紅狐と報奨金
「紅狐? 珍しいわね。これはひどい⋯⋯可哀想に⋯⋯ラーサ、どんな感じ?」
ハルさんは、処置室に飛び込むなり紅狐の頭を優しく撫でます。大人しく撫でられている紅狐に、ここまで人慣れしているのは珍しいとアウロさんはびっくりしていました。イヤがる素振りが無いのです。それだけ弱っているだけかもしれませんが。
「検査はまだ途中だけど、まぁ、予想範囲内じゃないか。細菌から化膿、そこからの皮膚の壊死。体の中まではまだ入り込んでいないみたいだけど、喉の辺りには細菌がいそうだよね。この辺りの化膿が一番酷い。取り敢えず、栄養剤と抗生剤の準備はしたよ」
「うん。お願い」
ラーサさんの言葉にハルさんはすぐに頷き、また喉元を覗きます。
「飼い主さん、この仔の名前は?」
「飼っているわけでは無いので、名前はつけていないのです」
「うん? どう言う事? あなたのお名前は?」
「ルアです」
「ルアさん、飼っていないってどう言う事?」
「はい。この仔が家の庭に顔出すようになって、あまりに可愛いかったので何年も掛けて餌付けしたんです。おかげで昼間は森で過ごして、夜になるとご飯を貰いに現れるようになりました」
「夜行性だもんね。それでこの傷はどうしたか分かります?」
狐なのに狸に近い、くりくりとした瞳にずんぐりとした顔立ちは愛嬌たっぷりです。餌付けしたくなる気持ちは分かりますよ。
ルアさんは、ハルさんの言葉に何かを思い出したのか自身を抱き締め、身震いして見せました。
「三日ほど前ですが、いつものように庭にこの仔が現れると草葉の影から数頭のチワニッシュがこの仔に襲い掛かって来たのです」
『『『え??』』』
ルアさんの言葉にみんなの動きが止まります。
「今、チワニッシュって言いました?」
怪訝な声色でアウロさんが聞き返します。その姿から有り得ない事だと分かりました。
確かに、臆病で有名なチワニッシュが、襲って来たと言うだけでピンと来ません。いくら数頭の群れだとしても、自分より体の大きな物に立ち向かう姿は安易に想像出来ませんでした。
「見間違えとかじゃなくて? しかも群れで?」
ハルさんも怪訝な声を上げます。
「⋯⋯そ、そう言われると自信は無いのですが⋯⋯でも、あれはチワニッシュ⋯⋯に見えました。も、もちろん似た何かの可能性もありますが⋯⋯」
ルアさんの言葉に嘘は無いと思います。嘘をつく理由がありませんから。処置室に流れる混迷の空気。治療の手は止まってしまい、誰もが首を傾げて困惑していました。
「あ、あのう、取り敢えず治療を続けませんか? 原因はひとまず置いておきまして。何か小動物に襲われたと言う事で、その辺りは後ほどまたお話し頂いてはいかがでしょう?」
「そうね。エレナに言う通り、まずは治療に専念しましょう。モモ、どう?」
今度はモモさんが覗き込みます。手袋をはめた手で、垂れ下がる皮膚を丹念にチェックして、肉が剝き出しとなってしまっている喉元は触れないように細心の注意を払い、診ていきました。
「見立ては同じ。この皮膚は切り取るしか無いわ。ここにも⋯⋯膿が見える。塞ぐにしてもまずはこの膿を治さないと。ラーサどう?」
「膿自体はそんなに酷くは無いんで、これくらいなら抗生剤ですぐ治る。でも、こんだけの皮膚を取り除いて、皮膚は再生するかな? 厳しくないか」
ラーサさんの言葉にモモさんの手は止まります。
「確かに。これだけ広範囲だと、引っ張って繋ぎ合わすのは至難の技ね」
「てかさ、無理じゃない? これ? ちょっとごめんね⋯⋯」
フィリシアも喉元を覗き込み、難しい顔を見せました。顔を上げると、優しく背中やお尻の皮膚をつまみます。
「傷が治ったら、背中を中心に皮膚を切り取って移植するしか無いんじゃない」
「それしか無いかぁ~」
ハルさんも溜め息混じりに同意します。モモさんも背中やお尻を確認していきました。頭の中できっと試行錯誤しているのでしょう。
「何回かに分けての術になるわね。結構、シビアな術式になりそう」
「モモ、お願いね。私も手伝うから」
合間を縫ってアウロさんが丁寧に触診していきます。
「ルアさん、この仔は襲われてからご飯は食べましたか? 胃袋を触った感じ空っぽな感じなのです。僕の予想が外れているといいのですが、食道に何か問題を抱えてたりってしませんかね」
アウロさんは剝き出しの首元を真剣な眼差しで見つめ、不安を口にされました。呼吸の度に剝き出しとなった首元から空気が吐き出され、また吸い込まれているのが分かります。その様子から空気が口元を通っていない事が伺えました。
「口から覗きましょう。ちょっとごめんね。【入眠】」
ハルさんのかざした手から、薄緑色の玉が落ちると紅狐は静かな眠りにつきました。
「ぅわっ、こっちはダメだったよ。食道が腫れて塞がっているし、腫れが気道を圧迫している。皮膚が裂けたおかげで呼吸が楽になってたんだ。不幸中の幸いだな」
ラーサさんが口から細長いヘラを押し込み、喉を覗きます。難しい顔を見せるラーサさんに、ハルさんも同じように覗き、同じように渋い表情を見せました。
「ラーサ、これって抗生剤でいける系?」
「菌が悪さをしていれば。でも、どうかな? 他の要因だった場合は、抗生剤じゃあ、もちろんダメだね。今の段階では何とも言えないけど、口から栄養は取れない。点滴の量を増やそう」
ハルさんが黙って頷き、ラーサさんは追加の点滴を準備していきます。
「あ、あのう⋯⋯すいません⋯⋯。こんなに大事になると思っていなくて⋯⋯その⋯⋯言いにくいのですが、お金って凄く掛かるのでしょうか?」
ルアさんは胸の前で手を組み、不安を見せます。エプロンのつぎはぎや、大事に着ていると思われる少しヨレているブラウスから、お金持ちという感じはしませんでした。
ハルさんはすぐにルアさんの不安が分かったのでしょう、優しく微笑み掛けます。
「大丈夫。心配しないで。あなたからお金を頂く事は無いですから。あなたはここに傷ついた野生の紅狐を連れて来た。それだけ。でしょう? しっかりと私達が面倒見るので、心配しないで下さい。長期の治療になるので、心配でしたらいつでも様子を聞きに来て下さいね。しばらくすれば、きっと会う事も出来るようになりますよ」
「宜しくお願いします」
ほっと安堵の表情を浮かべ、頭を下げるとルアさんは帰路に着きました。
「良かった。お金は取らないのですね」
ほっとしました。ルアさんの不安がこっちにも伝わってましたからね。
「え? エレナ何を言ってるの? こんな大変な治療、お金取るに決まっているじゃない」
「え? だって、ハルさん今? 今? ええーっ!?」
「フフフ、エレナに前言ったじゃない。取れる所から取るって」
久々のハルさんの悪い笑顔です。取れる所から⋯⋯って事は、ルアさんから取るわけでは無いのです⋯⋯よね? 良かったのですが、それだと一体どこから取るのでしょうか??
「フィリシア、悪いけどギルドに言って、目撃情報を伝えて報奨金を貰って来て。ルアさんの話をそのまますればいいから。それと討伐冒険の発注があるはずだから、私の名前で受注をお願い。こっちの目処がついたら、ちょっと出て来る」
「ハルさん、受けるの? 久々だね。ギルド行くならモーラさんにも話しておく?」
「あ! そうね。フィリシア、お願いするわ。野生のチワニッシュ、またはそれに似た危険な小動物の出現に対する注意喚起ってところかな」
「了解、了解」
フィリシアは親指を立てて見せると、処置室を飛び出して行きました。
なるほど。ギルドからの報奨金を治療費に充てるのですね。あれ? でも、第一発見者はルアさんになるから、ルアさんが受け取るべきお金では? でも、ルアさんが連れて来たからいいのか? でも、お金がルアさんの物なら使い道を選ぶのはルアさんで⋯⋯何だか頭から煙が出そうです。正解が分かりません。
「エレナ、どうしたの?」
「報奨金を治療費に充てるのですよね。でも、そのお金ってルアさんが貰うべきお金で⋯⋯」
「そうよ⋯⋯って、ああ~なるほどね。発見の報奨金はルアさんに渡すわよ。発見者はルアさんだもの」
「でも、報奨金を治療費にって⋯⋯」
「治療費は冒険の報奨金を充てる。何でも美味しい冒険何でしょう? 久々に【ハルヲンテイム】で受けてやるわよ。見てらっしゃい、報奨金はウチが頂くわ。フフフ」
ハルさんは、腰に手を当てて不敵な笑みを零してらっしゃいました。もう報奨金は頂いたとばかりの物言いです。ハルさんは自信満々ですが、たくさんの冒険者が探している中、果たして冒険クリアー出来るのでしょうか?




