「からあげ弁当、やばくないか?」
快晴の下、正義のヒーローたちが登場し、俺に向かって名乗りを上げる。
「悪は絶対許さないっ!」
すかさず、ヒーローたちの真後ろで、カラフルな爆発が起こった。
それを俺は無言で見守る。一秒、二秒、三秒・・・・・・。
その間ずっと、ヒーローたちはかっこいいポーズを決めたまま、微動だにしない。
もし俺が今、悪の戦闘員たちに一斉攻撃するよう命じたなら、随分と楽しいことになるだろう。
そんなイタズラ心が芽生えてくるが、胸の中にしまっておく。
「オーケー。みんな、おつかれさん」
監督の俺の言葉に、ロケ現場に漂っていた緊張が、急速に弛緩していく。
本日、最も難しいシーンの撮影を、「撮り直しなし」でやり遂げたのだ。
このシーン、爆発のタイミングがずれると、撮り直しになる。爆煙の形が崩れていたり、爆煙の色が濁っていても駄目だ。風向きも重要で、爆煙が正面に流れてくるのも良くない。
他にも、ヒーロー役の俳優たちが爆風や爆音に驚いて、腰が引けてしまってもアウト。かっこいいポーズにはならないので、撮り直しになる。
人件費は基本的に時給ではなく日給なので、撮り直しになっても予算に与える影響は小さい。が、爆発に使う火薬は撮影のたびに吹っ飛んでいくので、それを買うためのお金は増えていくことになる。
そうなった時、火薬のために他の予算を削るしかなく、真っ先に手をつけるとしたら食費になるだろう。
そんな事情を、俺は前もってスタッフ全員に伝えていた。
――誰かがミスをすれば、食費を削る。これは、みんなの責任だ。
ロケ現場での食事については、監督が全責任を負うのが基本だが、このシーンの撮影に限り、スタッフ全員にも、その責任を共有させたわけだ。
そして彼らは俺の期待どおり、最高の仕事をしてくれた。
一つの映画の撮影現場で何回も使える手法ではないものの、まだ撮影序盤でスタッフたちの気力体力に余裕のある時期だし、一回くらいなら何の問題もないはず。
さて、そろそろ皆のおなかも限界だろう。
「お昼休憩にしようか」
そう助監督に伝えると、すぐに大量の弁当が運ばれてきた。
その一つを俺は受け取り、わくわくしながらフタを開ける。
ほかほかの白いごはんは、実に旨そうだ。脇を固めるのは、茹でインゲン、スイートコーン、ポテトサラダ。
そして弁当のメインは、からあげが四つ――
それを見るなり、俺は不機嫌になった。
「おい、これは朝の残りか?」
助監督に質問する。
「違いますよ。さっき弁当屋から運んできたものです。できたてですよ」
そんなことは、わかっている。手にしている弁当はほんのりと温かいから、朝の残りのわけないのだが、嫌味を言っているのだ。
昨日の午後にロケ地入りしてから、夜→朝→昼と、これで三回連続だ。
「まさかとは思うが、今日の夜も、からあげ弁当か?」
「撮影終了日まで、ずっとです」
俺は頭を抱えた。撮影終了までは、残り二週間。同じメニューが続くのは、どう考えてもヤバイだろ。
それでなくとも、今回の撮影は過酷なのだ。かつかつの予算に、あっぷあっぷのスケジュール。ロケ地は、町から遠く離れた採石場跡地で、電気もなければ、水道もない。
この広い窪地には建物の一つもなく、雨が降ったら、車やテントは機材優先。人間はずぶ濡れになるしかない。
しかも、全てのシーンを撮り終わるまで、家には帰れないのだ。ここで寝泊まりすることになる。もし夜に大雨でも降れば・・・・・・。
そんな悪条件が揃っているからこそ、心のオアシスとして、食事は重要なのに・・・・・・。
周囲からは、早くも白い目を向けられている気がした。「監督は俺たちとニワトリに恨みでもあるのか」と、近日中に暴動を起こされても不思議はない。
その様子をかなりリアルに想像していると、突然、誰かに肩を叩かれた。
一瞬ドキッとしたが、後ろにいたのはカメラマンだった。
「監督、いつ暴動が起きても、カメラは回せるようにしておくんで」
不吉なことを、さらっと言ってくる。
それを聞いた途端、俺の中で嫌な思い出が蘇ってきた。
前にゾンビ映画の撮影をした時、ちょっとした手違いが原因で、俳優たちからタコ殴りにされたことがあるのだ。
あの時のカメラマンもこいつで、監督の俺を全く助けようとせず、笑顔でカメラを回していた。
そして、その映像は俺の反対を無視して短篇映画祭に出品され、あろうことか賞まで獲得してしまったのだ。
「また短篇映画祭に出すのも芸がないですから、今度はユーチューブにでも流しましょうか?」
そんな意見は求めていない。
俺が欲しているのは、この苦境をどうにかできるアイデアだ。
とりあえず、助監督に問いただす。どうして、こんなことになったのか。
「あの予算額で毎日肉を食べさせろ。そう監督が無茶を言ったからです」
それは素直に悪いと思っている。
が、全ての食事をからあげ弁当にしろ、と言った覚えはない。
「今からでも、のり弁当とか、やきそば弁当とか、変更できないのか?」
「無理です。そういう条件で、ここまで安くしてもらったんですから」
すでに弁当屋は大量の鳥肉を購入済み。さらに弁当代も一括して先払いしたので、キャンセルしてもお金は戻ってこない。その上、現時点で食費の残りは、ほとんどゼロだという。
耳の痛くなる情報ばかりに、俺は再び頭を抱えた。
食費が底をついていたとは知らなかった。さっきの爆発シーン、撮り直しにならなくて良かったと、本気で思う。
こうなったら、弁当屋と再交渉するしかないだろう。他の鳥肉料理、たとえばチキンカレーやチキン南蛮、焼き鳥などに変更できないか、助監督に尋ねてみるが、
「からあげが一番安いんです!」
予想される追加料金の額を提示され、俺は黙るしかなかった。
安いのには理由がある。もっと早く気づくべきだった。同じ食材を大量購入、調理法を一つに絞れば、たしかに安くできるだろう。
しかし、ここで思考停止して何も手を打たなければ、確実に破滅が待っている。
偉大な映画監督の言葉にもある。映画の出来は腹次第。量も大事だが、質も大事だ。食事に対する不満は、撮影現場の士気を下げることにつながる。暴動でも起これば、映画の完成自体が危ぶまれる。
そんな事態は絶対に避けたいので、同じ弁当が続く状況をどうにか改善するよう、助監督に命じた。多少、強引な手を使っても構わない。
その成果は、翌日すぐに現れた。
俺は朝の時点で気づいていたが、昼の弁当、夜の弁当を確認した上で、助監督を呼びつけると、
「なかなか面白いアイデアだ」
まずは誉めた。
それから夜の弁当の中身を、助監督に見せつける。
ほかほかの白いごはんに、からあげが四つ。脇に寄り添うのは、ポテトサラダ、ポテトサラダ、ポテトサラダ――
俺は遠い目をしながら回想する。
朝の付け合わせは、茹でインゲンだった。
昼の付け合わせは、スイートコーンだった。
そして夜の付け合わせは、ポテトサラダ。
たしかに、朝昼晩と弁当の中身は変化している。
が、彩りもアウトなら、一食あたりの栄養バランスもアウトだ。
明日の朝から元に戻すよう、助監督に強い言葉で指示する。
さらに俺は苦渋の決断をした。
身銭を切ったのである。
それで調味料を買ってこさせた。これで、からあげの味に変化をつけることができるだろう。
ところが、俺の期待したような効果は、そう長くは続かなかった。
朝、ケチャップ。
昼、マヨネーズ。
夜、ケチャップとマヨネーズを混ぜたもの。
俺は夜ごはん終了後に、助監督の胸ぐらをつかむと、
「どうして、ケチャップとマヨネーズしか買ってこないんだよ!」
「まとめ買いをすると、安くなるんですって!」
調味料を使うのが一人二人ならともかく、数十人が二週間近く使うとなれば結構な量が必要になると、助監督は力説する。
「あの金額では、これが精一杯です!」
そう言われても、もう身銭は切りたくない。というか、財布の中には小銭しか残っていない。
もはや現場の崩壊は時間の問題だった。
俺の過去の経験では、スタッフから手渡されたお茶に糸くずが入っている内は、まだ大丈夫だ。しかし、お茶に爪楊枝が入るようになったら、だいたいアウト。
そして今、俺のお茶には、五寸釘が沈んでいる。
今夜は夜襲を警戒しなければならない。
この絶体絶命の状況。俺は現実逃避することで、自分の気持ちを落ち着かせようとした。
それが結果的に良かったらしい。これまでロケ現場のことしか頭になかったのが、別の方面への視野を開くことができた。
そうだ。外部に救援を頼むのだ。
何人もの映画関係者の顔が浮かんでくる。彼らなら、あえて事情を説明しなくても、俺の惨状をわかってくれるだろう。
ところが、イメージの中の彼らは皆、最後に会った時のままで止まっていた。全員が険しい顔つきで、「お前に金は、もう貸さない」と言っている。
貸してくれそうな奴は、すでに使い果たしていた。
他に頼れそうな奴はいないか。俺は必死に記憶の泥沼を泳ぎ回った。
誰でもいい。
そして最後の希望を発見する。
たしか他野監督が二日遅れで、映画の撮影に入っていたはず。
地図で確認してみると、ロケ現場は同じ県内だ。思っていたより離れていない。
俺はすぐさま主要スタッフを集めて緊急会議を開いた。
出席率は芳しくないが、仕方がなかった。ここにいないメンバーは夜襲の準備でもしているのだろう。彼らは彼らで忙しいのだ。
時間がないので、起死回生の策を手短かに説明する。
他野監督の現場と食事を交換するのだ。理由は何でもいい。
俺のアイデアに対して、賛否両論の声が上がる。
反対派の不安は、相手が他野監督という一点に集中していた。他野監督といえば、たび重なる飯抜きをすることで悪名が轟いている。からあげ弁当とはいえ、飯は飯。空気と交換では釣り合わない。
反対派の意見はもっともだが、彼らは一つ見落としていることがある。他野監督の現場で飯抜きが多いのは、食費のペース配分に問題があるからだ。
実を言うと、ロケ序盤は普通以上の飯が出る。ただし、一週間と続かないので、飯抜き伝説の方が目立っているのだ。
他野監督の現場は、明日で三日目。いくらなんでも、まだ断食期間には突入していないはず。
そういうことなら、と反対派も納得してくれた。
他野監督の現場との交渉は、助監督に一任する。汚名返上の機会を与えた。
この決定は瞬く間に現場全体に知れ渡り、この日の夜襲はそれが理由で中止になったと、俺はあとになって知った。
そして翌日、スタッフ全員と大きな輪になって、朝ごはんをとることにした。
今日は久しぶりに和やかな雰囲気が漂っている。昨日まで殺伐としていたのがウソのようだ。
全員が手にしているのは、他野監督の現場から運んできた弁当だ。フタの色が違うだけでテンションが上がる。
「えー、どういうわけか、ケチャップとマヨネーズも大量にあるんで、お好みでどうぞ」
俺が言うと、笑い声が起こった。
今回の弁当交換で、昨日までの失態が許されたわけではないが、ひとまず現場が崩壊する危機は脱したと思う。さっきスタッフから手渡されたお茶には、小さな糸くずしか入っていなかった。
さて、そろそろ皆のおなかも限界だろう。
俺が音頭を取り、全員同時の「いただきます」で、一斉に弁当を開く。
弁当の中身を見るなり、俺は目が点になった。
まさかまさかの、からあげ弁当!
その瞬間、俺の脳裏に浮かんだのは、昨夜の助監督の言葉だった。
――まとめ買いをすると、安くなるんですって!
そうか。そういうことだったのか。
俺はようやく裏の真実にたどり着く。
あのからあげ弁当、いくらなんでも安すぎると思っていた。弁当屋め、俺の現場だけでなく、他野監督の現場にも同じものを提供することで、膨大な量の鳥肉を購入し、経費を節減していたな。
とはいえ、これが普通のからあげ弁当なら、まだ弁解の余地があったかもしれない。不幸な事故として勘弁してもらえたかもしれない。
しかし、このからあげ弁当、普通ではなかったのだ。
俺は自分の手元にある弁当を、まじまじと見つめる。
ごはん、からあげ、あとは大量のポテトサラダだ。
彩りもアウトなら、一食あたりの栄養バランスもアウト。あっちの現場でも、何とかしようとしていたのだけは伝わってくる。
俺は弁当のフタを閉めると、おそるおそる顔を上げた。
ここにいるほとんど全員が、ものすごい形相で睨んでいる。「悪は絶対許さないっ!」という顔をしていた。
「カメラ回しておきましょうか? 狙うんでしょ、人気ユーチューバー」
空気の読めないカメラマンの囁きに、俺は無言でうなずいていた。