74話 ひと夏の思い出を・前
† † †
青い空、白い雲、眩しい日差し。夏の海が、そこにはあった。
「大、丈夫、ですか? 岩井、殿」
黒いパーカーに黒いトランクス水着で砂浜に寝転び空を見ていた岩井駿吾は、自分を覗き込む白い少女の緋色の瞳を見た。
「う、うん……大丈夫だよ」
「そ、そうですか。あ……これ。水分は、こまめに取って、くださ……いね」
「うん、ありがとう」
藤林紫鶴は、そう言っておずおずとよく冷えたミネラルウォーターのペットボトルを差し出した。それを受け取って礼を告げると、駿吾は上半身を起こして改めて紫鶴の方を向く。
紫鶴の姿は普段とはまったく違う。一言で言えば、肌の露出度が段違い――水着姿だった。レースアップタイプの白いビキニは、ブラの中央やサイドとボトムのサイドが編み上げとなっているが、不思議と爽やかな印象さえある。手足は細く、腰もくびれが見られる鍛え上げられた体型もあって、いっそう健康的でさえあった。
「あー……」
――駄目だ、似合ってるとか、そのぐらいの乏しい語彙しか出てこない。きちんと言葉にしてあげたいのだが、それが言葉にならない――駿吾少年、語彙力の敗北である。
『いやいや、褒めようとしただけで充分だと思うぞ?』
(そ、そうかな……?)
ボレアスのからかうような念話に、駿吾は内心で小首を捻る。むしろ、ここで褒めようという姿勢になれること自体、大したものなのだが。そんなこと、駿吾の短く乏しい人生経験で知る由もない。
『こういうときに大事なのは、なにを言えたかじゃないさ。なにか言えたかどうかだぜ?』
「……岩井、殿?」
裏でそんな会話をしているとも知らず、紫鶴がおそるおそると問いかけて来る。急に真剣な表情で、駿吾が黙り込んだからだ。そのことに気づいて、改めて駿吾は紫鶴の瞳を右目で見て照れくさそうに笑った。
「似合って、るなって」
「――――ッッ」
変化は、劇的だった。白い肌が、朱に染まる。耳まで赤くなった紫鶴が、鯉のように口をパクパクとさせると――紫鶴の後ろから、抱きつく者がいた。セリーナ・ジョンストンだ。
「ほら、言ったとおりでしょ? 一緒に選んだ甲斐、あったでしょ?」
「あ、あうあうあう」
そう笑顔で言ったセリーナも、もちろん水着姿だ。こちらは戦乙女のときの髪の色を思わせる、黄色のビキニだ。また、スカートを思わせるような同色の薄い布地のパレオも印象的だ。
年齢を考えれば紫鶴も見事なプロポーションだが、セリーナの方には大人としての色気も垣間見える。少女と女性、その曖昧な境界線上に立つような危うい魅力が――。
「うん、セリーナさんも……」
「……も?」
「綺麗、だと、思う」
「――ん、良しっ」
もう一言引き出せた、そう満足気にセリーナが華やかに微笑む。正直、色々と刺激は強いが……そこは、眼福としないと罰が当たりそうだと思うことにする。
「うううう……」
「なにをやっとるんじゃ?」
少し離れた場所で、篠山かのんが体育座りしているのを蘆屋道満が見咎めた。
「こう、こう……少しはお姉さんとして、冒険しようとしたら……戦力差に、打ちのめされたと言いますか……」
いや、一緒に水着を購入しに行ったときに思い知ってはいたのだ――だが、実際にそのときが訪れると重くかのんにのしかかっていた。
かのんの水着は、黒のクロスデザインのビキニだ。彼女自身、決して自身の容姿に自信がないわけではない。ないのだが――比べられる相手が、悪すぎる。なにせこちらは研究職、気遣ってはいても肉体資本の探索者たちとは鍛え方が違った。
「はぁ、そんなもん。総合点で勝負せんからじゃろうに」
相手の土俵で戦ってどうするんじゃ、という道満はオープンバックのワンピース水着だった。こちらは全体的に華奢であり、細身だ。しかし、この純白のワンピース水着は、驚くほど似合っていた――ここまできても外さない丸縁サングラスの怪しさを上回って余りある、蠱惑的でさえある魅力があった。
「向こうを見てみるがよい」
「あー……」
道満の視線を追った先に、かのんは見る。そこにいたのは、御堂沢氷雨だ。もちろん彼女もこの場では水着姿だが、もはや土俵というか視点が違う。
「? どうされました?」
不思議そうに首を傾げる氷雨は、スポーティな黒のスイムウェアだ。水着? 泳ぐものですよね、と言わんばかりのチョイス――しかし、彼女のスラリとしたモデル体型にはこれ以上なく合っていた。
「ほれほれ。小僧っ子の気晴らしに付き合ってやらんか、いくぞ」
「うううう、わかりました、わかりましたよっ」
どうにでもなれ、という気分で道満に急かされ、かのんは立ち上がる。駿吾の方へ歩き出したふたりを見て、氷雨も小さく深呼吸。その後に、続いた。
† † †
「華やかだなァ」
駿吾を取り囲む騒がしさにそんなことを岩陰で棒読みに呟いたのは、国松巽だ。彼の目の前では、クトゥグアが砂浜で砂のお城を作っていた。
『おー、手先が器用じゃの』
そうクトゥグアを褒めるのは、薄青色のスカート付きのワンピース水着姿のスネグーラチカだ。褒められて素直に照れるクトゥグアに、駿吾と同じデザインの黒いトランクス水着を着た村雨も目を丸くしていた。
『うん、すごいな。オレ、こんなのできない』
『…………』
それにうんうんと同意するのは、クトゥグアのために砂を集める係をしていた阿形だ。もうすぐ自我に目覚めてもおかしくないこの悪鬼・狂兵は、自分の歩く振動で砂の城を壊さないようにゆっくりと動いてくれる――そんな気遣いに、クトゥグアが『ありがと』と口の動きで思いを告げていた。
(……平和なこって)
巽は、そうその光景を見やる。それは岩井駿吾という召喚者の資質を、如実に現す光景だ。
召喚されるモンスターは、大なり小なり召喚者の影響を受ける。逆もまた然り。ゴブリンでさえ、ああも穏やかに他者に気を配れるのは間違いなく、駿吾の影響が大きいのだろう。
それは駿吾がモンスターたちをただ戦うための道具としてではなく、一個の存在として見ている証拠に他ならない――初心者や駆け出しのころには多いが、探索者として経験を積んでいくとどこかで失ってしまう、そんな一面だ。
(危うくはある。でも、忘れてほしくはないわな……)
それは《ワイルド・ハント》という共感能力の影響が大きい。敵意なく駿吾と接する者になら、あの穏やかな気性は惜しみなく向けられるだろう――だが、もしも最初から敵意を持つ者であれば? その結果は、火を見るよりも明らかだ。
(気持ちはわかるが……過保護だぜ、本部長さんよ)
巽は香村霞の顔を思い浮かべ、苦笑する。善意には善意を、意図せずとも悪意には悪意を返してしまうであろう《ワイルド・ハント》である駿吾があまり多くの者と接することを好まないのだろう、彼女は。
だから、必要以上に手順を踏む。周囲の意識を変えてから、駿吾と出会わそうとする――大きな力を持つからこそ、一度踏み外せばその被害が計り知れないからだ。
「――っと」
そんなことを考えていると、不意に巽の胸にクトゥグアが飛び込んできた。見て見て、と指差す完成した見事な砂の城に、巽も優しい笑みで頭を撫でてやる。言葉ではなく態度で示す巽に、クトゥグアは猫のように目を細めて笑みをこぼした。
(ま、大人の役目ってヤツかね)
少なくともクトゥグアのこの楽しそうな表情を見てしまった時点で、巽にはもう駿吾に悪意を抱く余地はない……それもまた過保護と言うのだが、巽はそのことは棚に上げることにした。
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