吐露
痛みや苦しい時間はとても長く感じる。楽しかった時間を知っていればなおの事だ。
フィリシアが抱く小さな体は、必死にもがいていた。痛みや苦しみから解放してくれる存在に全力でしがみつく。彼が今、唯一出来る事。
「どうもこうも見ての通り、分かるでしょうモーラ?」
「ハル、これを分かれという方が無理あるぞ。まぁ、お前に言っても始まらんか。順を追って行こう。まず、ギルドにマイク返却の御触れは出ていない。万が一あれば私の所に一報が来るからな。なぜそんな嘘をついたのか⋯⋯何となしには想像つくが。ギルドとしては今のマイクの状況を見て、帰す事はまずありえん。治療が優先だ。以上」
「飼い主のカラウズさんの使用人が、マイクを傷つけた張本人。以上」
ハルのあまりにも短い説明にモーラは厳しい目で一瞥したが、この状況を理解するには充分だった。モーラは眦を掻き、額に手を置いた。
悩む姿がすっかり板についている。
「それで、彼はなぜこんな事をした? カラウズさんに恨みでもあったのか?」
「さあ? それを調べるのが、あなたの仕事でしょう」
「フン、面倒事だけ押し付けおって。では、使用人、あなたはなぜこんな愚かな行いをした?」
「こやつらのでっち上げだ。私は知らん。何も知らん」
モーラは眉間に皺を寄せ、こめかみをトントンと叩き自身の苛立ちを静めていく。苛立った所で事が進展しないのは経験上確かな事だった。
「それでは、あなた。マイクを撫でてあげて下さいよ。痛みで苦しんで可哀そうでしょう。いつも身近にいたあなたならマイクも心強いはずだ。さぁ、さぁ、どうぞ」
モーラはラウダの手を引き、フィリシアの腕の中で丸まる犬豚の元へと誘った。一瞬躊躇を見せたラウダだったが、フィリシアの腕の中へと手を伸ばす。
迫るラウダの手に震えは増し、顔をさらに奥へとうずめて行く、それはその手の対する完全な拒絶。
その手は苦しい記憶を呼び起こす。フィリシアはさらに強く抱き締め、マイキーはフィリシアの腕に深く潜り込んで行く。それはマイキーが見せる最大限の抵抗。
「ああ、もういいですよ。この仔が可哀そうですからね。使用人さん、動物達ってのは、あなたが思っている以上に賢いのですよ。あなたがいくら取り繕うとも答えはこの仔達が教えてくれるのです。私も職業柄、散々見ているのですよ。必死に取り繕い、白を切り、逃げようとする。その度にこの仔達が教えてくれるのです」
モーラの諄々とした語り口が、ラウダを追い詰めて行く。逃げ場を潰され、失う、その絶望に必死に抗い、逆転の突破口を求めた。
ハルはその姿に追い討ちを掛ける。怒りに塗りつぶされそうな自身を無理矢理に落ち着かせ、言葉を紡いだ。
「フィリシアの記憶の中にある【カミオトリマー】に現れた女と、こいつは同一人物で間違いない、ご丁寧に付け髭なんてつけてうまくごまかせたつもりかしらね。あとはモーラの言った通り、この仔が教えてくれた。同じ目に合わせないと気が済まないわ」
冷静な語り口の中に強烈な熱を帯びている。モーラはそれをひと睨みして、ラウダに向いた。
「さて、なぜ⋯⋯」
「ラウダ! なぜ⋯⋯なぜ⋯⋯だ⋯⋯」
モーラの言葉に被せるようにカラウズは絶句した。
困惑、苛立ち、悲しみ。この状況がカラウズを苦しめた。最も信用していた人間の裏切り、感情は複雑に絡まり心を締め付けている。苦悶の表情を向けるカラウズをラウダは直視する事が出来なかった。
「旦那様、いえ、坊ちゃん⋯⋯。昔は良かった。先代の品のある振る舞い。私はここにお仕え出来る事が本当に誇りでした。スラっとしたセントニッシュ犬がいつも二頭いて、長い毛をたなびかせ庭を駆けていた。穏やかで慎ましやかな贅沢。どれをとっても幸せな記憶です。それが今では⋯⋯」
ラウダはここで言葉を詰まらせた。一同は顔を見合わせ、次の言葉を待つ。
初めて見せる使用人の吐露にカラウズは真剣な目を向け、静かに耳を傾けた。
「歴史ある家は半端者で溢れ、昔の面影は消えてしまった。私は苦々しい思いを胸に押し込め、生きるしか無かった。しかし、それでも由緒あるカラウズ家に仕える者、その尊厳が私を支えていましたが⋯⋯。我が物顔で歩く半端者に、下品な犬まで屋敷を闊歩している。我慢の限界はとうに越えていたのですよ。それに気が付いただけの話。坊ちゃま、昔のように品行方正な由緒あるカラウズ家を取り戻しましょう。あなたならそれが出来るはずです!」
反吐が出そう。
身勝手な思想。
身勝手な不満を弱者に向けるなんて。
ハルの心は不快を募らせるだけ。
妄言ともとれる身勝手な戯言を繰り返すラウダの言葉に、ハルは盛大に顔をしかめて見せた。
「カラウズさん、この男をどうされますか? 私達が出来るのはここまでです。あなたが訴えるのであれば、すぐに衛兵が動きます。他人の大切な者を壊した罪は小さくはないですからな」
モーラは自身に与えられた仕事を淡々とこなす。カラウズは嘆息したものの、なぜかすっきりとした面持ちを見せた。モーラの問い掛けにも迷う事なく即答をして見せる。
「訴える事はしません。我が家に長年仕えてくれたという恩義がありますから。とても残念な結果になってしまいましたが、もう一度落としどころがあるのか話し合ってみます。皆様、ウチの者がご迷惑をお掛けして誠に申し訳ありませんでした」
ゆっくりと深く頭を下げるカラウズの誠実な姿に、一同は溜飲を下げるしかなかった。
マイキーと共に苦しいのはカラウズで間違いなく、そんな彼の謝辞を受け入れないわけにはいかない。少しばかりのもどかしさと、煮え切らない思いはこの手の事象では仕方のない事と無理やりに納得するしか無かった。
「分かりました、カラウズさん。では、ギルドとしてもうひとつ。これは強制ではありません、提案です。残念な事にあなたの屋敷はマイクにとって苦しい思い出の場所⋯⋯そこに帰すというのはこの仔にとって幸せかどうか。そこでひとつ提案です。この仔を手放し、【ハルヲンテイム】に任せてはいかがでしょうか? こちらの店長、品はいいとは言いませんが、腕は確かです。ご一考されてみてはいかがですか? ここなら奥様が会いに来るのも容易でしょう」
「ちょ、ちょっと何勝手な事言っているのよ」
モーラはハルの言葉を手の平ひとつで制止して見せた。ハルも睨んでは見たものの、モーラの言葉が一番の解決策なのは分かり切っていた。
苦しい思いをした場所に帰しても、委縮してしまって幸せに生を全うしたという話は聞いた事はない。ハルの大きな溜め息が、モーラの言葉への肯定となった。
「すいません。【ハルヲンテイム】の皆様、重ね重ねご迷惑をおかけしますが、何卒宜しくお願い致します。この仔がこの先、元気に暮らせるのであれば、迷う事はありません」
パン!
ハルは両頬を自ら叩き、気合を入れ直した。譲り受ける責任を受け入れる。
「分かりました。この仔は責任を持って幸せに育てます。奥様にも心配なさらず、たまには顔を見せに来てくださいとお伝えください」
「ありがとうございます。何か必要な物があれば何なりとお申し付けください。モーラさんも何かあれば、ご連絡をよろしくお願いします」
「手続きの際、署名が必要な書類もありますので、折を見てお屋敷にお伺いさせていただきます」
「よろしくお願いします。さぁ、ラウダ行こう。それでは失礼します」
カラウズは深々と頭を下げ、茫然自失のラウダの手を引いていった。
フィリシアはそっと診察台の上にマイキーを下ろす。周囲を少し気にして見せたが、すぐに伸びて見せた。
「いらっしゃい、マイキー。よろしく」
ハルはマイキーの頭を優しく撫でていった。




