58話 “S”ランクダンジョン『新宿迷宮』8
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――それは、戦闘開始一〇秒間の出来事である。
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五〇階に踏み込んだ刹那、岩井駿吾は見た。ただただ広い空間、そこに立つ純白のミノタウロスを。
「――――あ」
美しく、神々しくさえあった。体長は五メートルほど、細身の肉体には無駄は一切ない。鍛え上げられた体躯、その首から上の黄金の角を持つ牡牛は強い眼差しを侵入者へと向けた。
バチン! という放電光――その瞬間、身を盾としたセンチュリオンが吹き飛ばされた。
『が、は――!?』
距離にして、一〇〇メートル近くあったはずだ。しかし、そんなものは関係ない。駿吾の眼前で、ミノタウロス・プロト――コード“アステリオス”が斧を振り回した体勢でそこにいた。
『――――!』
その瞬間、ボレアスの暴風がアステリオスを飲み込む。否、飲み込んだはずだった。しかし、そこにアステリオスの姿は既にない。放電光を残し、後退。着地と同時にビキリ! と両足に込めた力が――。
だが、次の動きに移る直前――電磁加速した凶悪な斧が、超音速を越えてアステリオスの身体を貫いた。アステロペテスの斧の投擲だ、石畳がめくれ吹き飛ぶより先にアステリオスは何事もなかったように地を蹴っていた。
当然だ――いかにして、雷が砕けようか。
「――え?」
† † †
ここまでの交差で一秒経過。駿吾には認識さえできない、ただセンチュリオンが壁に叩きつけられ、床が爆ぜたとしか思えなかった。
† † †
『ガ、ア――――!』
だが、ボレアスは止まらない。アステリオスの目の前に立ち塞がるのは巨大な嵐だ。音さえ置き去りにする速度で生み出される旋風――それはアステリオスにおいて、天敵と言ってもいい絶縁体の壁だった。
そう、この世界においてもっとも身近で強力な絶縁体とは大気に他ならない。空気は決して、電気を通さないのだ――もしも大気が電気を通すのならば、この星は既に常に晒される高電圧と高電流に飲み込まれていただろう。
だが、この世界には太古の昔から雷が存在する。神話伝承、神の御業として例えられる自然現象。大気が絶縁体ならば、それがなぜ起きるのか? 理由は簡単、雷撃のエネルギーとは絶縁破壊をもたらすほど、強力だからだ。
ゆえに、アステリオスは迷わず嵐へ飛び込み――雷化したその身で、一条の道を築く!
† † †
――戦闘開始から、二秒経過。
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セリーナ・ジョンストンの背後から白銀の竜が飛ぶ。シルバー・ドラゴン――標高三〇〇〇〇メートル以上を住処とする最速の巨竜だ。アステリオスが絶縁破壊を生むコンマ秒の“溜め”、その僅かな差がシルバー・ドラゴンの雷光のブレスを放つ時間を生み出した。
ぶつかる電光と電光――視界を焼く光が激突し、打ち貫いたのはアステリオスだった。
『――!!』
シルバー・ドラゴンを撃ち抜くはずだったアステリオスの斧が、大きく弾かれる。それは居合の一閃で斧の軌道を大きく変えた、御堂沢時雨だ。
「――――」
『――ッ!』
そして、時雨の足元から村雨が飛び込む。小太刀の薙ぎ払いが、アステリオスの親指を通り抜け、斧を弾き飛ばした。
† † †
――戦闘開始から、三秒経過。
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「――ァア!!」
黄金の髪を揺らし、セリーナが光の槍を突き出した。戦乙女に《変身》したセリーナの一撃が、大きくアステリオスの身を削る――だが、構わずアステリオスは右回し蹴りを繰り出す。それに当たる寸前だったセリーナを救ったのは、セリーナのモンスターである白銀色の巨大なスライムだ。
『――――!!』
二発、三発、四発――構わず叩き込むアステリオスの連打が、ミスリルスライム・ヒュージを完全に破壊した。その『穴』へ、電光と化した右拳をアステリオスは放とうとする。
† † †
――戦闘開始から、四秒経過。
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『『カァ!!』』
その電光の右腕を斬り飛ばしたのは、南斗の石斧だ。一秒にも満たない、その遅延――その南斗の頭上を北斗の石棍棒が薙ぎ払われ、アステリオスの頭部が放電光となって弾かれた。
そして、セリーナへの『道』を塞ぐようにミスリルスライム・ヒュージが収束する――わずか一秒で高速再生したのだ。
それを確認したアステリオスは、真上へと電光となって跳んだ。
† † †
――戦闘開始から、五秒経過。
† † †
ズドン! と天井を蹴ったアステリオスが一条の電光となって駿吾に迫る。それを防ぐのは、九つの首に一本の尾を持つ多頭竜ヒュドラだ。セリーナの召喚モンスターであるヒュドラは電撃に打たれながらも駿吾を守り、九つの頭でアステリオスに食らいつこうとするが、その場で繰り出される手足の九連撃に全ての頭部が砕かれた。
そこへ純白の体長六メートルを超える獅子――ネメアの獅子が襲いかかる。電光さえ弾くその強靭なる皮膚の守りを頼りに、鉤爪でアステリオスを抑え込んだ。
† † †
――戦闘開始から、六秒経過。
† † †
ドン! とネメアの獅子が上へ吹き飛ばされる――抑え込まれたアステリオスの爪先蹴りだ。ネメアの獅子がくの字となって吹き飛び始めたそこに、エイシェント・ブラック・ワイバーンが風を巻き起こす。
ボレアスのそれには遠く及ばない――しかし、アステリオスの追撃を防ぐのには充分な突風だった。そこへ一メートルにも満たない全身甲冑を身に纏った影が滑り込む。
『――――!!』
繰り出されるのは、レイピアの連続刺突。ケット・シー:パラディン――長靴を履いた猫の進化系、セリーナとはセンチュリオンの次に古くからの付き合いのあるモンスターだ。
† † †
――戦闘開始から、七秒経過。
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その刹那、アステリオスが周囲へ散った。無数の放電光――その中のひとつで元の形を取り戻したアステリオスは、斧を再形成。巨大な雷へと変えて、投擲した。
それを壁から立ち上がったセンチュリオンが受け止め――。
『――――』
『――おう!』
センチュリオンの意図を察したボレアスが、そのゴーレムの背を暴風で押し、砲弾へと変えた。
† † †
――戦闘開始から、八秒経過。
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アステリオスとセンチュリオンが、激突する。バチン! と貫かれるアステリオスは、即座に元の形に戻ると捕まえたセンチュリオンを床へと叩きつける!
地面にセンチュリオンがめり込んでいく――それは一秒にも満たないコンマ秒の出来事――その間隙に、時雨の袈裟懸けの一撃がアステリオスの脇腹を捉え、切り裂いた。
斬られながら、アステリオスの裏拳――だが、時雨をアステロペテスがその身を盾に庇った。
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――戦闘開始から、九秒経過。
† † †
床が砕け、ミスリルのゴーレムが吹き飛ばされる! なおもアステリオスが動こうとした、その時だ。
「――――!」
アステリオスの右半身が、完全にこそぎ落とされた。その異常事態に過敏に反応したアステリオスが、大きく後方へと電光となって飛んだ。
† † †
――戦闘開始から、一〇秒経過。
† † †
「――――え?」
ようやく、駿吾は呼吸を思い出した。一〇秒、あまりにも濃厚な初期接触だった。アステリオスが遠くに立っているのを駿吾が見据えると、目の前ではヒュドラの首が生え変わって起き上がった。
「さが、って、くださ、い……やはり、守るのも、紙一重、でした」
そう言って駿吾の前に立つのは、仮面を外した藤林紫鶴だ。
その真っ白だった髪は錆びた血のように赤黒い色へと変化していた。澄んだ赤い鬼灯色の双眸。そして、両手は鉤爪へと伸び尾てい骨の部分から一本の白銀色の蛇の尾が生えていた。
――日本書紀において八岐大蛇、古事記においては八俣遠呂智とされる、八つの首と八つの尾を持つ蛇竜。その幼体――Aランクモンスター伊吹大蛇、それこそが《変身》した紫鶴の異形の姿であった。
「どうか――私、を……見て、くだ……さい」
紫鶴の絞り出す声に、駿吾は小さく――しかし、確かに頷いた。
「……うん、見てるよ」
「――――はい!」
ただの一〇秒、されど一〇秒――ただの一体も脱落していない敵を見て、アステリオスはその身を雷へと再び変え、身構えた。
『――面白イ』
本気を出すに値する、そういう相手だと――ミノタウロス種最強は、すかさず渾身を絞り出した。
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渾身と渾身、この世界でトップランクの激突です。
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