12話 ある少年に訪れた日常~少女Sとの場合~
――これは、ひとつひとつ取り戻していく物語でもある。
† † †
「……エヘヘ」
油断すると、頬が緩んでしまう。藤林紫鶴は寝間着代わりの黒いジャージ姿で畳の上に寝転がりながらバタバタと足を暴れさせた。もちろん、隣の部屋には監視対象である岩井駿吾がいるので、《隠身》スキルを最大限に使って音と気配を消してゴロゴロしている訳だが。
寝転がりながら紫鶴の両手の中に大事に掲げられているのは、黒い犬を模した仮面だった。駿吾のそれに似た、しかし、どこか和風にアレンジされた赤と白の模様が描かれたものだった。
『興味があるみたいだったし、お試しに使ってみたらどうかな?』
そう言って、手伝ってくれるお礼にと駿吾がプレゼントしてくれたのだ。その気遣いがとても嬉しくて、顔が耳まで熱くなって引きつってしまって。じっとしてられないような、胸の奥がざわめくソワソワした気分に襲われるのだ。
(家族にだって、こんな贈り物されたことなかったですね……)
紫鶴の実家、藤林は本物の忍者の家系である。先祖を辿ればかの高名な戦国時代の忍者藤林長門守の血に連なる――などと言われているが、実際の真偽は定かではない。分家の分家のそのまた分家、とただ藤林姓を箔をつけるために名乗っているという方が納得できる話だ。
ただ、その技は“迷宮大災害”以後、ダンジョンによって得られるスキルと相まって有用なものだった。だからこそ、紫鶴は弱冠一四歳という若さで探索者協会の諜報部門に所属……いや、売られることになったのだ。
「…………」
紫鶴は忍者として優秀だった。優秀すぎた。《隠身》スキルだけの話ではない、先天的に覚醒したスキルとして発現した瞳術は、羨望を通り過ぎて嫉妬と恐怖の対象となったのだ。
幼い頃からスキルに覚醒してしまい、制御ができなかったのが運が悪かった。物心ついた頃には、周囲から腫れ物のように扱われることになってしまう……その結果、紫鶴は周囲の視線を恐れようになって、それから逃れるために《隠身》スキルを身につけることになってしまった。
「……えい」
紫鶴は前髪をかき上げると、もらった仮面をつける。見た目はレトロだが、最先端技術が使われた仮面だ。カチリ、と音がするときつくもなく緩くもなく、しっかりと仮面が顔に固定される。
きっと、これなら私の瞳も見られずにすむ……きっと、嫌われずにすむはずだ、などと思ってしまった。
(やだなぁ……)
子供の頃に自分の目を見た周囲の人々のような表情を、駿吾にはしてほしくないと思う。ちょっと想像してしまっただけで、泣きたくなった。実の親にそんな表情をされることさえ、もうなんとも思わなくなっていたのに……。
――見ないでと頼んで理由も聞かずにそうしてくれたのは、実のところ駿吾が初めてだった。駿吾は仮面をつけている時でも、視線がバレないはずなのにこちらにもわかるように見ないようにしてくれた……きっと、駿吾はそんな自分の行動にどれだけ紫鶴が喜んだのかわかってはいない。
(……当たり前じゃないですか、瞳のことは言ってないんですから)
自分は臆病だから、隠し通したいと思う。このもらった仮面があれば、きっと見せずにすむから――もしも、他の人に仮面をつけているところを見られれば怪訝な表情をされるだろうけれど、きっとあの人はしないからそれでいい。
「……エヘ~」
やっぱり、それが嬉しくて口元が緩んでしまう。紫鶴は生まれてはじめて男の人にもらったプレゼントの嬉しさにその場を満足いくまで転げ回った。
† † †
――その頃、隣の部屋では必死に気配を殺して駿吾が頭を抱えていた。
(よくよく考えるとお礼が仮面って微妙じゃない?)
『いや、充分喜んでただろ、あれ』
駿吾は駿吾で、苦悩していた。隣の部屋には自分を監視している相手がいるのだ、《隠身》スキルなどない駿吾は音でバレないように細心の注意を払っていた。
――主、あいつに見ないでくれって言われて、ガチでそうしてっからなぁ……。
ガーゴイルはそんなことはお構いなしに“魔導書”の中から見ていたから知っている。耳まで真っ赤になりながら俯いて、贈られた仮面を抱きしめながら緩んだ口元で礼を言った紫鶴を。
――あ、りがとう、ございます……大事に、します……。
あれで喜んでないとなると、なにを贈ろうと駄目な気がするのだ。ガーゴイルからすると駿吾の懸念とはまったくの逆で、それこそ路上で受け取ったポケットティッシュを渡されても小躍りしそうなノリだったと思うのだが。
(そうかなぁ、それならいいんだけど……)
正直に言えば、駿吾は友達〇人の少年である。人付き合いに積極的でないどころか、人付き合いを積極的に避けてきた節さえある筋金入りだ。
正論――と駿吾が思う理屈――に晒され続け、その結果周囲との関係に消極的になった駿吾を世間は落伍者と判断した。そんな環境の中で、自己肯定などできるはずがない。結局、更に積極性を失い――の悪循環。ただ、周囲に馴染めない少年ができあがった訳だ。
『ま、人になにかされるのが当たり前になってるよか、むしろマシだと思うがね。感謝の贈り物なんだから、相手がどう思うかぐらいは相手に委ねてやんな』
(……う、うん)
ガーゴイルの言葉に、駿吾は素直にコクコクと頷く。第三者であるガーゴイルが『こう思う』と言ってしまうのは簡単だ。駿吾ならば、それをひとつの意見としてきちんと受け取る……いや、必要以上に受け止めてしまうだろう。
――おうおう、悩め悩め。
ガーゴイルは、小さくほくそ笑む。はっきり言えば、この主はすべてを悪い方向に考えすぎなのだ。ガーゴイルから言わせてもらえば、駿吾は恐ろしく無害で善良な人間だ。しかし、周囲が自分を排斥するのも悪し様に言うのも自分が悪いと思っている――そこからが間違いなのだ。
――ま、単に感情のぶつけ先にされてるだけだわな。
ガーゴイル、《覚醒種》であり自我を持つ彼は知っている。人間というのは自分が思うほど綺麗でない。そして、それと同じくらい醜くもないのだ。だから、醜い感情をぶつける相手は、それにふさわしい相手でないと困る訳だ。
こいつは悪いヤツだから、なにを言ってもいい。だって、言われるコイツが悪いのだから当然だ……そんな言い訳がなければ、醜く悪いのが自分になってしまう。
加えて、誰かがそう認定した相手ならなおのこと。あんなひどいことを言われる、やられるのはコイツが悪いからだ。だから、自分もやっていい――とそうなっていく訳だ。
馬鹿げた話だ、とガーゴイルは思う。確かにソイツが悪いヤツでそう言われて、やられて仕方ないとしよう。確かに、それはソイツの因果応報だ。
だが、それは言う側が人を悪し様に言っていい、やっていい資格にはならないのだ。
自分を罵る相手を、自分に感情をぶつける相手を深呼吸でもしてからよく見ていればいい、とガーゴイルはそう考える。どうせ、そいつは余裕のない追い詰められた切羽詰まった顔か、そんなことも理解できない薄ら笑いを浮かべているから。ちょっと自分に余裕が生まれれば、哀れみさえすれど無意味なことしか言っていないとわかるはずだ。
が、それを駿吾に言っても意味がないこともガーゴイルはわかっていた。ならば、そんな連中を近づけないようにしてやるのが、守護像としての自分の役目だ……そうガーゴイルは自認している。
「……っ……っ」
少なくとも女の子へのプレゼントがあれで良かったのか真顔で悩むような少年が、誰かに悪しざまに罵られなくてはいけないとは、ガーゴイルには思えなかった。
† † †
なにを喜ぶのかなんて、千差万別というお話。
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