第2話 人狼
人狼のリーダー、リガードについてしばらく山を登って行くと、そこには大きな集落があった。家はすべてログハウスに似た木造住宅で、家と家との間には小さな畑があり、村の奥には田んぼや畑のようなものまで見える。どうやら自給自足の生活を送っているらしい。
目に見える範囲では、村人の姿は見えなかった。リガード以外の狼たちも村に入ってすぐどこかへ消えてしまった。俺は一人リガードの後をついて歩いた。
しばらくして一軒の家の前に着いた。ドアは人間用と思しき引き戸だったが、リガードは右の前足を器用に使い難なく開けた。家の前で棒立ちしていた俺は、入れ、というリガードの声に慌てて従った。
中は意外ときれいで、しかもなかなか広かった。扉を開けるとすぐに広間になっており、部屋分けなどはされていないようだ。天井のランタンに背の低い木製のテーブル、いろいろなものが収納されている木箱がいくつか、それと藁か何かで作られた寝床がある。一方で装飾品や嗜好品の類はほとんど見られない。文明的な暮らしとは程遠いが、俺の知る人間と同じような生活を営んでいるのは確かだ。この世界ではこれが当たり前なのかもしれない。あるいは人狼がそうであるだけか。
「座れ」
俺とリガードがテーブルを挟んで向き合うように座り込んだ。胡坐をかいた俺の膝がテーブルの縁に当たる。これは狼用なのだと思った。
「この姿では話しにくかろう。『人の姿』になる、見ていろ」
リガードの輪郭が歪んだ。ぐにゃりと体がひん曲がり、かと思えば次の瞬間、そこには人間の男性が座っていた。
「ぅおあっ!」
目を疑う光景に、思わず驚き後ずさる。上体をのけぞらせたのもあり背後の壁に勢いよく頭をぶつけてしまった。
「くそ……いった」
「驚かせたか。けがはしてないな?」
「あ、はい。大丈夫です」
人間になったリガードはかなりの好青年だった。彫りは深く、整った黒の短髪とがっしりした体つきが頼もしさを感じさせる。その顔つきが三十代半ばくらいに感じられたため、俺は反射的にかしこまった。
「我々人狼は『変身』の魔法を得意とする種族でな。時や場合によってこうして姿を使い分けているのだ」
「『変身』……魔法……」
今日俺は既に二度信じられないような出来事を体験している。狼が喋ったこと、そして今の変身だ。それらを通じて超常的な出来事に耐性が付いたせいか、魔法だと言われても驚きはなかった。むしろ感慨深さすら感じる。魔法なんて、日本じゃ漫画やゲームの中だけの妄想の産物でしかなかったはずだ。それが目の前で実演されたのだから、感動もするだろう。
「じゃあ、さっきの狼が本当の姿なんですか?」
「いや、あれもまた本来の姿ではない。人狼の真の姿は人獣混合、人よりもむしろ魔物に近い外見になる。よほどのことがなければ余所者に見せることはない」
俺と会う前から狼の姿だったということは、日常的に魔法を使っているのだろう。この世界では魔法は当たり前に存在するものなのかもしれない。神様は地球と似た世界に転生させるというようなことを言っていたが、どうやらその限りではなかったらしい。俺はぶつけた後頭部をさすりながらテーブルへと戻った。
一呼吸おいてから、リガードが切り出した。
「話を戻すぞ。お前はいったい何者だ?こんな山奥で何をしていた?」
やはりというか、怪しまれている。俺は誤解を防ぐためにも可能な限りすべての事情を話した。別の世界で死んだこと、神様に転生させてもらったこと、自分の個人情報に関する記憶がなくなっていること、気が付いたら山奥にいたこと、青毛の狼に飛びつかれたこと。
それほど長い話ではなかったが、リガードは終始目を丸くしていた。特に「神様」「生き返った」の部分では、いちいち話を遮って「……それは本当か?」と繰り返し聞いてきたので、俺はひたすら本当だ、嘘はついてないと念を押し続けた。最終的に疑いの目が晴れることはなかったが、「どこからか山奥に迷い込んできた記憶喪失の人間」という納得の仕方をしてくれたようだ。俺が無害な人間だとわかったからか(頭のおかしい電波な奴とは思われたかもしれない)、リガードは少し安心したようだった。
「よくわからないが、お前は遠くからやってきた人間で、自分の名前も年も覚えてなければ常識や知識もないのだろう?」
「わかりやすく言えば、そうです」
「我々人狼も人間や他の種族とは異なる社会・文化で暮らしている。残念だがあまりお前の力になることはできなそうだ」
自給自足のアナログな生活は人狼たち特有の文化だったようだ。それならば、日本の都会のような文化的な生活を送っている場所があるかもしれない。俺はひそかに胸を弾ませた。
「ここから一番近い人里までは人間の足では半日ほどかかる。今日はもう日が暮れかけているし、ここで休んでいくといい。明日の昼前にでも出発すれば暗くなる前に辿り着けるはずだ」
「あ、ありがとうございます……」
リガードが立ち上がり、「少し待っていろ」と言って家を後にした。一人になった俺は大きく息を吐き、組んでいた足を延ばし床に寝転がった。
しょっぱなからとんでもないことが起こったもんだ。知らない世界に飛ばされてはじめて会ったのが喋る狼で、しかも実は魔法を使って変身していた人狼だったなんて。人狼と言えば、日本では「人狼ゲーム」なるものが流行っていたな。おぼろげながら、牙をむいて怪しく笑う狼の怪人の顔が思い出される。魔法のことと言い、パーソナルデータ以外の知識的な記憶やどうでもいい経験の記憶はしっかり残っているらしい。
そういえば一つ聞きそびれていたことがあった。俺が本当に一番最初に出会った、あの青毛の狼のことだ。おそらくあいつも人狼なのだろうが、だとすればどうしてリガードたちから逃げていたのだろう。リガードたちより一回り以上小柄だったのでもしかすると子供なのかもしれない。俺が知らないだけで、大人になるための儀式的なものなのだろうか?あるいは狩りの練習か。人狼は変わった暮らしをしているようだし、何か事情があるんだろう。部外者が首を突っ込むのは良くないことかもしれない。それでも、気になる。
考え事をしていると、家のドアが開いた。リガードが魚の干物と見たことのない色の木の実の房、それに水瓶を持って入ってくる。
「今日のところはそれで我慢してくれ。人間の来客などそうないのでな、お前の口には合わんかもしれん」
座って食べ物をテーブルに並べると、リガードは再び立ち上がった。いつの間にか、家の外が賑やかになっている。他の人狼たちの声が飛び交っている。そのざわめきの大きさから、かなりの数の人狼が外にいることは容易に想像できた。
「寝るときはそこの寝床を使っていいぞ。俺はこれから出かけなくちゃならん。夜の森は危険だから、くれぐれも出歩くなよ」
「あの……」
「なんだ?」
狼の姿に変身したリガードが振り向く。改めて顔を合わせると、人間の時よりもはるかに勇ましく力強い顔立ちをしている。きっとこちらの方が”本性”に近いのだろう。
「さっき俺が話した、あの青毛の人狼を探しにいくんですよね?あいつは一体なんなんですか?」
「……お前には関係ないことだ」
リガードは颯爽と家を飛び出した。人狼たちの声が一層大きくなる。ドアを開けて外を覗こうかとも考えたが、何かいけないことをしようとしている気がしてやめた。それにもしドアを開けてあの人狼の怪物が辺りにひしめいていたら、自分は本当に食べられてしまうかもしれない。そう思うと怖かった。
外の喧騒から隔離され、部屋は異常なほど静かだった。腹のなる音がこだまする。俺はおもむろにテーブルの木の実に手を伸ばし、一人寂しく食事を始めた。
読んでいただきありがとうございます。作者です。
連載物を書き始めて、毎日投稿とかしている人のすごさを身にしみて感じます。あんなの私には到底できません。
ではまた。