが片づけ出した。
「神谷くんは今日、野田くんと一緒に行ったの?」
「あ、いや、野田くんはバイトが風邪ひいて人手が足りなくなった店舗のヘルプに行ってます」
「え?じゃあ、一人で行ったの?」
「あ、でも、向こうはマネージャーさんが一緒のはずですよ」
「……」
マネージャー難しい顔して腕を組んだ。
「どうかしましたか?」
「水無月遙は……」
「はい」
「事務所が消して回るから世間にはあまり知られていませんが」
「はい」
「手当たり次第男に手を出すことで有名な人なんです」
「え……」
中川さんとわたし、固まる。
え、そうなんすか?
「あの人、また最近離婚してましたよね。そういう時が特にひどいって」
「ああ、そうですか」
「神谷くん、大丈夫でしょうか?」
「……」
マネージャーが珍しく、嫌いな社長のことを心配しているではないか。
はて、大丈夫かな?
まぁ、水無月遙に誘われたら、うちの社長だったら……
十中八九、ホイホイと喜んでついていくだろう。でも、別に社長、男だし。大丈夫だろう。
「社長なら、男だし、大丈夫じゃないですか?」
わたしがそういうと、篠崎マネージャーは即座に言った。
「僕が心配しているのは神谷くん個人ではありません」
「え……」
「相手は有名人です。面白がって写真でも撮られて週刊誌にでも取り上げられてみなさい」
「あー」
どうも、わたしの心配は、ずれていたらしい。マネージャー、きっと中川さんの方を見る。
「ね、中川くん、あなた今から神谷くんに合流しなさい」
「え……」
微妙な顔になりました。
「それで、本当にいざとなってにっちもさっちもいかなくなったら、神谷くんの代わりにあなたがお相手して差し上げなさい」
「はい?」
いやいやいやいや
何を言い出すんですか?マネージャー。
「神谷くんは顔と名前がそこそこ知られてます。写真なんか撮られたら面倒です。その点、あなたならそこまでしつこく書かれることもないだろうし、それに、ね、あなた、独身だし」
「え、いや、でも……」
しどろもどろとしている隙に、個室のドアが開いてフロアの子が顔を出す。のんびりした声で語りかける。
「マネージャー、ちょっといいですか?」
「ああ、はい。今、行きます。わかりましたね?必ず行ってくださいよ」
フロアの女の子に優しい顔をして、振り向くときは中川さんのことビシッと指で差しながら言い捨てる。そして、篠崎さんはお店に出て行った。
中川さんはしばらくぼうっとしてた。わたしはぼうっとしている顔をしばらく黙ってみてました。だが、しばらくすると一時停止のボタンが解除されたみたくチャキチャキと動き出した。黙々と資料を片付け、無言で立ち上がるとドアへ向かう。わたしはテーブルと椅子の位置を直してから、慌てて後に続いた。
お店の中を抜けて外に出る。しかし、ホールに上司はいなかった。
あれ?
もう一度お店の方に戻り、あちこち探すと、受付の奥の事務所にいました。何やらホールの男の子とコソコソなんか話してる。事務所にわたしが来たことに二人とも気づいていない。
「だから、僕が適当に言っといてあげるから早退して」
「え、いや、でも」
「瀬川くんみたいな歳の子からみたら、水無月遥なんていやか」
「いや、うーん」
そこは、真剣に考え込んでいた。瀬川くん。
「全く無理か」
「いや、そんなことはないっすよ」
「じゃあ、ね」
「いや、でもね。水無月遙は僕みたいなのより社長みたいな大人の男の方がいいんじゃないですか?」
「いや、若い子の方がいいだろ」
「いやぁ、でも、なんか社長ってモテるじゃないですか」
ちょっと止まる。中川崇。その後つまらなさそうに言った。
「……モテるな」
「俺、絶対、のこのこ出てっても、相手にしてもらえない気がします」
「うん」
「別に自分が頼まれていやいや行ったんだとしても、振られたみたいでやです」
「うん」
そこで、なぜか男二人、くらーくなる。
「俺より中川さんの方がいいですよ」
「は?」
「だって、中川さんの方が俺より大人だし」
「……」
「だから、すんませんっ!」
そして、瀬川くんは逃げてった。中川さんは逃げてく瀬川くんの背中を見送り、そして、事務所の片隅に立ってるわたしに気がついた。
「あ」
「どうも」
それから、また、無表情に動き出す。わたしはそれについていく。ホールに出てエレベーターを待つ間も一言も話さなかった。そのままエレベーターで社用車を停めてある地下駐車場まで向かう。わたしが運転席に、上司が助手席に収まるとおもむろに中川さんが口を開いた。
「づかちゃん」
「はい」
「悪いんだけどさ。社長迎えにいくから車回してもらえる?」
「ああ、はい」
承知です。その返事を聞いた後に、中川さん、スマホ出して電話をかける。
「中川です。今、どこにいますか?」
相手が何か言ってるのが聞こえる。
「マネージャーに合流するようにって言われたんで。……いや、でも、行くようにって言われたんで。……僕にとってはマネージャーの命令は絶対なんで。……え?とにかく場所教えてくださいよ。……は?何そんなうざいこと聞いてんすか。……ああ、もういいから早く場所教えてくださいよ。……もう、しつこいな」
だんだん、だんだん、中川さんの声のトーンが上がってくる。
「そんなんマネージャーに決まってるじゃないですか。今更そんなん聞いてどうすんですか」
あー、身も蓋もないというか。しかし、社長も社長。
「切りやがった……」
「……」
ほんっとすみません。時々、うちの社長、子供みたいなんです。
しかし、その後、何やら一人でやっていた中川さん、不意に自分のスマホを地図アプリ立ち上げた状態で寄越してきた。
「ここ、行って」
「はい」
黙って上司の言いつけに従って車を走らせる。とある都内のホテルでした。しばらくたっぷり黙った後、頃合いを見計らって聞いてみた。
「あの」
「なに?」
「ちょっと、その、横で聞いていて思ったんですけど」
「うん」
「場所を教えずに電話を切ったんですよね?社長」
「うん」
「なんで、それで、ここに行けばいいとわかったんでしょうか?」
「あっちの携帯の電源が入ってる限り、場所が検索できるようにしてあるんです」
「えっ……」
「いざという時の備えです」
チーン
「それ、社長、知ってんですか?」
「まさか」
「じゃあ、今晩なんて言い訳するんですか?」
「向こうのマネージャーさんに教えてもらったって言いますよ」
「……」
結構、いや、かなりドン引きしました。
「言っとくけど、僕がこんなことして管理しているのは、会社の中で神谷秀一人です」
「はぁ」
個人情報、プライバシー?いや、ギリギリだよね?
是か否か、是か否か、是か否か、是か否か……
わたしの頭の中で良心が警笛を鳴らし始める。
その中で、今の今まで社長がやってきたありとあらゆる行動や言動を思い出す。あんなことやこんなこと……。いや、でもあの社長はなぁ。
「づかちゃん、君に本日ミッションをつかわします」
「はい?」
頭の中で良心の警笛がなっているわたしに向かって、淡々と中川さんが言い渡す。ここ最近聞いたうちで一番冷たい声でした。
「ホテルに着いたら、僕は社長と水無月遙が打ち合わせしている現場に合流します」
「はい」
「君は、悪いんだけどそのお店の近くのトイレを見張れる場所に待機してほしい」
「えっと、なんで?」
「人間はね、お酒をガバガバ飲んでいると必ず一回はトイレに立ちます」
「はい、立ちますね」
「そこを捕まえる」
チーン
「そして、神谷秀を回収して車に乗せて帰りなさい」
「暴れたらどうするんですか?」
相手は40代男性、わたしは20代女子。
「いや、神谷秀は女性相手に暴れるような人間じゃない」
「はい」
「ただ、駄々をこねる」
チーン
「あれこれと屁理屈を捏ねて、づかちゃんを攻略しようとするだろう」
「はい」
「いいか。その時は、これはフェレットだと思うのだ」
「フェ……」
ちょうどその時、目の前の信号が赤になった。車を止めて助手席に座っている上司の顔を見る。
「フェレット?」
「そうだ。フェレットだ」
フェレット、フェレット、フェレットって……
なんだったっけ?
「長く生きて妖術を身につけたフェレットが神谷秀に化けていると思いなさい」
「……」
これは、あれだ。とうとう心に来てしまったな、中川崇。
事態の進行によっては性の奉仕も辞するなと敬愛する篠崎さんにさらっと言われて、とうとうおかしくなってしまった。
どうしよう?
神谷秀を捕獲・回収せよと言われたけど、その前にこの目の前の人を病院へ連れて行ったほうがいいのではないか?
しかし、とってもまともに見える表情で淡々と上司は続ける。
「心配しなくても、明日の朝には人間に戻るから」
「……」
でも、神谷秀は人間に戻っても、あなたはもとに戻らないのでは?
「もう一度繰り返します。僕は合流する」
「はい」
「君はお店の近くのトイレが見張れる場所でフェレットが化けた神谷秀を張る」
「はい」
「で、トイレはさせてあげなさい」
「ええっと……、はい」
「で、手を洗って出て来たとこを逮捕」
「……」
手首でも掴む?或いは縄で縛る?暴れないだろうか。フェレット。
「で、相手は君を懐柔しようとあれやこれやと話しかけてくる。でも、それは化けフェレットの言い分だから、人間である君は聞かない」
「はい」
「そして、車に乗せて自宅へ送る」
「はい」
「ここからが肝心なんだけど」
まだ、なんか、あるんかい?
「自宅マンションの下で解放しないように」
「え、なんでですか?」
「そっから踵を返して行動に出るかもしれないからだ」
「え、いや、まっさか。流石にそこまで」
ちょっと笑っちゃった。ハンドル握りながら。
「いや、やる」
「……」
一時的にそういう雰囲気で盛り上がっても、自分の自宅の下まで来たら、目が覚めるものなのではないのですか?違うのですか?男性の皆様。
「必ず、麗子さんに直に渡しなさい」
すっごい怖い顔で指をさされた。ビシッと。
「わかったね?」
「え、いや」
「わかったね?」
「……はい」
迫力に押されてしまった。もう、もはや、自分もね、半分ビョーキかもしれない。
ハンドル握りながら、背筋がぞくぞくします。