50話 “S”ランクダンジョン『新宿迷宮』2
† † †
Sランクダンジョン『新宿迷宮』――その一〇階である石造りの通路を彼らは歩いていた。
「約一週間、『新宿迷宮』は一〇階から下が閉鎖されるですよー」
そう言って間延びした声で語るのは、伊神千登勢だ。その顔と声には岩井駿吾も見覚えがある――あのリビング・メイルを知るきっかけとなった『モンスター・ファイティングクラブ』で解説をしていた女性だ。自身もAランク探索者であり、召喚者として高い実力を持つ優秀な探索者である。
「しっかしアレだな。五〇階だろ? まともに一階一階下るのか? 転移門とかないのかよ」
そうこぼすのは、褐色の肌が眩しい青年――Aランク探索者坂東左之助だ。《身体強化》と格闘技術の併用で、探索者協会日本本部では素手なら最強と呼ばれる男である。その隣に名実ともに白兵戦最強とされる御堂沢時雨がいるのだが、その時雨でも認める腕の持ち主だった。
「坂東さんは初めて潜るんだったか? 『新宿迷宮』」
「ああ、普段は阿蘇山の『原初火口領域』に潜ってるからな」
時雨の確認に、左之助は日本で『新宿迷宮』や『梅田迷宮』を含め、四つしかないSランクダンジョンの名前を挙げる。日焼けならぬ溶岩焼けってヤツよ、と歯を見せて左之助は笑うが、溶岩の熱に耐えられる耐熱装備がなければ呼吸さえままならない空間で生身でスクワット二〇〇〇回をやる動画を配信するような男である。熱血、暑苦しい男、とネットでは一部知られた有名人だ。
「会話をするのはいいが、気は抜かないでくれよ。先は長い」
そう注意するのは、Aランク探索者片岡玄侑という男だ。ノンフレームの眼鏡にオールバック、能面のように表情のない顔がトレードマークの男だ。棒術を基本に魔法、召喚、白兵どの距離でも戦えるオールラウンダー。どの分野でも一流の本当の意味での万能である。
「まぁまぁ、常に緊張していれは身体が保ちません。抜くべき時は抜き、集中すべきところは集中する。そういう判断は長丁場では重要ですよ」
そう微笑んで告げたのは、ヴィオラ・ターナーだ。日本を拠点に活動する合衆国出身のAランク探索者だ。攻撃から防御、回復、治療、魔法のエキスパートとして有名人である。
――と、同行者である四人の情報を藤林紫鶴は『ツーカー』のメッセージで教えてくれた。
「ありがとう、本当にありがとう……!」
「同行者がいるんだっけ? 私には見えないけど……」
心の底から小声で紫鶴に感謝を述べる駿吾に、セリーナ・ジョンストンが囁く。センチュリオンから姿も気配もわからないが、常に駿吾の近くに誰かいることを伝えられていたのだ――駿吾は細かいことは伝えず、確かにいることをセリーナだけには伝えていた。
『こちらの業界に来て日が浅いんですから、仕方がありませんよ』
紫鶴がそうフォローしてくれるが、Aランク探索者はみながみな有名人ばかりだ。少しニュースや新聞、週刊誌やネットで調べれば出てくるような者たちなのだから、無知に関して褒められたものではなく……。
『しかし、楽というか――暇だな』
『アステリオスとの戦いまで温存できるのはありがたい限りですよ』
念のために召喚されていたボレアスのぼやきに、その隣でセンチュリオンが答える。まだ一〇階ということもあり、千登勢が召喚した銀色の人狼とその手足のように動く黒い毛並みの人狼四体で道中は事足りた。どの人狼もAランクまで育てられた、練度の高い群れである。
「そ、そういえば、アステリオスってどういうモンスター、なんです? ミノタウロス・プロト……らしいですけど……」
駿吾の言葉に、左之助以外が動きを止める。駿吾と左之助以外は目撃した、あるいは実際に戦闘経験がある者ばかりだからだ。
「あーっと……むちゃくちゃ、速くて力持ち、というか?」
「雷速で動く、推定筋力S、敏捷判定不能の化け物だね」
どう表現すればいいのか困る千登勢に、眼鏡を押し上げながら玄侑が言い捨てる。雷速? と言われてもピンとは来ない――セリーナも微妙な顔で言った。
「なんか、雷化? するらしくてさ。光ったらもうそこにはいない、みたいな……ものすごく速いの」
「まっとうに強いタイプのSランクモンスターだね。まともにやりあおうと思えば、姿を見る前に終わるかな?」
セリーナも表現が難しい、と曖昧な口調になり、時雨の説明がもっとも端的にアステリオスの強さを表していた。
「正直、フォローも難しいですねぇ。私たちでは……」
「はぁ……」
申し訳ないですが、というヴィオラに、駿吾も生返事しか返せなかった。そんな相手の主力、ましてや奥の手になれるのだろうか? そう思えてならない。
「ま、Sランクもいるんだ。お前まで繋いでくれるって」
ばんばん、と左之助が肩を叩いて励ましくれた。痛いが、その言葉や視線には思いやりがある――駿吾としては頷くしかない。
「…………」
ふと視線に気づくと、じっと自分を見つめているセリーナに気づく。駿吾がなにかと問いかけようとしたが、セリーナは先回りして言った。
「ごめん、もうちょっと心の整理がついたら言うわ」
「あ……はい」
なにかしてしまっただろうか? そんな心配をしながら、駿吾はコクコクと頷いた。
† † †
実際にはこれからするはめになるのだが……セリーナは、まだ迷っていた。
『……抵抗がありますか?』
(シュンゴが《限界突破》を使えるなら、最善って言うのはわかってるんだけどねー……うん、さすがに?)
特別顧問こと蘆屋道満は、それが奥の手になると言った。確かにセリーナのある“秘密”と組み合わせれば、これ以上ない一手となる。それはセリーナにも、痛いほどよくわかった。
最初、それを知った時すぐに言おうと思ったのだ。しかし、いざ説明しようとした時……セリーナはどこかで、ブレーキがかかった。
(……嫌われたくない、とか思ってる? 私)
なんというか、嫌いになどならない。シュンゴはそんなヤツじゃない、そう思う自分と。万が一、もしかしたら……そう思ってしまう自分もそこにいて。
(うわー、普通の女の子だよ、これじゃあ……)
セリーナはそう苦笑する。まさか、自分が誰かに嫌われてしまうことに怯える日が来るとは夢にも思わなかった。そんな自分がとても新鮮で、同時に少しばつが悪い――だから、踏ん切りがいるな、と思っていた。
(くっそー、ドウマンめー……)
あれは確信した上での行動だ。ギリギリまで《限界突破》の話をしなかったのが、良い証拠だ……見た目は愛らしいのに、中身は悪魔なのだ、あの子は。
「…………」
そんな駿吾の視界から外れて悩むセリーナを、見る視線があった……紫鶴だ。そして、紫鶴もまた気づいている――あれは、自分にも向けられた言葉だ、と。
そんな少女ふたりの苦悩を、駿吾は知る由もなく――ただ緊張しながら先へ進むだけだった。
† † †
梅田迷宮もひどいことになってます、びっくりですね。
気に入っていただけましたら、ブックマーク、下欄にある☆☆☆☆☆をタップして評価をお聞かせください! それが次に繋がる活力となります! どうか、よろしくお願いします。




