Act.022:港町戦争Ⅸ~雁間亭騒乱~
港町アヒタルの少し外れにある電波塔の下で、魔王アビス直下の部下の魔の六芒星の一員で、彼の姪でもあるフローリィは驚きの表情を浮かべていた。彼女にとって、人間は両親の命を奪った憎き種族で、ガイガーが殺された時も殺した相手が人間ということで、その相手をすんなりと憎めた。だが目の前に居るその敵は、人間というよりも自分達魔族やエルフ達に近いものを感じた。
それが彼女を惑わせた。彼女のカオスに対する恨みは、同僚の敵と親の敵である人間への恨みの相乗効果によるもので、どちらかが崩れてしまったらそれは脆く崩れやすいものだった。
「あ、アンタは魔族なの?」
養子であるカオスにそんなことを訊いても正解はないと分かってはいたが、それでもフローリィは訊かずにはいられなかった。そして、カオスのフローリィの予想通りにその首を横に振る。
「さあな。義母はそのことについてはな~んも言ってくれなかったからなぁ。まあ、義母にも人前で耳を晒すなと言われてたし、何か思うトコはあったかもしれん。まあ、今になっては訊くことも出来ねぇがな」
カオスは亡き義母を思い出していた。カオスの髪は物心がつく前から長いものであり、義母によってそうさせられてきていた。その真意を訊ねたら、人と違った耳をしているのが分かると迫害されるだろうというような答えだけだった。
人間界では魔族に対する風当たりが強いと分かっているフローリィは、カオスが何を言わんとしていたか理解していた。それで、少しだけ微笑む。
「あたしには見せていいの?」
「お前は『人』ではないだろ?」
同じような耳を持つ者同士なら問題は無い。
「成程」
フローリィは笑った。
「まあ、あたしの疑問は解決したわ。だからそれだけで結構よ。それより急いでるんでしょ?」
ルナとマリアが急いで走り去っていって、カオスがそれについていこうとしたことを思い出したフローリィは、カオスにそのように訊ねた。その言葉を聞いて、カオスは今さら大切なことを忘れていた事に気づいたような素っ頓狂な声を上げた。
「ああ、そうだそうだ。すっかり忘れてたぜ」
「仕方ない。あたしの疑問につきあわせたワビにその何とかってトコまで送ってあげるよ。瞬間移動魔法でね。知ってる? その魔法?」
「ああ。俺はまだ使えねぇがな」
そう、使えはしないが知ってはいる。だから、マリア達は落ち着きを無くしているとカオスは思ったのだ。なぜなら、今日このアヒタルの町にはマリアの瞬間移動魔法でやって来たのだから。
「確か、術者か同行者のイメージした場所に超高速で行ける魔法だったよな?」
「そうよ」
そう言いながら、フローリィは魔法の発動体勢に入った。そして、カオスはそれを補助するように雁間亭をイメージするのだ。
◆◇◆◇◆
その雁間亭では、未だにリスティアの結界を囲むようにアヒタル市民が取り囲んでいた。そこにアレックスとアレックスを案内した警官、そしてその騒ぎを聞きつけてやって来た他の警官等が、結界の直前で結界内を守るようにして立ちふさがっていた。
「死ねー!」
「殺せー!」
「首を落としちまえー!」
群集は好き勝手に罵声を浴びせ続ける。警官としては勿論そんなアヒタル市民の蛮行を許す訳にはいかないので、再三群集に向けて解散を呼びかける。
「警察の方ではきちんと対策を練っています。ですから速やかに解散して下さーい!」
誠心誠意対応するつもりであった。しかし、愚民の群れと化した彼等がその声を聞こうとする筈がない。
「うるせぇ! てめぇ等のようなへっぽこ警察なんか信用出来るかボケ!」
「殺せ! そこん中のガキを殺しちまえば、それで円満解決なんだよ!」
「疫病神なんかさっさと始末しちまえ! 殺して地獄に落としてしまえ!」
そのような声に群衆は耳を傾けようとはしない。警察署を破壊されたアヒタルの警察は、そういうところでも信用度を失ってしまっていたのだ。我が身の安全しか考えない下等な民衆の声を耳にしながら、アレックスは色々と考えていた。
警察署からこの食堂に来た時は群集の非道な蛮行に驚き、ただ単純に群集を軽蔑し、腹を立てていただけだった。だが、このままでは良くない。カイという少年を殺そうと躍起になっている連中は無論軽蔑すべき相手だが、こちらから戦って駆逐する訳にもいかないのだ。なぜなら、こんな連中でも普段は善良な市民なのだ。
良くないな。
アレックスはそう思っていた。そして、それは雁間亭の中で、雁間亭全体の結界を張っているリスティアも同じだった。
結界は張った。だから、この中にはよっぽどの実力者でない限り入れない。それは少年に言った通りではある。あの連中の中にそれが出来る人間が居ないのも間違ってはいないだろう。だが、それでもこの膠着状態は良くない。リスティアはそう感じていた。
これは膠着状態なのだ。膠着状態が進めばリスティアも疲労する。交代人員が居ないまま何時間も結界を張り続けていれば、いずれ魔力は尽きて結界は無くなる。交代人員がいたとしても、交代をするには少なくとも結界を解いてからその人員を入れなければならなくなるので、交代は出来ない。ずっとこうしてリスティアが結界を張り続けなければならないのだ。
良くないですね。
リスティアも改めてそう思った。そんな中、一人の男が群衆の中で少しだけ口元を愉快そうに歪めた。だがそれをすぐ元に戻し、群衆の中から一歩前へと足を出した。アレックスは自分の近くからその男が出て来たので、一応止めようとした。だが、群集とは対照的な落ち着いた雰囲気のその男の声色がアレックスの足を止めた。
「ツキナ君」
白髪をオールバックにまとめ、髭をたくわえた初老の男、モスル=カルバラは群集の中から一歩雁間亭の方に歩みを進め、雁間亭の中に居るツキナに向けて優しそうな声を装って声をかけた。
「モスル=カルバラ?」
「あのカルバラ財閥の」
「どうしてここに?」
アヒタル内で一か二を争う程に有名な人物であるモスル=カルバラが、自分達のような群衆の中に紛れていたこと、そして単独でその中から前へと一歩足を踏み出したことに、彼の名と顔を知っている者は驚きの声を上げ、そのざわめきは周囲へと広がっていった。
モスルはそのような外野の声を気にせず、雁間亭のツキナに向けて話を切り出す。
「扉は開けなくていい。顔も見せなくていい。ただ、聞いてくれ。私はこれからラシュトとか言う男に交渉に行く。あの男が何をもってカイ君の命を狙おうとしているのか真意は分からんが、この老いぼれの命を引き換えにしたとしても君達二人の命を守ることだけは約束しよう」
「カルバラさん?」
ツキナは一瞬、モスルの言っていることは本当なのではないかという気がした。カイやカオスの言っていた彼に対する猜疑心は考えすぎ、もしくは勘違いなのではないかと思った。そう、ほんの少しだけ。
ツキナがモスルに優しさを感じたのはその一瞬だけであった。なぜなら、そのように優しさを装うモスルに、間髪を入れずにその虚飾を暴く者が現れたからだ。
「言うことだけは立派ですねぇ、ミスター・カルバラ?」
群衆の中でも尚、その女性の声は凛として周囲にはっきりと響き渡った。
言うことだけは。それはつまり、言葉だけで行動は立派ではないことに他ならない。
「誰だ?」
そう解釈したモスルは、不機嫌な表情でその声の方に睨みを利かせた。だがその声の主、彼女はそのモスルの無言の脅しに全く怯まなかった。怯まず、淡々とした表情で言葉を繋げる。
「エクリア・フォースリーゼ。警察よ。モスル=カルバラ、貴方を逮捕します」
エクリア、リスティアの姉はコルラ等警官を連れ、調査結果等から出された逮捕状をモスルに向けて掲げる。その逮捕状を見て、モスルは表情をあからさまに不機嫌なものへと変貌させていく。
「逮捕? 私を逮捕だと?」
自分自身は悪事に手を染めていない。その手を汚していない。その為、部下やラシュト達は逮捕されても、自分の身は常に安全であると踏んでいたモスルには、警察がそのように来ることは誤算であった。
「馬鹿な! 何故私が逮捕されねばならんのだ? ふざけたマネはしないでくれたまえ!」
この時のモスルは、まだ冷静さを保っていた。今回のことも手を出し始めた時から警察が来る可能性はゼロではないと考えてはいたし、今までも似たようなことはあった。その為、とぼけることにも慣れていた。そして、自分の部下にもしっかりと口止めを強いていた。
そんなモスルが、どういう人物なのかは警察にとっては既知のことだった。それ故、あっさりと自分の罪状を認めないというのも、予定調和だった。だから、そんなモスルに心乱されず、足踏み乱されず、淡々と自分達のやるべき仕事を進める。用意してきたものを提示する。
エクリアはそのモスルの『何故』を答えてやった。
「食中毒の件も、今回の件も、医師や貴方の部下達から聞きました。指示した際の文書等の証拠物件も押収しました。それらを冷静に吟味した結果で言っているんですよ?」
エクリアはモスルにハッキリと告げる。
「貴方が今回全ての黒幕なんだってね」
「黒幕?」
「黒幕ってどういうことだ?」
「どれもこれもカルバラが仕組んだってことなのか?」
群衆の前でその罪を暴くエクリアの声に反応して、群集は次々とざわめきを広げていく。モスル=カルバラは元々嫌な噂を抱えていた人物だった。それは本人も良く分かっていた。そして、人の口には戸は立てられない。この雁間亭の周りを囲っている者達が、エクリアの話を真実として言いふらしたりしたら、今後の財閥の未来にも関わるだろう。
彼はそれが許せなかった。
「っだと、このクソ女が。下っ端警官の分際で、このモスル=カルバラを人前で罪人扱いするとはいい度胸してるじゃないか。どうなるか、分かってんだろうな? この無礼者がっ!」
モスルは激昂する。紳士面を被っていたことも忘れ、その怒りを露わにする。だが、そんなものにエクリアは一々動揺したりせず、眉一つ動かさない。
その一方で、エクリアについていた一警官であるコルラは、そのモスルの無礼な態度が癪に障り、それに対し怒りの感情を孕んだ声を出す。
「無礼者はお前だ、モスル=カルバラ!」
コルラはそれから自分の上役に当たるエクリアの方にちらっと視線を向け、再びモスルの方に視点を戻してエクリアを紹介する。どんなにモスルが無礼なのか説明を始めた。
「この方はお前の言うような平の警察官じゃない。首都の軍部の中枢と、地方都市との結びつきを密にする為にいらっしゃった我が国の治安局長だ。口を慎め! お前のような一地方の成金如きがどうこう出来るお方ではないわっ!」
「くっ!」
怒りで我を忘れかけてはいたが、コルラが嘘をついていないのはモスルにも感じ取れていた。少し冷静になって見ればすぐに分かることだった。
コルラだけではない。その辺りに居る警官の誰もが、エクリアを上官として仰ぎ、敬意をもって接していた。そう、明らかにエクリアよりも年長な警官も含めて全て。
アヒタル内の下っ端警官が相手ならば、揉み消しは容易だっただろう。モスルはそう考えていた。だが、ある程度上役になってしまうとそれは無理になってしまうのは、彼の立場上当然と分かっていたのだ。
まずいな。非常にまずい。
モスルは自分が袋小路に追い込まれていることにやっと気がついた。それは外から見ていたアレックスも感じていて、その白髪の男が逮捕されればこの場の騒動も何もかも終わるのではないかと思っていた。
それ故にアレックスは呟いた。
「これで一件落着かな?」
それは独り言だった。しかし、そのアレックスの背後から返事があった。
「何が?」
「!」
アレックスが驚き、心臓を激しく鼓動させながらその声の方を振り返ると、そこにはのほほんとした顔のカオスが立っていた。
「カ、カオスか。おどかすんじゃねーよ」
「何がどーなってんだ、アレックス? つーか、あの人ゴミは何だ?」
アレックスのドキドキバクバクなど露程も気にせず、カオスはアレックスに自分の疑問をぶつける。だが、それはカオスにとって、自分がトラベル・パスのパスを受け取りに行く時に見た雁間亭の周りの様子と明らかに違うこの異様な光景の方が、ちょっとドキドキしただけの友人の姿より遥かに奇妙なものだったからだ。
そんなマイペースなカオスはいつものこと。ドキドキバクバクから復帰したアレックスは深く考えないことにして、自分の知っている限りのこれまでの経緯をさらっとカオスに説明した。
「電波塔ジャックがあったろ? あのラシュトとかいう奴の」
「ああ。あったな」
「それからだ。この雁間亭のカイってガキを殺せって連中が集まってるんだ。で、警察とかがそれを阻止しようとしている訳だ」
「ははーん。成程ねぇ」
アレックスは警官の案内で雁間亭に来ている途中で電波塔ジャックがあったので、その縁もあって群衆を止めるお手伝いを買って出ていたとのことだった。
カオスは馬鹿にしたように嗤った。その対象は、勿論アレックスではない。
「要するにだ。一人では何も出来ない、しようとしないクズ共が、悪の元凶に抗おうともしねーで、罪の無いガキ一人だけをよってたかって殺そうという訳だ」
「ああ」
「超最低。どん底の中のどん底野郎共だな。勝手に地獄の底で鬼の小便浴びてもがいてろよって感じ」
何が言いたいのか良く分からない言い回しではあったが、群集は自分達が最低だと言われていることは理解した。自分達の鬼畜外道極まる行為は棚に上げて、責め易い者にその咎全てを負わせようとする小者連中にとっては、それは明らかに激昂に値する発言であった。
「ンだと。このクソガキが! ブッ殺すぞ!」
「殺したるわ! かかってこいやー!」
「死なすぞ、ワレェ!」
群集は次々とカオスに対して罵声を浴びせる。だが、誰もカオスに殴りかかろうとはしない。自分だけが行って、返り討ちになるのを恐れているからだ。誰かが行くだろう。そして、自分が安全だと判断したら自分も殴りに行って憂さを晴らしてやろうと考えていたのだ。
そう。皆が。だから、結局として罵声を浴びせるしか彼等に出来ることは無かった。
とは言え、それは非常に五月蝿い。鬱陶しい。瞬間移動魔法、インスタンテによってカオスをこの雁間亭に送り届けたフローリィは、突然のこのやかましく、最低な連中に苛立っていた。
皆殺しにしてやりたい。
こんな連中生きる資格など無いと思っていたが、自分はそれはしてはならないと分かっていた。今後も踏まえて、ここで感情的になってはならないと分かっていたのだ。だから、フローリィは自分の隣に居るカオスに耳打ちする。
「殺せば? あのカス共」
「そうだな。それが一番手っ取り早いんだろうな。このクソ野郎共なんか助けてやる義理も必要性もねぇしな」
カオスはフローリィの言っていることも手ではあると分かっていた。だが、勿論それを取ろうとはしない。
「だがな、それじゃあそこのクズ共がやろうとしていることが同じになっちまう」
第一に、殺す価値すら無い。カオスはそう思っていた。フローリィとしても、ここで人を殺したりして目立ってしまうのは、出来るだけ避けておきたかったので、自分からは行動しようとはしなかった。
ただ、フローリィは疑問に思った。ガイガーを惨殺したカオスはもっと好戦的な人物だと思っていたのだ。しかし、想像していただけの姿と、こうして実際に目の当たりにした姿では、やはり大きく違っていた。
意外であった。自分が「殺したら?」と言ったら、喜んであの連中を皆殺しにするのではないかと思っていた。少し戸惑うことになりそうだったけれど、悪い気はしていなかった。
「ま、それよりだ」
そんなフローリィの心境など知る由もないカオスは、早々に話を切り替える。そして、既に被っていた猫を投げ捨てて本性丸出しのモスル=カルバラを視界に入れつつ、この場の警官連中のトップであるエクリアに話しかける。
「コイツなんだろ? エノキダケだか何とか強盗団とやらに、カイを殺せって命令したのは」
「カオス君、分かるの?」
ちょっと意外そうで、ちょっと嬉しそうな顔をしてエクリアはカオスにそう問う。カオスは、当然だと言うような顔をして笑う。
「他にいねぇよ」
カイの命を奪おうとしているのは、ラシュトの意志ではないのは、カオスはとっくに気付いていた。ラシュトはあくまでも強盗であり、強盗は盗むことを生業としている。殺しも厭わないのかもしれないが、悦楽殺人者と違ってその殺人には常に自分に対するメリットが無ければやろうとはしないだろう。
電波塔ジャックに、アヒタル市民への自分の名乗り等、ラシュトはかなりの演出をしてきていた。カイの首は、そんなマネをして奪うような物ではない。過度な演出は要らず、本当に殺すつもりならばもっと静かに、いつだって出来ていたのだ。
モスルはそれに気付いていない。何の根拠もなしに自分に疑いをかけていると思い込んでいる。だから、未だに開き直ったように言い続けるのだ。
「全く、いつまでも馬鹿言い続けるんじゃない! この私が、あんな犯罪者共如きと結託する訳がなかろう! 私は潔白だ! 私はあのようなカス共なんか」
エマムルド強盗団を必要以上に卑下し、自分はあくまでも潔白であると言い張るモスル。そんなモスルの後ろに、不意に影が一つ現われた。その影はゆらりと、そして素早くモスルの背後で右手を掲げる。その手の先には、刃渡り20cm位の小刀が光を放っていた。
そのシーンは、カオスの方からは克明に見えていた。そして、カオスはそのナイフを翳し、殺気を放っている者の名を叫ぶ。
「ラシュト!」
その声は人混みの中でも不思議と響き渡っていた。人混みの円の一番外に居て、中に入れないでいたルナやマリアにまで届いていた。そして、この音まで克明に耳に届いた。
ザシュッ!
何か、自分の首筋に衝撃があった。モスルは一瞬そう感じただけであった。彼の最初の感触は、チョップが首筋に入った程度のものだった。だから、彼は一瞬気付かなかった。
自分が、ラシュトによって斬られたと。
「クッ!」
モスルは不意に意識を失いそうになり、よろめく。そうしてやっと、彼は自身の首から噴き出る鮮血を視界に入れた。
少しずつ大きくなってゆく痺れに似た痛みに、モスルは元々歪んでいた顔をさらに歪めた。そうしながら彼は力を振り絞って視線を後方に向けて、ラシュトを視界に入れる。モスルが自分を視界に入れたのを見て、ラシュトは少し愉快そうに口元を歪める。
「よう、腐れジジィ。久し振りじゃねぇか。カイ殺しの報酬を貰いに来てやったぜ?」
「何?」
契約の時、金銭についてラシュトはあまり触れていなかったのをモスルは思い出していた。その時は、ただ単に強盗といえど金銭をあまり持とうとはしない、使い易い連中と考えていただけだったが。
「報酬、それはお前の命だ」
ラシュトはそう言うと、モスルの背中に軽く蹴りを入れて地面に這わせた。それを何度も行い、血だまりに顔面を押し付けていたぶる。
「あぅっ。くっ。かはっ!」
急激に大量の血を失ったモスルは、脳に突然白い霧が立ち込めたような感覚に陥り、動けなくなる。そうなりながらも右手を地面に敷かれていた石畳に置き、左手で傷口を押さえる。そうしながら、激しく息を切らしながら自分の正常な思考を取り戻そうとしたが。
それでもモスルの意志とは裏腹に、モスルの思考は背中の痛みへと集中していった。
「クククク、フハハハハ!」
それとは対照的に、ラシュトはモスルの血で真っ赤に染まっている刃を見ながらとても愉快そうだった。
「カルバラ!」
そんな目の前で突然起きた殺人劇に、エクリア達は咄嗟には反応出来ずにいた。だが、それでも何とかして少々我を取り戻したエクリア達は、モスルの命を今にも終わらせんとするラシュトを止めようとする。愉快そうに笑っているラシュトを止めようとする。
「ラシュト・ダマバンド! お前を殺人未遂の現行犯で逮、ホッ!」
捕する、と言いながらラシュトに手を伸ばそうとしたコルラを、目には見えない何かが壁となって邪魔をした。思い切りおでこをぶつけたコルラを見て、ラシュトはその疑問を出される前に答えてしまう。
「結界だ。ここには、誰も入れねぇよ」
自分の足元でもがき苦しむモスルと、モロにぶつけたおでこをさすっているコルラを見比べながら、ラシュトはまた笑う。
「邪魔は野暮ってもんじゃねぇのか?」
ラシュトがそうして余裕の表情を見せていると、その時になって首筋の痛みにも慣れ始めてきていたモスルが、やっとの思いでラシュトに向けて言葉を発せるようになっていた。
モスルは首を後ろに向けながら恨み言を発する。
「貴様、何のつもりだ!」
モスルの声には恨みや憎しみといった、負の感情が多分に含まれていた。だが、それでもラシュトは表情を変えない。冷たい視線をしながら、それでいてとても愉快そうに笑い。
こう言い放つ。
「裏切り者は死ね」