8話 刃の心と書いて――(後)
† † †
――補足。
対象コード《W・H》にバレました。
† † †
「…………」
探索者協会日本本部――その自身のオフィスで残業に勤しんでいた香村霞は、真顔で頭を抱えた。彼女――監視役がAランクの《隠身》スキル持ちであることを霞はよく知っている。それこそ上位の探索者であろうと、監視役の少女が本気で隠れれば、見つけ出すことは困難だろう。
自身が持つ手駒の中で、最高の監視役である彼女でさえバレた。彼女で駄目なら、他に監視を行える人材など存在しない……だからこそ、霞は頭を抱えたのだ。
報告が流れるモニターを前に、霞は深い溜め息をこぼしながら問いただした。
「どういう経緯でバレたのか、詳しく聞いてもいいかしら?」
『対象が契約していたガーゴイルに知覚されていたらしく――』
「な、なるほど?」
――原因が自分が裏で手を回した結果でした、という答えに霞は顔を引きつらせるしかなく。そのまま監視役の報告を聞くしかなかった。
† † †
夜の路地裏、そこでぷらんぷらんと首根っこを掴まれたままの少女を、ガーゴイルが牙を剥いて威嚇、顔を覗き込んだ。
『ある方って誰だよ』
「言え……ま、せん」
『なんで監視してた?』
「言えな、い……です」
『……監視の依頼内容は?』
「…………」
ぶんぶん、と少女が顔を横に振ったところで、さすがにガーゴイルの堪忍袋の緒が切れた。
『――通ると思ってんのか!? ああ!?』
「……ま、待った。ガーゴイル」
首に少し力を込めて脅そうとしたガーゴイルの手首を抑えて止めたのは、他でもない監視対象の岩井駿吾だ。ガーゴイルは、それに手に力を込めるのを止めた。
『主よぉ、ちょっとは考えようぜ? 絶対コレ、主のスキルを悪用しようとしてるヤツの手下だって』
「あく、よう……な、んて……」
『――もう聞いてねぇんだよ、お前には』
否定しようとする少女を、ガーゴイルは厳しい声で制する。首を掴む手に力を込める、それだけで致命傷にできるのだ――その力が、ガーゴイルにはあった。もう一度この体勢で捕まえた時点で少女の生殺与奪を握っているのはこのモンスターだ。
そして、それは引いては召喚者である駿吾の意志ひとつと言えた。
「敵意や、悪意はない……そういったの、ガーゴイルだろ?」
『そりゃあそうだがよ。どれもこれも言えません語れませんじゃ話にならねぇぞ。そのくせ、自分の言い訳だけにゃあ口を開くってんじゃ信用できっかよ』
「あ、う……」
ガーゴイルの言っていることは、ひどく正論だった。勝手に監視していたのは自分、捕まったのも自分、立場上話せないのも自分の都合――そんな相手が信用できるはずがない。ガーゴイルの判断は、どこまでも正しい。
「……それでも駄目だ」
『――理由は言えっか? 主』
「うん」
駿吾が、コクリと頷く。咄嗟に少女を見ようとした駿吾は、その動きを止めて改めてガーゴイルを見上げた。
(……あ)
その動きの理由を、少女は察した。
――み、ない、でくださ、い……。
少女がそう言ったから。だから、見ないでくれたのだ。
「ガーゴイル……ここで、この人を傷つけたら、駄目だ。ガーゴイルが、罪に問われる」
『あぁ、ダンジョンの外だもんな』
「ま、まぁ……正確にはボクが殺人の罪に問われる、のが正解だけど。人を傷つけるのは、だから、なしだ」
『――ふん、上手い落とし所だぜ、今のは』
ここでもしもガーゴイルが罪に問われるだけというのなら、少女の生命は無かった。自身の身や立場、それこそ生命よりも主の安全の方が重要だとガーゴイルは考えるからだ。しかし、ここで駿吾が人質になると逆転する。
『オレが主に迷惑をかけるのはなしだわな。でも、上手く死体を処理すりゃあ――』
「雇い主がいるって、言ってた……一番に怪しまれるの、ボクだよ?」
最後まで言わせない、ガーゴイルの手首を掴む手に力がこもる。ガーゴイルは苦笑、次の駿吾の言葉を待った。
「それ、こそ……雇い主がボクのスキルを利用したいなら、いい口実……になる。だから、駄目だ」
徹頭徹尾、駿吾は自分の危険を理由にガーゴイルを止める。しかし、ガーゴイルはわかっている――自分のために、駿吾は必死になれる人間ではない、と。
本当に案じているのはガーゴイルのことで……そして、少女の身なのだと駿吾以外のここにいる者には、伝わっていた。
『……OK、傷つけるのも殺すのもなしだ』
納得したぜ、とガーゴイルは満足げに答える。満点とは言えないが、それに近いものだったとガーゴイルも素直に見直した。そのガーゴイルの無言の視線で見下され、少女は身を縮こませる。
――うちの主がここまで誠意を見せたんだ、わかるよな?
その視線は、そう如実に少女へ語っていた。そこに込められた想いが視線よりも痛いから、少女は絞り出すように言った。
「……やとい、ぬしに……相談、させて……くださ、い……」
† † †
その結果が、あのバレたという報告だった――その経緯を察して、霞は改めて眉間を抑えて考え込む。
(良かった点と悪かった点が、浮き彫りになったわね……)
まず、悪い方から。思った以上に自身が与えた《覚醒種》のガーゴイルが優秀で、対象に忠実だったこと。いや、行動原理は忠誠ではないか……ガーゴイル自身が対象を気に入っているのだ。それは《ワイルド・ハント》というレアスキルの持ち主だから、ということではないだろう。
この時点で、ガーゴイルはなにがあっても対象のために行動する。それは自身を顧みない絶対の守護となって立ち塞がるだろう――この時点で、多くの選択肢が失われてしまった。
次に良かった点。対象が思った以上に理性的で、善良な人間であったのがわかった点だ。
(対人恐怖症気味の対象に、人間の監視や護衛をつけるのはよくないかと思ったんだけど――)
実際、彼が中学二年生の時に協会関係者からスキルの説明を受けた時の反応を記録した映像から、余計な刺激は悪影響を与えると霞は判断した。だから、裏で手を回し“魔導書”と《覚醒種》のガーゴイルを対象に与え、遠くから監視するようにしたのだ。
あれからなにか心情的に好転するものがあったのか、だとしたらこのミスの原因はすべて自分にある――。
「責任者のお仕事をしないとね……」
責任者の仕事は、責任を取ることだ。だから、霞は告げた。
「明日、対象を新宿の私のオフィスに連れてきて。そこで、私が説明するわ」
『承知……その』
珍しく承知で終わらない監視役の反応に、霞は軽く驚く。優秀な『■■』である彼女の唯一最大の弱点――駿吾と同じように、人と接するのが大の苦手なことを知っているからだ。その彼女が任務以外のなにかを自分に伝えようとしている、それを悟って霞は黙って続きを待った。
『……私の情報を、対象に伝えても良いでしょうか?』
† † †
『おい、あの女、すっげえ指の動き早くね?』
「そ、そうだね……」
携帯端末をじっと見つめながら、ぽちぽちと文章で報告する少女にヒソヒソと駿吾とガーゴイルが言い合う。
「お、わりました……明日、雇い主のところに、ご案内、します」
「あ、はい……」
そこで少女は一度、すう、と大きく深呼吸。俯いたまま、駿吾に向き直りぼそりと言った。
「わ、たしは……藤林紫鶴……と、申します。探索者協会諜報部門に、所属……する、その……」
少女――紫鶴はそこで少し言いにくそうに、胸の前で合わせた人差し指をクルクルと回転させながら、えいやと勢いをつけて、言った。
「……信じて、もらえないかも、ですけど……忍の者、で、す……」
「ソッスカ……ん? え?」
† † †
あなただったら、初めて会った女の子が「私、忍者なんです」と言ったら信じられますか?
気に入っていただけましたら、ブックマーク、下欄にある☆☆☆☆☆をタップして評価をお聞かせください! よろしくお願いします。