Act.145:長話の間(①魔界侵入 Side.A)
車輪は回る。ゆっくりと。しっかりと。その足を踏み出し始める。
列車は動き出す。色々なものを載せて。若い人、老いた人、男、女、大きな荷物、小さな荷物、その他諸々を載せて。
車輪は回る。次第にそのスピードを上げながらぐるぐると、その足をどんどん踏み出して。
列車は走ってゆく。色々なものを載せて。希望、絶望、夢、挫折、幸福、不幸、その他諸々を載せて。
首都アレクサンドリアからノクサスへと向かう列車は、定刻通りに出立した。それから数時間が過ぎた。列車はどんどんノクサス方面、南西へと進んでいっていた。事故や故障、人の線路内への立ち入り等、そういったトラブルも無く、列車はどんどん進んでいっていた。
その点は幸福であった。もっとも、気付きづらい地味な点であったが。
そして、その例にも漏れず、ルナ達もそういったところに気付いてはいなかった。彼女たちの考えていたことはただ1つ、カオスであった。今無事でいられているか、自分達が助けに行くまで無事でいられるか、心配の種は尽きなかった。
だが、考えても、心配しても、それは詮無きこと。いくら心配しても、不安になっても、それだからと言ってすぐにカオスの所へと行けはしないし、その時間が僅かながらにも短くなったりもしない。意味はない。
ならば、しない方がいい。余計な心配は、百害あっても一利とて得られるものはない。心を乱されるだけだから。
「さっさと休めよ。明日は早いんだからな」
リニアは周囲にそう注意を呼びかける。特に、ルナとマリアに。
この2人の冷静さを欠いている以上、アリステルとリスティアに2人を止めるような性質を望めない以上、自分が誰よりも落ち着いて、冷静な判断を下さなければならないとリニアは感じていた。
列車は走ってゆく。どんどん走ってゆく。南に浮かぶ白い月の下に向かうように。
暗闇の中に浮かぶ白い月。ほんの少しの明かり。太陽のようになれとまでは欲張らないけれど、せめてあの光程度には明日の希望が生きていれば良いな。輝いていれば良いな。
そのように願うのだった。
翌朝、午前6時。列車はカタラクトに到着した。ルナ達はそこから降りて、西にある禁断の地へと向かう。しかし、そこへと向かう交通手段はない。禁断の地だからと言ってしまえばそれだけだが、当然ながらカタラクトの町を抜けたら、目的地までは自分の足で向かわなければならない。
面倒臭い。だるい。
そのように誰も口にしない。思いもしない。仲間の為。それだけを思っていたから。
「ここから西ですね」
「ああ、此処から西へ約20km。そこを通過すると、そこから禁断の地への突入となる。その中心地、そこに私達が行くべき場所はある筈だ」
魔界への入り口は。
「では、行きましょ~」
躊躇わない。一休みする気さえもない。
ルナ達は、特にマリアは焦っていた。1分でも、1秒でも早くカオスの所へ行こうとしていた。
そうしなければ、早く行かなければ、カオスの身に何がされるか分からない。そのように思っていたからだ。
今のカオスの状況と、それを想像するルナ達の思考、その2つのずれは、そういった誤解的な行動を生み落としてしまっていた。
だから、走る。その20kmを走る。全速力で。
何も喋らず、何も考えず、ただひたすら目的地に向かって真っ直ぐに。
普通の人ならば、それはとんでもないことかもしれない。だが、ルナ達は普通の人を遥かに越えた鍛錬を積んできた者達である。その程度ならば、大した負担にもならずにやってのけた。真夏の南方の地、暑く乾いた大地を、ルナ達は太陽が真上の3分の1にも満たない角度の内に駆け抜け、普通の人が予想するよりも遥かに早く、目的の地、禁断の地となっている魔王アビスの元本拠地の入り口に辿り着いたのだった。
しかし、ルナ達の中に喜びはない。安心もない。ただ、ルナ達は1つの通過点を通り過ぎたならば、次の通過点。その次の通過点を過ぎれば、またその次の通過点といったように、その意識はどんどん次へと向かっていくだけであって、その心の中に生き続けている焦燥感はいつまで経っても拭えずにいた。
「此処ね」
ルナは無表情のまま、目の前にそびえる高い壁を見上げる。
壁。禁断の地への入り口は、周囲20kmでもって高い壁によって外界と遮断されていた。その壁の高さは、ゆうに5mはあるだろう。その上に、さらに上層には有刺鉄線が巻きつけられてあった。さらに、その壁の下では警備兵が壁の周囲を回りながら、中に入ろうとする侵略者と、中から外に出るかもしれない魔物を警戒していた。
普通の人ならば、とても入れるような状況ではないだろう。そう、普通の人ならば。
だが、ルナ達は普通の人ではない。コネもある。
だから、その壁の方へと堂々と歩いていった。
「!」
警備兵達が緊張を走らせるのが分かる。だが、ルナ達は止まらない。躊躇わない。後ろめたい事をしようとしているわけではないのだから、堂々としたものだった。
「な、何だ貴様等! この先は立入禁止区域だぞ! そこからとっとと引き返せ!」
警備をしていた兵士達は、ルナ達に警戒しながらそのように怒鳴りつける。決められた通りに。マニュアル通りに。
だが、そのような口を利いてはならないのだ。なぜなら、彼等はただの警備兵である。そして、ルナ達は騎士なのだから。Cクラスでしかない兵士の上に位置するBクラスの騎士。そのような者に対して、偉そうに利ける口など何処にもない。
例えるならば、貴族に向かって平民が偉そうに口を利くようなもの。つまり、命知らず。
偉そうに命じられる謂れはない。
だから、リニアはちょっと意地悪する。
「そんな口利いていいのかな~?」
「何?」
そう言って、リニアはトラベル・パスを取り出してその兵士に見せる。そこにはリニアの顔写真と共に、リニアがアレクサンドリア連邦の騎士である証明が記されてあった。本物の騎士証明だ。
「あ、ああああああ……」
兵士は驚愕する。恐怖する。知らずとは言え、上官に当たる騎士に向かって暴言ともとれるような乱暴な言葉を投げつけてしまったのだから。厳しい騎士ならば、ここでそく警備兵の任を解雇される可能性もありえなくはない。まあ、殺すような者はいないだろうが。
しかし、ここで警備兵をクビになったら、そのまま無職に。運が悪ければホームレス。最悪のケースでは野たれ死に。
そんな恐怖の方程式が頭を巡り、彼等は恐怖する。そして、そうならないように、せめてもの意味を込めて平謝りするのだ。
「すすすす、すみませんでしたーっ!」
「通して、くれるわよね?」
許すとも許さないとも言わず、リニアはそのように持ち込んでゆく。そのようにすれば、さっきの云々は問わないという算段である。
元々、ルナ達は警備兵の言葉など一切気に留めていなかった。どうでもいいような警備兵ABCDE…の言った言葉である。頭の中に入ってすらいない。そんなものよりカオスの方がよっぽど重大な問題である。
だが、ここを穏やかに収めて行きたかった。マリフェリアスという切り札を使えばすぐなんだろうけれど、マリフェリアスはあくまでも他国の人だから、それでも何かしらの軋轢が残るような気がしてならなかったのだ。
そして、今のところその名を出さないままに済んでいた。
このまま終わる。そう思ったところだった。警備兵の1人が、思い出したようにルナ達に訊ねる。
「そう言えば、騎士様達はこんな場所にどんな用なんですか? 失礼ですが、一応訊かなければならない決まりですので」
「調査よ」
リニアは警備兵の問いに即答する。これは、何度も頭の中でシミュレートした問答の中の1つだ。そして、そうなった時にその依頼人はマリフェリアスで良いとまで言われているのだ。
だが、一応どのような調査なのかは極秘事項としておいた。警備兵はここの警備をするのが仕事ではあるが、そんな彼等にここで調べる全てを報告しなければならないといった義務まではない。
「はぁ。そうなんですか」
「ええ」
「あ、そうだ。護衛と手伝い代わりに何名か兵を出しましょうか?」
警備兵は問う。だが、リニアはすぐさま断る。
「要らないわ」
それでは本末転倒だ。これからやるのはカオスの救出という他言無用なことなのだから、何かしらを探す為の頭数には出来ない。そして、一騎当千と謳われる騎士とは異なり、警備兵1人の戦力は通常の人間に何本か産毛が生えた程度のもの。つまり、ただの警備兵を千人集めたところで、その戦力は騎士1人にも満たない。話にならないレベルなのだ。
だから、要らない。使えない。
「調査は私達だけで十分。警備も要らないわ。だから、貴方達は貴方達で、自分のすべき仕事をしなさい」
「は、はい」
そこまで言われて、ようやくその警備兵は気付いた。自分がただ余計なことを言っているのだと。
調査の手伝いをするとなると、その手順の説明等を受けなくてはならない。それは、説明する側からすれば大きな負担になるし、そんな手伝いを向こう側としては必要としていないのだから、そのようにするのは蛇足的な手間隙となろう。
警備に関しては、もっと必要ない。戦力差はやって来た騎士1人に対して、此処に常駐している警備兵全員でかかっていっても秒殺される程の戦力差がある。そんな騎士を守るどころか、壁にすらなれない。
そして、何をしているのか見守ると言うのは失礼以外の何物でもないだろう。この国の騎士を疑う。それは、会社内で言えば上司を疑うのと同じことなのだから。
そして、ルナ達は中へと足を進めていく。
「行くぞ」
「分かってるわ~」