21話 大概、伝説の始まりなんてそんなもの
† † †
あの戦いで倒れた岩井駿吾は、検査のために入院するはめになっていた。検査では異常はなく、疲労と魔力の使いすぎによる昏倒だと診断された。そうなると後は暇でやることもなく――結果、駿吾は病室備え付けのテレビを死んだ魚のような顔で眺めていた。
テレビの画面で繰り返されるのは、連日連夜巨大土蜘蛛であるAランクモンスター土蜘蛛八十女と謎の巨大な全身甲冑姿の巨人ボレアスの壮絶な殴り合いだった。
『んだよ、オレの名前は一切でないな。活躍したってのに』
「……バレてたら、それはそれで困るよ」
ボレアスの念話に、駿吾がぼやく。ボレアスがその映像を気に入ったために、テレビは常に付きっぱなしである。名前は公表していないが探索者協会に所属する探索者が、“スタンピード”を起こした土蜘蛛八十女を討伐。探索者が怪我をしただけで奇跡的に死者はなく、物的破損だけで一般人は死傷者なし。被害は最小限に抑えられた、という報道がされ、メディアも犬の仮面をつけた黒ずくめの召喚者を英雄扱いする方向で世間を賑わせていた。
「また、面倒なことになったなぁ」
『アレだろ? こういう騒動があった場合、社会的不安を取り除くためにも誰かを英雄に仕立て上げたいって腹なんだろうさ』
「なら、ボクじゃなくてもいいような気がするんだけど……」
ボレアスの読みは、だいたい正解だ。“迷宮大災害”からこっち、世界がダンジョンによって一度は滅びかけたからこそ人々はその脅威を忘れていない――だからこそ探索者という存在が、人々の希望にならなければならないのだ。
駿吾が暇潰しに携帯端末で見たネットの情報では、賛否両論だった。やはり、あの映像はインパクトがあり、倒した側のボレアスが人類に牙を剥いたとしたら――そう考えてしまっても仕方がないと、間近で見た駿吾には思えた。
メディアとネット、どちらが健全不健全という話ではない。メディアは不特定多数の人に情報を発信するからこそ人々の不安を煽る危険性を考慮しているし、ネットはネットで人々が本音の吐き出せる場所という役割を負っている。何事もバランスが重要だ、という話だ。
『――あなたが《ワイルド・ハント》を自分の意志で正しく使えると証明することができれば、誰もあなたを排除しようなどしないでしょう』
香村霞の言葉が、今になって生々しく耳に蘇る。つい一ヶ月前まで戦う力を持っていなかったからわかる、あれが誰かの意志で自分に向けられるかと思えば、確かに恐ろしくてたまらないだろう――。
「そんなことで悩むとは、意外に小市民よのぅ。《百鬼夜行》の小僧っ子よ」
「――え?」
唐突にこちらの考えを読んだような言葉を投げかけられ、駿吾は息を飲む。ベッドの隣、お見舞にやって来た者用に用意された椅子に腰掛けた黒いセーラー服の少女がそこにいた。少女は御堂沢氷雨が差し入れに持ってきていた果物詰め合わせから林檎を取って、かじりつく。
「――いつの間に、あなた、が――!?」
そこで姿を現わし、駿吾を守るように立ち塞がったのは藤林紫鶴だ。逆手で抜いた小刀を構え、犬の仮面越しに少女を睨みつける。
『止めとけ、忍者の嬢ちゃん』
「ですが、ボレアス殿……!」
『敵意も害意もない。唐突に現れはしたがな。むしろ、煽るな。そいつはなにもする気がなくとも、従えてる方は違うぞ?』
「よく言うわい」
そう言うと、少女は林檎を軽く目の前にかざす。すると、林檎が弾かれたように宙を舞った。それを器用にキャッチし、少女は再び林檎をかじった。その視線は丸縁サングラス越しに駿吾の枕元へと向いていた。
「儂が現れたと同時、“魔導書”の中から風で障壁を張っておったくせに。いよいよ、恐ろしい守護者になりおってからに」
そう言いながら、少女はクカカと笑うと紫鶴に向かって目を細める。
「ぬしは藤林の分家に生まれた天然の浄眼か」
「……ッ」
「ふん、儂も知っておるぞ――ぺあるっくと言うのじゃろう? マセおってからに小娘が」
「ぴ――!?」
ビクンビクン、と違う意味で二回身体を弾ませる紫鶴に、少女は新しい林檎を手に取ると果物ナイフで皮を向き始めた。
「まずは自己紹介しておくかの。儂は蘆屋道満という。よろしくの」
その少女――道満が名乗ると、紫鶴の身が硬くなる。
「あ、しや、どうまん……!? “怪人”……!?」
「“怪人”?」
「その呼び方は好きじゃないのぉ。小僧っ子よ、特別にぬしには道満ちゃんと呼ぶことを許すぞ?」
「は、はぁ……」
蘆屋道満――歴史やその筋に詳しい者なら名を耳にしたことがあるだろう。平安時代に活躍したという陰陽師、それが蘆屋道満だ。
問題はこの自称蘆屋道満は平安時代から一〇〇〇年間、時折歴史の裏に現れては暗躍していたことで知られているということだ。探索者協会でも本物の蘆屋道満かはさておき、少女が実際にさまざまな事件を起こしたという歴史的事実を把握している。
対象D、“怪人”、天性の愉快犯――その実力はSランク探索者さえ凌ぐと言われた、無所属のトラブルメーカーである。
「ま、今回は土蜘蛛関連は儂が請け負った依頼での。ぬしを《わいるど・はんと》として世に知らしめるためにやったことなのじゃが――」
「な、にを、馬鹿な……!?」
さらりと儂が黒幕じゃよと白状した道満に、紫鶴は面食らう。もしもそうだとすれば、目の前の存在はAランクモンスターを操り、“スタンピード”を己の意志で起こせるということだ。いくらなんでも、常識外れ過ぎる。
「なに、小僧っ子とてやろうと思えばできるじゃろ? 儂は特にそっちに一日の長があるというだけじゃ」
「蘆屋、さん」
「…………」
「……道満ちゃん?」
「なんじゃ?」
呼び直すと、道満が満面の笑みを見せる。呼んでいいと言うよりそう呼べという脅迫じゃないか、と思いながら駿吾は訊ねた。
「どうして、あんな真似を?」
「ん? だから、依頼でじゃな――」
『そういう意味じゃねぇ。どうしてあんな被害が出る真似をしたかって主は聞いてんだよ』
会話が噛み合わない道満に、ボレアスが補足する。それにうさ耳に林檎を剥き終えるとコンと皿を指先で叩き、風の障壁を抜けて駿吾の手元に皿ごと転移させた。
「被害、出んかったじゃろ?」
「え、いや……え?」
確かにそう報道はしていたけれど、一歩間違えれば――と目を白黒させる駿吾に、視線を仮面越しに振り返り、紫鶴が答える。それは面白くはないが、道満の言葉を裏付ける情報だった。
「……物損は大量に出て、探索者に負傷者は多数出ましたが……一般人には怪我人さえ出ず、探索者も死者はいませんでした……テレビでのその報道は、本当です……あの規模の“スタンピード”では、奇跡と言っていいぐらいで……」
「そんな“奇跡”、あると思うか? ん?」
ぬしはそういうの、嫌いそうじゃったからな、と道満は苦笑する。そして、自分の分の林檎をかじりつきながら続けた。
「もちろん、そっちに気遣ったが手加減はしておらん。ぬしが負けるようなら、それこそ後は野となれ山となれ。大量に死人が出とったじゃろうが、そこまでは儂は興味ないしの」
興味のあるなし、快不快、道満の判断基準は実に単純だ。そのどちらが幸福であるかは、定かでないが――。
「……誰にそんな依頼を?」
「それは言えんのぉ。どう思う?」
ニヤニヤと楽しげに人の悪い笑みで問いかける道満。駿吾は考え込み……予想を口にした。
「探索者協会に所属する、誰か?」
「――――」
ビクっと紫鶴が驚いて駿吾を見る。それに口角を三日月の形にする薄い笑みで、道満は丸縁サングラスを指で押し上げ言った。
「正解じゃ。ああ、もちろん希望派とか絶望派とか、中立派、秘密の第四の派閥かとかは内緒じゃぞ? 守秘義務というのがあるからの」
「……第四?」
「あるんじゃよ。もちろん、秘密じゃがな」
クカカ、と笑い、道満は立ち上がる。要件はすんだ、と言わんばかりの道満に、ボレアスは風の障壁を解いた。
「ま、これで儂は契約は終わり。そうそう、ぬしとカチ合うことはない、と思いたいの。儂もぬしを気に入ったからな、気に入った相手に嫌われたくはないからの」
「……あれだけのことをやっておいて?」
「なんじゃ、許せんか?」
小首を傾げ、おかっぱの黒髪を揺らして道満が問いかける。彼女は悪人だ、珍しいくらいに清々しいまで人から外れた堂々たる“悪”だ――が。
「終わったことは水に流すよ。それで“次”が起きないなら」
薄情な答えかもしれない、駿吾はそう思う。それでも、自分と敵対することを彼女が避けてくれるのなら、もうあんな真似はしないはずだ――そんな未来のために目を瞑ってもいい、そう割り切ったのだ。
「いいのぅ、本当にいいのぅ。ぬしは儂のツボを突くのが上手じゃなぁ! 晴明のように妖混じりでもなかろうに。只人の身でようもそこまで捻じくれたものよ」
「……ッ……」
笑う。道満は、恍惚に女と悪鬼の混じった顔で。美しく、悍ましく、愛らしく、畏ろしく――見ただけで心臓を直接撫でられたような悪寒に、駿吾は息を詰まらせた。
「じゃ、またの。駿吾や」
「ああ、またね……道満ちゃん」
「うむ!」
道満は小さく手を振ると、病室のドアを開けてその足で立ち去った。
† † †
いつの間にか重苦しくなっていた部屋の空気が――全然、軽くなっていなかった。
「その、林檎……捨てましょう。汚れています」
「え? いや、ただ剥いただけ――」
「アレが、触れただけで、穢れます。間違い、ありません」
なぜか犬の仮面越しに凄まじい気合で紫鶴が言った。できれば逆手に抜いた小刀は仕舞ってほしいのだが。
「改めて、私が剥き、ますから」
「あ、うん……よろしく」
「――任務ですから」
任務関係ないよね、という指摘が喉元まで出かけたが、飲み込んだ。否、無意識に飲み込んでいた。言ったが最後、なにか危険な感じがしたからだ。
『いい勘してんなぁ、主』
(……なんで笑ってるのさ、ボレアス)
ため息をついて、駿吾は“魔導書”を見た。随分と契約したモンスターも減ってしまった……特に、スケルトンたちの項目が消えていたのを見た時、なぜか無性に寂しさを感じる自分がいた。
(……そういうのも、乗り越えないといけないんだな)
『おう。でもよ、《進化》の素材になった連中の情報もオレの――オレたちの中に、残ってる。それだけは確かだぜ?』
ボレアスの念話に、コクリと駿吾は頷いた。シャリシャリと紫鶴が上手に林檎を剥く音を聞きながら、天井を見上げて言った。
「まだ、ボクは始めたばかり……だもんな」
† † †
※日間ジャンル別ローファンタジー2位、同じく日間で総合で24位となりました。
皆様の応援のおかげです。ぜひ、このまま突っ走れたら嬉しいです、はい。
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