閑話 ある少年に訪れた日常~少女“H”との場合~
※大変短いですが――伏線回です。
† † †
「…………」
岩井駿吾は、ただ呆然と窓の外を見ていた。上も下もただ黒く。寄せては返す波の音、海と空を分けるのはただただまぶしたかのように広がる星だけで――。
「…………」
波の音に、手招きされているような気さえする。美しいのではない、ただ心が震えるのだ――あゝ、まるで手を引かれるような――。
「ァ……どうしました? 岩井さん」
「――え?」
その声に、ハっと駿吾は振り返る。正気に返る、というのはこういうのを言うのかな、と駿吾は自分に声をかけて来た相手を見る。
「御堂沢さん?」
「はい、御堂沢です」
珍しくそう冗談めかして笑う御堂沢氷雨が、駿吾の隣に立つ。背そのものは駿吾の方が高いのだが、猫背の分視線が近く。氷雨は笑みを浮べたまま、駿吾が先程していたように窓から外を見る。
「綺麗ですね、こんなに綺麗な星空が東京で見れると思いませんでした」
「そ、そう……」
奥多摩の山で見た夜空も、それはそれで東京都とは思えない星の数だったが……確かに、否定する要素はなかった。クスクス、と氷雨は髪を掻き上げながら、駿吾の眼帯を触れた。今は見えないからこそ、その剣術を修めた手の感触はザラリとして――驚くほど、冷たく感じる。まるで、刀の刀身で撫でられたような……。
「ああいうときは、海よりも空を見たほうがいいですよ」
「……え?」
「だって、放っておいたら海に歩いていってしまいそうでしたから」
氷雨が、そう微笑む。そう言われて、駿吾は初めて自分の片手が窓に伸びていたことに気づいた。
「明日からしばらく迷宮の攻略は日を置くのでしょう? 朝から遊ぼうという者たちもいるのですから、岩井さんも今夜は早く寝ないと。朝、辛くなりますよ」
「う、うん……」
「では、おやすみなさい」
氷雨はそう言って、駿吾から離れていく。その背中に駿吾はいくつか浮かんだ言葉を飲み込んで――告げた。
「うん、おやすみ……ありがとう」
† † †
「……はぁ」
曲がり角、壁に背を預けて“氷雨”はため息をこぼす。駿吾の気配が反対方向へしっかりと遠ざかっていくを確認してから、彼女は視線を曲がり角の奥へ向けた。
「……どうしましたか? 蘆屋さん」
「ん? いや、なにの。儂も気を配っておっただけよ」
先を越されたがの、と笑うのは白いパジャマ姿の蘆屋道満だ。こんな夜の暗い廊下だと言うのに丸縁のサングラスをかけたまま、ニヤニヤとこちらを笑って眺めてくる――その視線に、笑みを濃くして返した。
「……あなたの邪魔をしてしまったでしょうか?」
「いや、アレでよいじゃろう。おそらくは安曇磯良との接触で、無意識に海への帰属意識を刺激されたのじゃろうからな」
この地上の生き物の、元を正せば海から陸へと上がったモノばかりだ。遺伝子情報というのは馬鹿にできず、そのことは本能に根ざしている――海が恋しい、そんな故郷を想うように本能が刺激されるのも、海神との接触が成した弊害だろう。
「あの小僧っ子は、少し自分の立ち位置が曖昧じゃからの。ああいう危うさも、愛嬌と言えば愛嬌なのじゃが」
パタパタとスリッパを鳴らし、道満は氷雨へと歩み寄る。その肩へ手を置き、耳元で唇を寄せながら道満はクスクスと笑った。
「ただ、今度するときがあったらもう少し上手くやるんじゃな――バレるぞ? アレではな」
そう意味深に囁くと、不意に道満の気配が消えた。ひらりひらり、とそこに残ったのは人形、人の形を模した紙切れだった。
「――――痛っ」
それを“氷雨”は無表情で見下ろし、こつんと頭を叩く。ハっと氷雨は自分で小突いた頭を触れて、周囲を見回した。
「えっと……なにか、してた、の? え、ええっと――え、えええええええええええええ!?」
声を押し殺しながら、氷雨は悲鳴を上げる。右手に確かに残っている駿吾の眼帯の感触に赤くなりながら身悶える氷雨の脳裏に、ふと思念が響いた。
『……そう、足りなかったのはその反応か』
「え、えええ、え!? 状況が、見えないのだけど!?」
『うるさい。こちらの手を煩わせるな。アレはあなたがやったこと、いい? 忘れないように』
そう一方的に言いたいことだけを残し、思念が断ち切れる。最後にハァ……とため息がこぼれた、それだけは氷雨にもわかった。
† † †
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