Act.003:デンジャラス・テストⅠ~勉強は明日から~
マリアによる無茶なトレーニングから数日経ったある日のことだった。ルクレルコ魔導学院の教室内のとある席。カオスは自分の席であるこの席に座り、ボーッとしていた。そう、ただボーッと。何かをする訳でもなく、何かを考える訳でもなく、ひたすらボーッとしていた。
そんなカオスの前に椅子に、ルナが腰掛けてカオスに話しかける。
「カオス、勉強は捗っている?」
「は?」
今は四月の初め。先月の初めに学年末試験を終えているので、来月末の中間試験まで学院内で大きなテストは無い筈だ。中間試験のことも少し頭をよぎりはしたが、それまでまだ二ヶ月近くある。試験対策をするにしては流石に早過ぎるだろう。カオスはそう判断した。しかし、そういった試験前以外にルナがそう訊ねて来るとは思えないので、カオスはルナに逆に訊き返す。
「何のことだ? 定期テストはまだまだ先だろうが」
そんなカオスのすっとぼけた返事に、ルナは大きく溜め息をついた。この自覚の無さからして、答えは一目瞭然だ。カオスは何も対策をしていない。
とは言うものの、呆れてばかりでは仕方ないので、呆れながらもルナはカオスに教えてやる。
「トラベル・パスの試験があるでしょーが」
トラベル・パスCランク試験。四月半ばに筆記試験を行い、その合格者は同じ月の末頃に実技試験を行う。今は四月初頭。もう、当日まで二週間も無い。試験は近いのだ。そう言われて、カオスはやっと思い出した。
「ああっ! 忘れてた忘れてた」
カオスは大声を上げる。
「勉強しねーと」
「そうよ。アンタはぶぁかなんだからさ」
「明日から!」
「今日からしろ! 今日から! 寧ろ今から! そう、必死こいてっ!」
だが、カオスはそう激昂するルナを制止させる。その様は、あたかも今日は勉強してはいけない理由があるかのように見える。
カオスは真面目な生徒っぽい顔をして言う。
「俺もな、勉強したいんだ。したいと思っているんだ。嗚呼、正直言うととっても勉強したい」
なら、しろよ。
ルナはそんな冷めた目で、カオスが喋っている戯言を聞き流していた。
「しか~しっ! それが叶わぬ、そんな理由があるのだ!」
演技過剰気味に、カオスはルナを指差す。
嗚呼、どうせロクな理由じゃないんだろうな。そう思いつつも、馬鹿の戯言にいちいちツッコミを入れるのも疲れるので、ルナは黙って聞いていた。
「今日はどうしても外せない用があるのだ。嗚呼、残念。超無念だ!」
そう言いながら、カオスは残念そうなポーズをする。
顔は全然残念そうじゃないねぇ。
ルナはそう思いつつも、そこで激昂しても無駄なので、一応カオスに訊いてみる。
「用? 用って、暇人のアンタにどんな用があるっていうのさ?」
「カオスー!」
その時、教室のドアがガラガラと開き、男一人と女二人が教室内に入ってきてカオスを呼んだ。カオスとルナが呼び出したその三人の方を向くと、そこには彼等の友人である三人、アレックスとアメリアとサラが立ってカオスに手を振っていた。悪友である。
その中の男、アレックスはお気軽な調子でカオスに話しかける。
「おう、カオス。今日は町に新しく出来た喫茶店に行ってみる約束してただろー?」
約束? 約束。それが、今日の用事。
カオスは、アレックスに笑顔を見せた。しかしその笑顔の中に、『それを今言ってんじゃねぇよ、このクソ馬鹿野郎』とか、『コイツに今バレたら俺の命が危ねぇじゃねぇか、このトンチキ野郎』といった主張が多分に含まれていたのだが。
カオスは表立ってアレックスを責めない。責める時間も無い。後ろで殺気立った視線を強く感じ、この教室内が戦場と化すかもしれないと分かっていたからだ。
「へぇ、どうしても外せない用、ねぇ。うふふふふ、新しい喫茶店をのぞいてみる。そんなことがあたしとの約束よりも。ヘェ。アア、ユカイ。アア、ユカイ」
殺気の元は目を光らせ、ゆらめいた。その魔力が上がっているのを、カオスは感じていた。だからその友人達の安否をも含めて、彼等に大声で指示を出す。
その上で自分も走り出す。
「総員退避!」
カオスは有無を言わせずアレックス達を走らせ、自分もそれに続いてルナから逃げ出した。だがその刹那、逆上したルナはカオスに魔法攻撃を仕掛ける。
ルナが腰を落とし右手を前へ突き出すと、ルナの周囲に充溢していた魔力が六つの炎の弾丸となり、カオスに向けて一斉に放たれた。炎の弾丸は、轟音を轟かせながら全てカオスに向けて一直線に飛んで来た。
その炎の弾丸をその視界に入れたカオスは、その予想していなかったルナの攻撃に焦りを見せる。殴られたり、蹴られたりはしても、魔法攻撃を使ってくるとは思わなかったからだ。
「おいおい、マジかいっ! こっちゃ、素人だぞ、オイ!」
カオスはビビッていた。しかし、その一方で攻撃をして少しクールダウンしたルナも、またビビッていた。
しまった! やり過ぎた。死ぬかもしれない!
死ぬかもしれない。双方がそう思ったその瞬間、カオスとその炎の弾丸の間に突然黒い壁が現れた。その黒い壁は丁度カオスを守る盾となり、六つの炎の弾丸を全てその身に受け、その炎を消し去った。
攻撃と、それに対する防御の終わった学院内の廊下には、水を打ったような静寂が漂っていた。ルナは唖然としており、カオスは少し意識が飛んでいた。
「え?」
最悪だとあの世、良くても病院だと覚悟を決めていたカオスは、自分が無傷で今も変わらずに学院内の廊下で立っていることに驚き、キョロキョロと周りを見渡した。誰かが自分を助けたのではないかと思ったのだ。だが、カオスの周りにはカオスを助けたように見える人物は何処にもいなかった。
後ろを向くと、そこにはアレックス達が呆然と立っている。が、彼等が何かしたとは思えない。その上で廊下の横側には何も無い。誰もいない。しかし、自分の目の前には黒い壁があった。目を向けた瞬間にすっと消えてしまったけれど、おそらくそれは魔法壁であり、それが自分をルナからの魔法攻撃から守ったのであろう。そのことは、カオスにも理解出来た。
誰がやったのかは知らんが、助かったな。
自分の前に魔法壁を出した誰かさんに感謝しつつ、カオスはふっと笑った。そして、その視界の先にルナも映った。ルナはまだ唖然としている。ルナのことが全く気にならないと言えば嘘になるが、これが退避する絶好のチャンスでもあるので、カオスはこの隙にルナの猛攻から逃れることにした。
そうしてカオスは、アレックス達と一緒にそこから立ち去り、校外へと出て行った。約束の地である新しい喫茶店へ。
それから数分後。その廊下にはルナ1人だけが残されていた。ルナはまだ、先程のことを何度も思い出していた。
さっきのは逆上した上での攻撃だったので、疑いようもなく手加減無しの全力の攻撃だった。威力としても自分は優秀な生徒として一応通っているので、そこら辺の魔法をちょっと齧った程度の生徒なら瞬殺してしまう位の威力はあった筈だった。しかしながら、カオスはそんな攻撃を無傷で防いだ。
そう、カオスが。
カオス自身分かっていないようだったけれど、炎を全て遮断したあの黒い壁は、カオスが出した魔法によるものに違いない。我を忘れることによって自分が強い力で攻撃してしまったように、カオスもまた同じようにそんな力を発揮したのだろう。
「ははは」
ルナは少し笑った。自分はルクレルコ魔導学院史上屈指に優秀な生徒であると教師陣に褒められ、自分としてもある程度そのことを誇りに思ってはいたのだが、才能としてはカオスのものはそれ以上らしい。先程のたった一度のやり取りだけでそれを実感する。他の海千山千の生徒からしたら贅沢な悩みと怒られるかもしれないが、カオスと比べると自分もその他と大して変わらない凡人のようだった。そんな自分の小ささを笑った。
その上でまた、マリアが何故色々と手をうってまでしてカオスに修行させようとするのかがハッキリと理解出来た気がした。彼女はその位の才能が弟にはあると分かっているのだ。
「ちっ」
ルナは舌打ちする。先程の怒りが、別方向に変わる。才能があるのに気付かない、その愚鈍さに対して嫉妬と羨望と溜め息が混じっていた。
カオスなら、ちょっとやればCランクなんか軽く突破出来るだろう。彼の姉のような騎士になることだって夢ではない。だからこそ、先程よりももっと強く思う。
「勉強しろよなぁ、全く! もったいない!」
何よりも幼馴染として、カオスにそんな才能があるのは非常に嬉しいことだったのだ。
◆◇◆◇◆
その一方でルクレルコ・タウン商店街の一角、開店したばかりの喫茶店『もぐもぐタイム』店内。猛獣の追撃から無事に逃れたカオスは、愉快な仲間達と共にお茶を飲んでいた。
「美味いぞ! 美味いぞ、この紅茶。最高だ! わははははははははっ!」
アレックスという馬鹿が紅茶を飲みながら馬鹿笑いをする。紅茶にはアルコールも禁止薬物も入っていないのに、馬鹿には変な効果が効いているようだ。アレックスは茶色い毛を角刈りにしたマッチョ。彼は脳味噌まで筋肉でつくられているようだ、とカオスは密かに思った。
その向かいで、アレックスの馬鹿笑いに耳をふさぎたい気持ちを抱えながら、カオスは紅茶を口に含む。そして、ふと虚空を眺めた。それだけで先程のルナとのやり取りが思い出せた。
約束。約束。約束。
ルナは何度もそう言っていた。そんな約束。それは今でも覚えている。
物心がつくかつかないかといった位ずっと昔に、二人で国の騎士を見た時に感嘆の声を漏らした。
『騎士ってカッコイイね、カオスちゃん』
『そうだね、ルナちゃん』
『『いつか、一緒になろうね』』
子供の頃の他愛ない約束だった。明日になればすっかり忘れてしまうような軽い口約束だ。それを、ルナはまだ覚えていて、それを叶えようとしているらしい。
バカな奴だな。現実的ではない。
カオスはそう思った。カオスには戦いの才能がないと自分でも思っていたし、ルナとてあっと言う間に騎士ランクの試験に受かってみせたマリア程ではないだろう。現実的ではないのだ。何処かで見切りを付ける必要がある。あの『約束』もまた、然り。
時が経てば、全ては移ろい変わってゆく。昔の思い出も、約束も、泡のように消えてなくなっていく。嘆く者も多いのだろうが、それは仕方ない。そういうものなのだ。そのことにルナは気付けないでいたのだろうか?
「バカが」
カオスのほとんど音にならないその声は、紅茶の波紋と共に消えていった。
◆◇◆◇◆
夜の帳が下り、ルクレルコ・タウンを暗闇が包んだ。自室で翌日の授業用の書類をまとめ終えたマリアは、椅子から立ち上がってトイレへと向かった。廊下を歩いて下の階にあるトイレへ行こうとすると、途中のカオスの部屋から灯りが漏れているのが見えた。
何をしているのか分からないけど、夜更かしをしているようね。何度夜更かしをしてはいけないと言ったら分かるのかしら? そんなんだから、朝寝坊してしまうのよ。
マリアは少し呆れながら、カオスの部屋の扉をそっと少しずつ開ける。
「カ・オ・スちゃぁぁぁぁ~ん?」
マリアの目に、机に向かうカオスの後姿が見えた。カオスはそんな後ろのなまはげ、もとい姉に気付かず、テキストに集中していた。
「ああ、クソ。難しいな。コンチクショウめ。んと、此処がこうなって、そこがそうなるなら、アレがチョメチョメで、この問題の結果としては」
マリアは微笑みながら、また静かにその扉を閉めた。
「紅茶でも淹れてあげようかしら~」
白い月は静かに、夜の田舎町を照らし続けていた。
2019/01/08 区切り部分に「◆◇◆◇◆」を追加。