悔しい思い
上にも下にも、どこに通じているのか、それともいないのか⋯⋯。洞口が散見するこの人口的に作られた空間で、だれもが重い溜め息を吐き出していた———。
蟻の巣には辿り着いた。ただ、払った代償の大きさに表情は晴れない。
「遅過ぎたね。僕達がもっと早く到着出来ていれば、救えた命はもっとあったろうに」
歯嚙みする勇者アルフェンのオッドアイは悔しさを隠そうとはしない。頭から単眼の巨人の血を浴びた姿のまま、傷ついて横たわる仲間を煮え切らない思いで見つめていた。
「それは、オレ達もだ」
キルロもまたアルフェンと並び、悔しさを剥き出しにする。煮え切らないふたりの思いに呼応したのか、アルフェンパーティーの前衛であるクラカンは、ゆっくりと目を開けていく。そして、その屈強な体を横たえたまま、隠されていた洞口での惨劇を冷静に話し始めた。
「始まりは、簡素な書棚の本に触れた時だ。ズズっと奥へと本が飲み込まれていった。カチっと何かが外れる音と共に完全な暗闇が訪れ、唸りと呻きが上がった。あとはもう地獄絵図だ。もしかしたら、同士討ちもあったかも知れん。獣人さえ抗えぬ暗闇の中、何かも分からぬまま獣に襲われ続け、辺りに血の匂いと断末魔の叫びだけが漂っていた。あれは地獄だ⋯⋯」
クラカンはそれだけ言うと、再び目を閉じてしまった。言葉を失い、一同は押し黙る事しか出来ない。その傷だらけで疲弊仕切った姿に、短い言葉ながら全てを理解出来た。
どこまでも狡猾で、残忍なアッシモの残滓。動物達を使った非道とも言える罠に、ハルは奥歯をギリリと噛み締めた。
許せない。許さない。こんな事をする為に罪の無い動物達を弄ぶなんて⋯⋯。
マッシュは逡巡する。ヤツらは怪物を操る術を確立している。次の一手は? 何を考えている⋯⋯。
うまく回らない頭に、自分自身に呆れてしまう。存外ショックだったのか⋯⋯。
「⋯⋯かはっつ!! ハァ⋯⋯ハァ⋯⋯ハァ⋯⋯」
「大丈夫じゃ、落ち着け」
顔面蒼白のオットがいきなり上半身を起こした。瞳には殺気が籠り、視線を忙しなく動かした。ウルスの言葉に殺気は急速にしぼんでいくと、少しばかりの安堵を見せる。オットの肩にウルスの手が掛かると、大きく息を吐き出し、また仰向けになった。
「そうか⋯⋯僕は助かったんだね。ウルス、君が助けてくれたのかい?」
「ここにおる者全員で、ヌシらを助けたんじゃ」
オットは辺りを見渡し、自分を助けてくれた人達を確認する。そして横たわる人間の少なさに、また大きく息を吐き出した。目を閉じ、現状を整理する。爆発しそうな怒りと悲しみを無理矢理に押さえ込み、またゆっくりと体を起こした。
「みんな、ありがとう。迷惑を掛けちゃったね。ウルス、現状を教えて」
「見ての通り⋯⋯ここまで戻れたのはクラカンとミース。それと⋯⋯ヌシとココだけじゃ⋯⋯。ここに戻る途中アーチもロッコも⋯⋯⋯⋯キシャも⋯⋯」
ウルスは悔しさと悲しみ言葉を詰まらせた。零れ落ちそうな涙を押し込み続ける。
「⋯⋯ココも助かりはしたが、心が壊れちまった。復帰は厳しいじゃろうな」
「命があっただけ良しとしよう。心はゆっくりと修復すればいいさ。焦る必要は無いよ」
地べたに座り込み、ココの視線は所在なく宙を見つめていた。その姿を見つめるオットの瞳は慈しみと怒りという相反する感情を映し出す。そして、快活だった姿を思い出し、心の中で何度も詫びの言葉を呟いた。
「すまんな。オレが書状を送ったばかりに【ブラウブラッタレギオ(青い蛾)】を巻きこんじまって」
「ヌシだって兄を失っておろうが。詫びる必要など無いわい」
「そうだよ、マッシュ。ウルスの言う通りだ。きみが謝る必要は無いよ。ただ、ウチの払った代償は確かに大き過ぎる。アッシモにはきっちりと返して貰わないとね」
オットの瞳に冷たい殺気が籠る。鋭さは増し、怒りの沸点はすでに越えているのがヒリヒリと伝わって来た。恐ろしいほどの殺気を放ちながら、オットは前方を冷ややかに睨む。
「熱は冷めていないようだね」
オットの様子を見つめるアルフェンも、真剣な眼差しを見せる。いつも柔和な表情は消え失せ、オッドアイから厳しさが消える事は無かった。
「ここでアッシモに逃げ切られても困る。急ぎ、レギオ会議を開こうと思う。オットのところも代役で構わない、ぜひ参加して欲しい」
「這ってでも行くよ。ここが勝負所だね」
オットの即答に、アルフェンは頷きの代わりに肩を軽くすくめて見せた。
(なぁ、レギオ会議って何だ?)
(知る分けないでしょ!)
こそこそと小声でやり取りしているキルロとハルの姿に気が付き、アルフェンは視線を向ける。
「【スミテマアルバレギオ】は参加した事がなかったね。年に一度、勇者直属のソシエタスの代表者が集まって情報交換、共有を目的とした会合を開くんだ。恒例行事なんで、いつもはつつがなく集まって、話して終わり。だけど、今回は緊急招集を掛けて、情報の共有と今後の動きついて話し合わないとね」
「なるほど。じゃ、ハルヲ頼んだぞ」
「あんたが行かないで、どうするのよ!? まったく!!」
「ぇえ~そうなの⋯⋯」
ハルの本気の怒りに、キルロは渋々と頷くしかなかった。
◇
マッシュはひとり、喧騒から距離を置いた。心の折り合いがうまくつかない様に、自分自身が呆れてしまう。
まいったね。
零れる溜め息のたび、心の澱は降り積もる。
幼少期の淡い記憶。燦々と降り注ぐ陽光の下、ふたりで笑い転げたあの日⋯⋯。遠い記憶は、朧気な影とノイズの混じる映像で蘇る。
何がそんなに面白かったんだっけか⋯⋯。
曖昧な記憶に、意識はぼんやりとまどろんでしまう。
!! 何だ?
洞口から漏れる気配に、耳をそばだてた。新手の罠? まさか残党が残っていた?
装備している長ナイフに手を掛け、気配を感じる洞口へと静かに近寄って行く。
何の音だ? 何かをすする音? 怪物?
洞口の奥をゆっくりと覗き込む、暗い洞窟に浮かび上がる長身の人影に、嘆息と共に長ナイフから手を外した。
「フェイン、こんな所で何してるんだ?」
「マ゛ッヅュざーん゛ー! ギ、ギジャざんがぁぁあああああー!! あんなに良ぐじでぐれだのに゛ぃいい⋯⋯優しぐしで⋯⋯何で⋯⋯何でですかぁ~」
「そらぁ、オレにも分からんよ。キシャの為に泣いてくれるか⋯⋯ありがとな」
マッシュの手がフェインの肩に掛かると、嗚咽はさらに激しくなる。涙はボロボロと零れ落ち、鼻水を拭う事もせずダラダラと垂れ流す。ぐしゃぐしゃの顔を隠そうともせずに感情を表す姿に清々しさえ覚え、マッシュの表情は緩んでいく。
「お前さんが泣いてくれたおかげで、なんかスッキリ出来たよ」
「ふぇ?!」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔を上げるフェインにマッシュは思わず吹き出してしまう。
フェインの肩をもう一度ポンポンと優しく叩き、口端を上げて見せた。
「涙を拭いて、戻ろうや」
「ぶぁいでず」
ゴシゴシとフェインは乱暴に涙を拭い、顔を上げた。
◇◇◇◇
高いですね。
あらためてお店の前に立ってみると、その高さに圧倒されます。元病院である質実剛健な【ハルヲンテイム】と違い、きらびやかな高級ホテルみたいです。
【オルファステイム】も今日の営業は終了。最後のお客様を丁寧に送り出し、クローズの看板が掲げられました。
「行こうか」
アウロさんの合図にモモさんとラーサさんと私、そしてアルシュさん。豪奢な扉を押し開き、お店の中へと吸い込まれて行きました。




