ハルヲンスイーバ・カラログースの追想
「私ね、子供の頃は、親以外信用していなかったのよ。エレナにはちょっと難しいかな」
「は⋯⋯い⋯⋯?」
何の話が始まるのでしょう? 不思議に思いながらも、ハルさんの優しい声色がとても心地良かったりします。
「お父さんは冒険者のドワーフ、お母さんも冒険者で、魔術師のエルフ。仲が悪いはずのドワーフとエルフがくっついちゃった。何でも最初はお父さんが、お母さんの事を助けて、その後にお母さんがお父さんを助けたんだって。そんな偶然が重なって一緒になっちゃった」
「冒険中って事ですか?」
「そうそう。互いに危機を救いあったって。偶然としても凄いわよね」
ハルさんは照れ隠しなのか、少し大袈裟に両手を広げて見せました。
◇◇
しばらくして私が生まれた。私の尖った耳を見て、お父さんがエルフとして育てようと言ったんだって。だからお母さんの名、ヤラヲルラール・カラログースから私の名前は付けられた。
幼少時はとても穏やかだった。エルフの郷は、静かな森の一画に作られたエルフのコミュニティー。人里離れたその地はとても静かで、私達はさらにそこから少し離れた所にお父さんが家を作ってくれたの。
お父さんとお母さんから、森の事をいっぱい教えて貰った。植物や危険な怪物。それに動物達の事もね。
穏やかな生活に変化が訪れたのは、私が学校に行くくらいから。お母さんはベッドの上で過ごす時間が増えて、私は学校になじめなかった。
エルフの郷は純血のエルフばかりで、それこそドワーフとのハーフなんて存在自体が許されない感じだったの―――。
「お前、泥臭いな。あ、ドワーフの血が流れているからか」
「なっにぃー!」
「ハハ、ほら見てみろ、野蛮なドワーフの血が騒いでいるぞ」
いやぁまぁ、何回もぶん殴ってやろうと思って飛び掛かったけど、多勢に無勢。私の拳が相手に届く事は無かった。今、思い出してもムカムカするけど、結果的に殴らなかったのは良かったのかも知れないね。
「お母さーん、もう学校イヤだ。行きたくない」
「またなんか言われたのね。気にしなくていいのよって言っても、無理な話か。こっちへいらっしゃい。よしよし」
私がお母さんのベッドにうつ伏せると、いつもお母さんは優しく頭を撫でてくれた。私の気が済むまでずっと。
私の世界は家とその周りだけでいいと本気で思っていた。狭い世界で、柔らかくて、穏やかで、静かな毎日が送れれば良かった。でも、それだけでは生きていけない。世界は厳しくもある。だから、ふたりはあえて学校に行かせたのだと思う。厳しさを学びなさいと背中を押していたのだと。
今だから分かった事だけど、子供の私にそんな事は分かるはずは無いわ。結局、イヤイヤ通学する毎日だった。
そうそう。私が10才くらいの時かな、魔力を持っている事が分かったの。学校の授業の一環で、魔力を測る機会があってね。これでお母さんみたいな凄い魔術師になれるかも! って、思ったのも束の間。攻撃魔法も出せないし、回復魔法も出せない。
いやぁ、結構がっかりしたな。凄い魔法を使えれば、ぐちゃぐちゃ言っていたやつらを見返せると思ったからね。
「お母さん。なんで私は魔法が使えないの? ハーフだから?」
最初、お母さんは少し困った顔を見せるだけで、答える事は出来なかった。
ところがある日、お母さんがベッドの上から私を呼ぶと、一冊の魔術書を手渡してくれたの。
「ハル、この本を読んで、魔法の勉強してみなさい」
「ええ~だって、出なかったよ」
「いいから、いいから。物は試しよ」
「⋯⋯うん」
渋々と受け取った魔術書はちょっと変わった魔法が載っている本で、私のテンションは上がらなかったわ。なんか聞いた事の無い、地味な魔法ばかりでさ、子供心には全く響かなったの。今、考えれば私のためにお母さんは一生懸命考えてくれたんだよね。
テンションの下がったままの私はとうとう、学校をサボり始めるの。森の中をブラブラとあてもなく歩いていた。来る日も来る日も。
その日は気持ちのいい天気で、木々の間をすり抜ける風が気持ち良かった。張り出した木の根でひと休みしながら、行った事のない森の奥へと進んで行く。鳥や小動物が増えて来ると、人の気配は全く消えていた。イヤなものから解放されて、気分は最高。私はさらに奥へと進んで行ったの。
◇◇
ハルさんは少し照れながら話してくれました。ずっと表情は穏やかで、優しい思い出に浸っているからでしょうか。ハルさんの優しさはお母さん譲りなのかな。いじめっ子のエルフに殴りかかるハルさんの姿が、簡単に想像出来てなんだか可笑しかったですね。
私の暗鬱な狭い世界とは正反対の温かくて優しい世界。同じ狭い世界でも、随分と違います。でも、外でイヤな目にあっていたのは私と似ているかも。なんて、勝手に親近感を覚えていました。
「ハルさんは、甘えん坊さんだったのですね」
「やめて! 恥ずかしいから。だから、言いたくなかったのよね⋯⋯」
「ウフフフ⋯⋯」
うん? なら、どうして話してくれているのでしょう?
少しばかり不思議に思いながらも、ハルさんの優しい言葉にまた耳を傾けていきました。
◇◇
森をどんどん進むと、初めての場所に出た。それは、小さな池の畔。
陽光に照らされる水面はキラキラと輝いていて、澄んだ水は底まではっきりと見通せた。あんなに綺麗な水はあとにも先にも、見た事ないかも知れないわ。あ、でも、あいつを助けに行った【吹き溜まり】に流れていた小川にも、綺麗な水が流れていたっけ⋯⋯。
畔に腰を下ろして、キラキラと光る水面をジッと見つめる。そよ風の度に形を変える綺麗な水面に飽きる事は無かった。
しばらくすると、一匹、また一匹と小動物が水を飲みに現れたの。リスや兎の小さな仔達。美味しそうに水を飲む姿を眺めていると今度はハイル鹿や灰熊。それに、オルンモンキーに色とりどりの鳥達。
どうやらそこはみんなの水飲み場だったみたい。邪魔しちゃ悪いと思って、少し後ろに下がって眺めてたら、敵じゃないと認めてくれたのかオルンモンキー達がじゃれて来てね、なんだかウキウキしたわ。
ただ、不思議な事に彼らの外敵になるような、動物は現れない。理由はあとで分かったんだけどね。
安全な場所での出会いだったから、警戒心を持たれる事が無かったのはラッキーだった。彼らは私に嫌がらせをする事も無いし、私を無条件で受け入れてくれたの。嬉しかったなぁ。手を差し出せば、小鳥達が羽を休め、頭の上にはオルンモンキーが鎮座して、傍らには灰熊がのそりと頭を預けに来る。
毎日、毎日、そこに通った。学校に行っても友達はいないけど、池の畔にはたくさんの友達が待ってる。
ちゃんととは言えないけど、勉強も少しはしてたわよ。池の畔に教科書を持って行って、動物達と一緒に読んだりもしたからね。
そんなある日、畔の影からガサっと見慣れない白い子猫が現れた。というか、子猫に見えた仔。
私達の視線はいきなり現れた異物に警戒を示す。オルンモンキー達は草むらに飛び込み、小鳥達は空へといち早く舞い上がった。
影からゆっくりと顔を出すその姿に覇気は感じられず、私は俯いているその仔に駆け寄ったの。
「あなた大丈夫?」
フラフラして、倒れそうなその仔に私は手を伸ばした。
その仔がのちのクエイサー。池の畔で初めての、彼との出会いだった。




