9話 二〇五〇年代の新宿
† † †
電車の窓、流れていく景色。その光景は、薄暗い夜と朝の境界線が終わりを告げようとしていた。
(……忍者って本当にいたんだな)
『いるのはわかるんだが、オレでも見えないからなぁ』
始発の電車に揺られながら、岩井駿吾はガーゴイルの念話にフードで顔を隠しながら周囲を見回した。わざわざ人が少ない時間を選んだだけに、幸い駿吾が乗っていた車両に人影はない――と、ピロンと携帯端末が鳴った。
『ちゃんといるので、安心してください』
(えっと……)
藤林紫鶴に言われてインストールした探索者協会が開発・使用している探索者専用コミュニケーションメッセンジャーアプリ――俗称『ツーカー』にメッセージが送られてきた。《隠身》スキルで気配と姿を消し、同じ車両に乗っている……らしいのだが、まったく見えない。
紫鶴が朝に迎えにやって来た――なんでも、実は隣の部屋に住んで監視していたらしいのだが――ので、そのまま最寄り駅から目的地の探索者協会日本本部へと向かうため電車に乗っている訳だが……。
(……扱い方が、わからない)
『まぁ、主には無縁だったろうしな。向こうが全部察してくれんだろ?』
駿吾は、携帯端末など買ったばかりの超絶初心者である。使う予定がなかったのだから、仕方がないよね、と言い訳しつつもコクンと頷いておいた。
『私が直接話すのが苦手なので、こんな感じですみません』
(いや、それはいいんだけど……)
気にしないで、と首を左右に振るとまたメッセージが飛んでくる。
『ああ、そろそろ第二新宿駅に着きますので』
そのメッセージを読んで、駿吾は立ち上がる。“魔導書”やら防具などが入ったバッグを背負い直して、しみじみと思った。
(……傍から見てると携帯端末を眺めながら頷いたり首を左右に振ってるだけの怪しい人だよね、ボク)
『事情を知ってるヤツしか見てないからいいんじゃねぇか? 意思の疎通ができてんだから上等よ』
(なら、いい……のかな?)
まさか自分と同じように人とのコミュニケーションが苦手な相手と意思疎通をはかる日が来るとは夢にも思っていなかった駿吾にとって、ガーゴイルの理解を示す言葉は有り難かった。
† † †
東京都新宿区――そこは“迷宮大災害”前と後で大きくその姿を変えていた。なぜかと言えば、日本でも有数のダンジョンが旧新宿駅を中心に発生したからである。
これにより旧新宿都庁も一時期はダンジョンによって飲み込まれ、都庁の機能が千代田区へ移転されて現在もそのままになっていた――というのは、駿吾は生まれる前の事件として近代史で習った。
その後、第一世代と呼ばれる“最初の探索者たち”によって新宿の大部分のダンジョンが破壊され、今では旧新宿駅周囲のSランクダンジョン『新宿迷宮』以外取り戻すことに成功。その象徴として、現在は旧新宿都庁が探索者協会日本本部として活用されていた。
『おお、こんぐらい大きいと守り甲斐あるだろうなぁ! あのふたつの天辺からの眺めは最高だろうなー』
「……こんなの、個人で買えないからね?」
探索者協会日本本部前にある第二新宿駅協会前改札から降りて、駿吾はテンションの上がったガーゴイルに苦笑する。ツインタワーと呼ばれる特徴的な建造物の高さは二四三メートル、確かに絶景だろうけれど。
駿吾が左右を見回すと、再び『ツーカー』にピロリンとメッセージが来た。これ、音が出ないようにするの、どうすればいいんだろう……そんなことを思いながら駿吾は確認する。
『表ではなく裏口を利用しますので、お手数ですが添付したマップの場所に移動願います』
(……うん)
『お? あいつが移動したっぽいぞ?』
ガーゴイルの言葉を聞いて、紫鶴のメッセージに添付された地図に従い駿吾は歩き出す。驚くべきことに、地図が示す地点は本部から少し離れた位置にあった。
「ここか……」
本部から離れたビルとビルの裏路地、その行き止まり。その扉が、急にひとりでに開いた。いや、ようやく姿を見せた紫鶴が手で開けてくれたのだ。
「こ、こちら、です……ここから、雇い主の部屋に転移、します、ので……」
『よし、主。オレを召喚しとけ。万が一のためにな』
「あ、の……ガーゴイルを、出して、おいても……?」
「あ、はい……当然の、用心、だと思います……」
駿吾と紫鶴はお互いに明後日の方を向きながら、そう言葉を交わす。それに駿吾は“魔導書”を取り出し、唱えた。
「――《召喚》」
『――よし、行こうぜ。主』
召喚されたガーゴイルが背後でそう言ってくれる。それが頼もしく、駿吾は素直に頷いた。
† † †
『今からそちらへ対象に転移してもらいます。万が一の用心のために、ガーゴイルを召喚したいとのことですが――』
「いいわ、少なくともここまで来てことを荒立てるつもりは彼にもないでしょう」
香村霞は紫鶴からの確認にそう返し、モニターから窓の外へと視線を向けた。意識せず、癖で窓の外――『新宿迷宮』の方を霞は見た。この探索者協会日本本部が希望の象徴ならば、あの『新宿迷宮』は絶望の象徴だ。未だ、人類はすべてのダンジョンを克服した訳ではないという証明――日本だけでもそんなSランクダンジョンは六ヶ所もあるのだ。
(彼なら……《ワイルド・ハント》なら、あの絶望も覆せるかもしれない)
かつて、“最初の探索者たち”のひとり目の《ワイルド・ハント》の持ち主であった“アーサー”がそうであったように――あるいは、彼ならと。
そう霞が思っていると、部屋の扉が淡い燐光に包まれた――それに、霞は笑みを作り振り向いた。
「ようこ――そ」
そこで笑顔を崩さなかった自分を褒めてやりたい。そこには犬を模した仮面をつけて完全武装した駿吾の姿とそれを右肩に乗せたガーゴイルが現れたからだ――どう贔屓目に見ても、殴り込みの様相である。
それを察したのか、両手を軽く上げた駿吾がそれを否定した。
「すみ、ません。仮面をしたままの方が、会話しやすいもので……」
「ああ、そう。その報告は受けてたけど……」
「あなたが、あの子の雇い主――でいいんですか?」
駿吾は確かに敵意も害意もない――だが、ガーゴイルは違う。言葉を選べ、間違えたらわかるな? という威圧があった。もちろん、それは駿吾の指示などではないだろう。ガーゴイル、モンスター自身の意志で行なっているのだ。
(……本当に優秀な守護像ね)
霞はここまでの自我を持つ《覚醒種》だとは思わなかった、と内心で苦笑。頼もしさと同時に、自分の失策だとも思う――だからこそ、霞は最大限の誠意を持って駿吾へ返した。
「ええ、そうよ。私は探索者協会日本本部本部長香村霞よ、初めまして」
「……え? 本部、長……?」
「ええ、簡単に言えばこの日本本部のトップよ」
「――――」
あまりと言えばあまりの大物であった雇い主に、駿吾は言葉を失った。その反応にようやく一本返せたわね、と霞は思いながら大人気なく溜飲が下げるのを感じた。
「とにかく、座る? そのままの方が安心すると言うならそれでもいいのだけれど」
「……ウス」
のろのろとガーゴイルの肩から駿吾は降りる。一探索者として、自分にとってものすごい上司なのだ――例えるなら、入社数週間の子会社の新入社員が親会社の社長と出くわしたようなものである。それは色々と毒気を抜かれようものだ。
(さて、どこから話そうかしらね)
駿吾がソファに座り、その真後ろにガーゴイルが立つのを見て霞はそう内心で考え込む。未来の希望を自分の元へ繋ぎ止めるため、彼女なりの戦いが幕を開けた。
† † †
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