やっぱり笑顔でいましょうってことですよ
「この仔はどうなっている? 全然大人しくないじゃないか! 歯を剥き出してずっと威嚇して⋯⋯話が随分と違うぞ! 妻も娘も楽しみにしていたのに、どういう事だ、これは!」
広い受付にはハルがひとり。閑散としている店内に響く男性の怒号。紳士然としたそのみなりから富裕層にいる人物だと伺い知れた。
「申し訳ありません⋯⋯」
平謝りするハルの前に置かれたキャリーの中で、威嚇し続ける虎毛の猫。ミドラノースキャット。
美しい虎模様が富裕層に人気の高級種。本物の虎のような攻撃性は持ち合わせてはおらず、細身のしなやかな肢体がゆっくりと動く様は、とても優雅で見ているだけで癒される。
店にいた時はそんな素振りは一切無かった。
ハルも頭を抱え、威嚇を続けるミドラノースキャットを見つめる。
傷などは見られない。そもそも本気で楽しみにしていた家族が虐待するというのは考え辛い。大人しいミドラノースキャットが、ここまで怒るのは何? 単純に調教をしちゃう? 登録料も掛かるし、何よりペットだ。冒険に連れて行くわけでもないのにそれは大げさ過ぎる。それに大人しいはずのこの仔が何故こんなになっているの⋯⋯。
ハルの表情から困惑が消えない。困惑するハルには、睨みを利かす男性すら目に映ってはいなかった。
「おおおおお! ヴィトリアントイガー! こんな所でお目にかかれるなんて! あなたの家の仔ですか! 凄いですね! なかなかお目に掛かれない仔ですよねー」
緊迫した空気を意に介さないハイテンションで割って入ってきた青年に、ハルも男性も言葉を失った。いたって特徴のない青年。少し垂れた目から優し気な印象は受けるが、いきなりの事にハルも男性も、ケージを興味津々に覗き込む姿を見つめるだけだった。
だ、誰? ハルは呆気に取られながらも青年の言葉を巻き戻す。
ヴィトリアントイガー?
「ちょ、ちょっと待って。この仔ミドラノースキャットじゃないの?」
「あっ!」
青年は素に戻るといきなり割って入ってしまった事に対して急に気恥ずかしくなったのか、みるみる小さくなっていく。
「す、すいませんでした。お取込み中のところ⋯⋯」
「いや、それはいいから教えて。この仔はそのヴィトリアン⋯⋯何?」
「ヴィトリアントイガー。ミドラノースキャットと模様はそっくりですが⋯⋯尻尾の先が⋯⋯この仔を見て下さい、黒いですよね。耳の先も黒です。ミドラノースキャットは逆でキツネ色なのです。ミドラノースキャットに先が黒い仔はいません」
ハルはまじまじとキャリーを覗き込み、青年の言葉を確認した。顔はキャリーに向けたまま視線だけを青年に向けます。
「ねえ、ヴィトリアントイガーってミドラノースキャットと性格は違うの?」
「基本的には似ているはずです。ヴィトリアントイガーはミドラノースキャットの派生亜種と言われていますから⋯⋯」
「じゃあ、どうしてこの仔はこんなに落ち着きがないの?」
「そ、そうですね⋯⋯旦那様、この仔の飼育環境はどのようにされていました?」
「何も⋯⋯普通にご飯をあげて、掃除を⋯⋯いや、最初は出来ていたが、今はこんな状態なので出来ていないな。手出し出来ないのだ」
「なるほど⋯⋯手出し出来ない⋯⋯。と言う事は一日中ケージの中ですか?」
「こんなに獰猛だと思わなかったからな」
青年は男性の吐き捨てた言葉に何度も頷き、何か理解したようだった。
「分かりましたよ。店長さん、この仔をのびのびと放せるスペースはありませんか?」
「整備は出来てないけど、中庭なら使っていないし大丈夫よ」
「では、早速」
威嚇を続けるヴィトリアントイガーを中庭に開け放った。一瞬躊躇を見せるがキャリーから飛び出すと中庭を自由に駆けまわる。ハルはその姿に呆気に取られ、男性もあまりの勢いに少し驚いて見せた。
「こんな行動的なの?」
「キャリーを置いて、待合に戻りましょう。大丈夫です、きっと逃げませんから」
「そ、そう」
待合の椅子に腰を掛け、何が起こっているのかイマイチ分からないハルと男性は不安を隠せずにいた。青年の言うがままにしているが、本当に大丈夫かしら? 疑念は晴れないまま、安穏と時間だけが過ぎて行く。
「ねえ、大丈夫? あれに何か意味あるの?」
「あるはずです。僕もヴィトリアントイガーは初めてなので文献を読んだだけですが、閉じ込められたストレスであんな状態になったのだと思います。そのストレスを解消してあげれば、基本、猫の中では、かなりおっとりしているので落ち着くはずです」
「ミドラノースキャットはこんな事をしなくとも、ストレスを溜めないでしょう?」
「いえ、ミドラノースキャットも同じです。ただ、ヴィトリアントイガーほど行動的ではないので、家の中で放し飼いの方がほとんどではないですか? 家の中を自由に動いているので、ストレスが溜まらないのだと思います」
「ヴィトリアントイガーも? 放し飼いがいいの?」
「理想はそうです。ただ、ミドラノースキャットよりも行動的なところがあるので、時間を決めて中庭などで思う存分暴れさせてあげる事が必要だと思います。それさえしておけば家の中では大人しくしていると思いますよ」
男性は青年に怪訝な表情を向ける。
「そんな事でいいのか? 屋敷の中庭で遊ばせれば大人しくなるのか?」
「断言は出来ませんが、多分威嚇する事は無くなると思います」
ハルと男性は顔を見合わせ、揃って青年に怪訝な目を向けた。突然現れた青年があれよあれよと話を進め。それだけの事で本当に解決するのか正直なところ半信半疑なのも事実。
中庭に戻るとキャリーの中で、ヴィトリアントイガーが伸びて寝ていた。男性が近づいても、一瞥するだけでキャリーから飛び出る事も、威嚇する事も無かった。
「頭を優しく撫でてあげて下さい」
青年が男性に声を掛けると、男性は恐る恐るキャリーの中へ手を伸ばす。威嚇していた姿を思い出し委縮しながらも、そっと指先で頭に触れていった。
男性の指先が触れると、おねだりするように頭を少し突き出す。男性の指先が頭を撫で始めると気持ち良さそうにゴロゴロと喉を鳴らし、キャリーの中でウットリとした姿を見せた。
頭を無防備に預けるヴィトリアントイガーの姿に、緊張していた男性の顔も和らいでいく。
「希少な仔なので、大事にしてあげて下さい。いい仔じゃないですか」
「そ、そうか。よしよし⋯⋯気持ちいいのか⋯⋯」
男性の撫でる手は止まらなかった。
満足気な表情で男性はヴィトリアントイガーと一緒に店をあとにした。
大切に育ててくれそうだし、一件落着。
それで⋯⋯。
「あなたは誰? とりあえずお礼は言っておくわ。あなたのおかげで助かった、ありがとう」
「いえ、いえ、いえ、すいませんいきなり横から出しゃばって。僕はアウロ・バッグスと言います。開店したばかりのこちらで従業員を募集していないかと思って⋯⋯」
「募集は特にしていないけど⋯⋯」
「ですよね。ギルドにも求人ありませんでしたし⋯⋯」
「いつから来られる?」
「へ?」
思いがけない言葉にアウロは驚いた顔をして見せた。ハルは、さも当たり前のように言い放つ。
「明日からでもこちらはお願いしたいんだけど」
「は、はい。明日からお願いします。ありがとうございます」
「こちらこそ宜しく。ハルヲンスイーバ・カラログース、ハルって呼んで。宜しくね、アウロ」
「宜しくお願いします」
「ようこそ【ハルヲンテイム】へ、アウロ・バッグス」
満面の笑顔のハルにアウロは深々と頭を下げた。
◇◇◇◇
「あの男性とヴィトリアントイガーのおかげで僕はここにいるんだ」
処置室の片付けが終わるのと同じタイミングで、アウロさんのお話も終わりました。すっかり元に戻って良かったです。私は安堵の笑顔を送りました。
「違いますよ。男性と猫ちゃんのおかげではないですよ。アウロさんがここに必要だからいるのです。男性と猫ちゃんがいなかったとしても、きっとアウロさんはここにいます」
「ハハハ、そうかな? うん。エレナにそんな風に言って貰えると何だか素直に嬉しいね。ありがとう」
照れた笑顔を見せるアウロさんに、私も何だか少し気恥ずかしくて視線を逸らしてしまいました。
「さて。片づけも終わりましたし、受付に戻ります」
「宜しく。僕はもう少しこっちで仕事しているよ」
受付に戻ると三人が一斉に私の方を見てきます。私が笑顔で大きく頷いて見せると三人とも安堵の溜め息をついて見せました。




