そのエプロン、意外にお似合いですよ
キルロさんとマナルさんが帰路に着き、私もヤクロウさんの家を目指そうと立ち上がります。だけど、キノは相変わらず私の袖を引き、首を振っていました。
「まだダメなの?」
「ダメよ」
キノには珍しく真剣な表情です。キノは裏口の扉から耳をそばだて、何かの気配を探っていました。私も真似て、耳をそばだてますが、聞こえてくるのは僅かな生活音。人の気配は消え、夜の訪れと共に、街も静かな時を刻んでいるだけでした。
キョロキョロとキノが首を振りながら、扉の外をそっと覗き込みます。何を確認したのか、おもむろに私の手を引きました。
「ちょ、ちょっと⋯⋯」
「大丈夫。エレナ、行こう」
キノに手を引かれ、扉の外へと出ます。
街灯の無い街は暗く、月の明かりと掘っ立て小屋の窓から漏れるランプの仄かな灯りしかありません。歩いている人はおらず、街はもう眠りにつこうとしていました。
西のテントが目印って言っていましたが、玄関口からテントが伸びている家が結構ありますね。きっと、何か商売をしているのでしょう。
キノは警戒を怠らず、辺りの気配を探りながらゆっくりと進んで行きます。
誰かが隠れでもしているのでしょうか?
私も真似てキョロキョロと辺りを伺って行きますが、何も感じません。ただ、キノの真剣な表情が、私のドキドキを後押しして行きました。
しかし、こう暗いとテントの色までは分かりませんね。どれがヤクロウさんの家なのでしょうか?
キノが急に立ち止まり、眼前のテントを覗きます。刹那、奥に見える玄関を目指し、スタスタとテントの中に入って行ってしまいました。暗くて良く分かりませんが、テントは二色を見せている様です。たださすがに色までは識別出来ません。
ここヤクロウさんの家? なの? 大丈夫??
私がテントを見上げていると、キノはすでに扉に手を掛けていました。
「キ、キノ! ちょ、ちょっと待って!!」
私の言葉など意に介しません。鍵の掛かっていない扉を開け、ズンズンと中へと進んで行ってしまいます。しかし不用心なお宅ですね。
「ちょっと! キノ! す、すいません⋯⋯お邪魔します⋯⋯」
私も仕方なくキノのあとを追い、家にお邪魔します。思っていたより、奥行きのある家です。短い廊下の両脇にいくつか扉がありました。奥からランプの灯りが零れ、生活空間の存在を示しています。
「あの⋯⋯すいませ⋯⋯」
「誰だっ!!!」
「きゃああっ!!! す、すいません!! すいません!」
「ああん? お嬢と、ちびっ娘じゃねえか? お前ら、ひとん家で、何している?」
背後からの怒声に心臓が、止まるかと思いましたよ。振り返るとそこには、可愛いらしいエプロンに庖丁を握っているヤクロウさんが、怪訝な表情で立っていました。
ですよね。こんな時間にいきなり現れたら、何事? って思いますよね。
しかし⋯⋯そのエプロン、意外と似合っていますね。口が裂けても言えませんが。
「おう」
キノはいい気なものです。いつもの軽いノリで、この場を乗り切るのですから。
「はぁ~びっくりした」
「そらぁ、こっちのセリフだ。何だってふたり揃ってこんな所に居やがる?」
「キルロさんから、伝言を預かって来ました」
「小僧から? 伝言?」
ヤクロウさんの表情は更に険しくなって行きます。
「はい。治療院には、しばらく顔を出さずに、身を潜めて欲しいとの事です」
「はぁ?! 何でオレがそんな事をしなくちゃならねえ? 訳が分からねぇぞ」
見えない状況にヤクロウさんは、苛立ちを隠しません。
「【キルロメディシナ】に怪しい人達が現れて、キルロさんが追い返しました。その人達は、ヤクロウさんを探しています。きっとまた現れます。ですので、しばらくヤクロウさんは、身を潜めて下さい」
険しい表情は相変わらずですが、眉間に皺を寄せ何かを逡巡している様に見えます。ヤクロウさんはそのまま、顎に手を当てジッと動かなくなってしまいました。
「ヤクロウさん、何か心当たりがあるのですか? もしあるのなら、キルロさんに教えてあげて下さい」
「⋯⋯いや、無い」
ヤクロウさんは即答します。開き直りにも聞こえる即答に、さすがの私でも何かあるのだと分かりました。
「ヤクロウさん、お願いします。何かあるのなら⋯⋯」
「いや、無い。本当だ」
ヤクロウさんは、静かな口調で答えます。それはやんわりとした拒絶であり、私達に線を引いた様に感じました。
私は口を閉じてしまいます。懇願した所でこれ以上の答えは、聞く事が出来ないでしょう。そんな意志の強さを感じてしまいました。
「ヤクロウ、嘘はダメダメよ」
キノがヤクロウさんを見つめ、静かに言い放ちます。真っ直ぐなキノの金色の瞳。ヤクロウさんはバツが悪くなったのか、眦を掻いて見せました。いつもの横柄な感じが急にしぼんで、何だか可愛らしいです。そんな困り顔のヤクロウさんに、私は吹き出しそうになってしまいました。
「そうよねぇ~嘘はダメダメよねぇ。大人なのにねぇ~」
私もキノの両肩に手を置き、キノと一緒に見つめて行きました。
ヤクロウさんは、後ろ手に頭をバリバリと掻き、渋い顔を見せます。
「んだよ! やり辛れえな! 探しているやつに、オレを差し出して終わりでいいじゃねえか」
「それがダメなのは、私でも分かりますよ。これは院長命令です。ヤクロウさんは見つかってはいけないのです」
そうです。
キルロさんのあの必死な姿。胡散臭い小さな男。どう考えても、ヤクロウさんは、見つかってはいけないのです。
真っ直ぐに見つめる私とキノの視線から、目を逸らします。ヤクロウさんは、苦い顔で眉間を揉んでいました。
「ああ! クソ。まったく⋯⋯隠れろって言われても、そんな所ねえぞ⋯⋯」
ヤクロウさんの隠れる事の出来る場所⋯⋯。ヤクロウさんも、また髪をガシガシと掻きむしり、出ない答えを捻り出そうとしていました。
私も必死に考えます⋯⋯。
考えますが、何も出て来ない⋯⋯。
キルロさんの実家は、隠れる事が出来そうですが、繋がりのある事がバレてしまうのは良く無いと思うのです。何も浮んで来ません。そもそも、ミドラスしか知らない私に都合良く隠れ蓑が見つかるはずは無いのですよ。
ミドラス⋯⋯か⋯⋯ミドラス⋯⋯いいのかな⋯⋯どうかな⋯⋯。
気が付けば、ブツブツとその言葉を呪文の様に呟いていました。
◇◇◇◇
扉が開くと急に現れたキルロの姿に、カズナは少し驚いて見せる。見知った顔にすぐに驚きは消えたが、キルロの真剣な表情にカズナの表情もすぐに真剣味を帯びて行った。
「⋯⋯カズナ、すまんな。そんな事で、しばらくは注意していてくれ」
「分かっタ。問題なイ。こちらの事は心配するナ」
「そう言って貰えると、助かるよ」
カズナに先程あった出来事を話し、互いに頷きあう。
案の定、獣人があとをつけていた。兎人の居住区がバレた所で、隠しようなど無い。エレナとキノから、獣人を剝がせたのなら今は良しと考えよう。
「でモ、とてもイヤな感じの人達でしタ」
「確かに。兎人にちょっかいを出してくるかも知れない、何かあればすぐに声を掛けてくれ」
「キルロさんも気を付けて下さイ」
「ああ」
頷きあっているキルロとマナルに、カズナは怪訝な瞳を向ける。
「なア、なぜヤクロウなのダ? 【キルロメディシナ】に中央の息が掛かっているのを知らないのカ? 話の感じから、ただの賊では無いよナ」
「確かに⋯⋯。ま、今は情報が少な過ぎる。取り敢えず今は周囲に注意を払ってくれ。何か分かったらすぐに教える」
ふたりの頷く姿を確認して、兎人の居住区をあとにした。
分からない事だらけで、動きようが無い。何とも、悶々ともどかしい思いだけが積み上がるスッキリとしない夜を迎えてしまった。




