Act.151:トレーニングタイム
翌朝、フローリィはカオスの部屋の前にやってきていた。そんな小さい影、フローリィはゆっくりと、忍者のようにカオスの部屋へと忍び寄っていた。昨日の朝と同じ展開である。
ササッ。ササササッ。
「…………」
そして、フローリィはカオスの部屋の前に立つ。目的地に辿り着いたのだ。
ビカーン!
フローリィの瞳が怪しく光り、口元には邪悪な微笑みを浮かべた。
ドアを開け放ち、腹から声を出して叫ぶ。
「カオス、朝だ。起きろーーーーーーっ!」
……。
…………。
……………………。
しかし、反応は無かった。天蓋付きのベッドでカオスは眠っておらず、部屋の他の場所にもカオスの姿は見られなかった。それどころか、誰かが居るといった気配さえもこの部屋にはなかった。
つまり、カオスはフローリィが来る前に起きて、何処か別の場所に行ってしまったと思われた。
「あ、カオスお兄ちゃんならもう起きてるよ~。さっき廊下で会ったもの」
「…………」
後ろでアナスタシアがそう言ったが、それは正しいのだろう。
フローリィは思っていた。だが、そんな理由はどうであれ、この恥ずかしさは変わらない。誰かが見ていたという訳でもないが、変わりはしない。この空回りに対する恥ずかしさは。
そう、カオスが『C』であると確定して、この城に居て、フローリィは随分とはしゃぎ過ぎていたようだ。そのことに、フローリィは自分自身で気付かされていた。
誰かにそれを馬鹿にされはなしかったし、これからもないだろう。家族なのだから、一緒に居て嬉しいとしても誰も馬鹿にはしない。するようなふざけた輩は殴ればいい。だが、それはそれとしても、フローリィはそんな自分をちょっと客観視すると恥ずかしくて仕方なかった。
その頃、カオスはノエルに連れられてある部屋に来ていた。大きな二枚扉を開くと、そこには広い空間が広がっていた。平坦な床、壁、天井。それが綿々と続いていた。家具やその他諸々、この部屋には一切無い。ハッキリ言ってしまえば、この部屋には何も置かれていなかった。
ただ、空間が大きく広がっているだけ。
「何だ、この部屋は?」
「ここはトレーニング場さ」
ノエルは紹介する。室内での訓練、特に組み手等の実戦を念頭に入れた訓練を行う場所で、広く伸び伸びとした空間が必要不可欠であり、余計な器具等はそれを邪魔するだけなので不要だから置いていない。そのように説明した。
尚、筋トレなど器具を使うトレーニングは別の部屋であるとも。
「ふむ、成程な」
カオスは納得する。その殺風景な部屋に。
「じゃ、そーゆうことで」
「待たれよ」
サッと手を上げて立ち去ろうとするカオスの肩を、ノエルはぎゅっと掴んだ。掴んで、その場に止めた。
逃がしはしない。逃げられると思うなよ?
「わざわざこの部屋までやって来て、何もしないまま帰ってどうする」
意味が無い。時間の無駄ではないか。
そのように思うノエルであったが。
「別にどうもしねぇぜ」
気にしないカオスであった。
「って、修行しろと言ってるんだ! 修行しろとっ!」
「ぬお」
ノエルは逆ギレ、もとい激昂する。カオスに拒否権はない。反論の余地もない。全てはノエルの中では決定事項となっていた。
そうして、強制的にトレーニングの時間は始まった。
例えカオスがどんな反応を示そうとも。
まずは準備運動。
ノエルは体を伸ばし、ほぐしてみせる。カオスもそれに倣い、体を伸ばしてほぐす。
ノエルは膝を曲げ、屈伸運動をしてみせる。カオスもそれに倣い、膝を曲げて屈伸運動をする。
ノエルは大きく腕を左右に振って、体の側面をほぐしてみせる。カオスもそれに倣い、腕を大きく左右に振って体の側面をほぐす。
ノエルは上体を反らし、背中を柔らかくしてみせる。カオスはそれに倣わず、ただ踊っている。
ノエルは上体を反らしながら大きく回して、さらなる柔軟運動をしてみせる。カオスはそれに倣わず、ただ踊っている。
ノエルはジャンプしてみせる。カオスはそれに倣わず、ただ踊っている。
そんなカオスを、ノエルはぶっ飛ばす。
次はジョギング。
ノエルはまずはゆっくりと走り始める。その後を、カオスはついて走っている。
それからノエルは徐々にスピードを上げていく。その後を、カオスはついて走っている。
そのようにしながら、ノエルは何もないトレーニングルーム内の外周をぐるぐると走って回る。その後を、カオスはついて走っている。
ノエルは一定速度まで上げると、そのスピードをキープして走っていた。そんなノエルを、カオスは寝転がって眺めていた。手を振っていた。
ノエルは真面目に走っている。そんなノエルを、カオスは寝転がって眺めていた。手を振っていた。
ノエルはぐるぐる走っている。そんなノエルを、カオスは寝転がって眺めていた。手を振っていた。
そんなカオスを、ノエルは蹴り飛ばす。
「トレーニング?」
カオスと廊下で会ったというアナスタシアに、フローリィはカオスが今何処で何をしているのか聞いていた。
トレーニング、カオスからそう聞いたわけではない。ただ、ノエルにそのように耳打ちされただけだった。
しかし、カオスに努力は似合わない。努力はしているんだろーけど。
そう思いながら、フローリィはその情報を疑わしく思っていた。だから、再度訊く。
「ホントに?」
「うん。ノエルお姉ちゃんはそう言ってたよ」
「ふーん」
ならば、本当なのだろう。
フローリィはそのように思う。少なくとも、アナスタシアが嘘をつくとは思えなかったし、ノエルがアナスタシアに嘘を教えたという可能性もゼロであろう。つまり、ほぼ確実にトレーニングという訳だ。
ちっ。そんなこと全く聞いてないわ。
フローリィはちょっと面白くなかった。だが、すぐにその思考を切り替える。
「まあ、いいわ。それはそれとして、トレーニングの様子でも見てみよっと」
「あ、アナも行くー♪」
と、そんな訳で、フローリィとアナスタシアは一緒にトレーニングルームに向かった。
フローリィとアナスタシアがトレーニングルームに着くと、カオスとノエルは既に組み手に入っていた。互いの拳、蹴り、その他魔力等がぶつかり合い、大きな音を立てながら火花を散らしていた。
その中で大きな衝撃を生じた瞬間、2人は吹き飛ばされてその間合いを広げた。
カオスはゆったりと体勢を立て直し、ゆったりとノエルの方に視線を向ける。
が、それまで。そこからは素早く地を蹴り、ノエルに向かって一気に間合いを詰める。蜂のように刺そうとする。カオスは拳を振るう。
しかし、ノエルはその動きを良く見ていた。腰をしっかりと落としながら体を翻し、片手でもってそのカオスの攻撃を横に流した。
カオスの1撃目は失敗に終わった。だが、当然カオスはそこで諦めたりはしない。次の攻撃を繰り出す。そして、当然ながらノエルもそれに黙ってはいない。防戦一方にはならない。カオスに対して反撃もする。
そこからは拳の応酬であった。
拳と拳、足と足、魔力と魔力、それらが激突する。最早、彼等の中では何度目なのかさえも分からなくなっているが、それがお互いにぶつかり合ってその優劣を競うのだ。右、左、右、左、攻撃は行われてゆく。攻撃、防御、攻撃、防御、互いに繰り返す。
それがしばらく続いて、どちらからともなく組み手は終了した。どちらか優劣をつけるような戦いではなかったので、そのようなものだった。
「しかし……」
分からない。
休憩時間に入った早々、カオスは疑問に思っていたことをノエルにぶつける。
「何でまた、この俺を強くさせようなんてするんだ?」
別に俺が強くなろうが、なるまいが、魔王アビス軍として参戦しないのだから意味がないのではないか? そっちとしても、関係ないんじゃないか?
そのように思っていたから訊いたのだが……
「お前が大して強くないからだよ」
ノエルの答はそんなんだった。
って。
「答になってねぇじゃねぇかよ」
「なってないね」
いつの間にか部屋にいたフローリィも賛同する。
「そうだっけか?」
「ああ。何故こんな俺を強くしようとしるのかって、俺は訊いているんだからな」
「…………」
ノエルは少し考える。それから答える。
「そりゃあ、狙われるからさ」
「狙われる? 俺が? 命をか?」
「ああ」
「誰にだよ? 俺の命なんか取ったってしょうがねぇだろうがよ」
今まで誰かしらに命を狙われたという記憶はないし、ガイガーの敵としてアビス軍が命を狙わないのであれば、自分に対して殺意に至るまでの憎悪を抱いている者は居ない。カオスはそう思っていた。少なくとも、カオスの記憶の中には居なかった。
だが、ノエルは断言する。淡々と。
「そりゃあ、色々な奴にだよ」
と。カオス自身に対して恨みがなくとも、原因がなくとも、命を狙われることはあるのだとノエルは言う。
「少なくとも、ここでの利権を狙っている奴は何処かしらに必ず居るものだからな。情報というのは、広げようとしなくても何処かしらから漏れてしまうもので、お前が魔王アビスの息子であり、その息子がここに居るという情報もいつかは漏れてしまうのかもしれん。そうしたら、そんな奴がお前の命を狙ってこの城にまでやって来るケースも考えられなくはないのだ。暗殺と言う形でな。そんな卑怯な輩相手にこちらとしても容赦なんかしねぇし、どんどん排除してゆく方向ではあるが……」
そこで一息ついて、ノエルは言った。
方向性は方向性としていいのだが。
「狙われる本人が強ければ、それに越したことはないだろ?」
「ま、確かに。だがな」
ばたばたばたばた。
カオスがそう言いながら、己の中に新たに沸き起こった疑問を口にしようとしたその時、トレーニングルームの外ではばたばたと大きな音を立てながら駆ける音がした。複数の人間が急いで走っていた。
その音が五月蝿い。それでカオスの話のコシが折られてしまった。
その上、その話のコシを折った者はトレーニングルーム内に駆け込んできた。ここがその五月蝿い者、アビス城の警備兵の目的地であった。
「た、大変です!」
息も切れ切れにして、警備兵はその情報を伝達する。
「侵入者です!」
と。