Act.150:家族の肖像
翌朝、割り振られた一室にある天蓋付きのベッドで、カオスは眠っていた。すうすうと。
最近眠っているシーンばかりだな~と思いながらも、疲れを癒しておこうかとカオスは眠っていた。くーくーと。
涎を垂らしたりして、だらしなく眠っていた。ぐーぐーと。
「ZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZ……」
何が書かれているのか分からなくなる位にまでZが続いたが、カオスはそうやってずっと眠っているつもりだった。何となく起き上がる気分になりそうなその時まで。ずっと、ずっと、ずっと。
そんなカオスのところに忍び寄る黒い影。もとい、小さい影。フローリィはゆっくりと、忍者のようにカオスの部屋へと忍び寄っていた。
ササッ。ササササッ。
そして、フローリィはカオスの部屋の前に立つ。目的地には辿り着いた。
ビカーン!
フローリィの瞳が怪しく光り、口元には邪悪な微笑みが浮かべた。
そんな中、カオスは眠っていた。呑気に鼻提灯なんぞ出したりして、だらだら眠っていた。すやすやと。
ドアは開かれた。フローリィはゆっくりと顔を覗かせ、静かにカオスの部屋の中へと入った。カオスは眠っていた。呑気にすやすやと眠っていた。
そのカオスに、フローリィはゆっくりと近付いていく。音を立てず、じわりじわりと。だが、カオスは眠っている。鼻提灯を出したりして。ぷーぷくぷーぷく、列となりながらカオスの鼻から生まれていく。
「…………」
そのカオスの寝姿を落ち着いた様子で、フローリィは見下ろしていた。そうしながら、ゆっくりと息を吸い込んだ。
そして、吐き出す。なおかつ、叫ぶ。大きな声で。カオスの耳元で。
「カオス、朝だ! 起きろーーーーっ!」
「ぬぶらばっ!」
死人さえも飛び起きるような大声が、カオスの耳元で発せられた。ルクレルコの居眠りキングと謳われている(かもしれない)カオスも、さすがにその大声を食らわされてしまっては眠り続けてはいられず、強制的に目覚めとなってしまった。
だが、フローリィ目覚ましはそこで終わらなかった。
「フライング・ボディ・アターックッ!」
「え?」
もう起きてますよ。
そのように言う前に、フローリィは飛んでいた。そして、炸裂するジャンピング・ボディプレス。カオスは避ける間もなく、腹部にその大きな衝撃を、ダメージを食らうのだった。
「#◆√◎ω☆∽!」
顔が失敗した福笑いのように崩れてしまったんじゃないかというような気分を味わいつつ、カオスは耳鳴りと痛みで悶絶していた。
良く目覚めた? 寧ろ、永眠してしまう気分だった。
苦しみも痛みも、声にはならない。
「って、いきなり何しやがる、フローリィ!」
「カオス、起きたわね」
「んなことせんでも起きるわ、ボケーッ! このすっとこどっこいがっ!」
「ぬなっ! 姉に対して無礼な物言い!」
「Θ◇Я/ε⊿И!」
「¥★♭ΛΞ<∟!」
またカオスとフローリィの口論は始まる。それはお約束であるが、それはそれで置いておいて。
「お早う、2人共。朝から元気ね」
そんなカオスとフローリィに、話しかける者がいた。ゆったりとした三つ編みに、落ち着いた感じの服装。そして、穏やかな微笑みをたたえた女性である。彼女はゆっくりと歩いて、カオス達に近付いてきた。
そんな彼女に、フローリィは振り返って挨拶する。
「あ、母様。お早う」
「…………」
カオスはアビスから聞いた話を頭の中で反芻する。
フローリィの両親は、先の魔の六芒星のグレンとアイン。しかし、その2人は対魔戦争でアーサーによって殺されている。つまり、フローリィには実の両親は居ない。アビスは血縁上ではアインの弟に当たり、実際のところはフローリィにとっては叔父でしかない。
だが、それでもアビスが両親のいないフローリィを育て、そのアビスを今ではフローリィは父親と呼ぶ。それならば、アビスの妻を母親と呼んでもおかしくはないのではないか? アビスの前妻、エミリアは死んだ。アーサーによって殺された。だが、後妻としてアリアが入ったという話だ。
ならば、この女性は……
「ああ。アリアか」
「遅ッ!」
カオスの反応の悪さに、フローリィは驚く。血は繋がっていなくても、アリアはカオスにとって母親なのだから、見てすぐに分かれよと思ったのだ。
だが、アリアはそのまま穏やかに微笑む。
「無理もないわ」
そのように言った。私を知らなくても自然だと。
「赤ん坊の頃を除けば、こうして面と向かって会うのは初めてなのだからね」
だから、無理はない。寧ろ、当たり前だと。
だが、それはどうでもいい。カオスはそう思っていた。記憶にないのが自然だろうと、ただ単に自分が薄情なだけだろうと、そのようなことはカオスにとってはどうでも良かった。それよりも、重要なのは何故ここにアリアが居るのか。
「何か用なのか?」
俺に。
カオスは訊く。ここに来たのならば、自分に対して何か用でもあるのかと。
そのカオスの質問を聞いて、アリアはポンと手を叩く。
「ああ、そうそう。朝ご飯よ。朝ご飯。今日は、家族水入らずで頂きましょう♪ 用はそれよー」
「ふーん」
家族、水入らずねぇ。ならば、用はこの俺に対してではなくて、この部屋に俺を起こしに来たフローリィに用があった訳だったか。
カオスはそのように解釈して、納得した。ほぼ初対面である自分に対して、アリアは用なんかないだろうと思っていたのだが、フローリィに対してであるならばそれは別の話だ。
だが、それはもうどうでもいい。カオスは思う。
「って、どうしたの、カオス?」
考え事をしていたカオスに、フローリィはそう訊ねる。
「何でもねぇよ」
自分に用があったのか、フローリィに用があったのかなんて、分かってしまえば後はどうでもいい事なのだから。
「それより、家族水入らずで過ごすんだろう? さっさと行って、楽しむがいい。俺はまだ、だらだらするんだからよ」
2度寝もいい。例え寝なくても、ただだらだらするというのもいい。
そのように思っていたカオスだったが……
「…………」
「…………」
じとー。
フローリィとアリアは、そんなカオスに馬鹿な者を見るような視線を送っていた。2人は何も言わなかった。だが、その視線がはっきりと告げていた。馬鹿、と。
「な、何だよ?」
その視線は。
カオスは少したじろぎながら、そんな視線を送る2人に訊ねる。そのような視線を送られるようなマネをしてはいない。そう思っていたのだ。
そんなカオスの質問に、フローリィはため息をつく。そして、逆に訊ね返す。
「カオス。アンタ、何他人事のような顔をしてんのよ?」
アビス一家、家族水入らずの食事。そこに参加するのは、アビスの家族のみ。
それならば……
「ようなじゃなくて、他人事だろ?」
「んな訳あるか、この馬鹿ッ! あんたも家族に決まってんでしょうがッ!」
ドンッ!
近くにあるテーブルを叩きつつ、フローリィは激昂する。
「ったく、何の為にこのあたしがわざわざ起こしに来てやったと思ってるのよ!」
「ぬばっ!」
「さっさと着替えろー!」
どたばたどたばた。
場所や周りの人物が変わっても、カオスの朝は変わらなかった。いつでも喧騒の中にあった。
家族ねぇ……
フローリィとアリアによって、カオスはアビス一家の朝食に参加することとなった。アリア曰く、家族水入らずの食事。カオスという人物がアビスの実の息子であると踏まえれば、血縁上は参加資格があるのだろう。だが、血が繋がっていればそれだけで家族とは思っていなかったので、それはカオスからすれば他人事であるように思えていた。
もっとも、家族の一員として思われるのは悪くない。カオスは頭の片隅でそう思ってはいた。その扱いがどのような者からであるにしても、家族として大切に扱ってもらえるのは嬉しいものだからだ。
しかし……
フローリィとアリアと一緒に食事に向かう時も、朝食を取っている時も、カオスはずっと思っていた。感じていた。
大切に思ってもらえるのは嬉しいし、客観的に見ても良いことだろう。だが、ここは自分の居場所ではないと。しっくりとはまるパズルのピースではないのだと。
もし、ここ以外に行く場所が、居場所がないのだとしたならば、そこにピッタリと嵌るように何かしらの努力はするだろうし、そうしなければならないだろう。
だが、その必要はない。もともと、居場所は他にある。カオス・ハーティリーの居場所は魔界のアビス城ではなくて、人間界のルクレルコ・タウンにあるのだから。
そして、そのようにしたのはアンタの遺志だろう?
母よ。
朝食後カオスは、アビス城の一角に置かれたエミリアの墓に手を合わせながらそのように思っていた。どのような展開でカトレアに預けたにしろ、そのようにするのは、カオスというハーフが人間界で人間として生きていくのは、そこに母としての何かしらの意志があったに違いない。
だから、変わらない。これからもカオスという“人間”は変わらない。
「…………」
そんなカオスを、後ろから眺める者が1人。
「フローリィか?」
「ええ。そうよ」
そのように答え、少し考えてからフローリィはカオスに訊ねる。
「やはり父様、アビスを父とは思えない?」
予想はしていたが、カオスのアビスに対する態度は、父に向ける息子のそれとは思えないものだった。あくまでも他人である。もっとも、急に親子らしいというのは、却って胡散臭くもあるのだが、このままでは平行線のような気もしていた。
これから近付くのか、否か。
どのように思っているのか、フローリィはカオスに訊きたかった。
「その答は既にフローリィ自身分かっているんじゃないか?」
だが、カオスはそのように言うだけだった。
同じ立場なのだから、分かっている筈だと。
「自分を生んだアインとグレンではなく、アビスやアリアを親と呼んでいるお前ならな」
「確かに」
生みの親よりも、育ての親か……
そのように感じるであろうとは、最初から分かっていた。当然のことだ。
アビスは朝食後、自室で先程の朝食を思い返しながらそのように考えていた。最初から父親として扱われると期待はしていなかったし、そのように思われる方が却っておかしい。
では、何故今回のようなことをしたのか?
答は単純。今は、ただ知ってもらいたかっただけだ。だから、今回はこれだけで目的は達せられたことになる。親子としての道程はこれから進めばいい。後は、時間が解決してくれるであろう。0から1、1から2、3、4、5……と一歩一歩進めばいいのだから。
そうすれば、不自然なものも自然なものと変わってゆく。ごつごつした石が川の流れと共に丸い石になってゆくように、時間がアビス一家を家族として丸い自然なものへと変えていく。
完全なものへと変わるのは、目的地に達するのはいつになるだろうか?
いつでもいい。どんなに時間がかかってもいい。なぜなら、魔族には寿命と呼ばれるものは存在しない。
それすなわち、用意された時間はたっぷりと存在することになる。それはハーフでも変わらないだろう。
だから、俺達にはまだまだそうなるまでにたっぷりと時間が残されているんだぜ。それだからこそ、今回はこれだけでいいのだ。
1人残された自室で、アビスはそのように思い、密かに笑ったのだった。