説得と威嚇と遠吠え
ネルソンに集められた三下だと思っていたが、この狼共どうにも厄介だな。
狭く埃っぽい小屋の中で睨み合う狼人とマッシュ。隣ではフェインも華奢な狼人と睨み合っていた。
椅子に縛り付けられているエレナの表情は、袋を被せられ、覗く事する出来ない。体に傷は見えず、暴れる姿も見せていなかった。
マッシュは刃先を向けながら、対峙している狼人を値踏みする。
エレナは傷ついていない⋯⋯傷つける気は無い? エレナに怯えが見えないのも解せんな。首元に刃があるのに落ち着いているのは何故⋯⋯。
狼人にしては少しばかりガッチリした体形の男。淡々とマッシュとフェインを見つめていた。斬り合い時に出来た浅い切り傷など意に介さず、飛び込む隙を与えてくれない。華奢な狼人は、エレナの首元に刃を当てこちらを睨んでいた。エレナの柔肌に添えられている刃が、いつでも斬れるとその刃をギラつかせている。
いつでも飛び込むと構えるフェインも、その隙の無さに睨み合いを続けるしか無かった。
さて、どうしたものか。
エレナの首を抑えられては、こっちから手出しは出来んよな。こんな手練れが、こんな仕事をしているとは考えてもいなかった。所詮、使えん三下共と勝手に決めつけてしまったのは誤算だったな。
マッシュは軽い舌打ちを見せ、刃を下ろして行く。その姿にフェインは一瞬戸惑いを見せたが、マッシュに倣い拳を下ろした。
狼人達も、少し驚いて見せたがすぐに納得して見せる。
「分かったみたいだな。終わったら解放する。怪我するだけ互いに無駄ってもんだ、回れ右して大人しく帰れ」
いかつい狼人は、刃先を向けたまま静かに言い放った。
無駄な争いに興味が無い事が伝わって来る。
やはり。
汚れ仕事を好き好んでやっているわけでは無いな。その証拠にエレナを傷つけていない。エレナを連れ去るのもイヤイヤやっていたとしたら、そこに悪意は無かったのかも知らん。そう考えれば、キノとユラが、気が付けなかったのも頷ける。
マッシュは自ら立てた仮説に賭けるか、一瞬の戸惑いを見せた。眼前の狼人達を見つめ、口を開いて行く。
「お前さん達は、一介の調教店が、ネルソン家を潰すってのが、信じられないんだよな」
「当たり前だ。そんな戯言、冗談にもなんねえ」
「そうか。それじゃあ、言い方を変えよう。ネルソン家を潰す為にギルドと組んで、中央が動く。だとしたら、どうだ?」
対峙する狼人はピクっと険しい顔を一瞬見せるが、すぐに首を横に振って見せる。
「妄言だ。作り話にしては良く出来ている。もう黙って帰れ」
「【ハルヲンテイム】店長、ハルヲンスイーバ・カラログースは【スミテマアルバレギオ】の副団長。【スミテマアルバレギオ】は勇者直属のソシエタスだ。それでも妄言か?」
「ああ、妄言だ⋯⋯この場しのぎのな」
首を横に振る狼人から、僅かな迷いを感じ取りマッシュは続けた。
「なぁ、お前さん達こんな事をしなくちゃならん程、金が必要なのか? 寝返るなら、ネルソンの情報を買ってやるぞ。それにネルソン家は早々に潰れる。未払い分があるなら入って来ない。良く考えろ」
真っ直ぐ見つめるマッシュに、対峙する狼人は逡巡の素振りを見せる。向ける刃から力強さは零れ落ち、妄言と言い切った言葉に心が揺れて行く。
「あ、兄貴! 騙されるな。デタラメだ!」
業を煮やした弟が叫ぶ。その揺れる声から、迷いは明らか。
「う、嘘じゃ、ありません! その中央云々という話は分かりませんが、ハルさんは店長で、副団長で、勇者直属です」
袋を被せられ、少しくぐもってはいるもののエレナはハッキリと言い切る。突然のエレナの言葉は、この場の空気を揺らすのに十分だった。
揺れる部屋の空気を感じる。兄は前を向いたまま、その言葉の真偽を逡巡して行く。
「お前の落ち着きとあの言葉は、そこから来ているのか?」
「どうでしょう? 分かりませんが、心の片隅にあったのかも知れません」
“何とかしてしまう”と言い切ったエレナの言葉が、兄の心にずっと引っかかっていた。
妄言と片づけるには説得力を持ってしまった、捨てるに捨てられないエレナの言葉。兄は明らかな動揺、心の揺れを見せる。
その姿をマッシュは、見過ごしはしなかった。
「正直、三下なら掃いて捨てて終わりだ。ただ、お前さん達は違う。このままやり合った所で互いに痛い思いをするだけ。お前さんがさっき言った通り無駄な事だ」
迷いは切っ先からも分かる程。気を抜けば兄の切っ先は、力無く下を向く。その度に剣を握る手に力を込め直していた。
動じないマッシュとフェイン、そしてエレナ。
マッシュは追い討ちを掛けるがごとく口を開く。
「いくらで契約した? こっちが色をつけて払ってやる。本当だ」
マッシュは兄を見つめながら、そっと床に長ナイフを置く。対峙する狼人が警戒を見せる。マッシュは警戒を制しながら、腰の革箱からジャラっとなる皮の小袋をゆっくりと取り出して行った。
「前金で1万はある。どうだ、あといくら必要だ?」
「兄貴、騙されるなよ。払うわけが無い」
「さっきも言った。ネルソンからお前さん達に金は支払われない。良く考えろ、胡散臭いイスタバールの金持ちと勇者。どっちを信用する?」
「⋯⋯残り3万だ」
兄は弟を制する様に言う。その言葉にマッシュは軽く頷きながら答える。
「ふたりでか?」
「ああ。そうだ」
「分かった。ひとり2万ずつ、4万払う。どうだ?」
一瞬の逡巡。兄は切っ先を下ろし、弟はその姿に怪訝な表情を浮かべながらも、エレナから刃を離した。
「いいだろう。面倒な思いをせずに金が入るなら、願ったりだ。それであんた達は調教店に雇われたのか? いや、違うな。金の交渉を勝手に出来るって事は【スミテマアルバレギオ】の人間か?」
「ハハ。お前さん鋭いな。オレはマッシュ、あっちはフェイン。そして椅子に縛られているのはエレナ。三人とも【スミテマアルバレギオ】の人間だ。お前さん達は?」
「こいつもか!? オレは、アルシュ。向こうは弟のカラシュだ。で、何が知りたい? 下っ端のオレ達じゃ、大した情報を持っていないぞ」
「構わんよ。何でもいい」
アルシュはエレナに視線を向け、少しばかり驚いてみせる。
だがすぐに、“おい”と言ってエレナを顎で指すと、カラシュが黙ってエレナの拘束を解いて行った。
◇◇◇◇
キノの飛び込みに怯むチンピラ達。ハメスの前に出来ていた人の壁が割れて行く。
キノの作ったハメスへの一本道。クエイサーがキノに劣らない速さで、その一本道へと飛び込んだ。
勝負は一瞬で片が付く。眼前に勢い良く飛び込んで来た白髪の幼女の刃に、ハメスは無様に腰を抜かした。
クエイサーが続く。その大きな手でハメスの両肩を地面へと押さえ付けて行った。
『『⋯⋯グゥゥゥゥ⋯⋯』』
地面に無様に仰向けるハメスの眼前に、サーベルタイガーの鋭い牙。吐息がかかる程、顔を寄せられ、逃れ様と必死にもがいて見せた。
犬歯を剥き出しにして威嚇する巨躯に、ハメスの出来る事など何も無く、ただただ無様な姿を晒す。
醜く藻掻く雇い主の姿に、動揺は取り囲む男達に一瞬で広がって行った。男達の体は硬直し、思考は停止。動けない男達がハルを取り囲むも、出来る事は何も無い。
ハメスの狭い視界に映る小さな足。覗き込む青い瞳は冷え冷えした笑みを湛え、見下して行く。
「ほら、もう終わりよ。散れ! 帰りな!」
ハルの足元に転がるハメスの姿。チンピラ達は互いに顔を見合わせて、次の行動を考えあぐねていた。
「お、お前達! な、何をしている! こやつらを⋯⋯」
醜く叫びを上げるハメスの頬に、ハルは冷徹な刃を軽く添えた。その輝く銀の刃を横目で見つめ、ハメスは静かに口を閉じて行く。
「やっと、黙った。ほら、全員を解散させろ。今すぐにだ、早くしろ」
「ヒッ!」
ハルは剣を握る手に少しばかり力を込めた。目を剥き、表情を引きつらせる男に反論の余地は無く、素直に従うしか無い。
「お前達、か、解散だ⋯⋯」
「だってさ。ほら、聞いただろう、帰れ、帰れ。二度と来んな!」
「こ、こんな事をしてタダで済むと思っているのか」
「タダ? そうね。いくらか頂かないとわりに合わないわ」
「フン、強がっているのも今の内だけだ」
「絵に描いた様な負け犬の遠吠えね。いくらでも、ほざいていればいいわ」
冷笑を浮かべ見下ろすハルを睨め付けるハメス。その目はまだ死んでいなかった。
「何とでも言え。吠え面をかくのはお前の方だ⋯⋯見ておれよ⋯⋯」
絞り出したその言葉。その言葉の裏に何かを感じ、ハルは怪訝な表情を浮かべて行く。




