Act.040:月朔の洞窟への道程
空は何処までも遠く、雲一つ無い青空は人間という存在をいかに小さな物なのか思い知らせる。エレニスの空は晴れていた。この先数ヶ月は雨が降らないんじゃないかという位に何処までも。
地には赤茶けた荒野が広がり、所々にサボテンのような乾燥に強い植物と、枯れ木同然の植物が点在しているだけ。
エレニスの小さな駅を出ると、そこは駅前にもかかわらず殆ど町としての形は無く、家がぽつりぽつりと建っているだけだった。しかも、その家々も半分近くは空き家になっており、風化の流れに沿って荒れ放題となっていた。そんな、町と呼ぶのもどうかと思われる景色が広がっていた。
大きい街だと期待してはいなかったが、ここまで寂れた景色が広がっていると、ただの訪問者であるカオスとしても憂鬱な気分にさせるもので、カオスは少し溜め息をついた。そして、ボソッと口走った。
「気分はとってもドライカレー」
その意味不明な言葉が、ルナの心を乱した。
「え! いきなり何? 訳分かんないよ」
「いやな、こうも乾燥しているとギャグの方も乾きがちになるんだよ」
ルナは溜め息をつく。今度は、ルナが憂鬱になる番だった。
「じゅ~ぶんに飛ばしているよ」
一息ついてから、ルナはハッキリと言う。
「あさっての方向にね」
「…………」
カオスは絶句する。芸風がパクられた気分だった。そのことをカオスが文句を言うと、ルナは機嫌悪そうにあさっての方向を向いただけだった。
マリアはそんな二人を穏やかな目で眺めていただけだった。だが、このままではいつまでも用事は終えることが出来ない。それも分かっていたので、マリアは脱線しがちな二人を元の方向に戻そうとする。このような場所に長居は無用なのだ。
「何はともあれ、さ~っと行きましょ~♪」
「そうだな」
「ですね」
面白い物も何も無いこんな場所にいつまで居てもしょうがない。それはカオスやルナにとっても同じ気持ちなので、マリアの言うことに二人共あっさりと同意する。ここに来た目的も忘れてはいなかったからだ。
「月朔の洞窟の詳しい場所は、そこら辺の奴に適当に訊けば誰かは知ってるだろう」
「そうね」
カオス達は、目的地の詳しい位置を知るべく、今立っている場所から一番近い場所にある民家にお邪魔してみた。
日差しは強くエレニスの地を照らしていたが、湿気がほとんど無いせいか民家の中は比較的涼しく快適な空間となっていたのだが。
「気分は何だかドライフラワー」
カオスが暴言、暴投のような言葉を口走って快適さをブチ壊しにした。
「は?」
ルナは顎が外れる位に口をあんぐりと開けた。正に開いた口が塞がらないという感じだった。そんなルナを見ても、カオスは平然とマイペースだ。
「いやぁ、カレーだけだと不公平だと思ってな」
「そうそう、他にも色々と乾燥させた物はあるからね、ちゃんと取り上げないと可哀相。って、そんなんどうでもいいじゃないの!」
ノリツッコミだった。カオスがボケて、ルナがつっこむ。それはルクレルコ・タウンに住む者としては、ある意味定番メニューではあるのだが、このエレニスに住む者にとってはどう扱ったら良いのか分からぬものでしかなかった。
「…………」
その民家の持ち主であるねじり鉢巻きをしたゴツイ中年男、顎に大きなほくろのあるその男は、カオス達を見てどうしたら良いのか分からずに、ただ立ち尽くしていた。
その心情はルナにも良く分かる。
「ほら、アンタが変なことを言うから、あの人が反応に困っているじゃないの」
「関係ねぇだろ~」
咎めるルナに、そんなルナの言うことを全く歯牙にも掛けないカオス。そんな二人の横で、マリアはその民家の男に微笑む。このようなことには慣れているのだ。
と言うか、いつも通りだ。
「あれらは気にしないで下さいな~」
アレ等。アレの中には当然、ルナも入っていた。
「あ? ああ」
調子は狂ったままだが、その中年男は気を取り直す。とりあえず、訊かれたことにはきちんと答えようとしたのだ。
「月朔の洞窟の場所だったな?」
「ええ~♪」
「ここから西へ約5km行った所にある、岩山の傾斜の所に入口っぽいものがある」
「…………」
「…………」
「…………」
カオス達は少し物足りなそうな顔をして、その中年男の顔を見ていた。少しの間沈黙が流れていたのだが、カオスは口を開いてその男に訊ねる。
「それだけ? 他には?」
5kmとは言っても、そこに辿り着くには苦難の連続である。動くサボテンが容赦無く侵入者を攻撃し、荒野の土の中からドラゴンと見紛う程大きな人喰いミミズが襲い掛かってくる。その上、天までも人を見放したようにギラギラと輝く太陽が、人を死地へと追い込む。陽炎は幻影となり、人の方向感覚を狂わせる。苦しい、命を懸けた旅となろう。
そのような事はないのか? というような期待だった。大変なのは避けたいが、何も無いのもつまらない。だが、その中年男はあっさりと否定する。
「無いな。ただ荒野が続いてるだけだ」
「はぁー」
カオスは溜め息をついた。
「つまんねぇ。もっとこう、血湧き肉踊るようなスーパー・デリシャス・ヴァイオレント・デンジャラス・スペクタクル・ロマンス・アドベンチャーみたいなのはねぇのかよ?」
「訳分かんないよ!」
ぼやくカオスに、ルナは速攻でつっこむ。さすがにその民家の中年男も少し慣れたようで、今回はペースを乱されなかった。
「そう言われてもしょうがねぇべ。そんなんあったら、此処も人が住めるような場所じゃなくなってるに違ぇねぇ」
周りの者をそんな冒険で楽しませる為にその洞窟は存在している訳ではないし、そのような危険が近くにあったらここで暢気に暮らしてゆけない。その勝手な想像はファンタジーな物語に毒され、暮らしのリアリティーが見えなくなってしまったような考えでしかない。
もっとも、それはカオスとしても分かっていたことだった。だが、面白くはない。
「気分は何気にドライフルーツ」
「ぬぁっ、また!」
ルナはバランスを崩しかけた。心の。
その上で尚、やっぱりカオスはマイペースだった。
「いやぁ、今回はこのパターンで攻めてみようかと」
「やめろっちゅーに」
さすがにその民家の中年男も慣れてきたので、カオス達の漫才同然の会話に一々心乱されなくなっていた。
変わり者? そうは思うが、こんな何も無い田舎町に久し振りにやって来た客人である。丁重にもてなさなければならない。
その男はそう思ったので。
「ああ、せっかくだ。近くまで俺の車で送ってってやろうか?」
親切心でそう切り出した。
「…………」
カオスは少し考えた後、首を横に振った。
「いや、いい」
「遠慮は要らんぞ?」
遠慮するタイプには見えなかったが、そのカオスの返事はその遠慮以外には考えられなかった。だが、久し振りの客人の来訪が嬉しいのは本当であるから、そのような遠慮をその男は残念に思ったのだ。
そんな彼に、そうではないとカオスは否定する。
「遠慮じゃねぇ。健康の為に歩くのだ」
「!」
その言葉に、ルナとマリアはピクッと反応した。ルナはまぁ、そんなところだろうねとでも言いたげな顔をして息を吐く。
「そりゃあね、アンタの辞書には『遠慮』という言葉は存在しないだろうからね」
「失敬な」
そんな二人を見ながらも、マリアは嬉しそうにニコニコと笑っていた。そして、自分の言いたい事をカオス達に告げる。
「嬉しいわ~。カオスちゃんが、手抜きをしないでいこうと考えるなんてね~。でも?」
ちょっと間を空ける。
「今日は歩かないわ~」
「え?」
車に乗っていくのか? 姉ちゃんらしくもないと、カオスは一瞬思ったのだが、その考えが甘かったことをすぐに思い知る。
「トレーニングの為に走っていくのよ♪」
「ぬがっ!」
「!」
カオスとルナは驚いた顔をして、少しの間言葉を失った。そしてその隙をついて、マリアは二人に有無を言わせないように、提案事項を決定事項に変えてしまう。
「ではではぁ、早速スタート♪」
マリアはゆっくりと走り始める。それは準備運動であり、かつ走らなければ置いてってしまうよという意味合いだ。つまり、カオス達に考える余裕も時間も与えないようにしたのだ。だから、カオス達は走るしかない。
「ぬぐぁっ、ちょいと待て! そいつはフライングだーっ!」
カオスとルナはマリアの後を追って走っていった。ちゃんとついて来るのをマリアは確認すると、これからがトレーニングの本番とばかりにスピードを上げていった。
「…………」
中年男は家の外からカオス達の後姿を見送っていたが、その姿はあっと言う間に地平線の向こうへと見えなくなっていた。
そのスピードを考えると、凄まじいものだろう。男は素直な乾燥を漏らす。
「すげぇな」
「そうね」
「…………」
自分の言った独り言に、返事がされた。誰が返事をしたのかは、声を聞けばすぐに分かる。男の妻だ。
男は油の切れたロボットのように、その妻の方をゆっくりと振り返る。妻はその男、夫に向かって人の良い中年女性に相応しい穏やかな微笑みを湛えていた。ように一瞬は見えたが、明らかに目は笑っていなかった。
それを分かっていた男は、何とか誤魔化せないものか考えながら、妻に話を振る。
「見かけによらず厳しい人だったな、母ちゃん」
「ふふふふ。そうだね、父ちゃん。人は見かけによらないって言うしねぇ」
そんな仏のような穏やかな顔は、あっと言う間に鬼瓦のような顔へと変貌する。
「なんて、ほのぼのするとでも思ってんの? このたわけがぁッ! いつまでもサボってないで、さっさと仕事しなっ!」
「俺も気分はドライクリーニングだぜ、こんちくしょうっ!」
「じゃかぁしいわっ!」
◆◇◆◇◆
カオス達は走っていった。サボテンを横目に通り過ぎ、岩山も過ぎていった。その頃には少し上り坂になり始めていた。その上り坂を少し登っていくと、山のように大きな岩山がカオス達の前に立ち塞がった。その岩山の斜面に、重そうな鉄の二枚扉がカオス達を迎えた。
隣には『月朔の洞窟』と記されてあるプレートが掛けられてある。此処が目的地であることは明白だった。
「ここだな」
「そうね~」
カオスとマリアは扉とプレートを見ながら確認し合う。間違ってはいないと思うが、万が一という可能性も無くは無い。確認の必要はあると感じていたが。
「ぜぇぜぇぜぇぜぇ。はーはーはー」
その近くで、ルナがしきりに息を切らしていたので、思考にも何にも集中出来なそうだった。カオスはルナの方をじっと見た。
「どうした? 何だかぜぇぜぇはぁはぁ言って」
うるせぇぞ、という抗議の意もそこには含まれていた。だが、それに一々反応するような肉体的余裕は、ルナにはまだ無い。
「た、ただの息切れよ。はぁはぁ」
「…………」
カオスは上を見る。ルナを見る。マリアを見る。自分は殆ど息なんか切らしてないし、マリアも涼しい顔をしている。少し考えて、もう一度ルナの方を向いてカオスは結論を出す。
「年か? 老化現象と言うにはちょっと早過ぎやしないか?」
「あのスピードで5kmも走れゃ、フツー誰でもこうなるわっ!」
ここまで来たスピードは、ルナからすれば尋常じゃなかった。体育の短距離走のようなスピードで、中距離から長距離に値する5kmも走らされたのだ。クラスの中で運動神経は良い方に位置するとルナも自負はしていたが、それでも心臓がおかしくなる思いだったのだが。
その一方でカオスは思っていた。それは大げさだろうと。そう思いながらも、他の連中のことなんか知らないので、一応マリアに訊ねる。
「そんなに速かったか? いつもはもっと飛ばしていたよなぁ?」
「そうね~♪」
毎朝のランニングを思い浮かべながら、カオスとマリアは言っていた。そして、それが普通だとカオスは思っていた。だが、カオスは気付いていなかった。マリアも普通でないと。
姉弟揃って普通ではないのだ。だが、そう言ってしまっては、もうついていくことは出来なくなる。
「…………」
少し疎外感を感じながら、ルナは空を見上げながら息を整えていた。そして、呼吸するごとに思い知らされる。この分だけ既にカオスから置いていかれているのだと。
それは嫌だ。カオスに追いつきたい。追い越したい。そう考えるから、ルナは明日からトレーニングとして自分も早朝ランニング等の特訓をしようと決意したのだ。
「よし」
その間、カオスとマリアはその扉を一通り調べていた。現段階では扉は押しても引いても開かないし、力づくでも無理そうだった。魔法か何かのコーティングによって、どうにもならないように加工されているようだった。
どうにもならない。つまり、ここがその『月朔の洞窟』で間違いない。それを、カオス達は確信した。
「ここで間違いないな。では、コイツの攻略はまた後でってことで、今日のところは家に帰ろうぜ」
「だね~♪」
「O.K.」
カオスがそう言うと、マリアは魔力を充溢させて瞬間移動魔法の準備を整えた。そして、マリアの呪文と共にカオス達の身体は閃光に包まれ、そして消えた。
一瞬の内にその体は、カオス達の故郷であるルクレルコ・タウンに戻る。閃光が消えゆき、視界が晴れてくると、その両目に見慣れた景色が映ってくる。
「こうしてあっと言う間に帰ってきてしまうと、さっきまでのは夢だったみてぇだな」
カオスはそう素直に感想を漏らす。
「そうね~♪ でも?」
カオス達の服のポケットに入っているトラベル・パスが、今までの事柄は全て現実であったと教えてくれる。エスペリア共和国の欄がBになっているトラベル・パスが何よりの証拠であると。
ルナは少し笑う。そして、カオスとマリアの方を向いて挨拶をする。
「では、また明日」
「またね~☆」
「おう、早く寝ろよ」
「早く寝ろって、アンタが早く寝ろよ、遅刻王」
「ちっ、やぶ蛇だったか」
「じゃ、また明日」
「おう、またな」
カオス&マリアと、ルナは背を向けて互いの家へと帰っていった。カオスはまた明日学校で会おうという意味でそのように言っていた。だが、ルナにとってそれは違っていた。そこまで待つ気は無かった。翌朝、それをカオスは知る。
◆◇◆◇◆
その翌朝も、爽やかな晴天であった。朝早くからカオスは、マリアによってトレーニング場に連れ出される。そんなまだ半分眠っているようなカオスの前で、マリアはこの晴天にも負けない程の爽やかな笑顔を見せる。
「さてさて、今朝も楽しくトレーニングといきましょ~♪」
「それはいいんだけどさ?」
カオスは眠い目をこする。そして、隣に居る人物の方に目を向ける。
「何故ルナがここに居る?」
ルナがTシャツにジャージというキッチリとしたトレーニングウェアで立っていた。明らかに、ちょっと通りかかったような姿には見えない。
カオスはまだ寝惚けている。顔も思考回路も全て。
そんなカオスに、ルナは既に全開のキリッとした目つきを向ける。
「私も鍛えるのよ。悪い?」
「別に悪かねぇけど」
鬼コーチ一人、追加加入! 地獄の特訓メニューに、新たに悪夢のレシピが加わり、阿鼻叫喚の地獄絵図となります! お楽しみに!
そんな感じで、嫌だった。が、そんなことは口が裂けて口裂け男になったとしても、言葉には出来ないカオスであった。
「カオス、アンタには負けないわ」
ルナの瞳には、決意の炎が宿っている。
「魔法だけじゃなくて、体術の方でもね」
「…………」
ルナはカオスに対抗意識を持っている。そんなルナを見て、マリアは嬉しそうな顔をしていた。
「ライバル意識を持つのはいいことよ~♪ その方がただの慣れ合いなんかより、ずっと力を伸ばしてゆけるからね~♪」
「分かっている」
カオスは本意じゃないと言うかのように両手を広げ、首を横に何度か振った。
「でも、気分はちょっとドライアイスさ」
「は?」
「いやぁ、今回のシメはこれでって決まってたからな」
「あっそ」
ルクレルコ・タウンの空にはカラスが飛んでいた。そんなカラスの鳴き声が自身の言いたいことだとルナは思っていた。
実際のところ、カラスは鳴いていなかったけれど。




