Act.143:黒い朝
頭がこんなですが、全然関係ない話をUPした訳ではないですよ( ̄∇ ̄;)
AM5:00。
ラディエル王国首都カロンでは、昨晩から降り始めていた雨が早朝となっても続いていた。時たま季節外れの雷鳴が空を光らせ、冷え冷えとした音が響く。
その中を、1人の人間が駆けていた。性別は分からない。種族さえも分からない。何も分からなくなる程にまですっぽりとローブを被ったその者は、個性を殺しながら1つの塊となって街中を駆けていた。
その姿は街中でかなりの異彩を放っていた。されど、今はAM5:00。まだ眠りの中の街では、その者の姿を気にする者も居なければ、見かける者さえも居なかった。
そして、天気は雨。足音も、息遣いもかき消すような雨天。お忍びで動くには絶好のコンディションでもあった。
「はっ! はっ! はっ! はっ!」
だが、ローブを被った者にそれを喜ぶ余裕はない。嬉しく思う余裕はない。その者は焦っていた。この上もない程に。
それはその者の抱えているものにある。年端もいかない、むしろ生まれたばかりと言っても差し支えのないような小さな赤ん坊、それを抱えていた。
忍びの者には天の恵みであるこの雨も、そんな小さな赤ん坊には毒の雨。
だから、その者は焦っていた。目指すべき場所へ、一刻も早く。
「…………」
小さな赤ん坊をきゅっと抱きしめる。大切に、愛しそうに。ローブの者のその抱きしめる手は、顔は、我が子を大切に思う親のものそのものであった。
同時刻、ラディエル王国首都カロン中心部から少し外れた場所、そこには修道院が1軒建っていた。簡素な造りのその建物は、その修道院に暮らす修道女達の慎ましやかさを表しているようでもあった。
そこにも雨。冷たい雨は、そこにも降り続いていた。
ギィ……
扉を開けて、1人のシスターが建物の中から出てきた。
「あ……」
何故か目覚めてしまった初冬の早朝、その朝に空には冷たい雨が降っていた。今にも雪に変わりそうなその冷たい雨は、この首都カロンにおける冷たい現実をつきつけられているかのようで、少し彼女を憂鬱にさせた。
だが彼女、シスター・カトレアは修道院の軒下でそっと雨の音に耳を澄ました。この早朝、誰も目を覚ますことのない朝に、何故か自分だけ目を覚ましてしまった。そこに何らかの意味が、神からの導きのようなものがあったのではないかと思っていた。
それが本当かどうかは自信がない。ただ、もう少し、後数分だけこの音に耳を委ねていたいとカトレアは思っていた。
しかし、それは数分とかからずに終わることとなった。
サー。ピチャッ。サー。サー。ピチャピチャ。
「ん?」
彼女は規則的に降り続く雨のその音の中に、僅かながらの不協和音を見つけた。その不協和音に気付いて、その音の方を見ると、その方向にはすっぽりとローブを被った人が1人、こちらにやって来るのが見えた。
手に何かを抱えながら、こちらの方にやって来ていた。客観的に言えば、怪しいの一言。けれどカトレアはその時、何故かそのように思えなかった。何か予感がしていた。行かなければ、迎えなければいけない、そんな予感が。
そして、それは当たる。ローブをすっぽりと被ったその者は、カトレアだけが此処に居ると確認すると、その被っていたローブの頭の部分を少しずつ曝していった。
「…………」
長い黒髪の女性。美麗でありながら、その優れた才気をも持ちながらも穏やかな表情を持っていたその女性。今は明らかにやつれ、焦ってはいたけれど、その面持ちは変わらない。カトレアの良く知る人、そのままのものであった。
「エミリア様……」
「カトレア……」
数年ぶりの再会であった。されど、2人にはそれを喜び合っているような余裕はない。それを、2人共知っていた。
エミリアは既に追われる立場の人間、此処に居てはいけない人間なのだから。彼女は人間でありながら、その人間全てが敵となってしまった。
頼れる者は誰もいない。その中で自分を頼って来てくれたことは、親友としてカトレアは嬉しかったのだけれど、それを喜べないこの状況下に悲しみを覚えていた。
エミリアは焦る。そして、絶望に震えている。
「ダメ……。もう、ダメ……」
それは彼女の状況。彼女の未来。彼女には、もう人間界には居場所がないという状態。1つずつ、1つずつ、確実に居場所はなくなっていく。犠牲と共に。
「追手は、もう振り切れそうにない。見つからなければ、きっとあのアーサーという男は、いつまでも、そして何処までも追いかけてくるに違いない」
それがあの世でない限り。
声にはしない。だが、分かっていた。もう、死なない限り、休める場所はないのかもしれないのだと。
「でも、私のことはどうでもいいの。あの人と共に歩んだその時から、このようになってしまうのは心の何処かしらで覚悟はしていたから。世界中の人を敵に回してしまっても、あの人と一緒ならそれでも構わないと思っていた。だから、あの人と共にこの街を去ったことを後悔していない」
それが、自分だけならば。
「でも、この子は別。この子はただ、私とあの人の子供として生まれただけ。何の咎もなければ、何の責任もないわ」
敢えて何かが悪いと言えば、運が悪いとしか言いようがない。子供は親を選べないのだから。
そして、それだからこそ、子供の親がどのような人物であるにしろ、親がしてきたことのみを理由として、その子供を責めてはならない。
それは、きっとアーサーにも分かっているだろう。
「けれど。いえ、それだからこそ、アーサーはこの子を殺そうとするのかもしれないわね」
アビスに連なる者全ての1人として。
雨は降り続いていた。冷たく地を穿ちながら。
アーサーはその氷のような冷酷さと、炎のような執念で、その連なる者を全て殺してゆくだろう。アビスもエミリアも、顔も名前も知られてしまっている。しかし、この子だけは、顔も名前も知られてはいない。無知のまま。
そこを突ける。エミリアは気付いていた。
「このままでは、この子もアーサーに殺されてしまう。でも、この子だけならば、私達両親と離れて暮らしていれば、健やかに、かつ安全に暮らしてゆけるのかもしれない」
それが、自分の子供としてではなくても。
「だから、カトレア。お願い」
エミリアは頭を下げてカトレアに頼む。
「身勝手なお願いだとは分かっているけれど、この子を貴女に育ててもらいたいの」
それは最期の願い。
残したいもの、残さなければならないもの、その未来の為になしておきたい約束。お願い。
空からはまだ雨は降り続いていた。カトレアは少し雨空を眺めてから、視線をエミリアに戻す。それだけで十分だった。考えようかとも思ったけれども、考えるまでもなかった。
答は1つ。
「そうですね。それしかないですね」
だが、嫌な感じはしない。寧ろ、進んで受け入れたいところだった。この子が、これからもこの友との絆を失わせない糸となるのだから。
「ただし……」
このままではいけない。
「ただし、この子は私がここで拾ったことにしておきますからね。貴女からの預かりものとしてではなくて」
自分の息子というのには、とても無理がある。妊娠期間とか見せていられなかったのだから、そんな誤魔化しは不可能。それならば養子となるのだが、その実の親がエミリアだとは絶対に知られてはならない。
他ならぬこの子の為に。
「ふふ」
エミリアは笑う。
「勿論よ。そうでないと困るわ」
聡明なエミリアには分かっていた。そして、その上で自分の息子を友の息子にしてくれと頼んだのだ。そうする為に、危険を犯してまでして生まれ故郷である首都カロンにまで戻ってきたのだ。
エミリアは人類の敵。その関係者と知られるわけにはいかないのだから。
そうして、子供は手渡された。勇者アーサーを始めとして、世界中からその存在を忌み嫌われ、殺されようとしている子供は、エミリアとカトレアによってその存在を隠匿されて。
「おいで、坊や」
カトレアは手を伸ばし、子供を受け取る。その時点で、その子の運命は変わる。忌み子から、ただのシスターにもらわれた可哀相な養子へと。
偽装されたのだ。この子は……
この子。この子。この子。そういった言葉を繰り返したところで、カトレアは大切な一つのことに気が付いた。
「そう言えば、この子に名前はつけられました?」
「名前?」
「ええ」
それを聞いていなかった。これからの人生を過ごしてゆくにあたって、名前が必要なのは当然。無いのならば自分がつけても良いのではないかとも思ったけれど、やはり名前だけはせめて実の親から貰った方がこの子の為になるのではないかと思っていた。
だから、カトレアは言う。
「せめて、名前くらいは実の母親であるエミリア様から貰わないと……」
一緒に暮らせないこれからの人生の中で、この子は実の母親からは何も貰えなかったことになってしまう。それは、あまりにも不憫。そのように思った。
だが、それは杞憂であった。
「あるわ。一応」
エミリアは答える。
「ただ、あのヒトと話し合って決めた訳じゃないし、そんな機会もなかったから、あくまでも(仮)の段階だけれど、私がこの子の為にと考えた名前は……」
カオス
エミリアはそのように言った。
「人も魔族も、その他の種族も、何もかもが差別なく、混ざり合って暮らしてゆければいい。そんな混沌。それを望んでつけた名前なのだけれど……」
エミリアは雨空を見上げた。空からはまだ無慈悲な雨が冷たく降り続いていた。そして、それが今此処に在る現実は、そんな理想とはかけ離れていると告げていた。
理想と現実、近寄る気配は全くない。だから、どんな理想論を掲げたところで、それらの何もかもが虚しく雨空の中へと消えて逝くのみ。
「…………」
よし。
カトレアはカオス(仮)と名付けられた子供の寝顔をじっくりと見つめた。そして、そこで決めたのだ。
少し迷ったが、決意はついた。エミリアの子供の名前は正式には決まっておらず、誰も知る由がないから大丈夫だという判断の下、カトレアは発表する。エミリアと、眠っているその赤ん坊に。
「坊や、良く聞きなさい。貴方の名前が正式に決まったわ」
カトレアの名前は、カトレア・ハーティリー。カトレアが名前で、ハーティリーが苗字。ならば……
「貴方の名前は、今日からカオス・ハーティリーよ」
雨は上がっていった。暗雲は晴れゆき、その遥か遠くから少しずつ朝日が顔を覗き始めていた。
これは始まり。この子の明るい人生の始まり。
だから、カトレアは笑いかけるのだ。新たに自分の息子となったカオスに。
太陽のように明るく。
「お早う、カオス。君の朝だよ」
雨はもう、止んでいた。
◆◇◆◇◆
「…………」
黒い視界。真っ暗で何も見えない視界。その中、意識を取り戻す。もっとも、何も見えないのには大した理由は無い。ただ単に瞼を閉じているだけなのだから。
面倒臭い。瞼の先に光が会るのは感じられるけれど、それでももう少し眠りの中に身を任せていたい。だから、寝よう。もう少し眠っていよう。
「ああ、後5分……」
そのように言って、目覚めたカオスはまた眠りにつこうとする。二度寝をしようとする。
おやすみ~。
「って、ちょっと待て俺!」
カオスはやはり二度寝はしないで起き上がる。自分がベッドで寝ている。その状況下に違和感があった。
そう、ここで寝ているのはおかしい。入浴→就寝→夢の中というのは睡眠へと至る王道コンボだが、自分にはそれがなかった。睡眠へと至る道を辿った記憶が無かった。
そして、この場所にも違和感がある。自分はトラベル・パスBクラス試験会場でノエルと戦っていた筈なのだから。
「此処は何処だ?」
そんな疑問が湧き上がるのだ。
「此処? 此処はアビス城よ、カオス君」
そんなカオスの疑問に答えがあった。その声に、カオスは聞き覚えがあった。だから、大して驚きもせずにその者の方を振り向いた。
「ロージア」
「ええ、私はロージア。魔の六芒星の一人ね」
完全に剃り落とした髪と、薔薇のタトゥー。それは、ロージアの特徴そのまま。
「って、今更自己紹介は要らんぞ?」
「あら、そう?」
「そりゃあな」
カオスの記憶の中では、まだロージアは数時間前に戦ったばかりなのだから。誰かくらいは知っている。
だが、正直そんなのはどうでも良かった。それよりも問題とすべきなのは別のこと。
「それより、ここがアビス城だと?」
「ええ」
訝しがるカオスとは対照的に、ロージアの顔は笑顔のままだった。
「…………」
カオスは憮然とした表情のまま、辺りを見渡した。その中で、窓があったので特にそこからの景色を眺めてみた。
それだけでは、此処がどこであるとは断定出来なかった。されど、外の暗い空の中を飛び回る奇怪な生物達のその姿は、明らかに此処が首都アレクサンドリアや故郷であるルクレルコ・タウンとは全く異なる場所であると克明に告げていた。
カオスは認めざるを得ない。自分にもたらされた異変を。
「ま、ラブホテルとかじゃなさそうだな」
「って、そんなのある訳ないでしょー!」
「いやいやいやいや~。あらゆる角度で物事を考え、0%でない限りその可能性を捨てること無く、可能性の一つとして考えておけば……(以下略)」
カオスはいつものカオスであった。
「…………」
ロージアは絶句した。疲れた。頭が痛くなってきた。そんな気がした。
カオスはいつものカオスではあるが、あまりにいつものカオス過ぎた。訳が分からない。そんな気がした。もっとも、カオス自身まだ訳が分かってはいないと分かってはいるのだが。
「と・に・か・く」
ロージアは話を切り替える。強引でも何でも、自分の用件に切り替える。そうしないと、いつまで経っても堂々巡りとなる。
「目覚めて、着替えと食事が終わったら、玉座に連れて来るように言われてるから、用件等の詳細はその時に本人から聞いて下さいな」
「本人? ああ、魔王か」
此処はアビス城なのだから。そこに連れてこられて、誰か自分に用があるというのならば、それはアビス本人に相違ない。ましてや、仮にも魔の六芒星という幹部であるロージアを使い走りに出来る者など。
ロージアはその通りだと言う。
「ええ。そうよ」
まあ、それはいい。此処に居ることそのものは、とカオスは思うことにする。
だが、それよりも解せなかった。
「その魔王が、ただの人間界の小市民である俺に何の用があるっていうんだ? ロージアは知ってるか?」
「ええ。勿論知ってるわ」
じゃあ、教えろや。
カオスはそう言いたかったが、その言葉はカオスが発する前に閉ざされる。
「でも、それは焦らずとも貴方がすぐに聞くこととなるわ。第一、第三者である私なんかからよりも、アビス様本人から聞いた方がいいに決まっているでしょう?」
「ま、そりゃ、そーだな」
しかたねぇな。カオスは、そう思うことにした。
続きはまた、そのことも含めて次週と。
「え?」