Act.072:それぞれの特訓
夏休み初日となった。アレクサンドリア連邦、ルクレルコ・タウンの空は青く澄んでいた。見ているだけで気持ち良くなるような晴天だ。
そんな晴れた日の早朝、アレックスは学院でのトラベル・パスBクラス試験特別講義に出席する為、休みにしては早い時間に起きたのであった。
「おおっ、良く晴れてるな。特訓日和じゃないか」
カーテンを開けて良く晴れた空を眺めると、アレックスは嬉しそうに笑った。
それからアレックスは、学院側から指定された動き易い格好に着替え、下のキッチンに降りて家族と共に朝食を食べた。食べて歯を磨き、トイレを済ましてすぐに、アレックスは家を出た。
「どうせカオスの野郎はまだ寝てるんだろうな」
ならば、起こして特訓に連れて行ってやろう。そう思い、アレックスは学院の前にカオスの家へと赴く。そんなに近くはないが、学院まですごく遠回りになる距離ではない。アレックスはすぐにカオスの家の前にまでやって来た。そして、その家のドアに手をかけたが。
「ん?」
ドアは開かない。この時間ならば、いつもはマリアが起きていてドアの鍵は開けられているのだが、今日は閉じられたままだ。
「開かない? どうした?」
ひょっとして、マリア先生もまだ眠っているのだろうか?
アレックスの頭に、そんな考えがポッと浮かんだ。去年マリアがBクラス試験特別講義の担当をしたのはアレックスもカオスから聞いていた。そして、今年はマリアではなくリニアがそれを務め、マリアは担当から外れるというのも何処からか聞いていた。それを踏まえると、そんな想像もまた真実味があるような気がしていたが。
そんな直後、それを否定する声がアレックスの背後からかけられた。
「おや、アレックス君早いね。カオス達に何か用なの?」
「あ、ルナの母さん」
アレックスがその声の主の方を振り返ると、そこにはルナの母親が立っていた。カオスの家の隣に住んでいるルナの母親は、家の前の鉢植えに水をやる為に出てきたようだ。
ルナの母親はアレックスに教える。
「そこの家なら、揃って何処かに出かけたよ。何処かは忘れたけど、ルナも何だかついていった」
「え?」
何処かに出かけた?
その話を、アレックスは聞かされていなかった。初耳であった。
と言うことは、ひょっとして俺はまた置いてきぼりなのか?
特訓さぼってお出掛けしてんじゃねーよ、と思い憤るよりも前に、アレックスの心の中に出てきたイメージは孤独であった。
◆◇◆◇◆
某国、某所、某時間、カオス&ルナ&マリア&アリステルの四人は、特訓開始の時間となっていた。その特訓を始めるにあたって、アリステルはカオスに特訓の概要を説明する。
「闇の力をきちんとその手で使いこなすのには、それに耐えうる強い力が必要じゃ」
「それはいつだか聞いた話だな」
いつだか忘れたが、そのような話をマリアから聞かされた記憶がカオスにはあった。だが、それを知っていてもアリステルの説明には問題は無い。アリステルは説明を続ける。
「そして、その強い力を得る為には強い精神、及び強い肉体が必要となるのだ」
「結局そこかよ」
「仕方あるまい」
アリステルは解説する。
「軟弱な体に強い力が宿りはしないからな。もし仮に宿ったとしても、体はその力に耐え切れず、すぐに崩壊を起こしてしまうであろう。よって、強い体は必要不可欠となる」
それを前提として、これから行うトレーニングに繋げる。
「だから、これからの特訓では特別なことは一切行わん。基礎から徹底的に鍛え直すのだ。強い精神力も、その過程で共に育まれてゆくであろう」
「…………」
アリステルの話を聞いたカオスは、げんなりした表情をした。心の底から嫌そうな顔をした。
「何じゃ、その顔は?」
「基礎、基礎、基礎、基礎、基礎ばっかしで、超つまんなそーじゃねぇか」
「当たり前じゃ」
不満を漏らすカオスに、アリステルは即答する。
「楽しい鍛錬など只の馴れ合いに過ぎん。とは言え、武器がない不安も分かる。故に心配せんでも技もおいおい教えてやる。だから、今は基礎に専念するのだ」
「そして、それは闇に限定されず、全ての属性で言えること」
アリステルの説明を聞いていたルナは、そのようにボソッと呟いた。
強い力を行使するのに強い体と精神が必要なのは、闇属性魔法だけでなく全ての魔法において言える。だから此処でカオスと同じ訓練を積むのは、ルナにとっても大きなプラスとなる。それは、ルクレルコ魔導学院主催の特別講義に出るのと比べ物にならない程大きなものとなるだろう。去年のマリア主導の特別講義を、遠目ではあるが見たのでそのように判断出来ていた。
とは言え、それは勿論マリアの講義が悪い訳ではない。学院で行われる特別講義は、特別講義と謳っていても軟弱な者も出席可能。だから、特別厳しいことは行わない。行えない。だが、ここではカオスに合わせて特訓される。対カオス特製の訓練である。それは、学院で施される特訓よりも遥かに厳しいものとなるのは確実。学院の方が良いなら、そちらに出席させれば良いのだからだ。
そのようにルナは考えていた。だから、あちらの特訓ではなくて、こちらの特訓にやって来て良かったと思うのだ。
特別厳しい修行は大歓迎だ。それに耐えうるだけのトレーニングは、今まで積んできていたと自負している。そして、それでこれを機にもっと力を飛躍させてゆくのだ。さらに言うと、それが出来ないとガイガーや月朔の洞窟の時のように、何時まで経っても守られるまま。それでは駄目だ。
ルナは気合いが入っていた。そのルナを眺め、マリアは嬉しそうに微笑んでいた。
成長すれば教師として、幼馴染のお姉さんとして嬉しくはあるが、逆を言ってしまえばそれだけだ。だが、こうやってカオスと一緒に修行を受けてくれれば、カオスの成長にとっても非常にプラスに作用する。一人で修行を積むより、互いを意識して競い合う方が修行の効果は上がるからだ。
マリアはルナのこの参加が嬉しかった。それに嘘は無かった。
◆◇◆◇◆
「はい。ここで10分休憩」
それから少しの時が過ぎた。ルクレルコ魔導学院では夏休みにも関わらず、引き続きリニア主導でトラベル・パスBクラス試験対策の特別講義が行われていた。無論、講義というのは名前だけであり、実質のところは補習トレーニングであったのだが。
休憩になり、アレックスはタオルで流れる汗を拭いていた。他の面子に比べて非常に優秀な成績を収めたまま休憩に入ったアレックスは、非常に上機嫌であった。そんな上機嫌のアレックスは、カオスを思い出していた。
カオスの野郎、ホントにこの特別講義に一切出ないつもりなのかね? もう、強制するつもりはない。カオスの好きにすればいいだろう。自分は自分の道を行くのだから、カオスもカオスのやりたいようにやればいい。ただ、それだとどんどん置いていってしまうぜ?
そのように思って、優越感に浸っていた。
「アレックス君」
そんな暢気なアレックスに、特訓していた場の外から声をかける者が現れた。アレックスに視界の外からだったので、すぐにはどういう者なのかは分からなかったが、少なくともそれが女のものである事はすぐに分かった。
女だ!
アレックスはすぐさまその方向を振り向いた。そこには、美女と言うには少々足りないが、そこそこ可愛い女子生徒が二人立っていた。手にはタオルや水等を持ち、特訓をやっている人をねぎらいに来たのは間違いない。そして、その二人がアレックスに話しかけたのだ。
春だ!
アレックスは、春の訪れを感じていた。長く続いてきた雌伏の日々、冬の日々が、今春となって花開こうとしていた。それは喜び。何よりの喜びである。そのように感じていたのだが。
「カオス君いないの?」
「!」
春の訪れを感じていたアレックスの心に、突然の大寒波が吹き荒れた。お花畑(未満)はすぐに雪原に戻り、季節は春から冬に逆戻りする。結局は、ぬか喜びの小春日和のようなものでしかなかった。
だがアレックスは、一応律儀に返事をする。うなだれながら、影を背負いながら返事をする。
「いない。多分? いや、間違いなくサボり。と言うか、カオスはハナからこういった催しに真面目に出るような奴じゃない」
カオスはいない。出て来る様子もなければ、今後もそれはなさそうだ。二人の女子生徒には、それだけ聞ければ充分だった。
「何だぁ、来ないのかー。つまんな~い」
「帰っちゃお」
「そうしよ。あ、そう言えば美味しいチーズケーキのお店見つけたんだ」
「え、何処何処? 帰りにそこ連れてってよ~」
「うん。いいよ。今から行こー♪」
二人の女子生徒は、そう言いながら学院の特訓場になっていたグラウンドから早々に去っていってしまった。ただグラウンドに、孤独の底に落とされたアレックスだけを残して。
アレックスは落ち込んだ。だが、すぐに立ち上がる。そして、次のトラベル・パスBクラスに向けてその闘志を燃え上がらせるのだ。
勝つ。
アレックスは、心の底から思う。
勝つ。誰に負けたとしても、カオスにだけは勝つ!
そのように気合いを入れて、休憩中だというのにアレックスはバタバタしていたのだった。
「…………」
その特別講義の今年の指導教官となったリニアは、休憩中も生徒達の様子を見守っていた。そのリニアの目に、アレックスのバタバタしている姿が入った。何をドタバタしているのかは分からなかったが、訓練中も含めてアレックスが過度にカオスを意識していることだけは見て取れた。そこで、リニアはここに居ない者達を思う。
ルナ、そしてカオス。
アレックスの言う通りに本当にサボりならば、首に首輪を付けて鎖で引っ張ってでもこの訓練に参加させるつもりだった。だが、カオスとルナの訓練はマリアが別にやるということで、この訓練に二人は参加させないと決定したのだ。理由は明確。二人の才気は周りに比べて突出しているので、周りに合わせた温い訓練では二人には栄養にならないからだ。だから、マリアが二人に合わせた厳しい訓練を行うとなったのだ。
リニアは舌打ちした。正直、マリアが羨ましかった。指導者として、このように抑えている訓練は面白くない。そして、高レベルで訓練をすれば、その成長もハッキリと目に見えて、その面白さも倍増になる事は間違いない。
チッ、美味しいところを独り占めか。カオスのように才気溢れる者や、ルナのように誰よりも努力する者程、指導していて楽しい人材はいないというのに。
楽しい特訓、指導者としての喜び。
それをマリアは味わっていた。カオスを育てるのは、マリアにとって喜びである。カオスだからという意味だけではない。指導者として、カオス程育てて面白い逸材は滅多に会う事はないのだ。それは、アリステルの指示で魔力を充溢させているカオスの様子を見ればすぐに分かる。
とても綺麗に充溢されている。少し前までは未熟さ丸出しだったのだが、指示を加え、鍛錬を施すことによって、あっと言う間にその未熟さは払拭され、常人を飛び越して上級者の仲間入りを果たしていた。それだけの才能があるのだ。それを育ててゆくのは、楽な上に楽しいことこの上ない。
それからさらに、ルナにもカオス程ではないけれど才能はあるし、それ以上に努力をする。だから、やはりルナも育てていて楽しい逸材であった。
マリアは二人の特訓の様子を見守り、アリステルは引き続きカオスに指示を出す。
「良し。では、引き続いて出力じゃ」
その指示に従い、カオスは右手で闇属性の魔法剣を生み出してゆく。並の使い手では現段階でも上等なものだが、その程度でアリステルは満足しない。不満だ。
「もっと素早く、かつもっと集中させよ。まだまだ甘いわ」
魔力出力のトレーニングを積んでいるカオスと、静かに魔力安定のトレーニングを積んでいるルナ。その二人のトレーニング風景を見ながら、マリアは先が楽しみで仕方なかった。
正直、トラベル・パスBクラス試験の結果なんてどうでも良かった。ただ、このようにトレーニングを積んでいけば、自分を含めた三人は最強のパーティになれるんじゃないか。
そのように感じ、その日が訪れるのが楽しみになったのだ。
そうして、秘密特訓は続いていく。試験の日が訪れるまで。
◆◇◆◇◆
一方、老け顔で有名なドグマ・ブランコッテはその頃自室でくつろいでいた。椅子にゆったりと腰かけ、学院で特別講義を受けていた連中の姿を思い浮かべていた。
「天才に鍛錬は要らん」
特別講義も受けなければ、自主トレーニングもしない。ドグマ・ブランコッテは、何もせずに試験日を迎えようとしていた。




