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第4話 できること

 男の家は村の一番外側に建っていた。外観はリガードの家と全く同じだが、すぐそばに畑があり、地面からは野菜の葉や蔓がのびている。まだ収穫されていないところを見るに、今この世界は夏か秋くらいの時期なのだろう。


 中に入ると、テーブルの奥に一人の女性が座っていた。彼女もまた人狼なのだろう。座っていてもわかるほど背は低いが、顔立ちは大人っぽい。くすんだような深い青の髪は顔立ちに似合っており、きりっとした表情も相まって凄く絵になっている。なんとなくどこかで見たことがあるような気がするのだが、きっと兄弟か親戚に青髪の人がいた記憶が薄っすら残っているのだろう。


「座って。今飲み物を用意するよ」


「あ、はい」


 男に促された通り、女性と向き合うように座りこむ。彼が飲み物を準備する間、女性は無言でこちらをじっと見続けていた。俺は息苦しくてしょうがなかった。


「待たせたね」


 テーブルに近づいてきた男は水の入ったコップを俺の前に置き、そのまま女性の隣に座った。


「まずは自己紹介をしよう。私はヴォル。こっちは妻のリタ。人間の姿をしているけれど、私たちはリガードさんと同じ人狼だ」


「えっと、変身魔法を使ってるんですよね」


「話が早いね。リガードさんから聞いたのかい?」


「はい。目の前で変身されたときはさすがにビビりました」


 俺は後ろ頭をさすった。昨日ぶつけたときの痛みはもうない。


「リガードさんはまだ若いからねぇ。余所者に見せたら驚かれるって分からなかったのかも」


「早く本題に入りましょう」


 リタと呼ばれた女性が横目でヴォルを睨む。


「そうだね。私も人間とまともに話すのは初めてなんで、つい調子に乗ってしまったよ」


「それで、話したい事ってなんですか?」


「それなんだがね」


 ヴォルの顔つきが変わった。先ほどまでの優しい笑顔ではなく、リタ同様険しい表情を浮かべる。突然の変わりように俺は思わず息を飲んだ。


「私たちには一人娘がいるんだ。名前はリコ。年は十。父親の私が言うのもなんだがかなりの美人だよ。妻に似た美しい青の毛並みで、そして両の瞳が真っ赤な子だ」


 その時、俺はリタという女性に覚えた既視感の正体を思い出した。昨日、山の中でリガードたちに追われていた、俺に飛びついてきたあの青毛の狼。あの狼の毛色が、リタの髪にそっくりだったのだ。そしてあの狼の目は、確かに赤色だった。


「私たち人狼族には古くから伝わる掟がある。”赤目殺しの掟”というものだ。名前の通り、瞳の赤い人狼を生かしてはいけない、赤目の人狼を見つけたらすぐに殺さなくてはならない」


「じゃあ……」


「そうだ。君も見たのだろう。リコがリガードさんたちから逃げていたのは、捕まったら殺されてしまうからだ。村の大人たちは今もリコのことを探し回っているが、もし見つかれば村に連れ帰され広場で処刑される」


 ヴォルとリタは悲しげにうつむく。一人娘が行方不明、もし見つかれば殺される。想像するだけで胸が痛む。リコという人狼だって今頃辛い思いをしているはずだ。俺には日本で暮らしていたときの両親の記憶がないが、もし覚えていればきっと今も会えなくて寂しい思いをしているはずだ。


「そこで君に頼みがある」


「なんですか?」


「君はこれから人里に下りるのだろう?もしこれから行く先で娘を見つけたら、どうか手を貸してやってほしい」


「そんなこと言ったって、俺は何もできないですよ」


「何も娘を探してくれと言っているわけじゃない。もし偶然会うことがあったら、少し食べ物を恵んだりとか、そんなことでいいんだ」


 ヴォルは必死だった。背の低いテーブルに、額がぶつかりそうなほど深く頭を下げている。


「頼む。私たちもリコの力になりたいのだが、掟がある以上どうすることもできないんだ。もし助けるそぶりを見せれば私たちの方が先に掟破りの罪で殺されてしまう。かといって外の世界に協力してくれる人もいない。君だけが頼りなんだ」


 誰かに聞かれたくないと言ったのはこのためか。秘密にしたい理由は分かったが、俺はこの言葉に引っ掛かりを感じた。


「……あのー、一ついいですか」


「なんだい?」


 俺は二人の目を見て、


「そんなに大事なら、自分たちで助けに行けばいいじゃないですか。なんで初対面の俺なんかに頼むんですか?助けに行ったら自分たちも殺されちゃうからですか?そんなに自分の命が大切なんですか?人の親なら、自分の子供は命に代えてでも守るべきものなんじゃないんですか?」


 さっきまでの懇願を冷たくあしらうように言い捨てた。俺は自分でも意外なほど冷めた人間だった。転生したばかりで金も何もない俺にそんなことを頼むなという気持ちもあった。


「…………」


 ヴォルはすっかり黙ってしまった。こんな言われ方をすれば無理もない。下げた頭がわずかに震えているようだった。


 話の中心だったヴォルが黙りこみ、室内は静寂に包みこまれた。俺は片手を床に着いた。俺がこの二人にできることは何もない。黙ってこの場を立ち去ろう。そう思ったときだった。


「娘には」


 リタの声だ。思わず彼女の方を見ると、目と目が合った。リタは俺をしっかりと見ながら口を開いた。


「娘には私たちが、帰る場所が必要なのです」


 リタが淡々と語り続ける。


「人狼族は数の少ない少数種族です。しかも人里離れた山奥で暮らしているから、他種族との交流もない」


 リガードも村の外からの来客はめったにないと言っていた。


「人狼は、『村』単位で活動しています。村に住む者はみな家族同然、深い絆でつながれているのです。娘も元は普通の人狼でした。しかし成長する中で娘の目は赤く染まり、”赤眼殺しの掟”により殺されることになってしまった」


「村を出た娘は今、独りぼっちです。行く当てもなく、頼る当てもない。もし親である私たちが死んでしまえば、娘は本当に孤独になってしまう。娘は二度とこの村に戻ってこれないかもしれません。でももしも、万が一にでも戻ってくることができた時、私たちが出迎えてあげなくてはいけないのです。仮にそれが、捕まって処刑されるためだったとしても……」


「…………」


 リタは首の後ろに手を回した。彼女は首飾りをとると、俺の目の前に差し出した。穴が開いた動物の牙のようなものに紐を通しただけの、簡単なつくりのアクセサリだ。


「これをお渡しします。これは娘が私にプレゼントしてくれた、世界に一つしかない首飾りです。これを身につけていれば、きっと娘の方から近づいてきてくれるでしょう。貴方は娘にその首飾りを渡してくれるだけでいい。それがあれば、あの子はきっと強く生きていけるから……」


 リタの目は涙に滲んでいた。その目を見ても、俺の心は相変わらず冷めきっていた。なんというか、これっぽっちも興味のない感動長編映画を観させられているような気分だった。だが、もらった首飾りを渡すだけなら金がなくてもできる。そのくらいなら頼まれる義理はあるだろう。


「わかりました。もし見かけることがあれば渡しておきましょう。俺にそれ以上のことはできませんが」


 俺は卓上の首飾りを手繰り寄せた。


「あ、あ、ありがとう!」


 ヴォルが俺の手を握りブンブン振り回す。彼もまた泣いていた。俺はリタって子を助けるつもりはない。ただ、この涙を無下にするのはどうかと俺の良心が訴えていた。


「言い過ぎてすいませんでした。俺、部外者なのに」


「謝るのはこちらの方です。部外者である貴方に厚かましいお願いをしているのですから」


「あ、あの、」 


「どうかしましたか?」


「見つかるかわかりませんけど、娘さんのこと、できる限り探してみます。どうせ俺、この先やることないし……早く渡してあげた方が、娘さんのためにもなるだろうし」


 二人と話しているうちに、見ず知らずの俺に優しくしてくれたリガードに対し、見ず知らずの相手に冷たく接する俺はなんて小さな奴なんだろうと思った。俺は自分のことをよく知らない、いや、よく覚えていないというべきか。どちらにせよ、こんな薄情な自分は何か嫌だと感じた。この言葉も優しさや良心から発せられたものではなかったが、二人のために何かしてあげたいという気持ちは本当だった。


「そんな……いいんですか。ありがとうございます」


「ありがとう!本っっ当にありがとう!」


 リタはにこやかに微笑んだ。真剣な表情の時には想像もつかなかった、全てを優しく包んでくれるような、あたたかい笑顔だ。ヴォルも折角のイケメンが台無しになるほど顔を泣き腫らしている。


「今日中に人里へ下りる予定なんだろう?もうすぐ昼時だ。早く出発しないと着く前に日が暮れてしまうよ」


「本当ですか。じゃあすぐ出発しないと」


 ヴォルの言うとおりだ。色々あったとはいえだいぶ長い事この家にいる。半日で下山できるらしいが多少余裕をもって出発しよう、という俺の考えは計画倒れに終わってしまったようだ。


 俺はリガードの家から持ってきた麻袋を担いで立ち上がる。


「それじゃあ、もう行きます。娘さんのことは任せてください」


 俺は自信ありげにそう言った。ただのリップサービスだ。本気であの狼のことを見つけられるとは思ってはいなかった。


「任せたよ」「お願いします」


 それでも二人は、そんな俺を笑って送り出してくれた。俺はほんの少しだけ嬉しかった。


 家を出る間際、


「そういえば少年。まだ君の名前を聞いていなかったな。なんというんだ?」


 ヴォルに呼び止められビクッとした。”例の人間”なんて言っていたから、てっきり記憶喪失(本当は少し違うけど)であることも知っているのかと思っていた。何か裏があるのかとも勘ぐったが、俺には単純に名前が知りたがっているだけにしか見えない。


 しかしここで真実を打ち明けるのは気が引けた。二人はおそらく何も知らないで俺に首飾りのことを頼んだのだ。正直に記憶喪失であることを伝えたら、かえって不安にさせてしまうかもしれなかった。


「えっと…………」


 やや挙動不審になりながらも、俺は考えを巡らせた。その結果、適当にはぐらかすのが一番だと結論づけた。


「その、俺、実は名前無いんですよ」


「そうか、()()()()と言うんだな」


 ……どうやら言葉選びを間違ったようだ。彼は俺のことをナインという名前だと勘違いしている。訂正しようか迷ったが、余計話がややこしくなりそうなので俺は適当に話を合わせた。


「はい、ナインです」


「いい名前だな。わかった、覚えておくよ」


 なんか知らんがいい名前らしい。このままナインを名乗るのも悪くないかもしれない。


「引き留めてすまなかったね。それじゃあ、娘を頼んだよ」


「道中には気を付けてくださいね、ナインさん」


「え、ええ。お二人もお元気で」


 挨拶もそこそこに、俺は小走りで立ち去った。


 完全に村が見えなくなったのを確認してから、俺は走るのをやめた。ゆっくり歩きながら今までの出来事を思い返す。狼に突き飛ばされ、人狼に会い、木の小屋で一泊し、そして人狼の娘を探すことになった。まだこの世界に来てから丸一日と経っていないのに、実にいろいろなことが起こったものだ。


 俺は胸元の牙のアクセサリの表面を軽く撫でた。この異世界とやらに来てからというもの、現実味のない出来事ばかりだった。だがこれは紛れもない現実。これが、これから俺が生きていく世界なのだ。この先いったいどんなことが起こるのか全く想像がつかない。まだ見ぬ未知なる体験に、俺の興味は少しだけ大きくなっていた。

読んでいただきありがとうございます。作者です。

1話からここまでで一区切りとなります。次回からはまた少し違った話になると思いますが、楽しんでいただけると幸いです。

ではまた。

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