Act.023:港町戦争Ⅹ~Dead End~
主人公が空気……
裏切り者は死ね。ラシュトはモスルを刺しながらそう言った。
裏切り?
「わ、私が裏切り者だと?」
モスルには全く覚えが無かった。確かにラシュト達エマムルド強盗団に今回の仕事を依頼していた。だが、モスル自身には立場があるので、誰か他人にエマムルド強盗団との係わりを訊かれたら否定するのが当たり前だし、それは予め言ってあった。故に、それは裏切りには当たらない。
モスルはそう考えていた。その為、モスルはこの町での立場を悪くしたラシュトが、逆恨みでそうしたのではないかと思い込み、ラシュトの顔を睨みつけていた。だが、そんなものをラシュトは全く気に留めなかった。
それではないのだ。
「モスル=カルバラ、貴様も年のせいかボケちまったようだな。仕方ねぇ。ヒントを一つくれてやる。貴様、バーバラ・ダマバンドという女に記憶があるか?」
バーバラ・ダマバンド?
モスルの近くでその名を聞いたエクリアは、その名前に少しピクッときていた。その女性についてエクリアは何も知らなかったが、今目の前に居るエマムルド強盗団のラシュトの苗字もダマバンドなので、彼と何かしら係わりのある女性であるのではないかと推測したのだ。
そしてエクリアにはそれがどういう女性なのか察しがついていた。だが、モスルはエクリア程にも思考が回らなかったのか、本当に記憶が無いのか、ラシュトをあっさりと否定する。
「知らんな。初めて聞く名だ」
「よ~く思い出せ。25年位前だ」
ラシュトは少し青筋を立てながらも、相手は少しボケの入った老人と同じような物として扱っていたので、そのモスルの対応に腹を立てながらも、根気強い姿勢でもう少し細かいデータをも踏まえてモスルに思い出させようとしたが。
モスルは思い出そうともしない。考える素振りすらせず、あっさりと否定する。そして、それが火のついているラシュトの怒りの導火線へさらに油を注ぐ。
「くどい。聞いたこと無いと言ったら無い。全く聞き覚えの無い女だ。そんな女なんかの言いがか」
ラシュトは負傷したモスルに蹴りをいれた。そして、倒れたモスルを踏みつける。より苦しくなるように、より痛くなるように。
「確かに本人の言葉や、残されたデータだけでは勘違いという線も拭えないこともない」
血液が逆流する程の怒りに感情を支配されながらも、ラシュトは表面上あくまでも冷静な口調は崩そうとしなかった。そして、自分の言っている事が妄想や勘違いではないと説く。
「だから俺は、事前に貴様の古い部下数人に尋ねておいたん。そしたらな、そいつらはみ~んな覚えてたぜ。孕んだ途端に無残に捨てた貴様の情婦だってな」
ラシュトは少し自嘲気味に笑う。
「もう25年も前だというのに皆が覚えていたということは、貴様の部下と言えど貴様の非道な行いに対して、口では言えずとも何かしらの抵抗は心の中であったようだな」
カオスを初めとしてその周囲に居た者達は、狭い結界内で行われていることに対しては何も手出しが出来ないので、とりあえず黙ってラシュトの話を聞いていた。そのラシュトの言葉を聞いて、カオスは納得したように首を一度だけ縦に振る。
「成程な」
「何がよ?」
まだカオスの隣に居続けていたフローリィが、カオスにそう訊ねた。眼帯男の吐いた言葉に、そうやって頷くような箇所は無かったように感じたからだ。
「要するにだ」
カオスはフローリィのみに限定せずに、ラシュトの言葉を自分の予測で補足する。
「そうしてそのバーバラなんたらって女が妊娠したその結果、生まれたのがお前なんだろ?」
「そうだ」
ラシュトはカオスの予測をあっさりと正解と認めた。認めてはならない理由など彼には無かったからだ。
孕んだ途端に捨てた愛人が、産んだ子供がこのラシュトという強盗?
地面に這いつくばったままのモスルは、思考を巡らせていた。
金で釣ったり脅したりして、捨てた愛人の数などモスルは覚えていなかった。今まで数え切れない程あったことだ。だからラシュトの言うバーバラという女も全く脳裏には残っていなかったし、何かしら感じることも無かった。悔いることもなかった。だが、モスルはラシュトの言った一つを理解した。
この強盗は自分の血を受け継いだ息子であると。
モスルはそれだけは絶対に認めたくなかった。このような世界に対して害悪にしかならないカスが、誇り高いカルバラ財閥の血をひく者であるとは絶対に認定したくはないと思っていた。だが、モスルは知らない。こんなクズを父なんかと思いたくない点ではラシュトもまた同じ想いであると。
そんなラシュトはカオスの予測に自分の言葉を付け加えて真実の物語へと昇華させてゆく。
「母は真面目な人だった。そうして未婚の母となっちまった後も、生まれた俺を邪険にもしねーで女の細腕一つで懸命に育ててくれた。貧乏で着る物すらマトモに買えなかった。ましてや玩具など買って貰った事なんか一度も無かったが、それでも俺は幸せだった。何かが足りねーんだとしても、母親が笑ってくれていればそれだけで良かった」
ラシュトは亡き母を想いながら空を見上げた。その目は遠い日々を懐かしむようであり、少し優しさを含んだものであった。だが、すぐに元の冷淡な表情に戻る。
「しかし、その時は長くは続かなかった。母は元々身体が丈夫じゃなかったみてぇで、俺が6つか7つの頃に過労で身体を壊して、そのまま逝っちまった。残された年端もいかねぇガキが生きてゆく為には、盗みを働くしか道は無かったのさ」
子供は働けない。働かせてもらえない。だが、働かなければ食べてゆけない。だから、親も身寄りも引き取り手も無い子供には、二つの道しか残されていない。飢えてのたれ死ぬか、悪事に手を染めるかのどちらかだ。生きてゆく為には後者しかない。ラシュトはそう言った。そして、それを周りに居る者は理解した。
その為にラシュトに対しての害意は随分と減り、心の片隅でラシュトに対する同情心もその周りの者の中には芽生え始めていた。そう、カイを殺そうとした群衆も含めて。
その元凶であるモスル=カルバラを殺そうとするのも、分からなくはないと思い始めていた。モスル本人以外は全て。ただモスルは、自分の中では自分の行為は正当で当然のものであり、ラシュトのそれは理不尽な行為であると憤っていた。だが、既にラシュトによって刺された身体は余り自由には出来ず、ただラシュトを睨むことしかもう出来なかった。
ラシュトはそんなモスルの睨みなど気にせずに話を続ける。
「こんな境遇に俺を産み落とした神をも憎みもした」
走馬灯のように、ラシュトの脳裏にはこれまでの道筋が克明に浮かんでは消えた。
母が死んだ時の事。涙を両目にいっぱい湛えて、息子である自分に何度も謝っていた。「ごめんね。ごめんね」と、まだ小さな子供を残酷な世界へ一人取り残してしまうことに、非常に大きな罪悪感を抱えてその無念のまま母親は逝った。
母が死んで少し経った時のこと。ラシュトは一人街を彷徨っていた。盗みに対する罪悪感は既にあったので、そうする訳にはいかないと考えていた。だから乞食や野良犬のように残飯を漁り、残された汚いボロキレを身に纏って歩いていた。そんな自分に対して、通りかかった幸せな連中が浴びせた言葉は「最低。死んでしまえ」。同情の言葉や行為など何処にも存在しなかった。
自分に対して世界は害意しか持っていない。そう気付いた頃、初めて盗みを働いた。パン屋からパンを一つだけ盗もうとしたがバレて、捕まった。店主である男に「死ね」とか「くたばれ」とか言いながら何発も殴られ、蹴られ、パンを取り上げられた。
そうして餓死寸前だった頃、やっと残飯にありつけそうだったのを、醜く太った腐れ乞食に取り上げられた。そのクズ人間は餓死寸前の俺の目の前でその残飯をちらつかせ、大声で笑った。汚物を浴びせ、右目を奪い、傷つけながら、俺を笑い続けていた。
全てが敵だった。
ならば奪うことに躊躇いはない。何もかも全て壊し、奪ってやればいい。
大きくなってから、そいつらを探し出して皆殺しにしてやった。そして、エマムルド強盗団の頂点にまで登りつめた。登っているようでいて、落ちていたのかもしれないがそれでも良かった。
それしか道は無かったのだから。
「…………」
ラシュトは少しの間目を閉じた。優しさを欠片程も見せてくれなかった世界に対する恨みはまだ深いが、それでも全て過ぎ去っていった。そして、ある意味で解釈すれば、今までの人生の中で良いことも一つだけあった。
「クソばかりだったが、今はその神とやらに感謝しよう」
ラシュトは嫌味のように神に祈るポーズをしてみせる。そして、モスルに向かって見下したような視線を送り、愉快そうに笑う。
「俺の最も憎むべき者を、ここまでクズにしておいてくれたことを」
対象が最低であればある程、復讐はしがいがあるというものだ。そう解釈すれば、このモスルが最低な人物であることは、ラシュトにとっては最高の出来事であるに違いなかった。何かしらやむをえない事情があって自分や母親を手放したというのなら、何かしらの同情を抱いて復讐の手も緩んでしまうのだろうが、そのようなものはこのモスルには何処にも存在しなかった。
「だから何処の誰にも遠慮する事無く、貴様を地獄の底に叩き落とせるというものだ」
それがラシュトは嬉しかった。今まで抱いてきていた恨みの心を、奇しくもこのモスルという男は全て受け止めてくれるらしい。その憎悪が残らず無駄にはならなかったことが、ラシュトをある意味喜ばせる結果となっていた。だから、今までのこのアヒタルでの事件についても、訊かれてもいないのに説明してしまうのだ。
「貴様の死だけでは生温い。貴様からは全てを奪ってやる。だから、食中毒の件も、今回のカイの件も、策にどこかしら穴を開けておいたんだよ。警察共がどんなにボンクラでもちゃんと分かるように、そしてカルバラの全てをぶち壊す為にな」
ああ、確かにそれはあったのかもしれない。エクリアはラシュトの話を聞きながら、そう思った。カルバラ家に捜索に行って、医師陣への指示の書類やエマムルド強盗団との契約の書類等、証拠物件は簡単に回収出来、そして今ここに居る。その進み方が以上にスムーズだったのは、そんな事情だったと、今になって納得出来た。
自分の作戦がスムーズに進み、ラシュトは満足そうな顔をする。
「その結果、貴様は組織も、地位も、名誉も、金も、全てを失った。残りはたった一つ」
ラシュトは右手に持っていたモスルの血のついたナイフを改めて力強く握り締めた。そして、魔力を充溢させていった。
「命だけだ」
リモートコントロールボム、No.3 (New) サバイバルナイフ発動。
ナイフはラシュトの魔力を受けて光を放ち始め、その光はすぐに一つの物体の形を形成した。その形成の様子をついさっき見たばかりのカオスは、それが何なのか即座に理解する。
「爆弾か!」
ラシュトはその真実を隠す気も無いらしく、ニヤリと笑って肯定する。そして、そのナイフをモスルの目の前の石畳の隙間に突き刺した。
「そうだ。ああ、お前はさっき見たばかりだったな」
爆弾。
警察署の爆破や、街角の破壊等を知っているモスルは、それが自分の命を簡単に奪う代物であると理解していた。ナイフを自分の遠くの何処かへ投げ捨ててやりたいとも思ったが、ラシュトに首を斬られた痛みのせいか、身体を上手く動かせず、何も出来なかった。
そんなモスルに、ラシュトは笑って話しかける。
「目前ではないにしろ、二回も俺の能力を見てるんだ。これがどういう代物なのか分かるだろう? モスル=カルバラよ?」
「わ、私を殺すのに十分な」
「違うな。貴様の身体など、原型をとどめねーくらい粉微塵にするのに十分な火力があんだよ。貴様には墓に入ることも許さない。塵となって消え失せろ」
モスルの恐怖心を煽る為、ラシュトはわざとそう言う。だが、その爆弾を人間が間近で被爆すれば、警察署や街角の被害を踏まえて考えると、ラシュトの言う事は見当違いのハッタリではない事はすぐに分かる事だった。
さらにそれはモスルの恐怖心を煽るだけでなく、奇しくも周りを囲っていたアヒタル市民の恐怖心をも煽るものであった。
「爆弾? あの警察署の時のような?」
「正気か? 死ぬ! 死ぬっ!」
「何の罪も無い俺達まで殺す気か?」
所詮は自分の安否しか考えていない連中である。ラシュトが出現させた魔法の爆弾を見聞きすると、我先にそこから離れようと逃げ出し始めたのだ。
「逃げろー!」
「殺される!」
「死にたくなーい!」
象の大群の足音のような騒音がフェイドアウトしてゆくのを耳にしながら、カオスは落ち着いた表情を崩さなかった。カオスを初め、カイを殺そうと雁間亭を囲っていた連中以外の面子は、ラシュトの爆弾を見ながらも逃げずにその場に立ち止まり続けていた。
「アンタ等は逃げないの?」
ガイガーを殺した男と言えど、魔法の直撃を食らえばただでは済まないだろう。それなのに、回避する気は無いのだろうか?
フローリィはカオスにそう訊ねる。そんなフローリィに、カオスは笑って答える。
「必要ねーだろう。アイツがあのクソジジィと心中なんかするとは思えねぇしな」
そのカオスの予測は的中する。彼にとっては隠す必要性も無いので、出題者であるラシュトは笑ってそのカオスの予測を肯定する。
「そう、その通りだ。今回の爆弾で命を落とすのは、このモスル=カルバラのみだ。他の奴の命は別に奪ったところでしょーがねぇからな」
ラシュトがそうやって説明すると、ラシュトの後ろに黒いフードを被った明らかに怪しい人物が姿を見せる。
「そして、それを可能とさせたのがこのBの結界だ。これはモスルを刺した時の結界と同じようなものだ。それをさらに強度よりに力を傾け、範囲を極限まで狭め、結界が俺の爆風にも耐えられるようになるのさ」
結界から出て、モスルの命を奪う最終段階に入ろうとしているラシュトに、エクリア達はゆっくりと歩み寄る。軍人・警官として、被害者がどのような者であれ、目の前で命を奪われようとするのは見過ごしてはならない。そんな使命感からだ。
エクリアは溜め息をつく。
「ラシュト・ダマバンド、そのくらいにしておいたら? モスル=カルバラを殺したところで、アンタの母親はかえってはこないのだから」
「ガキじゃねぇんだ。そんなのはてめぇに言われなくても分かっている。だがな」
エクリアの言っているのは、あくまでも常識的なことだ。常識的で、当たり前で、つまらない綺麗事だ。だから、ラシュトはそれを一蹴して終わりにする。
「俺はコイツに復讐する為に今日まで生きてきた。今さら何を言われようと、どう止めようと、退けるもんじゃねえ!」
何を言っても止まりそうにない。暴走機関車の末期的なものだ。問答は無用である。
「はぁ」
エクリアはそれを察知し、溜め息をついた。手荒なマネはしたくないが、気絶させて止めるしかないだろう。だが、一瞬で気絶させられなければ、その間にラシュトはその爆弾を起動させてモスルを殺すだろう。街角の破壊等を考慮に入れれば、それがラシュトにとって容易であるのは分かっていた。
要するに打つ手が無いのだ。その為、エクリアは溜め息をついた。しかしそれは、今命を奪われんとしているモスルには、自分の命を救うのが面倒臭くなってどうでも良くなったように受け止められていた。
彼は残り少ない力で激昂する。
「何が『はぁ』だ、このくそ馬鹿女が!」
彼はモスルは自分が助かる為なら何でもするつもりだった。脅しでも何でもするつもりだった。それが逆目になるとも知らずに。
「お前も警察だってんならなぁ! さっさと私を助けろ! このアヒタルの名士であるモスル=カルバラ様を! それとも何か要求する気か? 金か? 金なんだな、このド腐れ売女めが!」
自分の今の立場、そしてエクリアの立場、現状等それらもろもろが、既にモスルの頭の中では消滅しているらしい。彼の頭の中では彼の理想の形、自分が常に頂点になっているという構図を基に彼の脳ミソをクラッシュさせる。そして、それが自分の寿命を延ばす少ない機会をさらに駄目にする。
「今私を助けんと後悔するハメになるぞ! 私が貴様から貴様の地位を奪って地獄に堕としてやるからな! 最底辺の売春宿をたらい回しにされる最低の売女にしてやるからなぁっ!」
「はぁーーーー」
エクリアは溜め息をついた。今度は別の意味で。
今まで自分は軍人として、この国内の治安を守る者として努めてきて、それを誇りに思っていた。今も、どうにかしてモスル=カルバラの命を救えないものか思案していたのだ。だが、この時初めてそれが馬鹿馬鹿しく感じられた。こんな人間、どうなったっていいと思ってしまった。
「!」
モスルの前で完全にやる気の萎えたエクリアの姿が、突然モスルの視界から見えなくなった。ラシュトが動き、モスルの目の前に立ちはだかったのだ。ラシュトはモスルを見下ろしながら、愉快そうに口元を歪める。
「よう、モスル=カルバラ。言いたいことは終わったか? 悪足掻き? どんどんすればいい。貴様が悪足掻きすればするだけ、貴様の腐った性根が暴かれる。嗚呼、ホントにいいカッコだ。救いようもねぇクズ野郎である貴様に相応しい、惨めでみっともねぇ最期だ。さあ、死ね」
モスルにつきつけられた死刑執行。
助かりたい、その一念でモスルはラシュトに土下座でも何でもする勢いであったが、ラシュトはこれ以上父親のみっともない姿を見るつもりは無いらしく、ケリをつける。
「Bomb!」
ラシュトのその言葉のすぐ後、間髪入れずに爆弾の設置されたナイフはすぐに大きく閃光を放ち始め、結界内で木っ端微塵となった。
閃光。
モスルの最期に見た光景は、目を開けられない程の白であった。




