【セブタブリーディング】クスさんの繁殖場
「それじゃあ、ちょっと行って来るよ。エレン行くぞ」
「はい!」
ラーサさんの掛け声に元気良く返事を返し、【ハルヲンテイム】を出発します。
あれから数日。
私はラーサさんと一緒にクスさんの繁殖場、【セブタブリーディング】へと往診の為に足を運んでいました。日に日に元気になって行く子熊の姿に、ほっこり出来る日を送っています。
◇◇
「こんちわ」
ラーサさんの抑揚の少ない挨拶にクスさんや、助手の方々が軽く微笑みを返してくれます。
長い茶髪を後ろで一本に編んでいる、綺麗な細身の女性はルクドさん。この間は必死で、名前を伺う事すら出来ませんでした。そしてもうひとりの助手であるドワーフのロアさん。黒毛のおかっぱ頭に、クリクリとまん丸の瞳。丸い顔は愛嬌があって、とてもチャーミングな方です。ドワーフさんらしくいつも前向きで、私達を笑顔にしてくれます。
おふたりともクスさんの下は長いそうで、クスさんに対していつも遠慮の無い物言いをされていて、最初は驚いてしまいました。そんなクスさんは、いつも困った顔で渋々とふたりに従っています。頭をポリポリと掻きながら嘆息している姿が板についていて、思わず笑ってしまいました。
【セブタブリーディング】の皆さんは動物達と真摯に向き合い、大切にされているのは一目瞭然。
清潔に保たれている飼育場、愛情持って接する従業員の姿を見るにつけ、ハルさんが顔をしかめながらも受け入れている理由が分かった気がしました。
まずは子熊の様子から診て行きます。
子熊は短い手足でヨタヨタと小屋の中を歩き回っては、バランスを失ってコロコロと地面を転がっていました。
ゴロン、ゴロンとあっちに行ったりこっちに来たり⋯⋯。
自分と同じくらいの玉がお気に入りで、その大きな玉にじゃれつくか、大好きなルクドさんの後を短い手足を必死に動かして、追いかけていました。
もう可愛いが爆発して悶絶ですよ。
もうその姿は動くぬいぐるみですよ。
クリクリの黒目で、興味津々と何でも見つめて、フワフワのベビー毛は柔らかくて、いつまででも撫でていられます。短い手足をバタバタと動かして動き回る姿にキュンキュンですよ。
そして、数日でここまで元気になってくれた事が、何よりも嬉しいのです。
「いいね、順調順調。心音も肺音も異常無し。ルクド、ご飯はちゃんと食べているか?」
聴診器を外し、ラーサさんが顔を上げます。解放された子熊は一直線にルクドさんへと駆け寄り、胸の中へと飛び込んで行きました。まったくもう、甘ったれさんですね。
「しっかりとミルクを飲んでいるわよ。おしっこも便も問題無い」
「そっか。んじゃ、エレナ、薬は今日で終わりだ。栄養剤も少なめでいいかな」
「はい、分かりました。少なめと言うのは0.5くらいですか?」
「う~ん。もう必要無いくらいだから、注射器で0.3にしようか」
「分かりました」
用意していた点滴瓶はバッグにしまって、代わりに注射器を取り出しました。
ルクドさんに気を取られている内に背中にブスリと刺して、あっという間に終わりです。人懐っこい仔になるのは間違い無いですね。優しい人達に囲まれ、このまま元気に育って欲しいものです。
◇◇
「う~ん」
ラーサさんが母熊の診察を始めると、すぐに渋い顔をしました。僅かですが、膣部からの出血が見受けられます。子宮を体内に戻す際に、また傷が開いてしまったのです。
「今日も止血剤と痛み止め、抗生剤も入れよう。ロア、この仔の食欲はどう?」
「うん? 飯か。昨日辺りから、だいぶ戻ったな。でも、まだちょっと少ねえかなぁ」
「栄養剤も足すか。これで出血が止まらなかったら、早々に手術した方がいいかもな」
「やっぱ、キツイか」
「出血はそこまで多くないけど、傷口が開いたままだと、そこから細菌感染するかもだから⋯⋯。傷口が閉じてくれればいいけど、これで閉じなかったら、早急に考えた方がいいだろうな」
「そっかぁ~」
ラーサさんの言葉にロアさんも腕を組んで渋い表情を見せました。
ハルさんが現場で応急的に縫い合わせた傷が、上手く塞がってくれません。
仮に薬が効いて塞がったとしても、出産の際にそこからまた裂けてしまうかも知れないそうです。今回は切れてしまった場所が良く無かったと、ハルさんも苦い顔をして漏らしていたのを思い出します。
お腹を開いて、もう一度縫い合わすか、子宮の全摘をするか⋯⋯。クスさん達の悩みどころかも知れませんね。
全摘してしまったら、出産は出来なくなります。縫い合わせても、妊娠の際に体内で子宮が再び裂けてしまう恐れもあるそうです。裂けてしまった場所がもう少し上部であれば、縫い合わせて、また子供を作る事も出来たそうですが⋯⋯。
縫い合わせた所で子供を産む行為は、生死を賭ける事になってしまう。そんな、裂けてしまう可能性を鑑みて、繁殖を生業としているクスさんがどう判断されるのか、私には分かりません。
「無理強いはしないけど、この仔を守るなら全摘を勧める。判断は任すけど」
ラーサさんがクスさんに向くと、顎に手を置き少しだけ苦い顔を見せましたが、すぐに微笑みながら肩をすくめて見せました。
「ま、しゃあない。手術出来る体力が戻ったら全摘するしかあるまい。避妊した状態でもペットなり、貸出なりで、元気に生きていけるさ」
「そっか。即答とはあんたらしいな」
「良心的だろ」
ニヤリと笑って見せるクスさんを、ラーサさんは微笑みまじりに一蹴。
クスさん的にはきっと少なくない損失なはずです。それでも笑って即答する姿は御自分で言う通り良心的だと思いました。
でも、自分で言っちゃうと台無しな気もするのですが⋯⋯後でラーサさんに聞くと“照れ隠しだよ”のひと言。
照れ隠さなくてもいいと思うのですが、どうなのでしょう?
◇◇
今回の件はとても勉強になりました。
揺れる小さなランプの灯りの下、今回学んだ事を自室にて記録を取っておきます。
ハルさんの行動、モモさんの言動、ラーサさんの思考。もちろん、助言をくれたアウロさんや、フィリシアの言葉も一緒に書き込んで行きます。
この短期間でメモ帳も五冊目が埋まりました。
書き終えたメモ帳パタンと閉じると、天井に向かってフッと溜め息を吐き出します。
まだまだですね。
理想も憧憬も、手を伸ばした所でかすりもしません。その縮まらない距離に、もどかしさは募るばかりです。
一歩一歩。ゆっくりと進むしか無いですよね。
う~ん。でも、やっぱりもどかしいー!
みんなの力になれるよう、頑張らないといけませんね。やれやれです。
ランプの小さな灯りが揺れる中、メモ帳を再度開き、もう一度息を大きく吐き出して行きました。




