56話 “S”ランクダンジョン『新宿迷宮』6
† † †
バーバ・ヤガーの小屋、その中で“魔導書”を広げていた岩井駿吾にボレアスが告げた。
『おい、主。ふたり、消えたぞ?』
「……え?」
『一瞬で気配が消えた、どうやら転移したらしい』
「それって――」
駿吾が慌てて立ち上がる、どう考えても異常事態だ。そう思ったからこそ、すぐに他のみんなに知らせようとして――“彼女”が、姿を現した。
『ゲゲッ』
「……バーバ・ヤガー?」
まるで当然のことのように、部屋の片隅に細長い臼に座って笑ってそこにいた。ボレアスが念話で、バーバ・ヤガーへ告げた。
『――お前、《覚醒種》か』
『おうよ、北風の名を持つ石像よい』
そう、自我を持ってボレアスの念話にバーバ・ヤガーは答えた。
† † †
『下がってください、岩井殿』
ピコン、と『ツーカー』へ届いた藤林紫鶴のメッセージに、駿吾が動きを止める。箒を肩に背負って臼に座ったままのバーバ・ヤガーは小さく頷く――その意図を悟って、駿吾は言った。
「……大丈夫だよ。バーバ・ヤガーは、敵意はないみたいだ」
『おうおう。ワシの見た目に惑わされず、そう言えるのは本当に良いの。坊や』
しゃがれた老婆の優しい声に、駿吾は警戒を解く。それに焦ったのは、紫鶴の方だ。
『いえ実はバーバ・ヤガーの召喚者である片岡殿は岩井殿を警戒していた所属不明の方だったようです』
「……うん」
慌てた様子で句読点抜きで送ってきた紫鶴に、駿吾はそれを踏まえた上で答える。
「でも、バーバ・ヤガーや片岡さんがその気なら、もう仕掛けられてると思うんだ。だから、せめて話を聞いてから……でいいかな?」
『――わかりました』
『おう。任せた』
紫鶴とボレアスの答えを受けて、改めて駿吾はバーバ・ヤガーに向き直る。その上で、バーバ・ヤガーに問いかけた。
「……片岡さんは、ボクに悪意はなかったんだよね?」
『うむ。本当であれば、最後まで力添えをするようにと言われておったのだがな。こうも早く動かれては仕方あるまいよ』
バーバ・ヤガーの瞳には、痛恨の色がある。駿吾は呼吸を整え、その上で言葉を重ねた。
「誰に言われたの?」
『……すまんが、それは言えん。ワシのような悪の魔女にも恩を感じる心ぐらいはあるでの』
「そっか、ありがとう」
バーバ・ヤガーの言葉は、拒絶であるのと同時に返答だった。言えない、ということは少なくとも玄侑ではない、という意味だ。彼女なりの駿吾への誠意があるからこその、遠回しの回答なのは間違いない。
『ほんに不思議な坊やじゃな。心弱き臆病さと、最後の一線を踏み越えぬ頑固さとを併せ持つ。北風の、良い主を持ったようじゃな』
『そう思うなら、お前が鞍替えしたって良いんだぜ? 婆さんよ』
『それは――』
ボレアスの軽口に、バーバ・ヤガーが真剣に黙る。少なくとも、その意見に魅力を感じてしまったのは事実だからだ。
『出自も由来もわからぬモノをさすがに……』
「え? ボクはいいけど?」
『――――』
この時、もしも玄侑がいたら目を疑っただろう。バーバ・ヤガーが、目を丸くした――面食らったのだ。懐が深いのか浅いのか、これほど判断に困る相手は二人目だ。だからこそ、バーバ・ヤガーは肩を震わせて笑った。
『ギギギッ! 契約しても、話さぬぞ?』
「う、うん。いいけど?」
『それを信じるに足る証は示せるか?』
「えっと……ごめん。口約束だけだね、確かに」
『なるほどなるほど――正直者めが』
愉快痛快だ、魔女を相手にこれほど無防備に接する者がいるとは! 腹を抱え、バーバ・ヤガーは臼から降りると駿吾を見上げて言った。
『よかろう、よかろう。ここまで付き合って、ここで放り出すは心残りよ。ただ、ワシもワシなりに魔女の誇りの欠片ぐらいはあるでな――この小屋を残すために、ワシなりの意地悪で返そうかの』
バーバ・ヤガーが手を伸ばす。“魔導書”に向かう枯れ木のような手、触れると同時に老婆は言った。
『さらばじゃ――そして、次のワシをよろしく頼むの』
† † †
「……で? これがあの、バーバ・ヤガー?」
「は、はぁ……」
紫鶴が姿を現し、全部明かした上で伊神千登勢が駿吾の膝の上に座るソレを見て小首を傾げた。
縁取りのついた青と白の毛皮を着た、白く輝く美しい髪の幼女がそこにいた。
† † †
【個体名】なし
【種族名】スネグーラチカ
【ランク】C
筋 力:E
敏 捷:C
耐 久:C-
知 力:‐ (A)
生命力:C+
精神力:B+
種族スキル
《雪の魔女》
固体スキル
《覚醒種》:A
《習熟:魔法:雪》:B
《習熟:魔女術》B
† † †
スネグーラチカ――雪娘とも雪姫とも呼ばれる、ロシア版サンタクロースであるジェド・マロースの孫娘。冬の魔女であるバーバ・ヤガーが雪繋がりで小屋を託し、劣化した姿である。
スラブ民話のバーバ・ヤガーとロシアの民間伝承で語られるスネグーラチカにあるのは、雪と冬というキーワードと同じ土地に伝わる伝承というだけだ。しかし、この世界ではそれだけの共通点があればこのように関連付けられる――それが情報生命体の便利さであり、恐ろしさでもある。
『ワシとしては力と一緒に記憶の一部もなくしたからの。なにを聞かれても答えられぬよ』
「ふうん、でもわざわざ子供の姿になる必要はなかったんじゃないの?」
そう言って半眼するのはセリーナ・ジョンストンだ。その顔にスネグーラチカは駿吾の胸に背中を預け、ニヤリと笑う。
『仕方ないじゃろう。前のワシがやったことで、今のワシはようわからんからなー』
「と、とにかく……坂東さんは?」
話題を変えよう、と駿吾が言うと、駿吾の後ろに立っている紫鶴が犬の仮面姿で言った。
「色々とばつが、悪いので……先に帰る、との、ことでし、た……」
「まったく自由だな、あの人は……」
そうため息をこぼすのは、御堂沢時雨だ。
「実のところ、私はある程度事情を聞いていてね。このタイミングとは思わなかったが――」
「とにかく、片岡さんがこちらの情報をどこかにリークしていた恐れがある、と?」
ヴィオラ・ターナーの確認に、紫鶴は頷く。休憩や睡眠、その他の作戦会議や会話に使っていたバーバ・ヤガーの小屋を掌握していたのは、片岡玄侑だ。好きなだけ、こちらの情報を取ることだってできたはずだ。
ただ、その情報を誰にリークしていたのか、というのは紫鶴の方も聞いてはいないらしい。
「アステリオスに挑む前に、その情報をシャットアウトしておきたかった……との、ことで、す……」
「――そう」
セリーナはその言葉で察して、氷点下の声色で言い捨てる。その瞳に宿るのは、静かな怒りだ――それに駿吾は小さく息を飲んだ。
「……どうしました?」
「ううん、こっちのこと――アステリオスを倒したら、説明するわ」
「でも、大体わかりましたねー。今回、主力を極力温存していた理由」
千登勢の呟きに、駿吾が視線を送る。それに答えたのは、千登勢ではなく時雨だ。
「損耗をなくしたかった、というのもあるけど監視されているかもしれないから極力戦力を隠しておきたい、そう特別顧問に言われてね」
「……道満ちゃんに?」
「その、ようですね。坂東さんは、蘆屋道満の依頼で、動いていたようです……」
そう時雨の言葉を補足したのは紫鶴だ。駿吾はそこまで聞いて、するべきひとつの質問をしなかった――玄侑の現状についてだ。
契約していたバーバ・ヤガーがこうして劣化までして自分と契約している――その結果は、火を見るより明らかだ。
「……このまま、明日のアステリオス戦に?」
「ああ、そこは最初の予定の通りだよ」
目的は変わらない、と時雨が言い切る。駿吾は押し黙るが、膝の上で見上げてくるスネグーラチカに小さく苦笑を返した。
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ヒロインと言うより、マスコット枠ですね、この子……。
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