75話 ひと夏の思い出を・中
† † †
「……あれ?」
ふと岩井駿吾は、ひとつの人影が砂浜を歩いている姿に気づいた。あまりにも自然に輪から外れる動きに、他の誰も気づいていない――駿吾は口を開きかけ、止める。
そのまま立ち上がり、“彼女”の後を追うことにした。
† † †
小笠原諸島とは三〇を超える島からなる島々だ。昔から人の住む父島や母島と違い、無人島と言っても二種類に分けられる――元から誰も住めなかった島と、今は誰も住んでいない島だ。
「…………」
そして、駿吾たちが今いるこの島はどうやら後者に当たるらしい。ダンジョンへと入る洞窟、その入口に木製の人工物があったからだ。既に朽ちたソレは、おそらくは――。
「――鳥居、だったんだろうね……それ」
その声に、人工物の残骸を見ていた“彼女”は振り返る。そこにいたのは黒いパーカーを羽織った駿吾だった。
御堂沢氷雨はその息切れした駿吾に目を丸くする。
「岩井さん、大丈夫ですか?」
「あ、うん……片目が見えないの、ちょっと忘れてた……だけ」
砂浜からここまで、岩場を越えてこなくてはいけなかった。少しは慣れたつもりだったけれど、片目が見えないというのはそれだけで距離感が狂う。上下左右、不安定な足場を距離感がない状態で歩くのは、相応に体力だけでなく精神もすり減るものだった……普段、ここまでどれだけ自分を気遣って周囲が来てくれていたのか、ひとりで歩いて思い知った気分だ。
「道満ちゃんが、言ってた……安曇磯良は、きっと……過去にここに祭った誰かがいた、その記憶から生まれたんだろうって」
呼吸を整え、駿吾は氷雨の隣に立つ。この壊れた鳥居は、いつかここに誰かが残した信仰、その残滓だ。なぜ、ここに? どうして、失われたのか? それは時の流れによってもはや知る術はないのだけれど――。
「荒魂になった、ということでしょうか?」
氷雨の問いに、駿吾は思い出す。それは神道における神が持つ魂の二面性の概念、荒魂と和魂を示す言葉だ。
荒魂は荒々しい荒ぶる側面を指し、和魂は優しく平和的な一面を指す――ダンジョンのモンスターとして、その荒ぶる側面としての《分霊》だったのか? そういう疑問なのだろう。
「……どうだろ? ボクはそうは思わない……かも」
「そうなのですか?」
その答えに、氷雨は意外だという表情を見せる。それに視線を向けず、駿吾はあの安曇磯良との戦いを思い返した。
「あんまり、怖いって、感じはしなかったんだ……いや、すごく大きくて、威圧感は、あったんだけど……」
ただ、自分の領域に踏み入ったモノと相対しただけ――そんな感覚があったのは、確かだ。拒絶、というのとは違う。むしろ、アレは……。
「追い返そうとした、それだけな感じ……だったかな。だから、安曇磯良は……探索者協会に、託そうかなって思ってるんだ。きちんと祭神として、神社に奉納してくれる、らしいから」
「……いいのですか? Aランクの、《分霊》とはいえ海神ならば相応の戦力に――」
自身が使役するのではなく、手放すことを選ぶ――その意味を知る氷雨の言葉が、不意に途切れる。どこか力のない笑みで駿吾が、氷雨を見たからだ。
「……うん。きちんと、祭ってあげた方が、安曇磯良やここに祭った人たちの願い通り、なんじゃないかって……相談して、思えた、から」
それを聞いたとき、ボレアスは『らしい』の一言で終わらせた。甘いと言ってしまえば、そうだろう。強いモンスターを所持していることは、そのまま召喚者としての駿吾の実力に直結する。ならば、安曇磯良ほどの存在を手放すというは愚かな選択と言われても無理はない。
だが――それでも、と。安曇磯良という存在に込められただろう想いに気づいてしまえば、そうしてしまうのが駿吾という少年だった。
「そう、ですか」
どこかかすれた吐息と共に、氷雨はこぼす。表情が強ばる、強張ってしまう――こんな表情、きっと彼に御堂沢氷雨は見せたりしないと理性が理解しても……もう、“彼女”には我慢できなかった。
「あなたは、残酷です」
「――――」
言った、言ってしまった……静かに“彼女”の言葉を駿吾の片側だけの視線が受け止めるから、もう堰き止めていた言葉が溢れ出して止まらなかった。
「どうして、道具でいさせてあげられないんですか。どうして、駒でいさせてあげられないんですか。どうして、刻まれた想いなど、気にかけてしまうのですか……!」
ぎゅ、と胸に拳を押し付け、“彼女”は悲鳴のように言い立てる。筋違いだ、自分にこんなことを言う資格など、どこにでもない……蚊帳の外の、存在なのに。
「あなたは残酷だ。道具でいられれば、どれだけ楽だったか。駒でいられたら――与えられた役目だけをこなすことができたなら、どれだけ気が楽だったか……あなたはちっとも、考えない!」
違う、これは八つ当たりだ。道具でいられなかった、駒でいられなかった自分が、そうしない相手にみっともなく喚き散らすだけの、鬱憤晴らしで――。
「道具でいた方がよかった、駒でいた方がいっそ……なのに、なのに、どう、して……」
「……うん。確かに、そう、かもね」
彼は、もう察しているのだろう。いや、もしかしたら――あのお節介をしてしまったときに、バレてしまっていたのかもしれない。
「――――」
あのとき、駿吾は強く海に誘われていた――それを“彼女”は断ち切った。海神の想いを受け止められる――共感能力の極地である《ワイルド・ハント》を所持する少年だ。それを断ち切るのは、“彼女”であっても直接向き合うしかなかったとはいえだ。
「そう、したい……ボクの想いは、迷惑、かもしれないね……」
「あ……」
駿吾の力のない笑顔に、“彼女”は息を飲む。違う、きっと海神の《分霊》は彼に感謝するだろう……この世界に顕現するほど強く、刻まれた想いに気づいてもらえたのだから。
なら、彼は間違っていない、正しいのだ――なのに、その正しさを醜い八つ当たりで穢してしまったのは、自分で。
世界が、歪む。それが溢れ出した涙のせいなのだと認めたくなくて、“彼女”は歯を食いしばり――。
「……うん」
不意に、駿吾に頭だけを抱き寄せられて“彼女”は耐えられなくなった。いっそ華奢と思える駿吾の胸板、そこから伝わる鼓動の音に食いしばっていた歯から、力が抜ける。
「ああ、ああ、あああ、あああああああああああああああああああああああ――!」
あまりにもみっともない、産声のような鳴き声が“彼女”の口から止めどなく溢れ出した。
† † †
……一体、どれぐらいそうしていただろう? とても短いと言われても納得できるし、とても長い時間そうしていたと言われても、否定できなくて。“彼女”の口から嗚咽が途絶えてからしばし、恐る恐ると駿吾から離れて、口を開いた。
「……すみません、泣きつかれて“眠って”しまったようです」
「あ、うん……」
そこにいたのは恥ずかしさで赤くなった氷雨だった。赤くなった目元をこする氷雨は、自分のあまりの姿を見せてしまった、と恥ずかしそうに俯いてしまう。そのことに、どこか駿吾も気恥ずかしげに後頭部を掻いた。
「えっと、その……」
「もう気づいているかもしれませんけど、その……あの子は、私ではありません」
どう切り出したものか、と駿吾が悩む先手を打つように、氷雨はそう語り出す。深呼吸をひとつ、氷雨は今度はしっかりと決意の表情で駿吾と向き合った。
「聞いてもらえますか? なぜ、御堂沢家が一族でSランク探索者としての資格を有しているのか、その理由を――」
† † †
※本日中に、もう一回更新がございます。
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