いつもの通りの一日が始まります
ハルさんに教えて貰った、共同墓地の小高い所にある一本の大木。
その根元に、ネインさんは眠っていました。厳密には腕だけしか見つからず、ここにあるのはネインさんの一部だけ。
それでもハルさんは、『私達を守ってくれた腕。盾を握り締め、みんなを守ってくれたネインの腕。それが見つかっただけでも幸運よ。普通、あの状況なら何も残っていないもの』と、おっしゃっていました。
色鮮やかな花々が、悲しく彩ります。派手な事を好まないネインさんは苦笑いをしているかも知れませんね。
私もその彩りに花を捧げ、さらに彩ります。
大きくない墓石はネインさんらしく、何も細工はされていませんでした。
ただ、一言。
【我の守護者たらんネインカラオバ・ツヴァイユースここに眠る】
そう記されていました。
ネインさん。
ハルさんを、キノを、キルロさんを、フェインさんを、マッシュさんを⋯⋯ユラさんを⋯⋯みんなを⋯⋯守ってくれてありがとうございました。
眠るネインさんに感謝の一礼。
ネインさんからの返答はありません。いつものように優しい笑顔を見せてくれたのでしょうか? 少し戸惑いながら照れているのでしょうか?
今はもう確認する術はありません。それがとても寂しいです。
風に揺れる木々のざわめきが、ネインさんの代わりに返事をしているみたいですね。
俯いたまましばらくの間、そのざわめきに耳を傾けました。大木の葉が揺れる度に、ざわざわと優しい音を奏でます。
優しく頬を撫でる風が吹き抜け、私は顔を上げて行きました。
◇◇◇◇
「さぁ、今日も一日よろしくね」
「「「はい!」」」
開店前のハルさんの呼び掛けに、私達は元気に答えます。パンパンと軽く両頬を叩き、一日の始まりを自身に伝えました。
「よし」
「それじゃあ、行くよー」
フィリシアが扉を開け放つと、動物を抱えた皆さんが、雪崩のごとく押し寄せました。
『『ようこそ! ハルヲンテイムへ!』』
向か入れる準備は万端です。次から次へと押し寄せるお客さんを手際よく、対応して行きますよ。
待合の喧騒が、いつも通り一日の始まりを告げました。
◇◇
「今日は、いかがなさいましたか?」
私の目の前に置かれた小さなキャリングバッグ。不安を隠さない若いご夫婦と、まだ小さな女の子。お父さんが、ゆっくりと蓋を開けて行きます。お母さんの袖口を掴み心配そうな女の子。お母さんは女の子の小さな手に優しく手を添え、心配無いと笑みを作っていました。
「は、拝見いたします」
私はキャリングバッグの蓋を開き上から覗き込むと、そこにいたのは胴の短い狸猫でした。
三角の短い耳からぴょんと長い毛が飛び出し、潰れ気味の愛嬌ある顔は、どこか表情が硬く見えます。綺麗にブラッシングされているのが分かる茶色と白の斑。鼻が半分白い毛に覆われていて印象的な模様を見せています。きっとこの模様で、すぐにこの仔だと分かるでしょう。
「だ、大事にされていますね。この仔のお名前は?」
「アグーです。一昨日の夜から便が出ていなくて、ご飯も食べないし、うずくまって動かないのです。大丈夫でしょうか?」
「わ、分かりました。お通じに問題ですか。ちょっとこのままお腹を触りますね。⋯⋯アグー、ごめんね」
うずくまるアグーのお腹に手を差し入れて行きます。少し嫌がる素振りを見せましたが、触らせてくれました。そこに私は違和感を覚えます。狸猫はお腹を触られるのが嫌いなので、こんなに簡単にお腹を触れる時点で、何かしらの異常があるに違いありません。
「何か悪い病気でしょうか? 変な物を食べてしまったとか?」
触診姿を覗き込みながら、お父さんは不安を見せます。
「今の段階では何とも、い、言えませんが、変な物を口にしたのなら下痢を起こすのが通常ですので、それは無いかな⋯⋯と思います」
「そうですか⋯⋯」
お父さんの必死な姿に早く何とかしてあげたいと思うのですが、焦ったあげくに間違った答えを出してはいけません。慎重な判断を心掛け、焦る心を飲み込んで行きます。
聴診器を当て心臓と肺の音を確認。そこに大きな異常は無いようです。
と、なると、下腹に感じる張り。これが原因だと思います。
一番に考えられるのは⋯⋯。
「ラーサさん、ちょっといいですか?」
「うん? いいよ」
私は一旦席を離れ、ラーサさんに確認を取りに行きます。単独での判断は怖くてまだ出来ません。
「一昨日から便通が止まっている狸猫です。心拍は少し早くてちょっと苦しそうです。呼吸音に問題はありません。下腹に張りがあって、腸に便が詰まっていると思います。アロリ油にロルーエの葉を溶かして、肛門部から0.2単位注入で大丈夫⋯⋯でしょうか?」
チラリとラーサさんの反応を伺います。少し間を置き、ラーサさんは口端を上げてくれました。
「いいんじゃない。早く処置してあげて、楽にしてあげな。あ! でも、あの仔の大きさなら0.1で様子を見て、効きが悪かったら増やす感じでいいんじゃないか」
「分かりました! ありがとうございます」
ラーサさんは後ろ手に手をヒラヒラさせながら、自分の仕事へと戻られました。私も、待っているご家族の元へと急ぎます。
「お、お待たせいたしました。この仔の下腹にある張りから、狸猫に良くある便秘だと思います。お尻からお薬を注入して、詰まっている便をまずは出してみましょう。それで、改善が見られなければ、ほ、他に原因があると思いますので、改めて確認させて下さい」
「よろしくお願いします!」
「は、はい! すぐに処置して参ります!」
元気良く頭を垂れるお父さんに少しびっくりしながら、私はすぐに裏の処置室へアグーを運んで行きました。




