Act.028:訓練開始
ルクレルコ・タウンの東の山の裏から白い太陽が顔を覗かせて、辺りを照らし始める。空はダークブルーから、明るい水色へと変わってゆく。
朝だ。鳥達は囀り、青空へと羽ばたいてゆく。暖かい風は、心地良い春の朝を連れてきてくれる。そんな爽やかな時間だった。
マリアはそんな太陽の光を浴びて、太陽のような眩しい笑顔を見せていた。その一方で、カオスはマリアとは対照的に死体のように呆然とした顔をしていた。ヨダレが今にも垂れそうだった。
その弟の姿を見て、マリアはニッコリと笑いながら言う。
「眠そうね~、カオスちゃん♪」
「早ぇっつーの」
爽やかな朝とは正反対に、爽やかさの欠片も無い顔でカオスはぶーたれる。そのカオスの顔を見て、マリアはちょっとだけ困ったような笑顔を見せる。そして、姉らしく優しい声で弟を諭す。
「ダメダメよ~。早寝早起きは健康の第一歩って言うでしょー。ひいては、それが強くなる為の第一歩となるんだからね~?」
「はいはい。分かった分かった。で、何をすればいいんだ?」
これ以上問答をしたところで、マリアの緩やかな説教が続くだけだと感じたので、カオスはその問答を打ち切って朝のトレーニングに入るように促す。問答の方が肉体的には疲れないのだが、それでは目的に至る為の道は遠くなる。やらねばならないならば、さっさとやってしまった方が得策なのだ。
カオスはそう考えた。そして、マリアもいつまでもお話しを続けているつもりはなかったので、笑顔でそのカオスの誘いに乗ったのだ。
「そうね~。まずは準備運動よ~。軽くランニングといきましょうか♪」
「ああ」
手足をほぐし始めたマリアに続いて、カオスも手足をほぐし始めた。一通り柔軟体操等をして身体を温めてから、足踏みを始める。マリアはカオスに笑顔を向ける。
「では、レッツ・ゴー♪」
そうして、早朝ランニングはスタートした。爽やかな早朝の田舎町を、二人の姉弟が駆け抜けていった。
ルクレルコ・タウンの北西端付近にある、カオス達の家やルナの家の前にある石畳が敷かれている広場からスタートし、南にある町の中心地へ向かう石畳の道に従って南下する。広場を出てすぐ、カオス達は川を渡って、そこに架けられてある橋を越えていく。橋を渡ると道は石畳の敷かれていない泥道となり、周りの景色は田園風景となる。穂が出始めた麦畑を横目に見つつ、カオス達は南下していく。麦畑を抜けると、道は分岐地点となる。真っ直ぐ行けば町の中心地、右へ曲がれば別の町へと行く道となる。勿論カオス達は真っ直ぐに進み、ルクレルコ・タウンの中心部へと走っていった。カオス達が学校帰りに立ち寄る喫茶店、食堂、本屋等、まだまだ眠ったままの感じの商店街を駆け抜けていくと、すぐ右側にカオス達が通っているルクレルコ魔導学院への入口が見えてくる。だが、まだ学校に行く訳ではないので、カオス達はそこを素通りしていく。それからも駅や役所等、商店街は続いていた。が、その途中でマリアは南下を止めて左折した。ルクレルコ・タウンの南端は繁華街だからだ。稼働時間ではないとは言え、そのような場所に弟を連れて行きたくない、自分も行きたくないと考えてか、そこは通らないようにした。カオス達はそうして左折し、商店街を外回りするようにしながら、また北上していった。商店街の外にある牧草地が横に広がっていた。暢気に牧草を食べている乳牛達を眺めながら泥道に戻った田舎道を北上していくと、ルクレルコ・タウン北端にある山が迫ってくる。そこの高台は、カオスが歌ったりトレーニングしたりしている場所だ。トラベル・パス対策で、ルナ達とトレーニングした場所もそこだ。カオスの先を走っていたマリアは、そこに辿り着くとゆっくりとスピードを落としながら走りを止めた。
「到着~♪」
爽やかな朝の、爽やかな空気を吸って、マリアは爽やかな笑顔でゴールインする。そしてその後ろから、マリアとは対照的に爽やかさとは程遠い顔をしながら、カオスがゴールインした。息は絶え絶え、汗はダクダクな状態だからだ。
そんなカオスに、マリアは汗一つかかず、息一つ切らさずに爽やかな笑顔を見せる。
「あらあら、カオスちゃん。お疲れのようね~」
そんな暢気なコメントに、カオスは逆ギレする。
「当たり前だっつーの! こんなだだっ広い田舎町を一周、かなりのスピードで走ったら、フツーの人間はこうなるってーの!」
と言うか、並の人間ではさっきのスピードに振り切られて置き去りになっていただろう。
さっきマリアが走っていた速さは、ランニングと言いつつも常人には全力疾走以上と言えるものがあったし、カオスの主観的な意見だけでなく客観的に見てもそうだった。そして、距離もカオスが遅刻の罰でやっているグラウンド20周をさらに越えるものだった。それは、マリア自身にも分かっていた。
その上で、マリアは満面の笑顔でそんな意見を棄却する。
「あらあら~。でも、それをポーンって越えるのが強さを極めるってことよ~♪」
普通でいいのならば、わざわざ自分がトレーニングする必要もない。カオスの身体能力ならば、何もしなくても並の上レベルの力は発揮出来る。ここでやるべきなのは、カオスの力を並の上なんかではなく、上の上にすることなのだ。
マリアはそれを十分に理解していたし、そのつもりだった。
強さを極める。
そうだな、とカオスは改めて思った。自分はマリアを越えるつもりでいる。越えなければ、ずっとマリアに守られているままだからだ。ならば、この程度で泣き言を言っている場合ではない。あれだけ走ったにもかかわらず、汗一つかかず、息一つ切らしていない姉を見ながら、カオスは気持ちを引き締めた。
そんなカオスに、マリアは言葉を続ける。
「ランニングや、こういうトレーニングは大事なのよ~。腕力だけでなく、魔力も基本的には強い身体に宿るものだからねぇ。まぁ、正確に言うと~、強い身体じゃないと、腕力でも魔力でもその大きな力に耐えられないって訳なんだけどね~」
「ま、とどのつまりは身体が基本なんだろ?」
「そう~♪」
マリアは微笑む。そして、続けて次のトレーニングに入る。そのまま次にやるべきことの説明を始める。休憩は無い。
「後ねぇ、自分の限界を知るのも大切よ~」
「己の限界を知り、その壁を打ち破る。強さを他人より極めるとは、それを他人より多く繰り返すということか」
カオスは言葉を一つ一つはっきりと区切り、確認しながらのようにそう言った。昨日の全力より今日の全力、今日の全力より明日の全力、例えそれが小さな1歩だとしても、それを多く繰り返せば多大な力となる。
カオスはそう予測して、そう言ったのだ。そして、それは正解である。マリアは少し驚きながら、なおかつ嬉しそうな顔をする。
「そうよ~。良く分かったわね♪」
正解を言って褒められる。だが、そんなカオスの顔に喜びの色は無い。カオスにとって、それは特別な答えではなかったからだ。
「ま、予測はつくからな」
「じゃ、早速トライ♪」
「は?」
カオスは耳を疑った。だが、その耳を疑わせた内容を、マリアは「当然のことなのに何言ってんの? 聞いてなかったの?」とでも言うような感じで、また繰り返す。
「は? じゃないわ~。今から、カオスちゃんが自分の限界と思うラインまで魔力を出してみて~。技とか何もしなくていいから~。そして、次回は今回のラインよりも上を目指すの。その繰り返しが成長というものでしょう?」
「ま、まあ、そうなんだけどな?」
そんな理想通りに上手くいかねーよ。そんな簡単に出来たら、誰も苦労なんかしねぇ。
カオスは強くそう思った。そんな自信の無いカオスに、マリアは笑顔で「大丈夫」と言う。
「大丈夫。良く力が出るようになる呪文があるわ~♪」
「え? そんなご都合主義のようなものが?」
「こうよ~♪」
半信半疑、もとい9割9分9厘信じていないカオスを尻目に、マリアは両手を真っ直ぐ天に掲げた。そして、魔力を込めながら呪文を唱える。
「みんな~、私に元気をわけてくれ~」
溜まった魔力を右手に集め、目を見開いて大きく叫ぶ。
「元〇玉!」
「…………」
「…………」
「ま、今のは冗談なんだけどね♪」
大洪水の時の地滑りのようにだだ滑りの冗談を放ちながら、マリアは太陽のように爽やかな笑顔を見せた。その顔を見ながら、カオスはどうツッコミをいれたらいいものか分からず、ただひきつったような苦笑いを浮かべていただけだった。
とは言うものの、そう苦笑いばかりしていても仕方がないので、カオスは気を取り直してトレーニングを再開する事にした。
「まあ、いい。とにかく俺もやってみっか」
「そうよぅ。頑張って~♪」
カオスはゆっくりと息を吸い、ゆっくりと息を吐く。そして、は両手を真っ直ぐ天に掲げた。そして、魔力を込めながら呪文を唱える。。マリアがさっきやったのと同じポーズだ。そして、同じ呪文(?)を唱え始める。
「みんな、俺に元気をわけてくれッ!」
溜まった魔力を右手に集め、マリアと同じように目を見開いて大きく叫ぶ。
「特殊刑事おっぱいプルルンッ!」
その刹那、カオスの頭上に光が生まれた。光はすぐさま雷となり、カオスに落ちた。轟音が轟き、カオスは大ダメージを受ける。
「モゲΛヴァルギャ*グ仝ダボベラミョ$ルラブドゥガ!」
蛙が踏み潰されたような悲鳴を上げながら、カオスが見たのはマリアの左手に残る魔法射出の跡だった。マリアは、転げ回るカオスを見ながら微笑む。
「あらあら、ホントに力が訪れたみたいね~。羨ましいわぁ」
「じょ、冗談なのに」
カオスは煙を上げ、そして吐いた。ちょっと咳をして、それからすぐにいつもと同じ状態に戻った。それと同時に、気持ちもやる前と同じに戻る。
「ま、冗談はそれ位にしておいて、とりあえずやってみっか。今度は本当に」
「ええ。そうしなさいな~♪」
カオスはゆっくりと息を吸いながら両手で拳を作った。そして、短く息を吐くと同時に両の拳に力を込める。
「はっ!」
カオスの魔力が上がり、充溢してゆく。カオスの周りにもその魔力がはっきりとオーラとなって見え始めるようになっていった。
それが出来るのは、魔力がオーラとしてはっきりと目視出来るのは、魔法を中心とした戦闘術の教育に特化したルクレルコ魔導学院の生徒でもごく一部である。
やはり、ある程度の力量は既に持っているらしい。そのカオスを、マリアは真面目な顔をしてその力量を見極めるように見ていた。
「ぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬ」
カオスはさらなる上の魔力が具現化出来ないものか試し続ける。集中力を高め、力を篭めていっていた。だが、それは突然全て霧散してしまう。
ボフッ!
煙のような音を立てながら、カオスの周りに具現化していた魔力のオーラは全て消し飛んだ。カオスは息を切らしながら、うな垂れる。
「つ、疲れちまったぜぇ」
「あらあら」
カオスの魔力が突然霧散してしまった時は、何か問題でもあったのではないかと少し心配していたのだが、その言葉を聞いてマリアはずっこけてしまった。
そう。ただ単にカオスの集中力が切れただけなのだ。マリアは自分に背中を見せながら息を整えているカオスを見ながら苦笑いする。満足する結果ではなかったが、まだカオスは魔力の使い手としては初心者なのだから仕方ないと考えた。
まだまだ未熟。だが、マリアはそれと同時に思い出していた。ルナが前に言っていたことと、アヒタルで自分が見たことの二つを。
トラベル・パスの実技試験の時に、カオスが魔の六芒星の一人を圧倒したとルナは言っていた。さらにマリア自身も、カオスが港町アヒタルでエマムルド強盗団のデブを、軽い一撃で大きく吹き飛ばしたのを見ていた。
それらは一般的な人間の力とは大きくかけ離れている。普段のカオスの力とも大きく離れている。単純に考えれば、あれらは皆カオスが逆上して引き出された火事場の馬鹿力のようなものと見なすのが妥当と考えるだろう。
普通はそれで片付けてお終いだろう。だが、マリアはそうしようと思わなかった。火事場の馬鹿力でも、他の何かだとしても、何でもいい。力は力である。それがカオスから出たのに変わりは無い。
マリアは考えたのだ。その力を、日常のものとして自由に扱えるようになれば、それがカオスの『最強』への道標となる。カオスは最強にもなれる。
そんな理想を描いたのだ。
◆◇◆◇◆
満月も近くなった、その日の晩だった。アレクサンドリア連邦の何処かの山奥、人里離れた山林の中で大きな獣の声がした。大きな獣、魔物と称されるものが空から落ちたのだ。
空から落ちた獣は、着地の衝撃で痛みの叫び声を上げたものの、身体には大した怪我も無く、すぐさま立ち上がって歩き始めた。
「グルルルルルルルル」
しばらく何も食べていなかったのだろう。獣の四つの目は鋭く、不機嫌なものだった。腹から垂れた触手を伸ばし、獲物を探しながら森の中を彷徨い歩く。木々は揺れ、草花は踏み荒らされていった。小動物は怯えながら夜を過ごしていた。
そんな夜。静かでありながら、静かではない夜。魔物は、森の平穏に一つの波紋を残し、また闇の中へと消えていった。