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ハルヲンテイムへ ようこそ  作者: 坂門
悲しみの淵

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その絶叫と状況は私の所までは届いていませんでした

「あああああああああああああぁぁぁっー!!!!」


 嘆きのごときユラの絶叫が木霊した。頭から血を被り、蒼白の表情は感情が一瞬で抉り取られていた。心が壊れないようにと、一点を見つめる視線の先には何も映っていない。今にも膝を落としそうになりながらも、立ちすくむ姿はあまりにも危うく、心許なかった。

 

 体に見合わない小さな羽。(ドラゴン)にしては、比較的小さな巨躯の(ドラゴン)


 ドレイク。


 絶対的強者の舐る視線がパーティーを見下ろす。黒く硬い表皮の先にある人の腕ほどはある三本の爪が血で赤く染まっていた。爪を赤く染めた者はふたつに割れ、大楯と共に地面に転がっている。その光景はパーティーから冷静な判断を奪い取った。頭の中を埋め尽くす死という文字に停止(フリーズ)する思考と感情。


 心臓がギュっと掴まれ、全身の血が逆流して行く感覚。目に映る光景は、あまりにも現実感に乏しく、ハルの思考はその光景を受け入れようとはしない。

 ユラの傍らで茫然と立ちすくむキルロの姿。あまりにも無防備で危険な姿に、ハルの思考は雪崩のように動き始めた。


退け()!! 退けー!!」


 ハルの叫びに呼応するフェインが、ユラの元へと飛び込んで行く。ドレイクの感情無き濁った瞳が、ギロリと動く物を映し出して行った。

 フェインはユラを小脇に抱え、大楯を拾う。涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔を拭う事も無く、前だけを向いて走り出す。今はただ、前に向けて足を動かす事だけを考え、顔を上げた。



「ちょっと、あんた何しているの! 走れ⋯⋯って!」


 キルロの腕を引くハル。茫然と自我が抜け落ちたキルロの体は、引かれるがままに覚束無い足取りを見せるだけだった。

 もどかしさも、悔しさも、今はすべて後回し。


『『『ゴアアアアアアアアアアアアァッッッー!!!!!』』』


 動く物への威嚇か、獲物を見つけた歓喜か、ドレイクの咆哮がハルの背中を震わせた。

 身震いする自身の体に、ハルは舌打ちをする。その震えが恐怖から来るものなのか、考える事はしない。今はただ逃げる事だけで、頭の中を満たし、前へ前へと足を動かすしかなかった。


「何しているの! しっかりしてよ!」


 空っぽのキルロを叱咤する。その言葉は自身に向けた言葉でもあった。

 迫り来る恐怖から、今は逃げるしか無いのに⋯⋯。

 それすらも理解を拒む姿に、ハルの焦りともどかしさは頂点を迎える。


「こいつをスピラに乗せる! マッシュ手伝って! スピラー!」


 駆け寄るスピラの背にふたり掛かりでキルロを乗せて行く。サーベルタイガーの背の上で、キルロはダラリと脱力し、ただの抜け殻と化していた。焦点の定まらない視点は、地面をただぼんやりと見つめるだけ。


「スピラ、ゴー!」


 パチッと脇腹を叩くと、スピラは力強い足取りで前を目指す。

 背中に感じる圧は大きくなる一方。迫る恐怖に足を止めるなと自身を鼓舞した。

 ハルはフェインの手にする大楯を奪い、ユラを抱えるフェインの背中を押して行く。


「急いで! 早く! 早く!」


 マッシュが腰の皮箱から小さな玉を取り出し、火を点けた。ドレイクに向かい投げた玉から、白煙と激しい刺激臭が立ち込め一面を覆う。

 臭煙玉か。気休めにでもなってくれればいいのだけれど⋯⋯。

 白煙と刺激臭が自分達を隠してくれると信じて、今は逃げる事しか出来なかった。


◇◇◇◇


 傷口を塩水で洗い、べったりと患部についた血糊を落として行く。手術台の上で、露わになって行くオーカシュフルドの大腿部。愛嬌のある短い脚は見るも無残な姿を晒していた。

 大腿部を突き破る割れた骨。骨の先端は鋭く尖り、自身を貫く矢じりと化していた。


「とりあえず、止血だ。クリップを用意して」


 拭っても、拭っても、拭いきれないほど溢れ出す血。アウロとモモの指先は、血に染まりながらも的確に原因を潰す。

 モモは顔を上げ、深い溜め息を吐き出して行く。その姿に状況が芳しく無い事はすぐに理解出来た。

 フィリシアが患部を覗き、骨の状況を診て行く。表情は見るからに曇り、首を大きく横に振って見せ、モモと同じく状況が芳しく無い事を告げた。


「モモとフィリシアの見立ては同じかな?」

「アウロさんも同じでしょう?」


 モモの言葉にアウロは苦い顔を返す。

 フィリシアが再び患部を覗き込み、骨の状態を精査して行った。


「ここの大きな骨も砕けちゃって、プレートで繋いでもいい状態に戻らないね。砕けた骨の破片も全部取り除けるかどうか⋯⋯。ヒールを使っても元には戻らないよ、これ」

「良くない事に一番太い血管を破ってしまっているわ。筋組織もズタズタだし、何より神経が引き裂かれてしまっている。可愛そうだけど、ここまで酷いと神経の再形成は望めないわね」

「僕も同じだ。ラーサはどう?」


 アウロの呼び掛けに、ラーサも患部を覗いた。首を傾げ、肩をすくめて見せた。


「外科的な部分は良く分からないけど、話を聞く限り元には戻らないのだろう? 仮に元に戻したとしても血管が潰れて、使い物にならないなら負血症を発症する可能性は極めて高い。脚が腐って、菌が繁殖。発症して菌が全身を巡れば、苦しんで死ぬだけだ。選択の余地なんて無いね」


 ラーサの言葉に三人は、視線を交わし合い意見の一致を確認した。


「「「切断」」」


 声を揃え、今後の治療の方針について断言する。


「それじゃ、オランジュさんに説明して来るよ」

「お願いね」


 アウロはエプロンとゴーグルを外し、待合へと向かった。


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