第4石「帝国の脅威」
○
一見夕焼け空のようだが、これはツキノミヤコの巨大ドーム型スクリーンに投影された偽りの空だ。
この帝国は月面にありながら、そうした工夫で太陽の位置により朝昼晩を演出する。そんな皇都の中央そびえるのは、五重の塔を思わせる高い皇城。
その内部──赤と金を基調とした豪勢な装飾が施された謁見の間の、レッドカーペットを重い足取りで進む二つの影は赤い仮面の男ルヴィエルと、隣の白いローブを目深に被った男は、教会に居たダイヤ教の主教であった。
二人の先に座するは、全身に黒い鎧を纏った大男。月面帝国初代皇帝、ジプサム・ツキノ。国家としての帝国が栄えてから数百年は経っているものの、ジプサムは不死の術を会得しているという噂があるが、詳細は謎に包まれている。実際、彼の素顔を見た者すらいないという。
「よく来てくれた。愛する同志たち」
皇帝ジプサムは大柄な見た目に似合わず、爽やかな好青年のような声をしていた。その声にはある種のカリスマが含まれており、実際皇帝に心酔している者も少なくはなく、このダイヤ教の主教──メノーもその一人であった。
「このたびは裏切り者の特定、見事な手際でございました、皇帝陛下」
「ありがとうメノー。なに、自分の娘の行動パターンくらい読めて当然さ……ところで、それについてなのだが」
ジプサムはメノーに兜の裏から微笑みかけてから、ルヴィエルの方を見るなり首をかしげる。
「……サファの首はどうした? 持っていないようだけれど」
「それが、皇女殿下は……」
言い淀んだルヴィエルに、ジプサムは驚いたような声色に変わった。
「まさか? ヘマをしたのか? ルヴィエル?」
「皇女殿下は! 蟲巣船と共に地球の重力に引かれていきました! オービタルリングのレーザーで粉々になるはずです、生きてはいません!!」
「生きていたら?」
「生きていたら」
ルヴィエルの息が詰まる。ジプサムは彼の返答を待つことなく淡々と質問を重ねる。
「もし生きていたら、虚偽の申告をした君はどう責任を取るんだ?」
「……ち、地球へ降下いたします! 大隊を率いて地球へ降下し、墜落した蟲巣船を発見し、殿下の遺体を持ち帰ります!」
「やっぱりヘマをしたんじゃないか、ルヴィエル。君のヘマひとつでどれだけの時間が無駄になる? これは"例の計画"に費やすはずの時間なんだぞ? それに艦隊を動かすのにどれほどのセルジュエルを消耗する? 資源は無限じゃあないんだぞ?」
「あ」
「君のせいで、仕事が増えたんだが?」
ジプサムが掛ける圧に対し、フードの下でくすくすと嘲笑するメノーの傍ら、言葉を失い立ち尽くすルヴィエル。
そんな彼に、玉座から立ち上がったジプサムはゆっくりと階段を下りながら、笑いかけるようにして──表情は見えないが──言葉を続けた。
「大丈夫、責めたりはしないよ。ただ、教育はする」
「……」
「わかっているとは思うが、私は君たちを愛している。だからこそ私の言葉を真摯に受け止めてほしいんだ」
その言葉を皮切りに、ルヴィエルの目の前まで歩み寄ったジプサムは右手をかざすと、突然ルヴィエルの身体に黒い電流のような稲妻が発生した。
「があああああああああああ!!」
「ねえ、なんでこんな簡単なこともできないのかな。私言ったよね? 脱出艇撃墜するだけでいいって。護衛のアンダルもクソザコじゃんあんなの。私が君にどれだけの期待を寄せてるかわかってる?」
「おっしゃるとおりでございますうううううううう!!」
「君は選ばれたエリートなんだよ。莫大な金が動いてるんだよ。君とこの計画には。わかる? ねえ本当にわかってる?」
「こころにきざんでおりますうううううううああああああ!!!」
想像を絶する苦しみなのか声が裏返るほどの絶叫でルヴィエルが答えた後、ジプサムは右腕を下ろすと黒い電流が消滅し、ルヴィエルは四つん這いになりながら呼吸を整えていた。隣にいるメノーは彼を冷たい目で見降ろすばかりで何もしない。
「はぁ、あぁ、あぁぁ……」
「私は君を愛しているんだから、君も私を愛してくれ。わかったかな?」
「……はっ」
よろめきながらも立ち上がったルヴィエルはなんとか敬礼をする。そんな彼を無視して通り過ぎたジプサムはメノーを連れて部屋の隅にあるエレベーターまで歩き始めていた。
「待たせてすまなかったね、ラボへ向かうとしよう。研究成果が出たと聞いてわくわくしているよ」
「いえいえ、全ては皇帝陛下の為。未だ先輩には及びませんがこのメノー、日々精進しておりますゆえ」
「確かにレキは素晴らしい研究者であったが、君も才能に溢れているさ。せいぜいあの赤い奴のようなヘマはしないでくれよ、メノー」
ちらりとジプサムがルヴィエルの方へ首を向けた後、二人はエレベーターへ乗り込み上層のラボへと去って行った。
ルヴィエルはその様子を仮面越しに、憎悪の籠った瞳を向けていた。
木製の通路には白い鎧のようなスーツと、能面を思わせるデザインのマスクとヘルメットに身を包んだ帝国兵が小銃を持ち、ずらりと整列していた。
先頭にいた、肩に赤いマーキングが施された小隊長風の帝国兵が、謁見の間の扉から現れたルヴィエルの前に立ち、敬礼した。
「ルヴィエル様! 皇帝陛下は」
帝国兵が言い切る前に鈍い金属音がした。かと思えば、たちまち帝国兵の身体が斜めにずれ、その上半身がぼとりと床に落ち、血だまりが広がる。
ルヴィエルの右手に握られた輝石刀の色は、赤であった。
「俺より先に喋るな。タンパク質の塊が」
ルヴィエルは刀身を左の二の腕に挟んで付着した血を拭き取り、鞘に納める。他の帝国兵は整列したまま動かず、何も言わなかったが、わずかに震えている者もいた。
そんな部下たちには目もくれず足早に廊下を進んだルヴィエルは突き当たりに直立待機していた、細長いボディと頭部にビデオカメラをそのまま乗せたようなお粗末な出来の人型ロボット、ビスマン01(ゼロワン)に声を掛けた。
「命令は入っているはずだ。船の用意をしろ」
「あ、はい窺っております、ルヴィエル様。編成になりますがエンデル級が三隻、ジャスパー一機にクオーツ十七機……」
「よく喋るガラクタだな、既に頭に入っている。発声回路より手を動かせ」
「んあぁ、失礼いたしました」
ルヴィエルが宇宙港の方へ去った後、ビスマン01は丸い窓に映る地球を、自分のカメラレンズに反射させながらぽつりと呟いた。
「ついに、この時がきましたか」
●
地球へ降下するルヴィエルの部隊。
帝国の艦隊には降下ルートが定められており、それは決まって三本のタケノハシラ、いずれかの付近であった。
タケノハシラ内部には艦艇をそのまま輸送する機能は搭載されておらず、それらの降下や打ち上げは周囲にある帝国領≪インペリアル・テリトリィ≫内で行う必要がある。
大気圏へ再突入した艦隊の表面温度が上昇し、夕焼けの空にオレンジ色の閃光が降りてくる。帝国の巡洋艦はジュエル・エンジンをフル稼働させてバーニアを逆噴射し、減速を開始。やがて要塞都市とも形容されるインペリアル・テリトリィの表層が近付いてきた。
ガラス張りの外壁に夕陽が眩く反射する第三タケノハシラの地上施設へ降り立った三隻の巡洋艦が陸上ドックへと停泊する。
巡洋艦から降りたルヴィエルは大量の帝国兵を従えて行列を形成し、砂漠方面へ向かうため帝国製装甲列車・アーマートーレンへ乗り込むべく市内の駅を目指す。その行列の傍の車道では巡洋艦から降ろされた積荷や宝玉機を乗せた大型トレーラー達が、彼らを追い抜いてゆく。
ツキノミヤコのダイヤ教は大地の恵みに対する感謝の心を忘れず、母なる地球を愛し、慈しむ宗派だ。しかし月面帝国が地球人へ行っている実態は圧政、恐怖、搾取。そこには慈愛など一滴たりとも存在せず、家畜以下の虫ケラ扱い。
このような真実を月人は一切知る余地が無く、隠し通すことが出来ているという現状。ルヴィエルの大隊を、民衆から護衛する現地のクオーツに搭乗したパイロット、バルシは眼下に広がる貧民達を冷たい目で見下ろしていた。
「この足元にまとわりついてるの、蹴り飛ばしたって構わないんじゃないすか? いっそどこまで遠くに飛ばせるか勝負しますかい、ドルゴさん」
『まだそいつに乗って日が浅いお前は知らんだろうがな、基本的にこの機体は片足で立つことができない』
「マジっすか」
バルシ機の隣に立つ上司、ドルゴのクオーツからの通信。現在彼らの機体が装備しているライフルには実弾が込められており、有事の際には発砲を許可されているが無意味に騒ぎを起こすことは禁じられている。
そもそもクオーツの機体コンセプトは宝石蟲の迎撃、つまり射撃能力に秀でた拠点防衛用宝玉機である。故にドルゴの言葉通り運動性は低く、宝石蟲に組み付かれた際などは手慣れたパイロットでない限り為すすべなく撃破されてしまう。
装備換装によって無重量空間、重力下、両方で運用可能な汎用性の高さを持つものの宝玉機としては最低限の性能しかない。だが、それ以上の性能が求められることもない。
『お前が地球人を蹴り上げようとして片足で立った瞬間、その機体はバランスを崩し……まあ、次に乗らせてもらえるかどうかはお前の始末書次第ってとこだな』
「やめとくっす」
そもそも始末書で済むハズがないことはルヴィエルを見ていればわかることだ。彼は少しでも機嫌が悪いとすぐさま輝石刀で斬り伏せる。部下であろうと関係なく。
「赤い仮面に黒いマント、血のような色の輝石刀。皇帝のお気に入りかどうかは知らんけど、SF映画の悪役気取りなんすかね」とバルシは心の中で悪態をつきながら帝国兵を引き連れて進むルヴィエルの背中をクオーツの単眼カメラで捉え、ズームする。
すると画面の中のルヴィエルが立ち止まり、こちらに首を向け──笑った気がした。表情は一切見えないにも関わらず。
そんなワケがないと思いながらも気付けばバルシは汗を流しながらカメラの位置を正面へ戻していた。
「……ドルゴさん、ルヴィエルさんって心読めたりします?」
『……映画の観すぎだ、お前は』
立ち止まったルヴィエルは護衛のクオーツの奥にある第三タケノハシラとオービタルリングを見据えてから、再び歩き出す。
──リングのレーザーでも生きていたとするならば、皇女は身ひとつで砂漠のド真ん中へ放り出されたことになる。聖戦の後ということもあり宝石蟲は大人しくなっているだろうが、問題は野良スカベンジャー共に殺されていないかだ、と思案してから再び歩き出す。
仮に殺されていたとしても首さえ持ち帰ることが出来ればいいのだが、面倒が増えることには違いない。というか、自分以外の有象無象が皇女の首を取るのはかなり癪だ。ああ、やはり自分の手で殺したい。そうだ、俺が殺すべきなのだ。ヤツは恥と手間を俺に掛けさせた。スカベンジャー共へ指名手配など余計なことをしてくれたが、殺るのは俺だ。しかし、ヤツがもし運良く街へ辿り着けていたならば、おそらくそこは砂漠の都シバムだ。我々の部隊はそこへ先回りだ……。
「ルヴィエル様!?」
帝国兵士官の声で現実へ引き戻されるルヴィエル。考え込んでいた彼は駅への入り口から大きく逸れており、目の前では年老いた貧民の男性が食べ物をせがんでいた。
「ぐ、軍人さん! どうか、どうかお恵みを!」
「……俺の、ジャマを、するなッ!!」
ルヴィエルは再び腰の輝石刀へ手を伸ばし、男性へ向かって赤い刀身を振り下ろした。
夕方のモール跡。
その一角にあるシャッターに、まるでカマイタチに引き裂かれたかのような斬撃の痕が残っていた。
床から抉られるように続く斬撃痕をたどると、サファ・ツキノの背中に行き着き、彼女の前には太刀の刃を地面にめり込ませたオニキスの姿があった。
サファは抜刀姿勢のまま、その場から動いていなかった。じっとオニキスを睨んだまま、彼の攻撃の始終を目に焼き付けていたのだ。結果、その斬撃はサファには当たらなかったものの、振り下ろしてしまったオニキスは、遂に抜刀することのなかった彼女を見て、ひどい敗北感に苛まれた。
──この少女は、オレを信じた。なのにオレは、あの人の想いを踏みにじってまで……。
「…………。その度胸に免じて、お前の提案を呑もう」
「どういう心変わりです?」
「遠足感覚で地球へ降りて来たワケではないとわかったからさ」
オニキスは太刀を背中の鞘へ戻し、再び噴水に腰かける。ラルドは勿論、メジスやヘリオドールも内心ほっとした様子で椅子へ座った。
サファの方はというと未だに釈然としないまま、とりあえずテーブルへ戻りながら思考していた。
──抜刀が間に合わなかった。あの人の太刀筋は尋常ではない。あれほどの大きな刀を、輝石刀よりも素早く。しかも、斬撃が飛んだ。気付けば刃は飛んでいた。確実にわたしの身体は真っ二つになったものだと思っていた。完全にあちらが勝っていたのに、どういうことだ?
その時、メジスの椅子に立てかけてあったノートパソコンからアラームのような音が響いた。彼女はノートパソコンを机の上に開き、画面を覗き込む。
「おお、スカベンジャーの知り合いから指名手配の人相画像が届いたぞい」
「……ラジオもそうですけど、ここ砂漠のド真ん中ですよね。電波って届くんですか」
「地球を覆ってるアレが巨大な電波塔のようなものじゃからの。旧時代の偉人は、どこにでも電波を届かせる役割を宇宙ステーションに複合させたらしいぞい」
なるほど、と質問に答えてもらったサファは改めてメジスに画像を見せるよう催促する。
「で、一体どんな画像が使われてるんです」
「それがじゃな……その、ふふ」
メジスは苦笑しながらノートパソコンを一同の方へ向けた。
そこに表示されている画像には確かにサファが写っていた……が、それは現在のサファではなかった。隣のラルドが「あ、懐かしい」と小声で囁いた瞬間、サファは全てを察する。
映っていたのは、満面の笑顔で小学校の校門に立っている、幼少期のサファだ。
サファは顔を真っ赤にしてノートパソコンを奪い取り皆に背を向けた。
「……それから撮らせてなかったんです。写真は」
あー、ということは、とオニキスが笑いをこらえながら続ける。
「これなら早々に見つかる心配はないかもしれないな」
「じゃが、バンガローズだけにはサファの顔が割れとる。油断はしない方がいいかもの」
「それはそうだな……これから始まるのは過酷な旅。ルーインズはサファの兄探しと月までの護衛の任に就く。報酬は3憶キャラットとツキノミヤコの永住権。ヘリオとマリーも、それでいいか?」
メジス以外の二人にも改めて確認を取るオニキス。二人はすんなりと首を縦に振った。
「ボクは初めからオニキスに任せてたからね、別にいいんじゃない?」
「わ、私も。スイカ美味しそうに食べてくれたし……」
二人の承諾を得たオニキスは立ち上がり、五人の前でこれからのプランについて整理を始めた。
「まず兄探しの件だ。ルベラの行方は……オレたちが探している、ある男が手掛かりを持っているハズだ」
「ある男とは?」
「ウレキネフ=バッドマンと名乗る最凶最悪のスカベンジャー。そしてオレたちルーインズの最終目標さ」
オニキスが語ったのは、ウレキネフ=バッドマンという男について。
現在は冷酷非道なスカベンジャーとして活動している彼は、元々は帝国の優秀な科学者であり、オニキスを鎧だけの存在にした張本人でもあるという。
そしてメジスやヘリオもオニキス同様、彼の持つ医療技術へ辿り着こうとしている。詳細は省かれたが、ルーインズ三人の恨みを買った、仇とも言うべき人物のようだ。
話を聞いたサファであったが、兄の名前が挙がらないことに疑問を抱く。
「兄とその男に一体何の関係が」
「ルベラは、ヤツに追われて行方不明になった」
「え?」
「10年ほど前の話だがな……オレがウレキネフに殺されそうになっていたところを、ルベラが助けてくれたんだ。オレは彼に『妹を頼む』とだけ言われて、自分はウレキネフを引き付けたまま、姿を消してしまった」
「だから……わたしに会った時、念入りに身元の確認を……」
オニキスとの初対面を思い出すサファとラルド。
「じゃあ、ロードナイトはどうしてあそこに」
「月から降りてきた彼に託されたんだ。オレはジュエリストじゃないから動かすことも出来なかったが、まあ死に物狂いでなんとかここまで守ってこられたってワケだ」
「こんな、こんな偶然って……でも、ウレキネフの生存が確認されているってことは、兄は……」
「オレが直接会ったのはその時が最後だ。それからはメジス達と出会ってルーインズを結成して、皆でヤツを追うことになったのもここ数年の話。風の噂でヤツが生きていることもわかっているが、ルベラに関しては、本人に聞いてみるまではわからない」
ルーインズのメンバーにとっての因縁の相手は、サファにとっても同じであったという事実。彼女は帝国側の人間であったが、そのような男が兄と関係があったとは全く知らされていなかった。
「ウレキネフに会う必要がありますね」
「総ての道はウレキネフへ通じている。どうだ、サファ」
「それが唯一の手掛かりであるならば、真っ直ぐに歩み始めるのみ」
「……ありがとうな、信じてくれて」
「信じたというより、合理的だからです」とサファは返すが、彼女もまんざらでもない様子だった。
旅の方向性が決まったルーインズ。改めてオニキスはこれからの目的を確認する。
「そうと決まれば、我らルーインズは引き続きウレキネフ探しだ。あのクソ野郎もさっきのラジオを聞いていれば、却って表に出やすくなっているかもしれないしな。とりあえず、街へ向かってみるか」
「ほい、いつもの地図じゃ」
メジスがテーブルの上に広げたのは古びた地図。彼女はハーフシェルの現在地である砂漠の中心から西の方へ指をなぞり、その先にある街を指し示す。
「ここから寄れそうなのはシバム。スカベンジャーたちがよく立ち寄る都市じゃ。そこで情報を仕入れがてら、準備を整えるのはどうかの」
「物資の補給もしたかったし、丁度いいな。今夜はここで機体の修理を行い、明日の早朝には出発する。目指すは砂漠の都、シバム!」
オニキスの号令に湧き上がるメジス、ヘリオドール、トールマリー。
ルーインズの面々を眺めながら、サファとラルドは、遂に冒険が始まってしまったという確かな緊張感を帯びていた。
○
「帝国が地球軌道上の警戒を解除した? 本当か?」
資源衛星マヨヒガのバーを出たアンダルはフードで顔を隠しつつガネットへ新しく入った情報を聞く。
街灯に照らされたスラム街の歩道を並んで歩きながらガネットが答える。
「うん、マジ。でもやっぱり大気圏に突入するのは無理っぽいねー、オービタルリングのレーザーシステムの解除権は誰が持ってるかわからないって務めてるパリピも言ってたし、そもそも何十年も解除されたことないってさ」
「つまり……」
「タケノハシラで直接降りるしかないね」
やがて二人は路地裏へ入り、小汚いガレージのような倉庫へ行き当たった。アンダルがシャッターの横にあるボックスを鍵で開き、スイッチを押すとゆっくりとシャッターが開かれ──大型のトレーラーと、その荷台へ座り込むように固定された、左腕と右脚を失ったクオーツが姿を見せた。
この機体こそ、アンダルと命からがら逃げ延びてきたクオーツである。彼はトレーラーの荷台へ、ガネットは運転席へ乗り込みエンジンを掛けた。
「あたしの船がある宇宙港までこいつを持ってって、逃亡犯アンダルの識別信号が出ているクオーツを回収したってテイでオービタルリングへ潜入、ノコノコやってきた帝国兵をシバいてスーツを強奪、後は何食わぬ顔をしながらタケノハシラで地球へ降りる!」
「……改めて聞いても無茶な作戦に思えるが、本当にそうするしかないのか?」
「地球への無断降下って基本できないようになってるしねー、ワンチャンに賭けるしかないよ」
荷台側から運転席のガネットと話すアンダル。トレーラーは大通りへ出ると車通りの少ない道路を真っすぐに進んでいく。
確かにこの作戦が成功すれば殿下の元へ行けるかもしれないが、とアンダルが切り出した。
「あまりにも危険すぎる。やはり私の我儘に君が付き合う必要はない、宇宙港に着いたら適当な船を奪うから、君はもう」
「さっきも言ったじゃんおじサマ、この騒ぎは帝国の秘密を暴くきっかけになるかもしれないって。それに、あたしは元々いつ死んでもおかしくないような仕事してんだってば。だからおじサマが気に病む必要はナシ寄りのナシだよ」
「……すまないな。ありがとう、ガネッ……」
その時、アンダルは人の悲鳴を聞いた気がした。前方にある居住区からだ。
ガネットも何かを察したようで、車の速度を落とす。スラム街の光は灯りではなく、炎の様に見えた。
「やっばいなぁ……宇宙港、あの町通らなきゃなんですけど」
「テロか? いや、こんな辺境で……あれは、まさか」
民家を破壊しながら現れたソレに、アンダルの嫌な予感が的中する。
グリーンとピンクに発光する、透き通ったカマキリのような大型生物。見間違うはずもない、宝石蟲だ。
「聖戦の生き残りか!?」
「おじサマ、クオーツ乗って! 突っ切るよ!!」
アンダルはクオーツの股間にあるコクピットへ乗り込み、ハッチを閉める。ガネットはアクセルを踏み込み、燃え盛る町へと突っ込んだ。
高速で横切るトレーラーが視界に入ったカマキリ型宝石蟲が羽を広げ、飛翔しながらそれを追う。人を撥ねないように蛇行しながらガネットはアクセルから足を離さないものの、それ以上のスピードで迫る敵をアンダルはモニター越しに捉えた。
機体へ乗り込んだはいいが、現在使える装備は右手のワイヤーハンドのみで、これは武器と呼べるかさえ怪しい。立ち上がることも出来ないので、とてもではないが戦えそうにない。
「だが、ここで死ぬワケにもいかん!」
クオーツの単眼センサーが右へ向き、右手を荷台の外へ伸ばしたかと思うとすれ違いざまに道路標識をむしり取り、横向きに構えてみせた。
荷台へ飛び乗ったカマキリ型宝石蟲は両手の鎌を振り下ろすも、辛うじて標識の棒でガードに成功する。しかし直ぐに折れてしまいそうだ。
「離れろ害虫!!」
標識の棒が折れると同時に握ったままの形でワイヤーハンドを射出し、カマキリ型宝石蟲に頭部へパンチが命中する。一瞬怯むも立て直すが、ワイヤーハンドを巻き戻す途中で首の根元をしっかりと掴んだ。チャンスだ、とアンダルはガネットへ叫ぶ。
「ガネット、どこでもいい!! 曲がれ!!」
「りょっ!!」
トレーラーが急速で左折した瞬間、ワイヤーをクオーツ側から切り離す。直前まで釣られた魚のように握られていたカマキリ型宝石蟲は遠心力で前方にあったマンションへ猛スピードで叩きつけられ、建物の崩落に巻き込まれた。
「うぇーーーい!!」と喜びの声を上げながら町から離れるガネットと、胸を撫で下ろすアンダル。宝石蟲を殺せたかはわからないが、少なくとも時間を稼ぐことは出来ただろう。加えてこの騒ぎを聞きつけた帝国軍が到着するのも時間の問題であり、長居するわけにもいかなかった。
「おじサマ。あたしら、最強コンビ!」
「ふふ、調子の良い娘だ」
クオーツから荷台へ降りたアンダルは運転席の嬉しそうなガネットを微笑みながら眺めていた。
【宝石蟲】
カラフルで色とりどりで鮮やかに輝く人類の敵。大きさは宝玉機と同程度のものから倍以上のものまで多種多様。
現在は絶滅した昆虫の姿を取っており、各々の能力はその昆虫に準ずるものとなっている。一匹あたりの戦闘力は低いが基本的に群れで行動するため、物量攻撃による脅威度が極めて高い。また、最も巨大な巣が東の島国にあると判明しており、帝国軍が二度にわたり総攻撃を仕掛けているものの攻略は失敗に終わっている。
本能のままに人体とセルジュエルを捕食するその行動原理の全てが謎に包まれており、定期的に月面帝国を襲う理由も不明。幾度となく対話を試みる計画が持ち上がっては頓挫を繰り返しているようだ。
1000年前の出現時期についての詳細な詮索は禁止されており、帝国のデータベースからは削除されている。