53話 “D”チルドレン2
† † †
「…………」
藤林紫鶴は、バーバ・ヤガーの小屋が見えるフロアの片隅に膝を抱えて蹲っていた。姿は《隠身》で見えない、気配も人狼の鼻でもバーバ・ヤガーの知覚でも察知できず――。
『――なにをやってるんだ? お前』
ただ、ボレアスだけがそれに気づいていた。隣に立つ巨大なガーゴイルに、抱えた膝に顔を埋めたまま、紫鶴は答える。
「……個人的なこと、なので。聞いては、いけな、い……かと……」
『まぁ、確かにな』
セリーナ・ジョンストンが部屋に入ってから、わざわざ気配が遠ざかったのでボレアスも察してはいた。主とセリーナの会話の内容は“魔導書”に聞こえている――だからこそ、彼女がこんな『新宿迷宮』の片隅で体育座りしている理由も大体理解していた。
「わ、たし、は……ひどい、ヤツ、です……」
ボソリ、と紫鶴は語り始める。ここでこうしている理由を話すのに、避けては通れないから。
「ヤキモチ、を、焼いています。セリーナ、殿に……私は、あんなふうには、できない……ので」
『そうか』
「……ひどい、んで、す……とまらな、い……ん、です……」
最初は、見ないでほしいと訴えてそうしてもらえた。そのことが嬉しかった。
こんな意気地なしの自分を避けずに接してもらえた。そのことが嬉しかった。
嫌われて当然の自分をすんなり受け入れてもらえた。そのことが嬉しかった。
生活の中に、個人的に踏み込んでも許してもらえた。そのことが嬉しかった。
「な、のに……」
一度受け入れてもらえたら、もっとという気持ちが止まらなくなっていった。この人は大丈夫だ、と。きっと自分を拒絶しない、嫌いになったりしないから、と――どんどん、際限がなくなってしまいそうで、とても怖くて……。
「甘えて、しまって、いま、す……岩井殿の、優しさに……」
あの人の優しさに付け入っている、そんな自分がとてもとても嫌で。本当は、そんな風に甘えて負担になってはいけないのに……止まらなくなってしまって――。
「……甘えて、いいはず……ない、んです……私は……そんな、資格が、ない、ですから……。だって……」
『嫌われたくないから、秘密にしてることがあるってか?』
ボレアスが言った言葉に、コクリと顔を埋めたまま紫鶴が頷く。言えない、言ったらきっとあの人は……ううん、誰だって――。
『――ようはお前も“D”チルドレンってヤツで、モンスターに《変身》できんだろ?』
「――ッ!?」
あっさりと紫鶴の秘密を看破したボレアスに、驚いて紫鶴は見上げてしまった。
† † †
『しかも、その力があれば土蜘蛛の時もゴブリン・ジェネラルの時も、もっと楽に主を助けられた。なのに、バレて嫌われたくないって理由でずっと秘密にして騙して負担になってたから、今更言うのも憚れる、と?』
「あ、あの……っ」
『で、主はお前がモンスターになれるって知ったら、きっと今までみたいに接してもらえなくなるから言うのが怖い。でも、やっぱりこれからも黙り続けて負担になる自分が嫌で嫌で仕方がない――』
「あ、あう……っ」
『――そもそも、受け入れられたり一緒にいてもらうこと自体が間違いで? でも、嫌いになってほしくないから、やっぱり現状維持を選んでるくせにどんどん欲張りになって甘えてしまう自分が我慢ならないってとこか?』
「あ、あの、ボレ、アス、どの……?」
次から次に突かれる核心に、紫鶴は前髪の下に隠れた目で見上げてしまう。ボレアスはゴリゴリ、と小指の先で耳をほじりながら呆れ返ったように言った。
『いや、もういいから。そういう二番煎じ』
紫鶴の真剣な苦悩を、ボレアスはそう一言で切り捨てた。
† † †
「に、にば……!?」
『私のほうがずっと前から悩んでましたってか? 主からすりゃあ、先に白状したのがセリーナ嬢ちゃんなんだから、お前が言っても二番煎じになるんだって』
身も蓋もない言い草だった。戸惑う紫鶴を見下ろし、ボレアスが深い溜め息をこぼす。
『こう、もっとなんか深刻な話かと思ったら』
「わ、私、なりに、深刻、なのですが……っ」
『別にお前が主に惚れて、自分が好きな相手にもっと好きになってほしいってだけって話じゃねぇの? これ』
「好、きゅ!?」
思わず奇声を発してしまった。そんなわずかに覗く耳まで真っ赤になった紫鶴に、ボレアスは呆れ声のまま続けた。
『いやよ、本人には世界で一番深刻なナヤミってのは、傍から見りゃあ意外に大したことねーってのはよくある話だっての。特にお前の場合、その《変身》が過去の傷になってんだろうしな』
周囲の人々はもちろん、肉親にも畏れられ拒絶された理由。なるほど、トラウマになるのは充分な理由だろう――だが、それと恋愛ごとはまったくの別だ。
『お前、主だぞ、主。お前が惚れた男がバーバ・ヤガーを見た時の反応思い出せよ。あの魔女相手に普通に笑いかけられる神経の持ち主だぞ? お前がどんなモンスターだって、普通に流すぞ、主は』
そもそもが、そんなことぐらいで態度が変わる相手ではないのだ。嫌いになる? 馬鹿馬鹿しい――悩みのスタートラインを間違えたら、そりゃあ正解にたどり着けるはずがないのだ。エベレストに登ろうとして、マリアナ海溝にあるチャレンジャー海淵に潜っているようなものである――見当違いも甚だしい。
『ウチの主を馬鹿にしすぎだ。お前の悩みなんざ、予想の斜め上をかっとばして、軽くクリアするっての。むしろ、今のお前の葛藤の方が負担になるだろうさ』
「で、で、しょうか……?」
『主にせよ、お前にせよ、自己評価がマイナスだってのはわかってるけどよ。言っとくけど言わないと主は全然気づかないからな? 誰かに好かれる自分を想像もできないってのは、主も一緒だから』
そういう意味では、あのセリーナの玉砕こそ正解なのだ。キッチリカッチリぶつかる、そしてぶつかれば粉々になろうとその欠片を丁寧にひとつひとつ拾い上げて組み直すのが岩井駿吾という少年である。
――ただでさえ主も捻じくれ曲がって厄介なのだから、悩むより行動した方が早いのだ。ボレアスは心底、そう思っている。
『まぁ、お前とは理由は違うだろうがセリーナ嬢ちゃんは答えを後回しにしたみたいだから、お前もきっちりと考えとけ。言っとくが、後悔できる内が華だからな?』
そう言って、ボレアスは姿を消した――主の元へ、戻ったのだ。言いたいだけ言って唐突に消えたガーゴイルに、紫鶴は再び膝に顔を埋めていった。
「に、ばん……せんじ、です、か……」
あまりにも痛い言葉だった。悩んでいる内に、誰も彼もが自分を追い越していってしまう――それでいいなんて思えないのに、意気地のない自分はいつだってそうなってしまうのだ。
「……う、ううん……ボレアス殿の、言うとおりです……いい、わけ、ですよね……」
そうしたのは自分で、そうなったのも自分だ。ずるいとか、羨ましいとか、そんなの行動しなかった自分のせいなのだから、言うだけお門違いだ。
「――――」
そっと、紫鶴は純白の前髪をかき上げる。そこに覗くのは、真紅の瞳だ――赤い赤い、鬼灯のような瞳が、気配を消して近づこうとしていた死霊を“視界”に捉えた。
『――ギ!?』
ゴッ! とその瞬間、死霊が文字通り消し飛んだ。パラパラ……と消し飛んだ周囲に散るのは、錆色の砂鉄だ――世界そのものから押し流されたように消されたレイスの魔石を拾い、紫鶴はため息をこぼす。
「い、まさら……自分を、みて、ほしいなんて、いっても、いいので、しょうか……?」
その問いに、答えは返らない。だから、紫鶴自身が答えを出さなくてはいけない――そういう問題だった。
† † †
悩みなんて、案外他人から見ると悩みでもなんでもないなんてよくある話なのです。
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