Act.019:Mission C
「そこまでよ、フローリィ」
港町アヒタルの町外れの空き家となったログハウス内、そこで魔の六芒星であるフローリィとロージアはまっすぐに対峙していた。ロージアは、凛とした声でフローリィにそう告げた。
そんなロージアに対し、フローリィは相手がいかに同僚であるロージアといえど、獲物を仕留める直前で邪魔された形となったので、不機嫌な表情と口調を崩さない。
「ロージア、一体何のつもり? 返答次第じゃ、いかにアンタと言ってもタダじゃ済まさないわよ」
「貴女のお父様、魔王アビス直々の命令よ。貴女を力づくでもいいから連れ戻せってね」
フローリィと対照的に、ロージアは淡々とした口調で答える。
魔王アビス。お父様?
フローリィには何となく予測出来ていた。養女、血縁上は姪であるとは言え、自分は魔王アビスの娘である。そんな娘が六芒星の一人を殺した、訳の分からぬ者を倒しに行くと知ったらそうなるであろうと。
従いたくはない。だが、従わざるをえないだろう。フローリィはそう思い、少しロージアから視線を外して別の意味で不機嫌そうな顔をした。
今は、駄目。でも、後で分からぬように殺せばいい。
フローリィはそう思って次の機会を探ろうと模索し始めたのだが、ロージアはそんなフローリィに言葉を続ける。
「そして、私の部下であるグラナダの調査によって、私達が遂行せんとする使命二つの内の一つ、『Mission C』の対象者に彼が加えられたわ」
Mission C?
その言葉を聞いて、フローリィはハッと笑った。面白かった訳でも、嬉しかった訳でもない。余りにありえないことを口走った、そんなロージアに対する嘲笑いだった。
「まさか。つまらないジョークね。そんなこと、ある訳ないじゃない」
「ホントよ」
笑ってロージアの言葉を信じないフローリィに対し、ロージアの口調はあくまでも淡々としたもので、冗談とは思わせないものだった。その様子から少なくともロージアがそれを間違いと知りながらそう言っているのではない、冗談で言っているのではないとフローリィも気付いていた。
Mission C? 何じゃ、そりゃ?
あっと言う間に話の蚊帳の外に放り出されたカオス達は、彼女達の言う訳の分からぬ言葉に首を傾げていた。が、どうでもよいことでもあったので、何かしら彼女達に訊こうとは思わなかった。
それより、知られぬ内に立ち去りたい。そう思いはしたが、フローリィの従者の中級魔族二人の目はカオス達から離れていない。ここで立ち去ろうとしたものならば、彼等が騒いでフローリィとロージアに報告するのは間違いない。故に逃げられないのだが。
そんなカオス達をさらに蚊帳の外に追いやるように、フローリィとロージアは話を続ける。
「信じらんないわ。どうせ、何かの間違いや勘違いじゃないの? でも、でも!」
フローリィは分かっていた。
「例え1%にも満たない可能性とは言え、父様の15年以上にも渡る願いを潰す訳にはいかないわね。それが完全に0%になるまでは」
フローリィは少しの間天井を見つめた。ガイガーのことを少し思い出したが、大切にすべきなのは今、生きている者達であるという教えを思い返していた。
それから大きく息を吸って、視線を下に下ろしながらゆっくりと吐いた。そして何かしらを決意したような表情でカオスの方を向いた。
「カオス・ハーティリー!」
腹から出たような、ハッキリとした声でフローリィはカオスにまっすぐに向かい合う。
「アンタの命は『Mission C』、それが間違いだと判明するまで預けておいてあげるわ。でも間違いが判明次第、何処へでも殺しに行くから覚悟しておきなさい。それが例え、地の果てであったとしてもね」
カオスの方にまっすぐに人差し指を突き出し、フローリィはピシッときめる。カオスはそのポーズを目にし、フローリィの声を聞きながらその言葉が終わるとほぼ同時に強く思っていた。
嫌なこった。
とは言え、そんなセリフをカオスは口にしない。今回はひとまずこれで終幕しそうなのに、何か自分が口出ししたらまた何かこじれてしまう気がしたからだ。
そんなカオスの心中は知らず、フローリィとロージアはフローリィの荷物をまとめて帰り支度を済ませる。
「それじゃあ、帰ろっか」
「そうね」
荷物を蛇型魔獣と甲冑ゴーレムの二人の下級魔族に持たせた彼女等は、並んでログハウスから外に出て行こうとした。あと数歩でログハウスから出るその時に、フローリィは歩みを止めてまたカオスの方を振り返った。
「ああ、そうそう忘れてた。カオス、もうアンタの妹だなんて狡い手は使わないし、使わせないから、もしアンタの妹とやらが本当に出て来たら信用してやりなよ」
フローリィはそうとだけカオスに言い、カオスの返事を待たずにロージア達の背中を追ってログハウスから出て行った。それから1分も経たない内に彼女等の気配はそのログハウス近辺から消え失せ、辺りにはまた静けさが戻った。さっきまで耳に入らなかった鳥の囀りがやけにハッキリ耳に入ってくる。そんな気がした。
カオスは少しの間フローリィたちの居なくなった跡に視線を向けていたが、それを外すと一旦は何も無い空間に視線を移し、それからマリアの方に視線を向けた。
「姉ちゃん」
「何かしら、カオスちゃん~?」
「学院では、魔族とは絶対の悪、人間の平和を乱す悪しき獣。そんな風に教えられていたよなぁ?」
「そうねぇ。似たようなものね~」
「薄々感じてはいたが、それは違うんだよなぁ。魔族だって俺達と何ら変わりはしないんじゃねぇか? 喜んだり、怒ったり、哀しんだり、楽しんだりな」
「そうねぇ。そうなのかもね~♪」
カオスとマリアは暢気に話しをしている。ルナの目には、そう映っていた。だが、彼女はそんなに暢気にしていてはいけない。そう思っていた。
Mission C?
魔王アビスとその配下が何を企んでいるのかは分からないし、どうでもいい。関係もなさそうだ。だが、今回のあの魔の六芒星の動きを見ると、少なくとも何らかの形でカオスがあの連中に目を付けられていると言う事だけは確かのように思えた。死、それを近くに感じられた。今回のあのフローリィという魔の六芒星みたいのが、次々とカオスの目の前にやって来る可能性もゼロでは無い。
そう考えていたルナにとって、目の前で暢気に話をしているカオスとマリアの姿は信じられる物とはとてつもなくかけ離れていた。
「カオス!」
必要以上に大きな声を上げて、ルナはカオスに声をかける。カオスはその大きな声に驚きながらも、ゆっくりとルナの方を振り返る。
「ん? ルナ、何か用か?」
カオスの様子はいつもと変わらない。そのいつも通りの対応をして見せるカオスを見て、ルナはカオスがさっきあの魔族に言われたことを忘れてしまったのではないかと思った。だから、ルナは少し興奮気味に、そして少し焦ったような口調に変わる。
「な、何か用かじゃないでしょーが! アンタ、魔王アビスの一味に命を狙われてるのよ! 忘れたの? そんな暢気な顔してる場合じゃないでしょーがっ!」
「ああ、それか。覚えてるぞ。ボケ入ったジジィじゃねぇんだから、そんなすぐに忘れたりしねーよ」
「だったら!」
「ハハン」
一人テンション上がってるルナと対照的に、カオスは「馬鹿言ってんじゃねぇよ」とでも言うような、余裕の笑みを見せる。
「お前、俺を誰と思ってる? ルクレルコ魔導学院屈指の問題児、カオス・ハーティリー様だぞ。魔の六芒星とでも言われた上級魔族相手じゃ、この俺のレベルでは天と地がひっくり返って目ぇ回しても勝てやしねーよ。奴等の勘違い、勘違い。その内誤解も解けるだろ」
「そんなことない! アイツのことよ!」
カオスのセリフに対して食い気味にルナは叫んだ。が、カオスには心当たりが無かった。
「アイツ? ああ、あの変態骸骨野郎のことか?」
「そう、あの骸骨野郎よ、ガイガーは!」
ルナはあの時の事を思い出す。すぐに鮮明に思い出される。記憶の残っていないカオスは、それを夢だとか言って笑っていた。
「アイツはいつの間にか消えていた。俺達があまりにも弱かったから、殺す気も失せたに違いねぇよ。奴等のトコに戻らねぇのも、どっかで道草でも食ってるからに違いねぇよ。俺が殺したってのはルナ、お前が見た夢だ」
「違う! あの時、あの場所であたしが見たのは夢でも何でもなかった。カオス、アンタはあの魔族を殺した。それには間違いはないんだよ」
間違い、もしくは勘違いだろう。
カオスは繰り返しそう言いたかった。しかし、ルナはカオスがあの骸骨野郎を殺したと断言している。ルナの性格上、不確かな出来事を断言しないと、カオス自身がルナとの長年の付き合いで分っていた。
要するにルナは心の底からデタラメを信じてしまっているか、もしくは真実かのどちらかしかない。そして、周囲の状況等も考慮に入れると前者である可能性はほぼゼロであるとカオスは分っていた。
まさか!
何度言われても、そう返したい気持ちはなくならないけれど。
◆◇◆◇◆
一方アヒタルの警察署では、出払っていた署員が全員戻っていた。アレックスとその付き添いだった警察官も戻った。エクリアは椅子に座り、入手された情報に対して満足そうに微笑む。
「そう」
「ええ、そうです。モスル=カルバラによる医師陣の買収、カルテ偽造指示の裏は取れました。事情聴取した医師達からも自白済みで、かつ物的証拠も入手済みです。逮捕状も取りましたので、いつでもモスル=カルバラの逮捕は可能です」
「オッケー」
エクリアは椅子から立ち上がる。そして、アレックスの付き添いをした警察官の方に歩いていった。
「じゃあ、コルラ。一緒に行こうか」
「はい!」
エクリアはアレックスの付き添いをした警察官コルラにそう言い、コルラは体育会系らしい元気な返事をした。それからエクリアは数歩歩き、ふと振り返った。振り返り、カオスが詰所に居た時捜査に出た年配の刑事、ギルギットの方に声をかけた。
「では、我々はモスル=カルバラの方に行ってきますので、ギルギットさんはエマムルド強盗団のあのデブ、アルダビルの取調べの方を頼みますね」
「承知しました」
ギルギットは年配者らしい落ち着いた口調で返事した。
「では、皆行くよ!」
「はっ!」
エクリアの掛け声を合図に、警察官達がキビキビと動き出した。ちょっと前までは静かだった周りが、右へ左へと慌しく動いてゆく。それを眺めながら、アレックスは思った。
俺は放置したままかい!
どうしたら良いのか困ったので、アレックスは周りをくるっと見回してみた。すると、警察署のその詰所内にはまだ一人の警察官が残っていた。そう、あの時ギルギットと一緒に捜査に行っていた若年警察官だ。命令を与えられなかった彼もまた、どうしていいか分からずボーッとしていた。
「………」
「………」
アレックスとその若年警察官、二人は目が合った。
「雁間亭に仲間がいるんですよね。送っていきますよ」
「サンキュー」
アレックスとその若年警察官も、また雁間亭を目指して警察署から出て行った。
そのまた大勢が居なくなった警察署で年配の刑事、ギルギットは若い署員を一人だけ連れて署の地下にある留置所に向かっていた。
「アルダビルの様子はどうだ? 暴れてないか?」
「はい。一応念の為に牢に入れてあるのですが、それが必要無い位に大人しいですよ。暴れもしませんし、騒ぎもしません」
「そうか」
相手はエマムルド強盗団の一員であるアルダビル。悪名高い彼等なだけあって、大人しく取調べを受け、素直に供述するとはギルギットには思えない。
何か企んでいる?
少なからずそのような予感はしてはいたのだが、牢に入れる前の身体チェックによって凶器となる物は全て没収済みだとは聞いていた。ならば例え事情聴取時に突然暴れるにしても、素手で殴りかかるか近くにある物を使う以外に方法は無い。
杞憂かな?
ギルギットはそう思うことにしたが、何処か心配は拭えない気がしていた。その一方で、ギルギットと一緒に居る若い署員は気楽な表情だ。
「街角でやられたそうなんですが、それがよっぽどショックだったんですかね」
「さあな」
ギルギットにとって、アルダビルの心情などどうでも良かった。
「ただ、もし大人しく取調べを受けるならば、それに越したことはなかろう?」
「そうですね」
牢の中でエマムルド強盗団のデブ、アルダビルは静かに何も無い壁を見つめ続けていた。時計は持ち合わせていないが、空腹の具合等も含めて考えれば、自分が逮捕されてからけっこうの時間が経っている事が分かった。
そろそろか。
自分が居ない状況から、他のメンバーに自分が逮捕されているととっくに知られているだろうとアルダビルは気付いていた。
警察に逮捕され、仲間の情報を漏らす前に死ね。
それはメンバー全員に適用される掟であって、自分とてその例外では無い。だから、自分も死ななければならない。その覚悟を決めなければならない。
その最期の時を待つ死刑囚である自分。そんな自分を前にして、アルダビルは馬鹿みたいに暴れる気にはなれなかった。
嗚呼、死刑。死刑か。
警察署とは離れた電波塔の上部テラスで、ラシュトはアルダビルの拘束されている警察署の方に視線を向けた。
時間だ。今日一日でケリをつける為には、これ以上待ってはいられない。さすがに躊躇はあるが、それでも始めなければならない。
「やるか」
自分以外誰も居ない電波塔でラシュトはそう自分に言い聞かせ、両手を広げて指先に力を込め始めた。すると、ラシュトの周りに魔力が充溢され始めた。
「リモートコントロールボムNo.3、アルダビル発動」
ドックン!
牢の中で、アルダビルは静かに何も無い壁を見つめ続けながら、己の死の時を待っていた。その時そう自分の身体が大きく鼓動し、異変が生じたのを感じた。
来たか。
アルダビルは己の死が目前に迫っていると理解した。これはラシュトによる魔法が発動した証拠なのだ。これが発動したとなると、死はすぐそことなる。
そんな時、アルダビルの牢の前に警官二人が事情聴取の為に訪問しに来た。
「おい、アルダビル。取調べをするぞ。牢から出ろ」
二人の警官のベテランの方、ギルギットはそう言いながらアルダビルの牢の鍵を開け、ドアを開いて牢の中に入った。その様子は普通の容疑者を相手にするような、暢気なものだった。
そのギルギット達を見て、アルダビルはニターッと不気味に笑う。飛んで火にいる夏の虫。嗚呼、馬鹿な奴等。お前達は地獄への道連れだ。
ギルギットはそう思った。そして、それが彼にはとても愉快だった。
アルダビルはゆっくりと立ち上がり、亀のようにゆっくりとギルギットの方へ歩いて近付いた。その彼の額からは光の管のようにも見える物が現れ、その先にダイナマイトのような物が付着していた。その異変が、今さらのようにギルギット達を驚かせる。
「な、何だありゃ?」
「おかしいですね。手荷物は残らずチェックした筈なんですが」
凶器、それも爆弾のように見える。だが、そのような危険物を持たせたまま放置する訳が無いし、目の前に映るその物は、チェック時にあったらどんなに目の悪い者でも見落としようが無い程に大きい物だった。
何だアレは?
これはラシュトによる魔法で発動し、姿を見せ始めた爆弾である。アルダビルは、勿論その答えを知っていた。だが、そのような疑問にアルダビルは答えない。ただ、自分の処刑場にやって来た馬鹿な連中を目の前にして、愉快そうに笑う。
「ひゃはは、ひゃひゃひゃひゃひゃひゃっ! 警察のクズ野郎共、お前等も死ね。俺と一緒に死ぬがいい! あひゃははははははははっ!」
ラシュトの爆弾魔法で自分は死ぬ。だが、その爆風は当然爆弾という形態上、自分の中だけでなく外にも広がってゆく。少なくとも半径数メートルは巻き込まれる。つまり、ここでその魔法が発動した場合、その爆風にギルギット達も巻き込まれるのだ。そして、死ぬ。
憎き警官共、公共の犬畜生を道連れ。
ここで終わるのは不本意だが、それはそれでとても愉快にアルダビルは思った。
「ひゃははははははははははははっ!」
「Bomb!」
ラシュトは電波塔の上で警察署の方に向かって右手を翳した。
すると警察署の地下牢の中で、アルダビルの頭上に浮かぶ爆弾のような代物が大きく閃光を放った。それと共に、鼓膜を破壊する程の爆音が彼等の耳を貫いた。
「ひゃははははははははははははっ!」
アルダビルは閃光に包まれながらも、気が触れたように笑い続けていた。そして、ギルギット達は訳の分らぬままその光に包まれていった。その後の記憶は、彼等には無い。そして、命も無い。
爆風、火炎、飛び散る破片。
それらが彼等の命を全て奪い去ったのだ。
◆◇◆◇◆
「さぁて。戦争、最終局面の始まりだ」
電波塔の上で、煙の上がる警察署を眺めながらラシュトは決意に満ちた表情で呟いた。最早、引き返す道など何処にも存在しない。後は転がる石のように、終焉へと向かって転がってゆくだけだ。
「準備は既に整えてある。後は、宣戦布告だけだ」
電波塔は既に支配下に入れてあり、現段階で自由に使える。アヒタルの町に自由に電波を、声を飛ばすことが出来る。
その上で今、足元にある大きくて頑丈な箱。これはラシュトにとって一つの兵器であった。決め手、トランプで言うところのジョーカーとしての役割まで任せるつもりは無いが、少なくともこれである程度の時間稼ぎにはなると目星をつけていた。
この二つがあれば充分だろう。
ラシュトは笑みを見せる。
「さて」
その箱が大きな役割を果したら儲けものだ。だが、それを使用するのは、敵が目の前に居ない今ではない。戦わなければならない敵が妨害しに来た時だ。
それよりも、まず使うはこの電波塔。
ラシュトはその箱を放送室の床に置き、機材の方に近寄った。そして電源を入れ、町中に自分の声が届くように設定する。
「あ、あ、ああああ」
マイクを少しテストし、正常に作動するのを確認してから大きく息を吸った。気合いを入れ、腹から声を出す。これは、今までの人生の集大成、終焉へのプレリュードなのだ。




