必死にのんびりしますよ
「ア、アルシュさん!?」
「よう! エレナ・イルヴァン」
してやったりとばかりに、ニヤリ顔を見せる狼人のアルシュさん。いきなり目の前に現れてびっくりです。有無を言わさず目の前に座ると、ガブのケーキを指でひと舐め。想像していた味と違っていたのでしょう、渋い表情をこちらに見せました。その顔に今度は私がニヤリと笑顔を見せつけます。
「うわっ、何だこれ」
「フフフ。それ、この仔用のケーキですよ。人が食べても問題無いので大丈夫です。美味しくはないですけど」
「味がねえ」
想像と違う味に意気消沈する姿が可笑しくて、思わず吹いちゃいました。
「いきなりでびっくりしましたよ。お久しぶりです。あ、この前シュミラちゃんのお見舞いに行ったのですよ。シュミラちゃんは元気ですか?」
「ハハ、歩いていたらあんたの姿が見えたんでな。シュミラもおかげさまで退院までもうちょいだ。お見舞い、すげえ喜んでたよ。ありがとな」
「いえいえ。もうちょいで退院ですか! 良かったです」
「あんた達のおかげだ。本当に感謝しているよ。それはそうとこんな時間にこんな所で、堂々とサボりか? ⋯⋯あ、こっちにもカフェルをひとつくれ」
ウエイトレスさんに声を掛けながら、またニヤニヤしています。絶対サボっていると思っていますね。
「違いますよ。お休みを頂いたので必死にのんびりしているんです」
「ハハ、必死にのんびりか。そいつはいいな」
「アルシュさんこそ、サボっていていいんですか?」
「それな⋯⋯」
顎に手を置くと空気が変わります。辺りを見渡し、顔を寄せて来ました。
「ついこの間、きれいさっぱり消えちまった。今はもぬけの殻。あまりに突然だったので、必死に追ってはいるがこれがなかなか難儀していてな、尻尾すら見えない状態だ。こっちがバレたって感じでも無いし、向こうで何かあったのかも知れん」
「きれいさっぱりですか⋯⋯」
「ああ。とりあえず一度、あんたのとこの店長と話がしたい。【ハルヲンテイム】としてではなく、【スミテマアルバレギオ】としてだ。まぁ、たいした話は出来ないがな」
「分かりました。伝えておきます」
「頼むよ。タイミング良く会えて良かった。必死にのんびりしろよ。そうだ、また時間出来たらシュミラに会ってやってくれ」
「喜んで」
「じゃあ、またな」
目の前のカフェルを一気に飲み干し、チャリンと5ミルドをテーブルに置いて去って行きました。
【スミテマアルバレギオ】として。
この言葉の意味は、何となく分かります。私達が手を出す事では無いという事。
何か大きな輪の中にすでに取り込まれている感じに、漠然とした不安を覚えます。不安は頭の中を過り、心は少しモヤっとします。と言っても、何が出来るわけでもなし、日々の平穏を願う事しか出来ないのですが⋯⋯。
「苦っ⋯⋯」
カフェルの苦さが口の中に広がり、口から思いが零れてしまいました。
◇◇◇◇
「ハルさん、昨日アルシュさんに会ったのですが、近いうちにお話しに伺いたいと言っていました」
翌朝、すぐにハルさんにアルシュさんの言伝を伝えます。院長室の大きな執務机の向こうで、ハルさんは少しだけ困惑して見せました。
「アルシュ? ⋯⋯ぁあ、(アックスピークの)ヘッグの時の狼だっけ。何でまた?」
「アルシュさんが潜入していた裏通りのお店が、きれいさっぱりもぬけの殻になったそうです。その事でお話ししたいって言っていました」
もぬけの殻と言う単語に、怪訝な顔を見せます。何も残っていないのが逆に不自然なのでしょうか?
「突然?」
「はい。突然きれいさっぱりだそうです。【ハルヲンテイム】としてではなく、【スミテマアルバレギオ】としてお話しをしたいと仰っていました」
「そっちかぁ⋯⋯。うん、分かった。そうそう、昨日はちゃんと休めたの?」
「はい。必死にのんびりしました」
「必死! フフフフ。今日からまた宜しくね」
「はい。失礼します」
何か変でしたかね? 笑われてしまいました。
◇◇
お店に戻ると貸出しの窓口に行列が出来ていました。業務がかぶる事は良くあるのですが、それにしてもですね。対応しているアウロさんもてんてこ舞いなので、補佐しようと思います。
「アウロさん、手伝います。書類をこっちに下さい」
「助かるよ。これお願い」
手渡される書類が山と積まれて行きますが、アルバでの処理量に比べたら何て事は無いです。知らず知らずに鍛えられていましたが、ヤクロウさんに感謝なんてしませんよ。
討伐系の冒険でも多いのでしょうか? 戦闘の補佐となる岩熊や、大型の猟犬から先に貸出し中になって行きます。
あっという間に【ハルヲンテイム】から、岩熊と猟犬が消えて行き、次から次に現れる冒険者の皆様にお断りをする状態になってしまいました。
「アウロさん、これって何かあったのですよね?」
「うん。話を聞いただけなんだけど、どうも牧場の仔や外で飼われている仔が襲われる事例が多発しているんだって。被害の急拡大にギルドもすぐに動いて、緊急冒険を発注して対応だってさ。なんでも報奨金が凄い良いんだってさ。だから、みんな犯人捜しに躍起になっているみたい」
「何だか物騒ですね。人は襲われていないのですか?」
「今の所はね。でも、早く見つけないと、人にも被害が出るかも知れないよ」
「襲われないって事は⋯⋯?」
「犯人が人ならあるかも知れないけど、ギルドの動きから見るに怪物と考えているんじゃないのかな」
人の生活圏に現れる事の無いはずの怪物が迫っているかも知れない。考えただけで怖いですね。街歩いていて、いきなり目の前に現れたら腰抜かしちゃいますよ。
「怖いですね」
「でも、そんなに凶暴な怪物は黒素の薄いこの辺りには生息出来ないはずなんだけど⋯⋯。ちょっと用心した方がいいと思う。でも、まぁ、他の調教店でも、貸出しの仔達は出切っているみたいだから、早々に解決するんじゃない」
「ですよね」
自分の不安を押し殺したくて、アウロさんの言葉に同意しました。アウロさんも言ってはみたものの、そこまでの自信は無いのでしょう。私に不安を与えないようにと少し強がってくれたに違いありません。
「アウロさん! ちょっと、こっち診て貰える」
モモさんの声に視線はそちらへと自然に向いて行きます。大きめのハンドキャリーから現れた仔の姿に待合の人々は息を飲みました。
中型犬ほどの大きさを見せる珍しい紅狐が、机上で寂しげにうな垂れています。ペットとして飼われているのでしょうか? 人慣れするという話は聞いた事が無く、ペットにしている方は初めて見ました。普通の狐と比べると、鼻先は短く愛嬌のある顔立ちに人気は高いです。ですが、人になつく事は無く、飼いたくとも飼えない、手を出す事の出来ない動物の筆頭です。
覇気の無い瞳を見せています。視線は泳ぎ不安を映しています。そこまでは良くある診察風景。怪我や病気で覇気を失ってしまうのは仕方の無い事です。ただ、この仔の姿は何とも言えない、不気味と捉えられても仕方の無いほどの凄惨な姿を見せていました。
首の皮膚が裂け、ブラブラとぶら下がり揺れています。肉を覆うはずの皮膚を失った首元は、赤い筋肉が剝き出しになり、骨や、呼吸の度に動く喉元が生々しいです。
凄惨な姿に口元を覆う待合の人達。気持ち悪いと思うのですが、その姿を見つめる瞳は憐憫を見せ、飼い主と共に皆、無事を祈っていました。
「これは酷い⋯⋯」
覗き込むアウロさんも言葉を失います。
「あ、あの⋯⋯ここを縫って貰えればいいのですが⋯⋯」
飼い主の壮年の女性も不安気な声を上げます。モモさんやアウロさんの反応の深刻さに不安の様相を深めました。その姿にアウロさんは微笑みを返します。
「詳しい話は処置室でしましょう。中へどうぞ。モモ、頼むね。フィリシア!」
フィリシアは黙って頷き、にっこりと笑顔で声を上げて行きます。
「皆さん、申し訳ありません。急患の為、一時休診とします。健診、調髪の方は後日でお願いします。調子の悪い仔は、近隣の店を紹介させて頂きますね。ご協力を宜しくお願いします!」
いつも思うのですが、急患のお願いしてもみんなイヤな顔をしません。まぁ、貸出しで来た冒険者が、暴言を吐く事はありますが、それも極まれです。みんな急患の仔の無事を祈り、協力してくれます。この優しい感じが私は好きです。
「エレナ、ハルさんを呼んで来て。みんなで当たるよ」
「はい」
待合から人の波が引いて行くと、空気が一気に緊張して行きます。その空気からこの仔の状態がとても難しいのだと分かりました。




