第9話 別れ、一人
「本当に冒険者になるの?」
俺の目を見て、ベルが言った。
「えっと、どういうことですか」
「だってナイン君さ、魔力ないじゃん。いくら簡単な仕事しかしないって言っても、全く魔力がないんじゃ日常生活でだって苦労するよ。その上記憶喪失でしょ。一人暮らしなんてとてもじゃないけどできないと思うよ。家だってないし」
ベルがこんなことを言うのは意外だった。俺が冒険者になることに賛成してくれているからこそこの町まで連れてきてくれたのだと思っていたからだ。
「……じゃあ、どうしろって言うんですか」
「私と、お母さんとお父さんと一緒にハムスで暮らそうよ」
「えっ」
「ずっととは言わないよ。捜したい人がいるんだもんね。でも、もしかしたら一緒に過ごしているうちにナイン君の記憶が元に戻るかもしれないでしょ。もし戻らなくっても、私たちが教えられることは教えてあげる。一人暮らしをするのは、その後でもいいんじゃない?」
俺の記憶が失われているのは、神様に封印されたからだ。普通の記憶喪失ならば、彼女が言うように自然に回復する可能性もあるだろう。だが俺の場合、そういったことが起こるとは思えなかった。
かといってそれを理由に申し出を断るわけにもいかない。記憶喪失の人間が自分の記憶が戻らないことを断定できるはずがないからだ。ベルの意見は正しい。俺はこの世界で生活
ベルは荷袋から小さな包みを取り出し、俺に手渡した。手の中で袋の中身がカチャカチャと音をたてる。これは……お金か?
「今から冒険者登録するって言っても、今日すぐ依頼を受けてお金を稼げるとも限らないでしょ?それくらいあれば今日の宿代とご飯代は賄えるだろうさ、後は自分で稼ぐんだね!って、おかーさんが」
「……ありがとうございます。いつか倍にして返します」
「いいって別に、おかーさんも好きでやってるんだから。どうしてもお礼がしたいって言うならそーだなー……じゃあ、またうちに泊まりに来てくれない?おかーさんもおとーさんも、その方が喜ぶと思うな。あ、でも今度はお金とるよ」
何から何まで助けてもらってばかりで、感謝してもしたりない。低ランク冒険者の稼ぎは良くないらしいが、こうなったら冒険者としてガッツリ儲けて恩返しの一つでもしたいものだ。
「遅くなるとおかーさんに怒られちゃうから、あたしはそろそろ帰るね」
「はい。本当にありがとうございました」
「なんかあったらいつでもうちに来てよ。歓迎するからさ。……それじゃーね!」
俺の持っていた買い物袋を受け取ると、ベルは振り返ることなく車の方へと歩き出した。彼女の背中はすぐに雑踏に紛れ見えなくなった。
一人になった俺は、改めて冒険者ギルドと対峙する。いざ入ろうと思うと緊張で足が前に進まない。誰かそばにいてくれたら気が楽なのに、と思う。
この世界に来てから、なんやかんやで誰かが俺の近くにいることが多かった。山を下りてる間は一人だったが、ただ歩き続けるだけだったからそれほど孤独感はなかった(野生の動物に襲われるかもしれない恐怖はあったが)。何よりベルの家に泊まったことで、少しだけだが家族のぬくもりを感じてしまった。一人になった今、あの感覚が鮮明に蘇り寂しさを増幅させる。
「……よし、行くか」
声にしたら少しだけ勇気が湧いた。俺は覚悟を決めて冒険者ギルドの中へ足を踏み入れた。
建物に入ると、いくつものテーブルや椅子が置かれた酒場が広がっていた。食事をする人、酒を飲む人だけでなく、戦利品の山分けをしたり依頼の準備を整えている風な冒険者の姿も少なくない。酒場の奥には受付カウンターや掲示板、売り物屋が何件か設けられており、そっちも多くの冒険者が行きかっている。
俺が入り口で突っ立ってギルドの中を見回していると、
「あのー、どうかされましたか?」
奥のカウンターから係員らしき若い獣人の女性が近づいてきた。三角形の黄色い耳、体の動きに合わせて揺れるふさふさの尻尾も同じ黄色だ。彼女はおそらく狐の獣人だろう。
「えーと、冒険者になりたくて来たんですけど……」
「冒険者登録ですね。冒険者ギルドは初めてですか?」
「はい。ちょっとどうすればいいかわかんなくて」
「わかりました。ではこちらについてきてください」
ゆったりとした衣装に身を包んだ狐獣人の係員は、俺を元居たカウンターに案内した。
「私はこのギルドの受付のルバーと言います。冒険者を始める場合、仕事に慣れるまでは冒険者登録をしたギルドを拠点として活動していただくことになってます。しばらくの間はこのギルドで働いてもらうことになりますから、何かあれば私か、他の係員に申しつけください」
ルバーはそう言うとカウンターの下から一枚の用紙を取り出した。
「施設の紹介などは後程しますので、まずは冒険者登録のため、この用紙にプロフィールをご記入ください」
渡されたペンを受け取った俺は、肝心なことに気が付いた。
名前。
考えてない。
……どうしよう。
読んでいただきありがとうございます。作者です。