Act.148:話の終わり
「と、まあ、こんな訳だ」
カオスへのアビスの昔話は終わった。長い間喋っていたアビスは、ゆっくりと息を吐いてカオスの方に真っ直ぐ視線を向ける。
やるべきことはやった。全て話した。そんな満足感が、彼の中にはあった。
そして、訊ねる。
「理解は出来たか?」
カオスという人間は、純血な人間ではなく、魔族であるアビスと人間であるエミリアのハーフである。アビスとエミリアが出会い、恋に落ち、結ばれた。その延長上で、子供を授かった。だが、その頃には既に魔族と人間との争いが激化しており、子供が生まれる前後にはそれに巻き込まれてしまっていた。首領となっていた。そんな争いの末に、子供を守るという名目でエミリアが自分の親友であるカトレア、マリアの実母に預けなくてはならなかった。その直後にエミリアはアーサーによって殺害されており、預けられた子供はそのままカトレアの手によって育てられる事となった。養子となったのだ。
簡単に言ってしまえば、話としてはそんな感じであった。その話に矛盾するところはないし、アビスが偽りや戯れで言うとは思えなかった。そして、そのようにするメリットもないとカオスは理解していた。
だから、これは真実なのだろう。そのように理解は出来る。客観的に。
しかしそうだからと言って、今すぐにアビスのことを「お父さん」と呼び始める気にはなれないのも、またカオスの偽れない気持ちであった。急に父親と言われても、対応に困るのだ。身勝手に捨てたという訳ではないので、恨みや憎しみといった何かしらのマイナス感情がなかったというのもまた、カオスの中の戸惑いでもあった。
恨みで終わってしまえば簡単だから、それで終われないのは戸惑いへと繋がってしまう。
「まあ、内容は分かったがな」
一応、カオスはそのように言った。頭の中は混線したまま。
だが、正直に言ってしまうと、そのようなものはどうでもいいと感じていた。混線なんか気に留めるようなものでもないと。アビスによって語られた全ては、もう既に過ぎ去った過去でしかないし、例えそれがどのようなものであるにしろ、どのような悲劇であるにしろ、結局話はカオスがアビスの息子であるという証明でしかないわけなのだから。
ただ、自分と言う存在が、本当は不要が故に親から捨てられて、それをたまたまカトレアに拾われた。そういったものではなかった。それだけ知れれば、カオスからすれば十分だった。恨みも何も感じるものはない。
ならば、ここでお終いにしてしまえ。忘れてしまえ。過去など、どうでもいいのだから。
「さて、と」
カオスはソファーから立ち上がる。
「どうした?」
もう、ここには用は無い。
そのように思っているカオスにアビスは訊ねた。
「話は終わったのだろう? ずっと座って聞いているだけだったから、体がだりぃ。戻って休む」
「ああ。良かろう。休むがいい」
「ああ。じゃあな」
カオスは軽く手を上げて、アビスの部屋から出ていった。その後姿を、アビスは黙って見送っただけだった。特に何もしない。今すぐ父親と呼べとか、そういった強制は何もしなかった。
ただ話を聞かせて、それでお終いだった。
「あれで、宜しいのですか?」
その姿を同じく見送りながら、その姿が見えなくなったところでアリアはアビスに訊ねた。
あれでは、まだまだカオスはアビスという者を心の中から父親と認識してくれてはいない。そう見えるのは明白だったからだ。そのように思ってもらう。それが『mission C』の目的の内であるのだから、それが達せられていないとなってしまう。
しかし……
「ああ」
アビスは答える。それでいいのだと。
「とりあえず、今回の目的は知ってもらうこと。何もない所に、真実というデータを入れるというだけだ。あまり焦って進めようとすると、必ず歪みが生じてしまう。だから、今回はこれでいいのだ。後は、時間の経過と共にといったところであろう」
「そう、ですか」
「ああ」
そして、魔族とは人間のそれと比べて非常に長い寿命を持つ者である。寧ろ、ないと言っても過言ではない。
つまり、そのように認識が改まってゆく時間は、俺達にはたくさん存在しているのだ。待っても、待っても、手遅れとなる事はめったにない事であろう。
さらに言うなれば、今回のことはカオスの心の中にかなりのインパクトとなって残っているだろう。おそらく、忘れようと思ったところで忘れられはしない筈だ。例え、カオスがどのような傍若無人なものなのだと仮定したとしてもである。
ならば、大丈夫。心配は無い。
そのように気長に事を構え、アビスはゆったりと笑うのだった。
計画は、全て順調なのだと。
アビスの話は終わり、カオスは自分に割り振られた部屋に戻ろうとしていた。そうやって玉座の間から出ると、そこにはロージアが待っていた。そして、部屋まで送ってくれると言ってくれた。
一度通った道とは言っても、アビス城は城であるだけあって、一般の家と比べると途方もない位に大きな建物となっている。戻れずに迷ってしまう。その可能性を踏まえた上での、ロージアの気遣いであった。
断る理由はない。実際にカオスとしても100%確実に戻れるような自信はなかったから、それはありがたい申し出だった。
そうして、カオスとロージアは行きの時のそれと同じように、並んで戻っていった。
「どう? まだ、戸惑っているかしら?」
ロージアは殆ど口を開かないカオスに対し、そのように訊ねた。
魔王アビスが自分の父親。その真実を聞いて、戸惑わないわけがない。そのように考えた。
戸惑う?
「それはちょっと違うな」
カオスは言う。
「俺には父親はいない。そのように思って、約16年生きてきたわけだからな」
「実感がわかない?」
「つか、正直言ってどーでもいい。今更って感じだ」
「そうね。そうかもね」
ロージアはカオスの心情を理解する。今まで存在すら知らなかった父親が現れたところで、どのように対応していいのか分からないというのはごく自然であるし、考えなくても分かることだった。自分がもしカオスと同じ立場ならば、やはり同じようなことを思うに違いないからだ。
ましてや2人の離れていた16年は、アビスからすれば長い時間の中の一部にしか過ぎないが、16年しか生きていないカオスからすれば、それは人生の全てだ。
「でも……」
それは、あくまでも子供側からの言葉でしかない。どのような生物であっても独りで生きていくなんて出来ないのだから、他者との相互理解が必要となってくる。だから、関係が生まれてしまった以上、子供としてカオスは親であるアビスの心情を理解する必要がある。
16年もの間、生きているかどうかも分からない息子を探し続けていた。その結果、巡り会えた。
「ああ」
そんなアビスの心情は、考えずとも分かる。もっと言ってしまえば、察しようとしなくても分かるというものだ。
それは、カオスの目から見ても同じ。
「アビスの気持ちも分かる。そして、そいつが戸惑いの部分になるっちゅー訳だ」
無理やり連れて来られた。その部分は、怒ってもいいだろう。だが、ずっと会いたいと思い、探し続けていた生き別れの家族に会うのに、手段を選ぶ余裕なんてないという気持ちは十分に分かる。カオスとて、もし死んだ義母であるカトレアに会えるというのであれば、ありとあらゆる手段を巡らせるに違いないからだ。
だから、アビスを責められない。責めても構わないのに、責めるべきなのに、それが出来ない。
それが戸惑い。だが、それだけではない。自分は不必要だから捨てられたのではなく、愛され育てられようとはしていたと言う事実が、心の何処か片隅に小さな喜びとなって残った。それらがごちゃごちゃに混ざり合って、訳が分からなくなっていた。
「成程ね」
そんな心情を、ロージアは理解する。そして、それだからこそ、これ以上カオスの心情をかき乱さないようにそれ以降は余計なおしゃべりをしないでカオスを送ることに専念した。