第5石「静かな夜に」
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地球へ来てから初めての夜。
オニキスに「見張りをしておけ」と言われた通り、ラルドは大きな毛布にくるまりながらモール三階の巨大な窓から砂漠を見渡していた。
実際、警戒しておかなければ宝石蟲がいつ襲い来るかわからない。オニキス曰く宝石蟲は墜落した巣蟲船の傍には近づかないらしいものの、そうでなくともラジオを聞いたバンガローズが引き返してくる可能性も十分はある。
が、今のところは穏やかな砂漠が広がるばかりであり、風で建物が軋む音だけが周囲に響いている。
「誰も、何もいないな……」
「流石に夜は冷えるね」
「ん!?」
後ろから階段を上る軽めの足音と共に現れた、サファの声にわかりやすくラルドの肩が跳ね上がった。
「そんなにびっくりしなくても」
「ご、ごめん、景色に集中してたから。どうかしたの?」
「マリーさんが"おゆはん"を作ってる間、お前も見張りに行けって言われた」
サファがラルドの隣に腰を下ろし、夜の砂漠を見始めた。と、同時に彼の肩をちょんちょんとつつく。
「毛布、使わせて。結構余ってるし」
「え!? あ、そう、だね!」
「ありがと」
肩が触れ合いそうなほど近くへ来たサファは何の躊躇いもなくラルドと同じ毛布を掛け、顔色ひとつ変えないまま砂漠を凝視し始めた。
夕方の膝枕の件といい、彼女にはそういうところがある。年頃の割に異性を意識するといったことにまるで無頓着で、故に幼馴染みであるラルドは何度も緊張する羽目になってきた。今のように。
しばらく無言のままラルドの耳が少しずつ赤くなり始めていたその時、階段を上りくる重い足音が近づいてきた。オニキスだ。
「……邪魔しちまったかな」
「いえ、別に。おゆはんは出来ましたか」
サファの問いに「もう少しらしい」と答えながら二人の少し後ろに座り込むオニキス。ラルドは少し残念そうにしたが、同時に安心もしていた。
オニキスは二人の後ろから夜の砂漠を見ながら静かだな、と唸る。
「ここらは比較的《死の雨》の影響が薄いな。宇宙へ向かう蟲巣船が少なかったんだろう」
「死の雨、とは?」
「そっちで聖戦と呼んでいる現象の日に起きる雨さ。地球全土の宝石蟲が一斉に月へ向かって飛び立とうとするんだ、この地表がどうなるかはわかるだろう」
「??」
二人揃って顎に手を当てながら頭上にハテナマークを浮かべるサファとラルドを見てオニキスは察する。
「そうか、情報規制の世界だもんな……知らなくて当然か……」
「は?」
「サファ、すぐキレようとしないで」
ラルドがサファをなだめる傍らでオニキスは夜空を指差しながら続ける。
「地球がこうなる前から存在するらしい、衛星軌道上を覆っているオービタルリング。三本のタケノハシラと繋がったあの宇宙ステーションが持つ役割は、地球外貿易の為だけじゃない。あれに無数の可動式レーザー砲が装備されているのは知っているか?」
「知りませんでした」
「あのレーザー砲は本来隕石や宇宙ゴミの処理に使われていたらしいが、今は専ら対宝石蟲用の迎撃システムだ。しかも自動で攻撃するセンサーまで後付けしたらしく、このセンサーの動作条件が厄介でな……」
腕を組みながら神妙な声色になるオニキスの話を、二人は息を呑みながら聞き続ける。
「地球の飛行物体が一定の高度……地上634メートル地点ってのが通説で、ハッキリはしていないんだが……その高度に達するとセンサーに引っ掛かり、可動式レーザー砲が自動的に攻撃を開始するようになっている。それも正確な狙いなんて定めずに"だいたい"でバカスカ撃つもんだから、地表は穴ボコだらけさ」
──その迎撃レーザーの通称が、死の雨。
宇宙で迎え撃つ宝石蟲はこれでも処理しきれなかった分であり、この防衛システムがなければ今頃月は陥落していただろう、とオニキスは付け加えた。またしても月にいる限りは絶対に知り得なかった情報を突き付けられたサファは絶句する。
「聖戦の日の地表が、そんなことに……」
「"だいたい"とは言っても死の雨が降るのは宝石蟲の活性化エリアばかりだから街にまで被害は及ばないが、宝の船である蟲巣船が墜ちてくるのはその活性化エリアだ。だから死の雨に巻き込まれない範囲ギリギリで船が降ってくるのを待つ、それがデキるスカベンジャーの立ち回りってやつだ。昼の一隻は偶然活性化エリア外へ墜ちてきたはぐれ蟲巣船だったけどな」
「えっと……じゃあリングのセンサーがある限り、地球では空を飛べないってことですか?」
「そういうことだラルド」
「しかもセンサーは年中無休で作動中ときたもんだから、帝国の艦隊が降下する時は攻撃地点に含まれないタケノハシラ付近のインペリアル・テリトリィから来るそうだ」とオニキスは補足する。
だから今の地球からは"航空機"の概念が消え、陸上船での移動が主流となった。帝国の軍艦同様、陸上船であっても大型のジュエル・エンジンをフル稼働させれば本来は飛行が可能ではあるが、現在はそれが叶わない。
そこまで聞いて、サファはこの地球上にもセルジュエルを動力源に用いたマシンがしっかりと流通していることに気付いた。
「船や宝玉機、それに街のライフラインが機能しているということは、セル原石がセルジュエルに加工されている……つまり地球にセル原石の加工場があるんですよね。セル原石の加工は月以外では禁止されているはずですが」
「加工場なんてどの街にもあるさ。月の技術者だって結構な数が降りてきてるしな。そうでもしなきゃ生きていけない、この星はルール無用の地なのさ」
「……それが、地球の現実」
サファは毛布を落としながら立ち上がり、夜空を見上げる。
地球に多大な被害が及ぶ聖戦。それが年にいちどは必ず発生し、あれだけの規模の迎撃があるにも関わらず宝石蟲は一向に途絶える気配がない。新たに宝石蟲についての疑問が生まれたサファはオニキスの方へ振り返る。
「聖戦で死んだ宝石蟲は何万匹という規模に及ぶはず。だのに、地表からは彼らがとめどなく溢れ出して根絶が出来ないのはどうして?」
「ヤツらの繁殖力に関しては未解明な部分が多すぎる。しかし一説によると、東の地にある地下深くには、大本の巣があるのでは……と言われている」
「大本の、巣……」
兄を探すことも重要だが、地球が抱えた闇の真実を前にサファは焦燥感を覚えずにはいられなかった。いや、このまま宝石蟲が増え続ければ月の陥落も時間の問題だ。オービタルリングだっていつまで持つかわからないのに。
オレからも質問をいいか、とオニキスが切り出した。
「宝石蟲どもが月へ向かって飛び立つのは何故だ?」
「それは、月に貯蔵されている大量のセルジュエルを狙って……。……!」
学校で習う事柄を口にしたサファであったが、その瞬間矛盾に気付く。
セル原石の加工場は月にしか存在しないという先入観は、先程打ち破られたばかりではないか。
地球上にも、セルジュエルは在る。しかも工場は一件ではない、月よりもはるかに広いこの土地にセルジュエルはいくらでも在るはず。にも関わらず、レーザーや帝国艦隊に攻撃されるリスクを冒してまで月を目指す理由は何だ? 本当に彼らの標的はセルジュエルなのか?
教育の中に潜んだ矛盾に気付けこそしたが、サファには質問の答えを見つけることができなかった。
「……ごめんなさい。正確な理由は、わからない」
「気にするな。帝国の情報規制は徹底しているしな。逆に、ただセルジュエルが目的ではない、ということの裏付けになったようなものさ」
「お~い三人とも~、おゆはんできたぞい」
そこへ呼びに来たのはメジスだった。「とにかく腹ごしらえだ」とオニキスは階段を下りて行き、ラルドも彼を追いかけようとしたが、立ち尽くすサファの方へ振り返った。
「サファ、どうかした?」
「……ううん、なんでも。行こうか」
ラルドの背中を追いながらもサファは、先程の話のショックを隠せずにいた。
「わたしは……世界を何も知らない……」
夜は、自分の行いを整理する時間だという。
サファは小窓から月明かりが差し込む個室で、ベッドの上に置かれていた赤いジャージへの着替えを終えていた。
ハーフシェルに幾つかある空き部屋の一つであるここは、広さは二畳ほどでほぼベッドしかない部屋だが無いよりはマシ精神でサファは使わせて貰うことにした。ラルドも同様の別室を貰えたらしい。このジャージはメジスが適用に用意してくれていたようだ。
汚れた制服をハンガーに掛けながら、同じく汚れた桃色の羽織をそっと指でなぞる。この羽織は小学校の入学祝として、父から贈られたものであった。当時は裾が地に着いてしまうほど長く大きかったが、現在はしっかりと着こなせている。
これも結構汚れてしまった、とサファはため息をつく。洗濯機はこの船にあるらしいので明日から家事手伝いも兼ねて働いてもらう、と先程オニキスに言われた。
「ていうか、もう寝よう」
サファはベッドに入り、布団を被りながら昼間の戦闘を想起する。
自分は殺されかけた。殺しかけた。あの時は無我夢中で、覚悟をしてみせたものの、次にまた戦闘があった時に決断できる自信がなかった。
「これが、地球か」
誰にも聞こえない声で、そうつぶやく。
その時、廊下の方から軽めの足音が近付いてきた。オニキスでないことは確かだが、誰だろう。足音は部屋の前で止まり、静かに戸を開いた音がしたのでサファは布団を被ったまま、寝たふりをする。
「……サファ。この星には、女神ダイヤが残した言葉があっての」
メジスだ。
「"心の輝きを失うな"……おぬしが傷付けば、儂らが磨いてピカピカにしてやる。だから、あまり気負いすぎるでないぞ」
メジスの優しい声が終わると、戸を閉める音の後で、軽い足音が部屋から遠ざかっていった。
サファは少し目を開き、軽くため息を吐いてから眉間に皺を寄せ、唇を噛んだ。
あの言葉を受け止めるべきか、聞かなかったことにするべきか。
悩んでいるうちに、意識は次第にまどろんでいった。
【女神ダイヤ】
1000年前に人類滅亡の危機を回避したとされる伝説の少女。
一時的に宝石蟲を退けた彼女は人類の安寧の地たる防壁を創造し、地脈へと三本の楔を打ち込み、天空の輪を創造し、文明を守ったという。また、彼女のある行いが宝玉機誕生のきっかけを作ったとも。
ツキノミヤコではダイヤを地球の女神として崇め奉るダイヤ教が伝えられている。