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ハルヲンテイムへ ようこそ  作者: 坂門
ハルヲンテイムへようこそ
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まるで魔法がかかったような一日

「全く、いつまで経っても終わる気配がないんだから」

「すいません、止まらなくなっちゃって。それじゃあ、エレナちゃん。ハルさんの話を聞いてね」


 溜め息まじりのハルさんの言葉に、照れ笑いを浮かべながらアウロさんは部屋を後にしました。

 ハルさんの部屋は机から椅子、傍らには備え付けの応接セット、どれを取って見ても立派な作りだとひと目で分かります。過度な装飾はなく作りはシンプルですが、どれも頑丈そうです。

 ハルさんの後ろのある棚にはびっしりと本が詰まっていて、あっちの棚もこっちの棚にもハルさんを囲むみたいに本が埋め尽くしていました。

 私が部屋を見回し圧倒されている姿をしばらく眺めていましたが、おもむろに口を開きます。


「元々は院長室だったのよ。家具もそのまんま。私には大きいんだけど、使えるし、もったいないでしょう。だからそのまんま使っているの。それじゃ、そっちに行きましょうか」


 ハルさんは肩をすくめて見せると、応接セットを指差しました。私はフカフカのソファーに腰を下ろします。私のソファーと違って、ギチギチとイヤな音もせず静かに私の体が沈んでいきました。

 おお。私はちょっと感動して、二、三度軽く跳ねて見せると、ハルさんが吹きだします。


「プフ、エレナ何やっているの?」

「あ、いえ、その、うちのと違ってフカフカだなぁって⋯⋯」

「そう。普通のソファーよ。ちょっとお茶淹れるわね、待っていて」


 奥に引っ込むと、湯気の立つカップをふたつ持って私の向かいに座りました。私はカップを受け取り湯気の中に見える琥珀色を見つめます。少し香ばしい香りに気持ちが落ち着いていくのが分かりました。


「いい香り」

「ただのハーブ茶よ、熱いから気を付けてね。それでどうだった⋯⋯って言われても困るわよね。ここに来るまでに何をしたか聞かせてちょうだい」

「はい。えっと⋯⋯まず、フィリシアさんに湯浴みを手伝って貰って⋯⋯あ! 髪を切って貰いました」

「うん。さっぱりしたわね。似合っているわよ。それで」

「はい。ラーサさんの所で点滴をして貰いました。いろいろと体を触られて⋯⋯そうだ、心臓の音を初めて聞きました」

「びっくりしたでしょう。ラーサは何て言っていた?」

「いっぱい食べて寝て、元気になりなさいと⋯⋯栄養が足りていないと言われてしまいました」

「そうよね。次は?」

「はい。モモさんと一緒にごはんを食べました。とっても美味しかったです。いっぱい食べて、肉をつけなさいって言われました」

「うん。続けて」

「最後はアウロさんが冒険者の方から大型兎のアントンを返して貰う所を後ろから見ました」

「アウロと冒険者はどんな話をしていた?」

「えっと⋯⋯冒険の時にどうやって怪我しちゃったかとか⋯⋯です」

「なるほど」


 ハルさんはニヤリと含みのある笑いを見せるとひと口お茶をすすりました。私もマネして口をつけてみましたが、熱くて飲めません。


「今日、エレナが体験したのは普段私達が動物(モンスター)達にしている事よ。フィリシアが調毛(トリミング)をして、ラーサが治療。モモはごはんを食べさせて。アウロは調教(テイム)済の仔のレンタル業務。これがうちの基本業務、身を持って体験したわね」

「は⋯⋯い」


 私を動物(モンスター)に置き換えて考えればいいのか。でも、どれを取っても私に出来る事なんて⋯⋯。

 パン!

 考え込む私の目の前でハルさんは突然手を打ちました。私はびっくりして顔を上げます。


「まずは元気になる事だけを考えなさい。元気にならないと何も出来ないからね。ラーサの言った通り、良く食べて良く寝る。しばらくはラーサに診て貰いなさい。いい?」

「はい。分かりました」

「それと⋯⋯」


 今まで歯切れの良かったハルさんが口籠ります。穏やかだった表情が少しばかり厳しさを見せていきます。憂いを帯びた青い瞳が、私を真っ直ぐに見つめました。


「言いにくいんだけど、エレナのお父さんをあまり⋯⋯いえ、かなり信用出来ない。ゴメンね」

「あ、いえ。別に何とも⋯⋯」


 そう、本当に何ともなのです。

 ハルさんが何に謝っているのか、分からないくらいでした。むしろハルさんの表情を暗くさせてしまっている事が心苦しく感じます。


「キルロから話を聞いた限りでは、父親としての役目は全く果たしていない。そんな男を信用しろと言われても困っちゃう」

「はい」

「なので、給料の管理はエレナが成人するまでこちらで管理していいかしら? エレナがここで給料を貰っている事を知ったら、十中八九横取りすると思うの。取られても痛くない程度、毎日最低限のごはん代は渡すわ、他に必要な物が出たらその都度渡す。ごはん食べて余った分なら取られたとしても、そこまで痛くないでしょう」

「はい。よろしくお願いします⋯⋯というか、お金まで貰えるのですか?」

「当たり前じゃない! その分働いて貰うんだから、覚悟しなさい」

「は、はい。頑張ります!」


 私がソファーの上で背筋を伸ばすと、その姿にハルさんは相好を崩しました。


「ゆっくりやれる事をひとつひとつ増やしていきましょう。焦る事はないわ、時間はあるのだから。まずはその痩せこけた体を人並みに戻しましょう。その為に考えなさい。自分がどうしたら、健康になるか。ラーサやモモの言葉を良く噛み締めてね。それと食べる、寝る、それに清潔にする事も覚えなさい。湯浴み場は好きな時に使っていいし、店での服はしばらく用意してあげる。今日着ていた服もこっちで洗っておいたから。いい天気だし、きっともう乾いているはずよ」

「ありがとうございます」

「これからエレナがする事は全て今後の役に立つ事。遠慮してはダメ。今後の仕事に繋がる大事な事なんだからね」

「はい」


 仕事に繋がる⋯⋯。私が元気になる事が仕事に繋がる。ハルさんが真剣に言って下さるという事は、本当に繋がる事なのですね。いや、良く考えて自分で繋げろという事だ、頑張ろう。

 

 ハルさんは最後に“今日のごはん代”と言って30ミルドもくれました。今日の夜と明日の朝ごはんで使いなさいと。私はあまりの多さにびっくりして躊躇してしまいましたが、ハルさんは首を横に振り“もう始まっているのよ”と私に30ミルドを力強く握らせました。

 何度も頭を下げ、裏口から出ると街はすっかり暗くなり、人々が家路を急いでいます。私もその流れに身を委ね、家に向かいますが、周りの人ほど足取りは軽くありません。家に着けば元の世界が待っている、そんな気持ちに心は沈みます。


 ふと空を見上げました。下しか見ていなかった自分が見上げた事にびっくりしましたが、黄白色に輝く大きな三日月が見えます。満天の星空が綺麗に瞬いています。世界はこんなにも美しい事に何で今まで気が付かなかったのだろう⋯⋯。

 30ミルドを握り締め、いつもの屋台の前に立ちます。掻き入れ時も終わり、おばさんがぼちぼちと片付けを始めようかと、そんな雰囲気を醸し出していました。

 しっかり食べる。

 私は自分に言い聞かせ、勇気を振り絞ります。


「あ、あの⋯⋯パンいいですか?」

「お使いかい? 大丈夫だよ。どれにする?」


 おばさんは柔らかな笑みを見せてくれました。私はケースの中にある色とりどりのパンに目移りしながら、ハムと野菜が挟まっているパンと、フルーツとクリームたっぷりの小さなパンを指差します。


「ふたつで12ミルド⋯⋯はい、ありがとう⋯⋯あれ!?」


 私がパンを受け取るとおばさんがまじまじと見つめます。

 お金も払ったし、何か変だったかな? 

 おばさんの様に私は少し不安になっていると、おばさんはびっくりしたかのように突然屋台から乗り出し、私の前に顔を突き出しました。


「あんた、パンの耳の子だろう?! 小綺麗になったから一瞬分かんなかったけど、普通に買えるようになったのかい?」

「あ、は、はい。いつもありがとうございました。働く所が見つかって⋯⋯ちゃんと食べなさいって言われて⋯⋯」


 おばさんは両手を腰に当て、満面の笑みを浮かべます。


「そうかい、そうかい。良かったじゃないか。いつもパンの耳ばっかりで、心配していたんだよ。それじゃあ、これはお祝いのおまけね。ま、余り物だけどね」


 おばさんはウインクをしながら橙色のオレンの実をひとつ手渡してくれました。


「あ、ありがとうございます」

「また来てね」


 私はおばさんの笑顔に何度も振り返って、お辞儀しました。

 そうだったんだ。私の事を心配してくれていたのですね。

 あの怖いと思っていたおばさんの目は私の事を憂いて心配してくれていたんだ。

 勝手に世界を拒絶していたのは私の方だったのかも知れません。

 噴水広場のベンチに腰掛け、袋からパンを取り出します。シャキッと新鮮な野菜と厚めに切られているハムにおばさんの店のソースが挟まり口の中で混ざり合います。


「フフフ」


 自然と笑みが零れ、星空を見上げました。口の中の幸せを感じながら今日一日の出来事を思い返して行きます。

 たった一日で全てがひっくり返りました。

 私がした事なんてキノに声を掛けただけ⋯⋯。

 不思議な一日。まるで魔法にかかったみたく、まだ現実感が薄くて夢の中にいるみたい。

 最後のおばさんの笑顔を思い出し、また嬉しくなります。

 私が思っている以上に世界は優しいのですね。


「⋯⋯美味しい」


 私は口いっぱいにパンを頬張り、また満天の星空を見上げていました。


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