Act.004:デンジャラス・テストⅡ~筆記試験の様子の描写はありません~
カオスとルナは真剣な顔をして向かい合う。カオスは向かいのルナに対し、少し不安な色を孕んだ声でルナに言う。
「③」
「正解」
ルナは分かってはいながらも、念の為にもう一度テキストの解答欄を確認してからそう告げた。
ルクレルコ魔導学院、平日の午後の休み時間の教室内。カオスとルナは来るべきトラベル・パスCランクの試験に向け、教室内でも勉強をしていた。カオスとしては本意では無かったが、誠に遺憾だが、NOという選択肢は取れなかったのだ。
「い、意外と出来るわね」
カオスは試験に向けて全く用意していない様子だったので、ここで問答をしても散々な結果に終わるだろうとルナは予測していたのだが、カオスは良いとまではいかなくても結構良好な結果を残していた。
そんなルナの驚いた顔を見て、カオスはニヤリと笑う。
「ふっふっふ。ルナよ、俺をナメんなよ。この程度の問題くらい勉強なんか、何もせんでも出来るっちゅーの」
そうやって、カオスは余裕たっぷりの感じを見せた。が、心中では心の底から安心していた。胸をなでおろしていた。
ああ、良かった。昨晩勉強したトコだったぜ。
そんな安心感と同時に、カオスは昨晩の勉強がこんな所でも役に立ったと、自分で自分を褒めてやりたい気持ちになった。
ルナはそんな余裕たっぷりを装うカオスも、心の奥で安心したカオスも、自分で自分を褒めているカオスも歯牙に掛けなかった。さっきの問答は忘れたという感じで、淡々と勉強を進める。
「では、次の問題」
「あらあら~。精が出るわね~♪」
その時、休み時間に校舎内を見回りしていたマリアが自習中の2人に声をかけた。
「姉ちゃんか」
「マリア先生」
「調子はどうかしら~」
カオスとルナのやり取りをちらっと見ただけで、ルナがカオスに対して問題を出して勉強をしているんだと判断したマリアは、ルナに対して弟の出来栄えはどの程度のものなのか訊ねた。
あまり不安そうではなかったが。そして、ルナもそんなマリアの予感通りの回答をする。
「ああ、マリア先生。それが意外と出来るんですよ。『勉強は明日からする』とか、馬鹿で阿呆でどうしようもないことを昨日言ってましたけど」
「意外かい!」
意外をことさら強調するルナに対し、カオスは素早くそうツッコミを入れた。そんなカオスを、ルナは鼻で笑う。
「ええ。意外中の意外。定期テストではいつもいつも赤点で、何もかも補習づくしでしょう?」
「そうそう。答案が返って来るのが憂鬱で憂鬱でたまらんわ。って、そんなに酷くないわっ!」
ああだこうだ。
ああだこうだ。うんたらかんたら。
そんな二人の漫才、もとい言い合いを、マリアはいつも通りの穏やかな微笑で眺めていた。そして、また別の場所へと見回りしに戻ろうとした。が、その時地雷を踏むような発言をした。
「まあまあ、カオスちゃんも良かったわねぇ~。夜遅くまで勉強した効果が早速出てるみたいじゃないの~。じゃ、私は行くわねぇー♪」
「…………」
「…………」
「はははは」
「あははは」
教室内に乾いた笑い声が響いた。そして、その声は少しずつ大きくなっていった。アア、愉快ダネ。痛快ダネ。そう言いたいところだったが。
ルナの目は笑っていない。勉強をきちんと始めているカオスに対してそんなことをした自分が、まるで間抜けなピエロのように思えたからだ。そして、カオスの笑い声も心からのものではない。ただのヤケクソだ。
「はははははははは」
「はははははははは」
ルナが椅子から立ち上がる。カオスも立ち上がる。
「はははははははははははは」
「はははははははははははは」
カオスは少しずつ後ずさりして、ルナとの間合いを大きくする。ルナは少しずつカオスに近付いていって、その間合いを詰めようとした。
そして数秒後、レースは始まった。ルクレルコ魔導学院の廊下で、ルナがカオスを走って追いかけ始めた。キレ気味のルナに捕まると何されるかわかったものではないので、カオスも逃げる。
「待てーっ!」
ルナは、人を追いかける時の定番の言葉を叫びながらカオスを追う。そんなルナを、カオスは逃げながら笑う。
「待てと言われて待つ馬鹿なんか何処にも居ねぇっつーの」
「ンだとーっ! 騙したな、このボケーッ!」
「ははっ。バーカ♪」
そんなカオスをルナは全速力で追い続けるが、その距離はなかなか縮まらない。カオスは、走るのだけはクラス内でも屈指で速いのだ。少し余裕を見せる感じで、ルナを振り切らないように彼女の視界に自分が入る程度にスピードを抑えて、ルナから逃げていた。
要するに、ナメているのだ。そんな彼等の視界の先にとあるモブがいた。ウェッジ・何とかとか言うどうでもいい生徒が女子生徒達とお喋りをしていたのだ。
◆◇◆◇◆
とある廊下の一角で、ウェッジという一人の男子生徒は後輩女子二人に対して体術に関するレクチャーをしていた。
良い子な後輩は、そんな先輩のアドバイスに感心したような声を上げる。
「へぇ、そうなんですか先輩」
そんな素直で可愛い後輩の反応にウェッジは少し得意気になり、木刀を後輩達に良く見えるように前に翳してレクチャーを続ける。
「そうだよ。力となるのはあくまでもその人自身なんだ。だから、身体がきちんと鍛えてある者ならば、こんな木刀とて立派な武器となるんだよ」
その時、その廊下の奥から一つの影が速いスピードで近付いてきていた。
「でも、逆に鍛錬されていないと、どんな武器を持ったところで」
といった途中で、ウェッジは急速に近付いてきた影に蹴り飛ばされた。木刀がウェッジの手を離れて宙を舞い、彼を蹴り飛ばしたその影、もといカオスの手に収まった。カオスは、自分が蹴り飛ばしたウェッジを助け起こしもせず、そのまま走って去っていく。
「木刀借りるぜー」
形式的な事後報告をフェイドアウトさせながら。
「ちょっと待てカオスッ!」
カオスの無礼な振る舞いにウェッジは腹を立てそう怒鳴ったが、その時にはカオスの姿は点のようにしか見えなくなっていた。
ウェッジは頭にきていた。正直、今すぐ追いかけていってカオスの事を何発か殴ってやりたい気分だった。だが、彼はそんな怒りをすんでの所で抑えた。可愛い後輩がここに居るからだ。ウェッジは、そのような後輩の前では怒りのままに野獣のように追いかけるみっともない姿は絶対に晒したくないと思っていた。心の広いジェントルマンな先輩でいようとしていた。
そんな彼は気を取り直して、後ろに置いておいたもう1本の木刀を手に持つ。
「仕方ない。じゃ、今度はこの予備の木刀で」
といった途中で、ウェッジは急速に近付いてきた影に今度は殴り飛ばされた。木刀がウェッジの手を離れて宙を舞い、彼を殴り飛ばしたその影、もといルナの手に収まった。ルナは、自分が殴り飛ばしたウェッジを助け起こしもせず、そのまま走って去っていく。
「木刀借りるよー」
形式的な事後報告をフェイドアウトさせながら。
二度もやられたウェッジには、もう怒る気力も立ち上がる気力も無くなっていた。
◆◇◆◇◆
木刀を携えた物騒なカオスとルナの2人は走り続けていた。階段を降り、廊下を駆け抜け、通路を走り、梯子を登っていったその終点は武道場の屋根の上。
カオスは立ち止まり、後からやって来たルナの方に視線を向ける。ルナはカオスから十数秒遅れて、カオスの近くにまで到達した。そんな彼女を見て、カオスはヘラヘラ笑っている。
「よう、ルナ。久し振りだな♪」
「はあっ、はあっ、はあっ」
ルナは文句の1つや2つや3つくらいは言ってやりたかったのだが、息が切れて言葉が喉から出て来なかった。そんなルナの前で、カオスは全く息を切らさずに平然とした顔で立っていた。
「走り込みが足らないようだな、ルナ。勉強と魔法の練習ばっかしてたんじゃねぇか?」
上下移動を含む数百メートルのコースを猛スピードで駆け抜け、それでも平然としているカオスに向かって、ルナは開口一番にもっともなことを叫ぶ。
「アンタがおかしいだけだ!」
そんなルナに対し、カオスはケロッとしている。
「そうか? ま、俺は吟遊詩人候補だからな」
それは以前聞いた。殺人兵器のような歌声と共に。ただ、それでもルナは疑問に思う。
「そ、それが何故?」
そのような化け物級の肺活量と運動量に結びつくのか? と言うか、そのせいであの殺人兵器のような歌声(?)が作り上げられたのではなかろうか?
ルナはそう訊きたかったが、まだ走った疲れが残っているルナは最後まではっきりとした言葉にすることは出来なかった。だが、カオスはそれだけでルナの訊きたいことは概ね把握出来たので、自分なりの答えを答えてやる。
「吟遊詩人は歌を歌う者。歌い手として肺活量は絶対的に必要だからな。必要に応じて、この程度は鍛えていたってことだ」
それよりも前に声質とか、技術とかあるだろう? とか、ツッコミたい所はいっぱいあったのだが、自分もそんなに音楽に関しては詳しい訳ではないので、ルナはツッコミはしなかった。
「ルナ。お前は魔法や勉強に関しては、間違い無く俺より優秀だ」
カオスはルナの返事を待たずに話を続ける。さっきの吟遊詩人云々の件は、ただの前振りだったようだ。カオスは珍しく真面目な顔をしてみせる。
「だが、体術の方はどうかな? 全然鍛えてねーんじゃねぇか? 魔法なしじゃ何も出来ねぇんじゃねぇか?」
マリアの無茶なトレーニングで、ルナが大型魔獣を倒した時に使ったのは魔法だけである。校舎でカオスに攻撃を仕掛けた時に使ったのも魔法だけである。体術は一切使っていない。
カオスは木刀で自分の肩を軽く叩きながら、そう言って笑う。ルナはカオスが挑発しているんだと分かってはいたけれど、そのまま黙って負けを認める形にするのも癪だったので、それに反論する。
「魔法だろうが、勉強だろうが、体術だろうが、何だってあたしは負けない」
「ハッ、それなら証明してみせろよ」
ちょうどコイツがあるんだからな。
とでもいうように、カオスは木刀を前へと突き出す。言葉は不要。力の大きさを誇示するのなら、己の腕でもってその力の大きさを証明しろ、とカオスは主張する。
「ふふ、上等!」
ルナは両手できちんと木刀を握り直す。カオスもそのルナの様子を見て戦意があることを感じ取り、自分もまた木刀をきちんと握り直して構えを取る。
「はっ!」
ルナは中段の構えから大きく前へ踏み出し、カオスの脳天目がけて木刀を下ろす。
カオスはその軌道を完全に読み取り、身体を少し右にずらし、横からルナの剣の軌道をずらした。カオスはそれによって横に少し銃身の傾いたルナの隙を見逃さず、蹴りでルナの身体を飛ばす。
ルナは横腹に受けた蹴りで少し飛ばされたが、すぐに体勢を立て直して構えを取り直す。そして、また攻めに転ずる。
「はっ」
「ははっ」
ルナは笑う。カオスも笑う。武道場の屋根の上では、しばらく剣と剣がぶつかりあい続けていた。
そしてそれから数分後、疲れの出て来たルナは気付くこととなる。まんまとカオスのペースに乗せられてしまっていたことに。しかしその頃には、怒っていたことも、心配だったことも、何もかも馬鹿らしく感じられていた。
そう、どうでもいいのだ。結局、トラベル・パス試験に合格しようが、落ちようが、どうでもいい。合格したところで海外旅行する予定はないし、不合格だったところで受けるデメリットは受験料のみ。リスクはそれだけだったのだから。
二人はそうして肩肘張らずに試験に臨むことが出来た。
数日後にトラベル・パスCランク筆記試験は行われた。
カオスもルナも無事にその試験を突破した。
◆◇◆◇◆
「思えばあっけなかったな」
筆記試験合格発表から数日後、カオスは学院裏庭で今までの経過を思い出しながらポツリと呟く。
「そだねー」
ルナはそんなカオスに同意はするが。
「でも、これからが本番だよ」
これで試験が終わりではないので、締めるのも忘れない。ルナはそう戒めながら、前例であるウェッジのことを思い出していた。
同級生の中でウェッジは四月初めの生まれだったので、いち早く16歳という受験資格を得た彼は去年皆より一年早くトラベル・パスの試験を受けていたのだ。彼は筆記試験を突破し、意気揚々と実技試験に臨んだのだが、そこであっさりと落ちた。そんな彼を誰一人として慰めたりはせず、鼻で笑ってやったことを思い出していた。
それだけ彼の言動は酷かったのだ。具体的に言うと、ナルシストで気持ち悪い。まあ、そんな阿呆のことはどうでもいいかとすぐに忘れることにした。
「実技か」
カオスは呟く。そんなカオスにアレックス、前回カオスと新しい喫茶店に行った友人Aはルナの言ったことに同調する。
「そうだぞう、カオス。ランクC、ソルジャークラスはあくまでも基本は力なのだと先生も言っていたからな。頭脳は必要最低限あればそれでいいのだろうな」
「成程な。脳味噌まで筋肉で構成されていそうな奴が多いからな」
アレックスのゴツイ身体を眺めながら、カオスは笑う。
「誰の話だ。誰の!」
誰か分かっていながら、アレックスはそう突っ込まずにはいられなかった。そう、彼はマッチョである。茶色い髪を角刈りにしたマッチョである。好きな筋肉は小胸筋と広背筋と答えるマッチョである。
それに対してカオスは筋肉のことに関しては何も知らない素人であった。好きな筋肉どころか、挙げられる筋肉の名前自体が腹筋と背筋だけで、続きを促されると玉筋と答えざるを得ないくらい素人であった。だが、そんな重ならない部分が大きいからこそ、二人は仲良くもあった。
そんな二人のやり取りを見てサラとアメリアはクスクスと笑い、その一方超が付く程に真面目なルナは、遊びに使われたアレックスが少し憐れに思えたので顔を少し見ないでやっていた。
そんな周りの連中に気を払うこと無く、カオスはマイペースに話を続ける。
「しかし、アレックス。聞いてねぇぞ。お前もランクCを受けてたなんてな」
友人にさえ受験を秘密にしていたことを指摘され、アレックスは大きく溜め息をついた。
「筆記は超絶ハイパーミラクルで突破したからまだいいけどさぁ、その筆記なんかで落ちたらカッコ悪いじゃねぇか。無謀とか言われそうだしなぁ。さすが脳筋とか言われそうじゃん。何がさすがなんか分からんけど」
と、そこまで言ったところでアレックスも気付いた。
「でも、カオス。俺もお前がCランク受けたなんて聞いてなかったぞ」
「そうだっけか?」
言ったような、言ってないような、カオスの中ではそんな曖昧な記憶だった。もしかしたらルナに言った時点で、アレックス達にも伝わっていると思っていたのかもしれない。そうとも思ったが、それもまた今となってはどうでもいいことに思えた。
「ま、何だっていいじゃねぇか」
「そうだな」
二人は笑い合う。つられて、ルナ達女連中も笑う。しかし、そんな彼等を冷たい視線で眺める男が居た。
「お気楽な連中だ」
その男は呼ばれてもいないのにカオス達にそう声をかける。
「筆記試験を突破しただけで大喜びなんかしてさ。ま、実技試験に合格する希望なんか無いから、そうや
って今の内に喜んでおきたいのかもしれないけど」
その嫌味な男に、五人の視線が一斉に向いた。その輩の名前をまずカオスが言う。
「ウンチ・デタァココニか」
「ウェッジ・ディアコードだ、馬鹿野郎! 誰が大便だ。誰が!」
「まあ、似たようなもんじゃねぇか」
「若干似ているから余計に腹立つんだ、コンチクチョウがっ!」
ウェッジは叫ぶ。嫌味を言いに来たのだが、あっと言う間にペースをカオスに取られていた。
「で、そのウェッジさんが何の用だい?」
アレックスが、心の底から嫌そうな声でウェッジに問う。
ただ、コイツは古くから知り合いではあるが、決して友達なんかではない。だから、気安く話しかけるんじゃねぇ。さっさと失せろ、馬鹿野郎。アレックスの声には、そんな気持ちが大きく込められていた。
一方、カオスは全く感情の抑揚をつけずに、ウェッジの方をチラッとだけ見てボソッと呟く。
「ま、阿呆なこと言うだけだろうがな」
と。
そんな皆のウェッジに対するネガティヴな感情を、ウェッジは気付いていないのか、気にしていないのか、変にポジティヴな方向に受け取っているのか分からないが、嫌味な調子は全く変えずに振舞う。
だからこそ16年強生き続けて尚、自分に友達が一人もいない理由が分かっていないのだ。
「ふふふ、負け惜しみか。みっともないな。だが、それも仕方あるまい。だが、寛大な僕はそれも受け入れよう。どうせ今年ランクCを完全に突破出来るのは僕くらいなものだからね」
「おぅ、カオス。こんな阿呆は放っておいて、とっとと帰ろうぜ」
「ああ、あの『もぐもぐタイム』でコーヒーでも飲んでくか」
「ま、たまには寄り道もいいでしょう」
カオス達五人は、戯言を壊れたスピーカーのように垂れ流している阿呆を放っておいて、さっさとその場から離れて下校していった。
「君達は凡人に生まれてしまったのだからしょうがない。この美貌。才能。僕のように神から二物も三物も頂いてしまった僕を羨ましく思うのだろう。嗚呼、僕も辛い。このような不公平は世界に妬みを生むだけだろう。神とは何て残酷なのかと僕自身も嘆いて」
ウェッジの戯言を聞く者は、もう何処にも居なかった。彼はそれに気付かず、一時間弱も戯言を喋り続けていた。
今日もそんなのんきな平日だった。だが、そののんびりとした空気に紛れて、トラベル・パス二次試験である実技試験の日は着々と近付いているのであった。
2019/01/08 区切り部分に「◆◇◆◇◆」を追加。