第1石「月の皇女、母なる星へ」
サファ・ツキノは格納庫に佇む真紅のロボットを前にしていた。
全長10メートルほどの人型機動兵器、宝玉機──中でも少数しか存在しない高性能機、ナイト型に分類される機体、ロードナイト。
月の皇女、サファは深呼吸をしてからロードナイトへ乗り込むべく歩き出す。
サファがロードナイトに乗って戦うことになった経緯は、数日前にまでさかのぼる……。
『母なる大地からの恵みがあってこそ、我々月人は生き永らえることができるのです』
街の中心にある大きな教会の椅子に座りながら大司教の言葉を聞く、緑がかかった天然パーマの、黒い学生服の少年はラルド・クジョウ。
通学の道すがらこの教会へ寄ることが彼の日課となっている。長椅子の数は多いがそれでも毎朝半分以上が埋まっているほど、この教会には街の人々がよく訪れる場所だ。
『地球の女神、ダイヤ様へ祈りを捧げましょう……』
白いフードから整った顔を覗かせる男性の、大司教の言葉に合わせ、人々が両手を組み、目を閉じる。ラルドも閉じた目の中で、この月に恵みをもたらす母なる星、地球の女神──ダイヤへの感謝を捧げていた。
人類の故郷である地球が穢れた大地となったのは、1000年も前の話。
突如地脈からあふれ出した謎の生物、《宝石蟲》との戦いの影響で人類の半数が死滅。戦略兵器の多用によって海の殆どが干上がった荒野に、貧困層の人間だけを置き去りにし、人類のメインステージは月へと移行した。
やがて月人は、地球に巣くう宝石蟲から採取される《セル原石》と呼ばれる鉱石を《セルジュエル》へ加工することにより無尽蔵のエネルギーが得られることを見出す。
大地の恵みたるセル原石は、地球の鉄道で軌道エレベーターまで輸送されたのち、軌道上を覆うリング状の宇宙ステーション・オービタルリングを経由して月へもたらされ、工場で加工されることでセルジュエルが手に入る。セルジュエルは幅広く普及し、生活に欠かせない物質となったのだ。
これがダイヤ教という形で神聖視されているエネルギーの仕組みだ。地球はセル原石を育む神聖な星あると同時に、穢れた大地では人間は生きていけないともされている。
お祈りを済ませたラルドは学生鞄を片手に街を歩き出す。
かつて地球の東方に存在したとされる《アズマの国》を思わせる和の街並みは、1000年前の地球の資料を解読した結果完成したものだ。また、月面に造られたドーム状の大都市である《ツキノミヤコ》の天井は時間によって朝、昼、夕と色が変わるように投影されており、現在の青空は朝を示している。
ラルドが向かう先は学校へ向かうためのバス停。やがて見えてきた鳥居のような装飾が施されたバス停に立っている、長いポニーテールの青い髪の少女を見るなり彼は表情を緩ませながら駆けだした。
「サファ、おはよう! 久しぶり!」
サファと呼ばれた少女は赤い瞳だけをラルドの方へ向ける。
制服は学校指定のセーラー服だが、上からは桃色の花柄の、袖が長い羽織を身に着けており非常に目立つ。しかも青い髪には少し赤い髪も混ざっていることも相まってカラフルな印象が強い少女だ。
サファは「おはよ」とだけ返す。ラルドは彼女の隣に立ち、会話を続けた。
「最近学校に来てなかったから、心配したよ。体調は良さそうだけど……家の用事で忙しかったとか?」
「そんなところ」
「サファも朝のお祈り来ればよかったのに。なんていうか、さっぱり目が覚めるっていうか。今日も一日頑張ろうって気持ちになれるよ」
「……ダイヤ教は信用できない。帝国側に伝わっていることとまるで違うから」
サファが言った帝国とはジプサム・ツキノを皇帝とした月面帝国。この皇都ツキノミヤコに皇城を構える、現人類の文明の中心となっている国家だ。
「それってどういう」とラルドが聞き返そうとしたところで、丁度バスが到着した。
空席だらけの車内へ先に乗車したサファは一番後ろの席へ移動した。ラルドも彼女を追うように一番後ろへ行くも、隣に座るのはなんとなく気が引けるので互いに左右の端に腰を下ろす形となる。
発車アナウンスと同時に扉が閉まり、振動を伝えながらバスが走り出す。ラルドは落ち着かない様子のまま横目でサファを見るも、彼女は特に携帯を取り出すこともなく、ぼーっと流れゆく皇都の景色を眺めている。そんな彼女にラルドは軽く咳ばらいをしてから、小さな声で話しかけた。
「今日って"聖戦"の日だよね。サファのお父さん……皇帝陛下も戦艦に乗るの?」
「知らないし、別に知りたくもない。あの人から離れたくて一人暮らししてるんだから」
「そ、そっか……」
まともな会話が続かないまま、バスは二人が通う高校へと近づいてゆく。
サファの苗字は、ツキノ。現皇帝ジプサム・ツキノの娘で、帝国を率いる皇帝の娘である彼女は、皇女という立場にある。
ラルドとは小学校からの幼馴染みで、皇女という立場上接しづらい他の子どもと違い、ラルドはサファをよく遊びに誘っていた。
しかし睦まじい仲は10年前、ふたりが8歳の頃に綻びを見せた。
彼女の兄にあたる皇太子──ルベラ・ツキノが姿を消したのだ。家を飛び出し、地球へ降りたという噂が飛び交うが真相は不明。それからというもの、サファは以前までの明るさを失い、異常なまでに勉学や鍛錬に励むようになった。
18歳になった現在においても、ラルドはそんな彼女をずっと気にかけていた……。
月面を守るように展開された大艦隊は、壮観であった。
今日は年に1度の聖戦の日。目の前にある地球から皇都へ、宝石蟲どもの大群が押し寄せて来る日。だから帝国軍は皇都を守る為に迎撃・防衛の準備を固めている。
宝石蟲が月を目指す理由は解明されていないが、皇城地下に貯蔵された大量のセルジュエルを食いに来ているのではないか、という説がある。
そんな宇宙の様子が、教室の端の窓側に座るサファの携帯の画面に中継されていた。
彼女の携帯のみならずクラス中の生徒たちがタブレットを手に持ち、聖戦の準備を行う様子に目を奪われていた。
だが非情にも休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴り、教師が教室へ入ると生徒たちは文句を言いながらも端末をしまい、サファも同じようにした。そんな彼女を心配そうに横目で見る隣の席のラルド。さらにその二人を後ろの席からニヤつきながら興味深そうに眺める、黒髪に青と白のメッシュが入った派手な女子生徒。
──いつも通りの授業が始まろうとしたその時、開けっ放しの窓から勢いよく風が吹き込み、カーテンが激しく揺れた。
甲高いエンジン音を轟かせながらゆっくりと上空から下降してくる白い人型メカが、二機。ラルドとクラスの生徒達は興奮気味に窓の方へ駆け寄り、上空を仰ぎ見た。
「帝国軍の《宝玉機》!? なんで学校に!?」
宝玉機とは、現代における人型機動兵器の総称である。
10メートル級の全高を持つそのマシンは一般的な機械同様、セルジュエルを利用したジュエル・エンジンで稼働しており、胸部には銀色に輝く球状のセルジュエルが露出している。
この赤い単眼と白いボディが特徴的な機体は、最も見慣れた月面帝国の主力宝玉機──《クオーツ》の地上型だ。二機のクオーツは砂煙を巻き上げながら校庭に着陸すると、肩部に設置されたスピーカーから校舎に向かって呼びかけた。
『サファ・ツキノ殿下!』
ややハウリングした、スピーカー越しの男性の声が校舎全体に反響する。
教室では生徒の輪に加わることなく、自分の席で頬杖をついていたサファは軽くため息を吐いてから立ち上がり、人波をかき分けて窓からクオーツの単眼カメラと目を合わせつつ、スピーカーの声に応じた。
「要件はわかっています。そちらへ向かいますから、手荒な真似はしないように! いいですね!」
ざわつく生徒達には脇目も振らず教室を飛び出すサファ。
彼女には友達らしい友達はいなかった。皇女という立場のせいもあるが、遊んでいる暇があれば鍛錬に打ち込む"今の"彼女の性格が主な原因である。
しかしそんな彼女を唯一追って走り出した男子生徒が、ラルドであった。彼は足早に階段を下りるサファに追いついてから声をかけ、踊り場で肩に手をかけて立ち止まらせる。
「帝国軍が宝玉機で学校まで押しかけて来るなんて、普通じゃないよ。まずは先生に行かせた方がいい」
「あなたには関係の無い話。放っておいて」
手を払いのけ、ずんずんと先に進むサファ。構わずにラルドは後を追いながらその背中に声をかけ続ける。
「とっくに解決したはずの"クサナギ家襲撃"の件だって、君が疑われて拘束されたことがあったじゃないか。もし、今回もそんな感じだったら」
「教室に戻って。庶民が皇族の事情に首を突っ込まないで!」
「……お兄さんのことと関係が?」
きっ、と振り向いたサファは、そのままラルドの頬を打った。兄の話題を振られた瞬間、鬼のような形相へ豹変した彼女は言い放つ。
「もう、わたしに関わらないで」
「おれは、退かない……!」
泣きそうになりながら痛む頬を押さえながらも尚サファを追うラルド。校庭に出た二人は、二機立っているうちの手前のクオーツの前で立ち止まり、サファはパイロットへ声をかけた。
「先日の、セル原石持ち出しの件ですね。指示に従いましょう」
『無礼をお許しください、殿下。緊急の事態なのであります』
渋い男性の声が奥の機体から響く。校舎の窓から校庭の様子を覗く生徒達には、教師が席へ戻るように注意するも聞く耳を持たない。ギャラリーの中には先程の派手な髪色の女子生徒もおり、携帯のカメラでサファの様子を動画に収めていた。
やがて奥のクオーツが数歩踏み出し、ゆっくりと片膝をついてから股間部のコクピットハッチを開き、中からは白いパイロットスーツ姿の屈強な男性が、ヘルメットを外しながら校庭の砂を踏みしめた。褐色の肌と立派な顎髭を露にした男性は、後方のクオーツに乗っている部下へ確認を取る。
「殿下は私が責任を以って基地までお連れ致す! 構わんな?」
『はっ!』
「サファ・ツキノ殿下を、宝物窃盗の疑いで拘束させていただく!」
帝国のエースパイロット、アンダル・イズミは有無を言わさずサファを連れて行こうとするが、傍にいたラルドが彼の行く先へ先回りし、両手を広げ行く手を阻んだ。
「サファが窃盗なんてするはずないじゃないですか! また濡れ衣で連れて行くんですか!?」
「やめてラルド!」
アンダルに掴みかかるラルドに、サファの制止の声は聞かない。
「これ、やめなさい君!」
「帝国なんかがあるから!!」
『アンダル大尉!』
クオーツから揉めている様子を見たアンダルの部下は機体を降り、背後からラルドへチョークスリーパーを仕掛けて失神させた。彼を乱雑に担ぎ上げた帝国兵は自分の機体へ向かう。
「この者は立派な反逆者です。彼も拘束しましょう」
「……まあいい、連れて行け」
アンダルとサファは盛大にため息を吐きたい気持ちを抑えながら二人もクオーツへ乗り込み、二機は腰部のウイングを広げてゆっくりと上昇する。
何がなんだかわからないといった様子で校舎の窓から見上げている生徒達の視線を受けながら、二機のクオーツは基地へ向かって飛行を開始した。
だから、あの派手な女子生徒が教室から消えていることにも、誰も気付かなかった。
まるで椅子だけが浮いているような全天囲モニターの補助席に座りながら、サファは流れてゆく皇都の街並みを眺めていた。今は朝だが、天井が夜に切り替わった後には美しい灯篭が街を彩る。幼少期には皇城からよく夜景を眺めていたものだ。
──まだあの時は、隣に兄さんがいたのに。
「アンダル、基地に着いたら脱出艇の用意を優先して。準備が出来次第、わたしの独房へ」
「お任せを。このアンダル、必ずや殿下を地球までお連れいたしましょう」
そう、サファは窃盗などしていない。これはアンダルと打ち合わせた謀である。
二人が計画したのは、皇女拘束に見せかけた月面脱出計画であった。
クオーツは皇都上空を飛び巡り、宇宙港付近の帝国基地を目指す。
小さな窓からは地球から伸びた軌道エレベーター《タケノハシラ》と、オービタルリング付近の様子が窺える。
やがて地球から飛来する宝石蟲の大群がオービタルリングの防衛網を突破し、宝玉機大隊がぶつかり、爆発光が交差する。遂に戦闘が始まったのだ。
この独房に入ってから一時間ほどが経っただろうか、という頃に扉がノックされると小窓からサファの見知った顔が現れた。
「来ましたね。アンダル」
「殿下をお迎えに参上致しました。こちらへ」
カードキーで扉のロックを解除したアンダルはサファの手を引いて木製の廊下を走りだそうとした時、彼女は一瞬思案し、隣の独房を指差した。
「ついでに、そこも開けてあげて」
アンダルは少し戸惑いながらもカードキーを通し、隣の独房の扉を開いた。無事解放されたラルドは再びサファと対面するが、そんな彼に彼女は一言だけ告げた。
「どこへでも逃げればいい。もうわたしを追おうなんて思わないで」
「サファ、君は一体何を……」
「行きましょう」
立ち尽くすラルドを置いてアンダルとサファは廊下を突き進んでいく。決して振り向くことなく、ただ己の目的を完遂することに意識を集中させて。
監視カメラは事前にアンダルが無効化したが、今は聖戦で兵士が出払っており、どのみち気付かれてはいないようだ。だからこそこのタイミングでの脱走を計画したワケだが。
曲がり角を警戒しながら突き進むサファは、改めてアンダルに問う。
「優秀な隊長であるおまえが聖戦の参加を断ってまで、なぜわたしの計画に協力しようと?」
「地球へ降りたと噂の、皇太子様……ルベラ様が気に掛かりましてな。殿下を地球へ降ろす危険は承知でありますが……しかし正直、今の皇帝陛下は信用なりませぬ」
「おまえは父に忠誠を誓っていたはずです」
「ご不憫な殿下をこれ以上は見過ごせませぬ。10年前、ルベラ様が愛機の《ロードナイト》と共に姿を消された後、皇帝陛下は変わってしまわれた。いや、陛下だけでなく帝国そのものが……」
「アンダル……」
「地球までご一緒したいところではありますが、囮にしかなれぬ力不足、お許しくだされ。……殿下、これを。お忘れになられておりましたゆえ」
発着場へ繋がる扉の物陰で、アンダルは黒い鞘に収まった日本刀と、その補助の為の指抜きグローブを差し出す。サファはグローブをしてから刀を受け取り、ゆっくりと抜刀するとそれは美しい、青く透き通った刀身が露わになった。
セルジュエルとは異なる、貴重物質である《コアジュエル》によって刀身が形成された刀、《輝石刀》。コアジュエルを輝かせる素質を持つ者の必需品であり、その証明品でもあり、特別な宝玉機の起動キーにもなる、神聖な武器である。
納得したように頷いた後、サファは輝石刀を納刀し、左腰に携えた。
「恩に着ます、アンダル」
「脱出艇まであと少しでございます。こちらへ」
誰もいない発着場を駆け抜けた二人は、いとも簡単に大気圏突入機能を持った小型脱出艇の前へとたどり着く。
サファはいつでも輝石刀を抜刀できるようにしながら誰も乗っていないかを確認し、操縦席へつく。アンダルはドックに残されている正座していた宇宙型クオーツのコクピットハッチを開いて操縦席へ飛び乗り、起動させる。
立ち上がらせ、歩きながら脱出艇を誘導しつつ鳥居のようなデザインの大型ゲートを開くとクオーツの足がゆっくりと浮き上がった。無重力空間へと躍り出たのだ。
これが宇宙空間。月と地球の間は、近いようで遠い。
『10分後に戦闘区域です。宝石蟲どもを突っ切りますぞ』
アンダルのクオーツからの通信。窓からその特徴的な一つ目の頭部、白いボディ、宇宙型特有の、背部姿勢制御用スラスターが順番にサファの視界に入り、機体は脱出艇の前方へ位置する。
「ええ、わたしも上手く避けてみせます。大丈夫よアンダル。焦らないで、やればできる、きっとできる……」
半分は自分にも言い聞かせていた。不安だったのだ。何か、少し……上手くいきすぎている気がしたのだ。
バックモニターに映る巨大な鳥居、宇宙港の入り口が小さくなってゆく。正面の大艦隊が徐々に迫ってくる。
「サファ」
「は?」
小さく聞こえたその声に思わず素で返すサファ。振り向くと、後部座席の陰からひょっこりとラルドが現れたではないか。
「なんで!? いつ!? どうやって!?」
「どうしても諦めがつかなくて、君を追ってしまったんだ。そうしたら、地球へ向かうだなんて話が聞こえてきて、一体どういうつもりなんだ……!?」
『殿下、どうかなさいましたか』
心配そうなアンダルの通信にサファはひと呼吸置き、頭を抱えながら低い声で返答した。
「……解放した民間人が紛れ込んでいました。まあ構いません、地球に到着したらその辺に放り出すか、最悪始末しますので」
「勝手に地球へ降りるなんていくらサファでもマズいって! 穢れた大地だよ!? ダイヤ様のバチが当たるかもよ!? 」
「この場で斬り伏せてもいいんですけどねぇ!?」
左手で鞘に手を掛け、眉間に皺を寄せながらサファが言うと「そんなぁ」とラルドは大人しくなった。
やがて戦闘宙域へと近づき、地球方面から飛来する宝石蟲の大群が視認できた。その形は様々で、色とりどりの宝石のような鉱物を身に着けていること以外に共通点は無い。中でも聖戦に加わるのは甲虫型やカマキリ型、トンボ型、ハチ型など飛行能力を持つ個体ばかりで、そのどれもが3メートル~10メートルまでのサイズだ。
クオーツの大隊が交戦する宙域に入り、アンダルの機体は右腕に装備されたライフルを構える。サファ達の脱出艇に近付けまいと、こちらを補足した宝石蟲を確実に撃ち落としてゆく。ハチ型宝石蟲がアンダル機に組み付こうとするも機体を大きくねじるようにしてひらりと躱し、その背面にライフルの実弾を撃ち込むとハチ型宝石蟲の身体が裂け、四散した。
「やはりアンダルは強い。このままオービタルリングまで辿り着ければ、大気圏に突入できる!」
『──来ると思っていたぞ、皇女殿下』
謎の通信が入った瞬間、脱出艇が大きく揺れた。アンダルがそちらに目をやると、黒いボディを持った謎の宝玉機が脱出艇の上に仁王立ちしていた。クオーツに似ているが、それはサファも見たことがない機種であるようだ。
『ずっとこの時を待ち望んでいた……宇宙の藻屑となれ、サファ・ツキノ!!』
『殿下ッ!!』
アンダル機は左手でヒートブレードを構え、黒い宝玉機に斬りかかるが、相手はアンダルの方を見ないまま、腕部の装甲だけで刃を受け止めた。
『もはやクオーツなど、この《ジャスパー》の足元にも及ばん』
『殿下に仇なす逆賊め! 名と所属は!?』
『俺はルヴィエル。ジプサム皇帝陛下の忠実なるしもべだ』
『皇帝陛下だと……!? 皇帝陛下の命令で、殿下を手に掛けるつもりか!?』
『そのつもりだ!!』
腕部の装甲からヒートブレードを展開したジャスパーはアンダル機を振り払いながらその左腕を溶断する。すぐさま残った右腕のライフルを構えるも、脱出艇の上に居られたままでは発砲できない。サファの方も武装を持たない脱出艇ではどうすることもできずにいた。
『まさか、わざと脱走させた上で、この乱戦のどさくさで殿下を……』
『話が早いな。さて、兄と同じように消えてもらおうか』
「──兄と同じように!? ルヴィエルという男、話を聞かせなさい!! いつまでも踏みつけていないで直接こちらへ来なさい!!」
「サファ、前見て前!!」
ラルドが叫び、前方からカマキリ型宝石蟲が迫る。それは脱出艇ではなくジャスパーへ組み付き、機体の中央に搭載されたセルジュエルを喰らおうとした。
『邪魔をするな蟲ケラがッ!』
ジャスパーは脱出艇から離れ、両膝から追加展開したヒートブレードによってその腹部を斬り裂く。そして蹴り飛ばされた宝石蟲が脱出艇にぶつかってしまった。
体勢を崩した脱出艇が進行ルートを大きく外れたところで、乱戦の爆炎の中から突然現れた宝石蟲の巨大な移動式の巣、《蟲巣船》が火を噴きながら脱出艇の方めがけて突っ込んできた。
『しまった、皇女が!』
『殿下!!』
アンダルのクオーツが左腕を失いながらも脱出艇を守るべくスラスターを吹かして前進するも、無情にもコクピット内に警告音声が鳴り響き、操縦権を失ってしまう。
『これより先は、オービタルリング──地球重力圏へ入ります。安全距離まで、オートパイロットへ切り替えます』
「待て! 動いてくれ! このままでは、殿下が!」
逆噴射で地球から遠ざかるクオーツのカメラに映る脱出艇は、蟲巣船の亀裂にめり込み、地球の重力に引かれて落ちてゆく。
蟲巣船はオービタルリングを越え、摩擦の炎で赤く染まった。
「殿下ァーッ!!」
アンダルの叫びもむなしく、サファ達は蟲巣船ごと地球へと吸い込まれていった……。
撃沈された帝国の艦船や蟲巣船が、日の出と共に流星雨となって地球へと降り注ぐ。オービタルリングの内側に搭載されたレーザーが、それらを更に細かく撃ち砕いてゆく。
人の命が燃え輝くそれは、恵みの雨。この惑星の生命の、明日を生きるための糧となる。
そんな大地に降り立った、少年少女の永い旅が、夜明けと共にはじまるのだ。
●
高い青空の下、崩れた高層ビルや朽ちた艦船の残骸が点在する広大な砂漠。
そんな大地を砂埃と共に横切る影があった。それは大型の二輪車のようであったが前方に突き出した巨大な銃口は宝玉機用のライフルを改造したものであり、タイヤと座席とジュエルエンジンを強引に取り付けたような異形のシルエットを持つ、バイクであった。
バイクのスピーカーからは陽気な声のラジオ放送が流れている。
『スカベンジャー・チャンネルの時間だ! 今日はいつにも増してホットなゴミに溢れているぜ!』
鬼の面と黒い武士の甲冑で素肌と顔を隠し、更にその上から薄汚れたローブを身に纏った大柄な男はラジオに耳を傾けながら黙々とバイクを奔らせている。
『みんなも知っての通り、お空の上では年に一度の大聖戦! この地球全土が宝の山になる日ってワケさ! 早い者勝ちを制するのは誰だぁー!?』
彼が目指す先は数時間前に近隣へ墜落した蟲巣船。まだ他のスカベンジャーの手がついていない、墜ちたてホヤホヤだ。
全長50メートルはあろう不気味な緑色の楕円形が砂漠に突き刺さっている様子が見えてきた。
甲冑男はバイクから降り、大振りな太刀と大型の斧を背負い、砂漠に足跡を残しながら船体が割けた亀裂よりその内部へ侵入した。
小型のライトを胸に装着し、甲冑男は蟲巣船の内部を警戒しながら奥を目指す。凄まじい悪臭にはもう慣れたものだが敵の奇襲には細心の注意を払わねばならない……が、中にいた宝石蟲は全て出て行ってしまったのか、一匹も姿が見えない。
「宝物庫、無事であってくれよ……ん?」
曲がり角の先で不思議なものを発見した。
白に金の縁取りがされた、やたらと派手な脱出艇が壁から突き出ていたのだ。衝突の衝撃にも耐え得るとは、生半可な機体ではなさそうだ。その風貌や鳥居を模したエンブレムからして月の皇族のものであろうと男は推理する。
「中の奴が生きているかはわからんが、確認だけしとくか」
斧で扉を数回打ち付け、破壊を試みた瞬間──内部から殺気を感じ取った甲冑男は咄嗟に扉の前から飛び退く。すると扉の内側から青い刀の切っ先が飛び出した。
切っ先が引っ込むとすぐに内側から扉が蹴破られる。扉が甲冑男の目の前に落ち、彼は脱出艇から降り立つ人物を見てぎょっとした。
「これは……」
現れたのは、セーラー服の上から桃色の羽織を羽織った、長いポニーテールの青赤二色の髪が美しい少女であった。宝石蟲の巣という汚い場所には不釣り合いな、高貴な印象を振りまく少女はいかにも気の強そうな顔立ちをしており、息を荒げながら赤い瞳で甲冑男をじっと睨んでいる。
その視線は敵意であると、右手に握られている青い刀が示していた。甲冑男は少女に手を振り、友好を表現してみせる。
「脱出艇の月人か? 無事で何よりだ。オレはオニキス。君は……何者だ?」
「……」
「オービタルリングのレーザー照射に晒されたはずなんだが……なるほど、この頑丈な蟲巣船が盾になったのか! 運がいいな、嬢ちゃん」
「……おまえは、地球のゴミ漁りですか」
「ああ、そうだ。とりあえずこの辺は危ないから、場所を移」
「わたしの身柄は渡さないッ!!」
言うなり青い刀身──輝石刀を振りかざす少女──サファ。
甲冑男──オニキスはその一撃をかわすことなく、その刃によって首を落とされた。
「は?」
斬ったサファは放心状態で倒れた鎧と転がった兜を見つめる。オニキスが実力者であることは扉からの突きに反応した時点でわかってはいた。だから今の攻撃も、かわせたはずなのだ。なのに彼はしなかった。
地球の野蛮なゴミ漁り──スカベンジャーに月人が捕まったら最期だ。そう教えられていた彼女は反射的に彼を殺そうとし、殺してしまった。サファは顔面蒼白で滝のような汗を流しながら輝石刀を両手で持ちながら震える。
「死んだ……? 殺して、しまった!?」
「いいや。殺せていないさ」
殺したはずの人間の声にサファの肩が跳ねる。倒れた鎧がむくりと起き上がり、転がった兜を拾い上げ、首の上に乗せたのだ。開いた口が塞がらないサファと、遅れて彼女の様子を脱出艇の陰から見ていたラルドも呆然と立ち尽くしていた。
「サ、サファ!? こいつは一体!?」
「わたしが聞きたいよ。おまえは、何なんですか……!?」
向かい合うサファとオニキス。
「もう一度聞こう。君は、何者なんだ?」
この者たちの出会いが、月と地球の運命を変えることなど、当人たちは知る余地も無い。
【クオーツ】
世界で最も生産された宝玉機。単眼カメラが特徴。
コストを抑えながらも最低限の性能をキープし、かつ誰にでも扱いやすい傑作機。
月面帝国所属機は白く塗装されており、宇宙型と地上型の2種類が存在する。
カスタム性の高さや入手の容易さから、地球のギャングたちの多くも改造使用している。