71話 不器用なりに、できるかぎり
† † †
夕食時、二日目のカレーで食卓を彩りながら篠山かのんが切り出した。
「とりあえず、明日からのことだけど……駿吾くん、大丈夫?」
「……ハイ。ご心配かけました」
岩井駿吾は仮面を外した状態で、そうかのんに頭を下げる。少なくとも顔色は戻っているが――その返答に「いいっていいって」と軽く受け流せるのは、年上だという余裕を見せようとしたかのんの意地だ。
(ここは年上のお姉さんらしく……ね)
コホン、と咳払いをひとつ、かのんは言葉を続ける。
「食べながらでいいから、耳だけ貸してね。意見があればどんどん言ってくれていいから。まず、今日でわかったことだけど、このダンジョンは別のSランクダンジョンと繋がってる……みたい」
「おう、それは間違いないな」
山盛りで既に二杯目のおかわりをもらっていた国松巽が、そう請け負う。かのんの視線を受けて、スプーンを一度置いて答えた。
「Sランクダンジョン《富士迷宮樹海》。俺が今年の二月に挑んだのは、そこだ」
「……随分と離れていますが――」
御堂沢氷雨の疑問に、巽はあっさりと返す。
「おう、距離とか時間とかそういうのはあんまり考えなくていいな。俺の時間感覚だと、二ヶ月も経ってないはずだが、この有り様だ」
山梨県にある青木ヶ原樹海、そこは富士山の北西に位置し現在では一部ダンジョン化が進んでいる――より正確には、そのダンジョンは富士山の地下にまで続いているのだが。
その名前を聞いて、苦々しい表情を見せたのは蘆屋道満だ。
「あそこはのぅ……」
「……なにかあるの?」
「んー、ぬしらには関係のない話じゃから気にせんでよい。儂も爺様からの又聞きじゃから、断言できんしな」
かのんの質問にヒラヒラと手を振って道満は流させる……ちなみに、甘いの大好き辛いのが大の苦手な道満だけ極端な甘口カレーに調整されている。そのことに道満はご満悦の笑顔だ。
「とにかく、この距離のだんじょんが繋がっておるのは極々稀じゃがない話ではないの」
「そうね、“S”ランクダンジョンがそうだもの」
セリーナ・ジョンストンの指摘に、道満は頷く。“嵐が王級”ダンジョン、その大本への入り口とされるダンジョンは世界中で発見されている――だからこそ、現在進行系で問題が広がっているのだ。
「今回はソレとは無縁じゃろう。じゃが、ヘタを打つとSランクダンジョンと繋がった、そのクラスのダンジョンの可能性もあるじゃろうな、あそこ」
「では、それを念頭に置いて調査を進めるってことで」
かのんはそう話を受け継ぐと、周囲を見回した。駿吾の右隣、セリーナに視線を止める。
「えーと、セリーナちゃんは駿吾くんの《召喚》でいつでも駆けつけられる、んだよね?」
「ええ。ただ、ダンジョンの特殊ルールに引っかかると正直、自信がないわ」
「特殊、ルール……『新宿迷宮』にもあったやつ、だよね……」
「うん、そう」
駿吾の疑問に、セリーナは肯定した。『新宿迷宮』では、『下りでの転移門などの転移は使用不可』という特殊ルールがあった。これは五〇階を攻略する探索者に一階ずつの攻略を強いる、というものだった。
その『新宿迷宮』という言葉に反応したのは、姿を消した藤林紫鶴から三杯目のカレーを受け取っていた巽だ。
「お? 挑戦したのか? あそこ。どうだった?」
「ふふっ、シュンゴはアステリオスを攻略したわよ?」
「マジか!? すっげぇな!」
「い、いえ……みんなの、おかげ、ですから……」
純粋な驚きと感嘆を巽から向けられ、ブンブンと駿吾は顔を左右に振る。今だにあれを自分の功績と言い切れないのは、彼たる所以だ。
そんなやり取りの最中も、かのんは考え込んでいる。特殊ルール――Cランク以上のダンジョンならあっても不思議のないそのトラップをあるものと考えた方が無難だと思ったからだ。
「そうなるとセリーナちゃんも明日は一緒に来てもらった方がいいかな?」
「OK、問題ないわ。ただ、あくまで付き添いっていう立場は貫くから心配しないで」
駿吾のランクを上げるためのダンジョン調査依頼だ、Sランク探索者であるセリーナが目立っては意味がない――そういう意味では、セリーナとしては願ったり叶ったりだ。
「明日は戦乙女としてお手伝いってことで、ね?」
「う、うん……」
コクン、と頷く駿吾は戸惑うしかない。明らかに上機嫌なセリーナの意図が見えないからだ。
――戦乙女からすれば、見込んだ相手の近くでその勇姿を拝める、というのは心躍ることなのである。ただ、照れくさいからそれは口にしないが。
「じゃあ、そういうことで。明日もよろしくねー」
そう改めて、かのんは目の前にジャストタイミングで置かれたカレーを拝み、本格的に夕食に向かい合った。
† † †
食後、一緒にバーバ・ヤガーの小屋にある台所で洗い物をしながら、駿吾はそこにいるだろう紫鶴に言った。
「ご、めんね。藤林さんも、今日は疲れた、はずなのに……」
「い、いえ……お気に、なさらず」
姿は見せず、肉声で紫鶴は返す。むしろ、今は身体を動かしている方が気楽なので食事の準備はありがたいくらいで。
しかも、洗い物まで一緒にできる――駿吾の方からの提案で――のは、むしろ紫鶴にとってはご褒美である。
「っと」
「……大丈夫、ですか?」
「ああ、うん。大丈夫大丈夫」
不意に、洗っていた皿が駿吾の手から零れ落ちそうになり、不安げに紫鶴は問いかけてしまう。その笑顔に嘘はないが……そっと拭った右手で、紫鶴は駿吾の眼帯に触れた。
「今、“左目”が見えてないのですか……?」
「う、うん……道満ちゃんが言うには、少し休ませた方がいいって……」
そう、体調に問題はない。ただ、脳を休ませるために道満が“左目”を見えないように術をかけている、それだけだ。だから、片目で少し遠近感が狂っているだけで――と駿吾が思っていると、優しく撫でる手の感触だけが感じられた。
「そ、の……藤林さん……」
「……はい」
「気にしないでって、言っても、多分説得力がないんだろうから、これだけは言わせて……」
「……なんでしょう、か?」
恐る恐る問いかけてくる紫鶴の声に、駿吾は自分の左手を挙げる。自分の頬を撫でる紫鶴の小さな手に、自分の左手を重ねるように。ビクっと驚きで紫鶴の手が強ばるも、駿吾は見えない相手に真っ直ぐに告げた。
「ボクは、後悔だけはしてないから」
「……え?」
「こうして、少しでも藤林さんが背負うはずだったものを背負えたこと……あの、こういったら、アレだけど……悪くはないって、思ってるから」
少しだけ、本当に少しだけ駿吾は左手に力を込める。強ばる紫鶴の手に、自分の言葉が嘘でないと訴えるように――。
心臓が、おかしな勢いで鼓動している。ただ、一言伝えたい――それが、とても怖いのだ。
自分ひとりで空回っていないだろうか? もしかしたら、自分なんかの言葉はいらないんじゃないか? むしろ、迷惑になるんじゃないか――そんな怖さ。
駿吾はその怖さと真っ向から向き合いながら、勇気を振り絞ってかすれた声で言った。
「だから、藤林さんは……なにも、悪くない、から――それだけは、言っておきたくて」
ああ、と紫鶴の唇から息が溢れる。この人はずるい、どこまでもずるい――自分がほしい言葉を、当然のようにくれるから……だから、紫鶴も《隠身》を解いて真っ直ぐに赤い瞳を見せて微笑んだ。
「……は、い……わかり、ました」
きっと気に病むことも落ち込むことも止められないけれど、その言葉だけは忘れずにいよう――そう、紫鶴は確かに胸に刻み込んだ。
† † †
アオハルってあるんだよ!
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