その理由(わけ)
「おかえり、マイキー」
療法室の扉を開くフィリシアの声に、マイキーはハルさんの腕から飛び出して、一目散にフィリシアへと飛びつきました。
「分かった、分かったって」
尻尾をブンブンと振って、フィリシアの顔を舐めまくる姿に、私もハルさんも自然と顔が綻んでしまいます。本当にフィリシアの事が好きなのね。
「アウロにお願いに行ったのでしょう? 何だって?」
「アハ、情報早いね。とりあえず試してみるって、義足の前例がないから人のやつを参考にしてやってみるってさ」
「ほ、本当に作るのですか?」
ハルさんもフィリシアも当然と言わんばかりの笑みを浮かべていますが⋯⋯。
「何を今更言っているのよ、エレナが言い出した事じゃない。まぁ、アウロさんまかせだけどね。上手くいったらビオが歩けるようになるかもよ。そうなれば他の仔達にも光明が見えてくるじゃない、わくわくするでしょう」
「そうですけど」
小屋で丸まる事しか出来ない仔達が減るのは、とてもいい事だけど⋯⋯出来るのかな? なんだか何もしていないのにドキドキと勝手に緊張してしまいます。
「エレナの発案でしょう? もっと大きく構えていなさいよ。きっと上手くいくから大丈夫」
「そうそう。ドーンと構えていれば、アウロさんが何とかするから」
「フィリシア、それはあまりに無責任な⋯⋯と、とりあえず、何か出来る事ないかアウロさんに聞いて来ます」
私はひとり療法室をあとにして、アウロさんの元へと向かいました。
◇◇◇◇
怯えるマイキーから手を放し、フィリシアは逡巡する。アウロの言葉、自身の記憶。
痩せているなら指先に感じるのは薄い肉からの骨。
「何をさっきから悩んでいるの? 何か気になるなら言いなさい」
俯くフィリシアにハルは声を掛ける。フィリシアはまとまらない思考を言葉にしていった。
「痩せているのに痩せていない⋯⋯指先に感じるはずの骨までの距離? が、遠い? いや、肉が薄くない⋯⋯」
「肉が薄くない?」
フィリシアの言葉にハル達も首を傾げ、その言葉の意味を必死に探し求めた。
あるはずのものがないのではなく、ないはずのものがある⋯⋯。
「⋯⋯浮腫」
ラーサのこぼした言葉に全員が反応する。ラーサはその姿に珍しく慌てて見せた。
「ちょ、ちょっと待って。可能性のひとつってだけ。この段階での決めつけは危険だよ」
「浮腫が出る原因は?」
ハルヲの言葉にラーサは一考していく。
「うーん、内臓のダメージ。腎臓とかかな。でも、何かピンと来ないんだよね」
「どの辺が?」
「病気で苦しそうには見えない」
「⋯⋯なるほど」
ハルヲも顎に手を置き、自身の考えを巻き戻した。
となりでモモが頬に手を当てながら、マイキーを覗く。柔らかい雰囲気を醸し出しながらも、真剣な眼差しを向けていた。
「浮腫に近いものだと、単純に腫れている? とかかしらね⋯⋯」
モモの言葉にフィリシアは目を剥いた。その言葉が自分の指先の感覚に一番近いと感じる。フィリシアは再びマイキーの胴に触れていく。今度は優しく短いマイキーの胴を撫でていった。指先に感じるわずかな皮膚の隆起。そうだと思って撫でなければ分からなかったほどの微細な違和感。マイキーの胴は微細な隆起で波を打っている。フィリシアの心の濁りが薄くなっていくのを感じた。原因はこれだと自身の勘が告げる。
フィリシアは腰にぶら下がるバッグから、調毛用の小さなハサミをおもむろに取り出すと、チャキチャキっと大胆な指使いで毛を刈っていった。
「ちょ、ちょっとあんた何をしているの!? そんなめちゃくちゃな切り方したらダメでしょう!?」
慌てて止めに入るハルをフィリシアは一瞥する事なく、毛を刈り続けた。
「そこのハーフのお姉さんの言う通り、この仔の体は腫れているよ。間違いない」
止めに入ろうとしたハルの手が止まる。
診察台へ散らばる毛の量に比例して、マイキーの地肌が現れていくと、誰もが眉間に皺を寄せ厳しい表情を見せていった。
ピンク色の地肌を覆い隠すように、紫に腫れあがった肌が胴体に広がっている。
ハルもアウロもラーサもモモも、その姿にあからさまに険しい顔を見せて行く。
「ねえ? これってどういう事?」
ハサミの動きを止めたフィリシアが顔を上げた。
濁りは消えた。
だが、心が黒く塗られていく。
考えたくない最悪の答えが頭にこびりついて離れてくれなかった。
ハルの表情は露骨な不快感を示し、マイキーの腫れた地肌を覗く。ハルを含む【ハルヲンテイム】一同の頭に最悪の答えが覆い尽くす。あとは誰が口火を切るかだけだった。
「アウロ、急いでギルドに走って監察員呼んで来て⋯⋯この仔の番号は?」
ラーサがマイキーの耳をすぐに覗く。
「FO―5698」
「え? 何で? 誰の仔か分かっているよ。東区画のグラウダさんだよ」
「フィリシア、その証拠は? 確認している?」
「いや⋯⋯してないけど⋯⋯」
「調毛のお客さんにいちいち身分照会はしないでしょう。必要はないしね。ただ、虐待の可能性が出てきた以上全てを疑わないと」
ハルから出た虐待という言葉に一同の空気が引き締まった。栄養不足、骨折、体中に出来ている痣、そして怯え。どれもがその最悪の答えを簡単に想起させる。
緊張漂う空気の中、フィリシアは疑問を投げかけた。自身の焦りをそのまま言葉にしていく。
「ねえ、ギルドに行くってどうするの? 何とかなるの? マイキーは助かるの?」
「落ち着きなさい。大丈夫。この仔を助ける為に動くわよ。フィリシア、あなたも手伝いなさい」
ハルの力強い言葉にフィリシアは黙って、大きく頷いた。
心の濁りは黒く染まり、不快と嫌悪が混じり合う最悪の気分を誰もが感じていく。
診察台で小さく怯える姿に、怒りがひとつ、またひとつ、ボコっと湧き上がっていくのをハルの心は感じていた。




