Act.077:適者生存Ⅱ~負け犬の遠吠え~
「ギブミー。おっぱい! おっぱい! おっぱい! おっぱい!」
カオスは連呼しながら珍妙な踊りを披露する。美女のおっぱいが欲しいとアピールする。
そんなカオスの前でアレクサンドリア連邦、P-1チャンプのアーミット・ムーリは不機嫌であった。今まで賞賛の声ばかり浴びてきた彼にとって、カオスのようなふざけた輩に会った経験はなく、おちょくられるのにも慣れていないのだ。
「おっぱい? モミアゲ植木鉢? 貴様、このP-1チャンプの俺を知らんのか?」
知らないのだとしたら、世間知らずの馬鹿である。知っているのなら、身の程知らずの馬鹿である。どちらにしろ、馬鹿には変わりない。それを教えてやるのが、年長者としての務めであろう。
アーミット・ムーリは少々青筋立てながらも、そのように思うことにした。だが、カオスがそんなアーミット・ムーリの青筋をさらに激しくする。
カオスは知らない。
「ぴーわん? 何だか知らねーけど、やらしー響きだな、オイ。放送禁止か? 言っちゃいけないのか?」
「パンチだ! パンチ・ナンバーワン!」
「え、パンツ?」
無論、カオスはわざとである。それは見ているルナとしても分かっているのだが、そのままカオスに喋らせては埒が明かないので、しょうがないのでツッコミを入れる。
「パ・ン・チ、この首都アレクサンドリアでやっているボクシングらしいよ」
「ほうほう、そうなんだ」
カオスにも、どういうものなのか予想はついていたのだが、わざとらしくそうやって納得した素振りを見せる。
「いやぁ、アイツがパンツだブラジャーだ言うからさぁ、紛らわしくて分かんなかったよ。それならそうと早く言えば良かったんだよ」
どうでもいいけど、ブラジャーは言ってないでしょ。ブラジャーは。
思ったけれど、これ以上ツッコミを入れたら収拾がつかないので、ルナはそれ以上のツッコミは控えた。
そんなぬる~い話を繰り広げたカオスの前で、アーミット・ムーリは怒りの炎を燃えたぎらせていた。罵倒に次ぐ罵倒、侮辱に次ぐ侮辱、彼の堪忍袋の緒は切れてしまったのだ。みじん切りだ。
「あ~あ、アイツとうとうあのアーミット・ムーリを怒らせちまったぜ」
「殺されるかもしれないな、あの優男。無知は罪だって訳だ」
リングの上の二人を見て、観客連中は呆れるようにそう次々と言葉にした。最初はやられる(予定の)カオスに対する呆れたような同情であった。だが、そう口にしていた人々の一人が、あることに気付く。
「ん? 待てよ。だが、もしも奴を殺してしまったら、アーミット・ムーリはそこで失格じゃねぇか。殺しは失格なんだからよ!」
「そうか。殺して失格になってしまった方が、参加している俺達にとっても有利!」
それが次々と周りに飛び火して、実力に自信の無い者の殺せコールに変わる。
「殺せ!」
「殺せ! 殺せ!」
「殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ!」
一人では言えないのだろうが、集団となった弱者はそんな行動に出た。ルナはそのような者を目の当たりにして怒りの感情は湧かなかった。
どうしようもないカスね。
怒りを通り越して、呆れるだけだった。虫が鳴くのと同じだった。
カオスとしても、そんなどうでもいいその他大勢の人達の声なんか気にしない。このトラベル・パスBクラス試験を用いての実技訓練、その始まりに対して少々胸を高鳴らせるだけだった。今までの厳しい訓練、その成果が自分の目でも確認出来るのだから。
「始め!」
そして、その時Cブロックの審判によって試合の開始が宣言される。
「おらぁっ!」
怒りで我を忘れているアーミット・ムーリは、開始の合図とほぼ同時に一直線にカオスに襲い掛かる。そして、渾身の力を籠めて右ストレートを繰り出した。
「ずりゃああああっ!」
その攻撃は当然、カオスには当たらない。単調で一直線な攻撃は容易に回避出来る。カオスはそれを自分の外側へと流す。それと同時に腰を落とし、自身の右肘をアーミット・ムーリのみぞおちに叩き込む。
それだけだった。隙だらけの急所に攻撃を食らったアーミット・ムーリは、そこで動きを止めた。白目をむき、だらしなく涎が口から少々垂れた。その汚いアーミット・ムーリからカオスが逃れると、アーミット・ムーリはそのまま前のめりに倒れて、動かなくなった。
気絶である。
気絶してしまえば、10カウントなしにその時点で負けとなるのは、ルールで明確化されている。だから、Cブロックの審判はそこで宣告する。
「気絶。84番の勝ち!」
開始9秒で、カオスのKO勝ちであった。カオスは白目剥いて倒れてるアーミット・ムーリに捨て台詞を残した。
「おやおや、これで終わりですか、チャンピオン様? 貸してくれる筈のおっぱいはどうなったのかな?」
人間だけの、それも限定された人間だけで行われている狭い世界の中で、頂点に立っただけの器の小さな男なんか眼中に無い。この試験はそんな狭い世界のものではないし、自分もそんな下らないものなんかに興味はない。
カオスはリングを下りると、もうアーミット・ムーリなんか忘れていた。過ぎ去ったどうでもいい事柄でしかないが。
周りの観客にとっては違う。特に、殺せコールを送っていた者達にとっては。彼等の中で、信じられないものを見てしまったようなざわめきが起こる。
「あああ、あのアーミット・ムーリが開始早々1発KO負けかよ」
「な、何者だ? あの84番」
「やべぇよ。マジ、ヤベェ」
アーミット・ムーリにでさえ、勝てる気のしなかった彼等である。同じブロックの中からアーミット・ムーリは居なくなっても、そんなアーミット・ムーリを1撃で倒してしまったカオスが残っているのだとしたら、その絶望は増長されるだけであった。
「拍子抜けだったわね」
戻って来たカオスに、ルナはそう言った。
チャンピオンを名乗るのだから、もっとやるのかと思っていたのだが、そうでもなかったからだ。カオスによって試合前から心を乱されていたが、それも含めてのチャンピオンでなければならないのだ。だが、彼にはそれがなかった。
「ま、あんなもんだろ」
カオスはそう言う。
「リスティア等のような強さは、奴から全く感じなかったからな。アレックスにターボをかけたような脳ミソきんに君というのもパッと見だけで分かったからさ、ちょっと煽っただけであのザマよ」
魔力の類は一切無く、戦略を立てる頭もなく、実際に命のかかった実戦経験もなさそうだった。それでは、ちょっと力の強い素人と同じだ。それはリスティアにも分かっていた。だから、カオスがここで負けるとは全く思っておらず、余裕の発言をしていたのだ。
「ま、彼も素人の中では強いんですけどね」
そして、またフォローにならないフォローをする。
「だが、この試験はそんな素人の集まりじゃないんだろ?」
「ええ。そうですよ、カオス君。私も初出場なんでハッキリとは言えませんが、上に行けばカオス君を退屈にさせない対戦相手と戦えますよ」
「そいつはそいつは」
カオスはお決まりのようにこう言って笑う。
「実に面倒くせーな」
◆◇◆◇◆
それから数十分後、カオスは予選で快進撃していた。決勝まで全てKO、もしくは場外等の判定無しの完全勝利で駒を進めていた。
そして決勝戦、体を滑らせて下に潜り込んだカオスが、相手を蹴り上げて飛ばす。空に飛ばされた対戦相手は、空中では為す術も無く床の上へと落ちた。そして、そこはリング外。
そこで勝敗は決し、Cブロックの審判はそれを宣告する。
「場外! 84番の勝ち! よって84番、本戦出場決定です!」
「Yeah!!!!」
カオスはピース等をして、その喜びを表現する。そのリングの周囲で、敗れた者達が口々に話す。それは概ね、カオスを賛辞するものであった。敗れてしまったからには諦めもついたのだ。
「さすがだな。決勝戦もあっさりと決めやがったぜ」
人は言う。
「ああ。アーミット・ムーリを秒殺しただけあるぜ」
「コマネチのポーズも決まってるじゃないか」
「さすが、ですね」
リスティアもカオスを賛辞する。予選を突破するとは思っていたけれど、その試合内容は予想以上だった。
「アレだけやっても全然本気じゃなさそうですし」
決勝を突破するまで、アーミット・ムーリ戦も含めて6試合行ったが、カオスは息一つ切らしていなかった。全くの手抜き試合で本戦への出場を決めてみせたのだ。
「まあ、そうね」
それは一緒にトレーニングをしたルナはもっと分かっている。息を切らしていないのも勿論そうだが、スピードも落としているし、パワーもそんなに出していない。それだけでなく、魔法に至っては一切使わなかった。闇属性も何も、全てである。それ程の手抜きバージョンだった。
そんなカオスに負けていられない。本気じゃないのは自分も同じだ。ルナは決意を新たに自分の試合のモチベーションを上げる。そして、その時に自分の418番がコールされる。
「Gブロック決勝、298番 vs 418番……」
それと同時にDブロックでも予選の決勝が行われていた。リスティアの攻撃により、相手は飛ばされる。少々空を舞った後、リングの上に落ちたのだが、その時には既に気を失っていた。
勝敗は決した。
「Dブロック、覇者85番!」
リスティアの予選勝ち抜けが宣言される。その頃には、Gブロックの方でも決着がついていた。298番はルナの魔法攻撃を正面から食らい、大きなダメージと共に場外へと落ちた。
ルナの勝ちである。Gブロックでもルナの予選勝ち抜けが宣言される。
「Gブロック、予選突破は418番!」
その頃、Aブロックではまだ準決勝を行っていた。アレックスはとても緊張していた。ナーバスになっていた。
ドキドキだぜ。
アレックスはまだ生き残っていた。1回戦を不戦勝、2回戦と3回戦は場外、準々決勝と準決勝はそれぞれ判定で勝利を収めていた。勝ってはいるのだが、余り余裕ではない。それはアレックス自身も自覚している。
何とか今までは生き残れてはいるのだが、この最後の決戦ではどうなるのだろうか? はたして、自分の実力をいかんなく……
「アレックス」
「!」
アレックスは心臓が口から飛び出る思いがした。真剣に考え事をしていて、ナーバスになっているところを、突然後ろから声をかけられたのだ。アレックスは無駄に疲れながらその声の主の方を振り返る。
「カ、カオスか。おおおお、脅かすんじゃねーよ」
「話し掛けただけじゃねーか。それより、予選はどうした?」
カオス、ルナ、リスティアは終わったので、他のブロックが終わるまで時間がある。それまで待たねばならない。だから、このAブロックにやって来ていた。
「よ、予選か」
三人キッチリと集まっているのを見て、アレックスはニヤリと笑う。ここまで残ったのが、アレックスにとっては自慢なのだ。そして、自慢する。
「驚くなよ。なんと次にな、この後ろでやってる勝者と俺が決勝戦をやるんだぜ。俺はここまで残ってるんだ。残っているんだぜぇっ! どうだ、すっげぇだろう? 驚いたかー? 誉めてもいいんだぜ? 讃えてもいいんだぜ?」
しかし……
「あ、そう」
と、カオス。
「良かったわね」
と、ルナ。
「…………」
そしてリスティアは特に何も反応せず、何も言わなかった。
「って、反応薄ッ! 何でだよ!」
三人それぞれ違えど、その反応の薄さにアレックスは非常に驚いた。ここまで快挙を重ねたことに対して、カオス達は何かしらの驚きを隠せないだろうと踏んでいたのだが、そういうのは全く無かったからだ。そのことに対して、逆にアレックスが驚いたが。
気を取り直して話を切り替える。
「そ、それよりお前等、予選はどうしたんだよ?」
「あ? ああ、終わった」
それはとっくに突破しちまったよ。
カオスの言った言葉はそういう意味であったのだが、アレックスは勘違いする。逆に解釈する。
「何だ、お前達。みんな負けちまったのか? 情けねぇなぁ」
そう、勘違い。だから、カオスは言う。
「負けちゃいねぇよ。バーカ」
カオスのその言葉にルナは補足する。
「あたし達みんな、予選は突破してきたわ」
そんなことはどうでもいいリスティアは、周りの状況を喋るだけだ。
「と言うよりも、もう予選はこのAブロック以外はみんな終わっているようですね~」
「!」
アレックスはその言葉にさらなる驚きを隠せないでいた。
まずここ以外の予選ブロックが全て終了したのは、各ブロックを勝ち抜いた強豪+α(運で勝ち抜いた奴なんか)が皆、このAブロックの決勝を見るということだ。こんな場で情けない試合しようものなら、笑い者にされてしまう。
また、それよりも重大なことがある。カオスやルナは予選をクリアーした。仲間内で自分だけ予選落ちなんてなったら、それこそ最悪じゃないか。実力如何は別にしても、その結果だけで情けない者として認識されてしまうだろう。
アレックスの思考は、そうやって無駄な方向にグルグルと回っていた。その時、Aブロックの予選準決勝は終わり、続いて決勝となる。それがコールされる。
「Aブロック決勝、16番 vs 128番!」
「おう、呼ばれてるぜ、16番」
「んなの、分かっとるわっ! キシャーーーーッ!」
ボーッとしている感じのアレックスにカオスが声をかけると、ナーバスになっていたアレックスは逆ギレ気味に吠えた。そして、そのまま油の切れたロボットのようにガシャガシャと不自然な動きでリングに上がっていった。




