Act.139:行方
「えー! カオスが攫われた?」
それから数十分後、病院へと辿り着いたルナ達は他の面々と合流した。そこで、カオスが攫われた旨を伝えた。信じられないという想いが皆を支配し、その心をかき乱した。その乱れが、まだ静かな病院の待合室にアレックス達の驚きの声が木霊させた。
「そうらしいわ。クロード・ユンハースからの伝言よ」
病院に搬送される前、クロードは動けない状態でありながらも、その時の状況をルナ達に説明していた。詳細は治療後にするとしても、概要だけはすぐに伝えるべきだと考えたからだ。
『攫った実行犯は、魔王アビス配下の女1人……』
クロードはその者の姿を思い浮かべながら喋った。
『抵抗は?』
『し、したさ。それで、このザマだ』
必死に抵抗した上で、こうやって動けない状態にさせられている。
自嘲的に笑うと、クロードは咳き込みながら、また少し吐血した。
『ったく、冗談じゃないぞ。トラベル・パス試験で体力も魔力も消耗していたとは言え、俺とカオスの2人がかりで戦って、手も足も出なかったんだからな。女1人相手に大の男2人で戦って、かすり傷1つすら負わせられなかった。みっともないったら、ありゃしないじゃないか』
そのように、クロードはルナ達に伝えた。変な見栄を張ったりはせず、ノエルとの戦いをありのままに伝えた。それは愉快ではないけれど、そこから逃れはしない。
それが現実なのだから。
「そういうことよ」
だから、受け入れるしかない。
ルナは憮然としながらも、そのように現実を受け入れて、アレックス達にもクロードからの現状報告を伝えたのだ。
「な、なななな。決定戦のペアで戦って、惨敗だと?」
野球で言えば、5回でコールド負け。30対0位のクソ試合であった。
それはアレックスからしても信じられないことであった。なぜなら、その残酷な事実は自分より遥か上の実力を行くカオスよりも、さらにもっと上の実力を行く者が居るって話だからだ。小さな虫が、富士山を見上げるに等しい。
そして……
「女、1人にな」
それが、目を背けることの出来ない事実。
それを受け入れた上で、どうするのが良いのか考えなければならない。そう。まずは、現状の把握だ。
「クロードの治療も、もうすぐ終わるだろう。行って、詳しい話を奴から聞きだすぞ」
アリステルはそのように提案する。他のメンバーはその言葉に従い、クロードが収容された病室へとぞろぞろと向かった。
少々狭いが、綺麗な個室にクロードは居た。ベッドに寝かされて、ギプス等で骨が折れた部分を固定し、釣り上げられた左足が、その怪我の酷さを物語っていた。
されど、喋れないような状態ではない。クロードは、実行犯の事から話し始める。
「カオスを攫った者は、ノエルというあまり背格好が大きくない女だった。ノエルというのは名前なのか、何らかのコードネームなのかは分からない。ただ、アビスは彼女をそのように呼んでいた。それだけだ」
だから、下手人は『ノエル』。まあ、それはどうでもいい。クロードは話を続ける。
「そのノエルは、カオスを狙うのが自分の任務だと言っていた。その時俺は、カオスの命を奪いに来たものだと思ったし、カオス自身もそのように思っていただろう。しかし、この結果から改めて考えると、奴の任務はカオスの拉致だったのだろう。言い換えれば、生け捕りだ」
「ま、そうだろうな」
リニアは同調する。そして、それは他の人も同じ。
簡単に殺せる状況にありながら、それをしなくてカオスを攫うという面倒をした。すなわち、最初からそれが目的と考えるのが妥当だ。
「だから、変に安心させるという訳でもないのだが、攫われてすぐにカオスが殺されはしないと考えていい。殺すのが目的ならば、アーサー王のようにその場で殺すだろう。何らかの魔獣のエサにしたり、実験として扱うのならば、わざわざカオスを特定して狙う理由はない。もっと狙い易い奴はたくさん居る筈だ」
殺すのが目的ならば、その場で殺す。アーサー王1人殺すのに、わざわざ魔王であるアビスが出張ってきたのだから、カオスを殺すのが目的ならば、やはりそうしたい者が直接出張ってくるだろう。そいつの為に、ノエルがわざわざカオスを生け捕りにしてから届けてやるという線は、それを考慮すればまずないと考えて良いだろう。
その上で、クロードはカオスを殺すのが奴等の目的ではないと解釈した。
魔獣のエサや、何らかの実験もないだろう。もし、そうするのだとしても、わざわざカオスを狙うという名目は立たない。何らかの理由で、生きているカオスが必要なのだとしたら、余計に乱雑な扱いはしないだろう。死んでしまえばお終いなのだから。
もう1つの線として、クロードはそのように考えていた。
だから、カオスは今のところ無事。そのように考えて大丈夫だろう。そのように結論付けた。
「攫った理由なんてのはどうでもいいんだ。無事だって分かればそれでな」
アレックスは言う。そんなのは関係ないと。
どんな理由があっても、攫われたカオスを取り戻す。それに変わりはないのだから。
「それより、カオスは何処に連れて行かれたんだ?」
「知らん」
クロードはハッキリとそう言う。ノエルはカオスを抱えた途端に瞬間移動魔法で消えたので、何処に行ったのかは、サッパリ分からないと。
「だが、予想はつく。ノエルが任務と言うからには、カオスを攫ったというのはあくまでも魔王アビスの意志に相違ない筈だ。その魔王がアーサー王亡き後すぐに撤退したとするならば、カオスがノエルによって攫われたその先は……」
魔王軍の居城。
誰かが口にしたわけではないのだけれども、その言葉は誰もの心の中に強く刻み込まれた。
そして、悟らされる。誰も近寄ろうとさえもしない魔王の居城、そこに行かなければ攫われたカオスは取り戻せないのだと。
◆◇◆◇◆
魔界。人間の住む人間界とは異なる場所。黒き雲が流れ、灰色の空が覆うその世界の一角に、アビスの居城はあった。昔から、16年前の対魔戦争よりもずっとずっと昔、アビスが魔王となるよりもずっと昔から、そこに城は建っていた。
その城にアビスとラスター、そしてイノシカチョーは帰ってきた。
「お帰りなさいませ」
そんな彼等を、アリアが頭を下げて出迎えた。
「お待ちしておりました。ご無事に帰られて何よりです」
「ああ。そっちにも何も無かったようだな」
アビスは自分が留守にしている間、特に変わった出来事はなかったように見えた。ただ静かに、アビス城はここに在り続けている。
何も変わっていない。
「ええ。他国の魔王達にも、特に目立った行動は見られませんでしたし、国内でも何かしらの動きがあったようには見えませんでした」
要するに、今日もこの国は平和であった訳だ。変わらないのは良きことである。此処をアビスが留守にすると、何か起こるのではないかという心配があったが、それは杞憂であったのだ。
「ま、他の連中からすれば、人間界の出来事なんてどうでもいい対岸の火事かもしれんな」
興味を持っていなそうな連中ばかりであり、それどころか見ているようにも見えない。他の連中など知ったことではないが、他所に興味を持たないでくれれば、争いも起こらないし、魔界も平和なままでいられる。魔王としての仕事も減る。いいこと尽くしだ。
それが現在継続中。ならば、気にするのは他の状況。自分の身内の状況。
「俺と人間界に行った他の連中は?」
「あ、はい。まず、ロージアがグラナダ達と共に帰ってきました。その後、ノエルがカオスを背負って戻ってきました。そして、アビス様達の帰還となりました」
「俺達が最後か」
「ええ」
何はともあれ、人間界に行った者達は全て無事に戻って来た。それだけで喜ぶべきだが、その全てが各々のミッションを成功させて戻ってきた。諸手を挙げて喜んでもいいくらいだ。
ずっと計画していた『mission A』と『mission C』、そのどちらも大成功して終了したのだから。
外出組には、何の問題もない。続いて気になるのは留守番組である。アリアはこうして目の前で無事な姿を見せている。後は……
「で、アリアよ。アナスタシアとフローリィはどうしている?」
その2人と言うか、その後者が居るだけで無事には済まないような感じだが、今のところアビス城は平和である。静かなままだ。
「あ、あの2人ですか」
アリアは留守番となった時のフローリィ達の姿を思い浮かべた。
『何であたしが留守番なんだー! つまんなーい! つまんなーい!』
叫ぶ。暴れる。物を投げる。
『ダメ~! お姉ちゃんダメ~!』
その周りで、アナスタシアはただオロオロして、ただ回っていただけだった。
「置いていかれたのに腹を立てて、(フローリィが)暴れていましたが、今はおとなしく寝ています」
さっきアリアが確認した時には、フローリィとアナスタシアは2人共パジャマに着替えて並んで眠っていた。とりあえずフローリィは眠っていればおとなしいので、気にする所は今のところない。
留守番としたのはちょっと気の毒ではあるが……
「今回のミッション、2人には荷が重いからな」
「そうですね」
それはアリアも同意見だ。
アナスタシアはまだ小さな子供でしかないので、人間界という遠い場所への、さらに危険なミッションに連れては行けない。
そしてこのミッション、最初は潜伏から始まるので……
堪え性の無いフローリィには、そこへの参加は非常に難しい。
だが、それはアビスもアリアも口にはしない。分かってはいるが、口にするとあまりにも気の毒だからだ。
しかし、それはそれ。過ぎたこと。どうでもいい。アビスは話を変える。
「そう言えば、カオスの状態はどのようになっている?」
「カオスですか? 医療班によりますと、状態は良好なようです」
「そうか。それは良かった」
「ええ。今は眠っていますが、それはただの疲労からだそうです。少々外傷はありますが、骨や筋、内臓等に影響はないそうです」
「…………。そうか。それは良かった」
「早速様子をご覧になりますか? とは言っても、今もまだ眠っていますが」
アビスが疲れているのは、様子を見れば分かる。だが、それでも彼はカオスに会いたいのではないかと思ったのだ。出来るだけ早く。そう。今すぐに。
だが、アビスは首を横に振る。
「いや。後で、カオスが目覚めてからでいい」
Mission Cも成功で終わっている。だから、ここで変に焦る必要はない。アビスはそのように思っていた。それ故に、会うのならばカオスが自然と目覚めるのを待っておこうと思った。
時間はまだまだたくさんある。だから……
「その前に、湯浴みをして、服を着替え、奴から受けた血を綺麗にしたい」
憎きアーサー。その返り血を受けてあるこのローブ。それを纏っているだけでも、気分は良くないものだ。すぐに消し去ってしまいたかった。
アリアはそんな言葉を受けて微笑む。それは予想通りだ。そして、その予想に基づいてやるべきことはやってある。
「そう仰ると思い、湯は沸かしてあります」
「そうか。すまんな」
アリアの気が回るのはいつものこと。手を上げて感謝はするけれど、アビスは驚いた顔はしなかった。真っ直ぐにバスルームへと向かっていく。その道程を数歩進んだところだった。アビスはその歩みをピタリと止めて振り返る。思い出したかのように、アリアへと頼み事をする。
「そうそう、着替えを持ってくるついででいいんだが、この血に汚れたローブは、洗わずに処分しておいてくれ」
処分。捨てろ。そのようにアビスは言う。
アーサーの血に汚れたローブなんか、いくら洗ったところで使いたくはない。そう思っているのをアリアは理解した。だから、もったいないとは思わない。ただ訊くだけだ。
それがどの程度のものなのかを。
「ゴミ箱に入れて、捨てればよろしいのですか?」
「いや」
それでは駄目だ。アビスは首を横に振る。
「炎で焼き尽くし、その灰は城の外に、だ」
「畏まりました」
アーサーにまつわるものは、欠片としても傍に置いていたくない。例え、それがただの灰であったとしても。
ああ、アーサーに対する恨みはまだそれ程にまでに深い。変わらないままなのだ。
アリアはそのように理解した。そして、その心中を察するのだった。エミリアは自分にとっても良い友達だった。親友だった。非戦闘員である彼女を殺したアーサーに対する恨みは、魔王アビス程ではなくても、やはり生き続けていた。
しかし……
アリアは思う。その簒奪されたものは大きかったし、許せないことだった。だが、全てが奪われたわけではない。奪い尽くされてはいない。
カオスが生きている。
そして、それだけでも良かったんじゃないかとも思うのだ。
「…………」
そのカオスの様子を、ノエルは見ていた。ベッドの上、布団をかけられたカオスはぐーぐー眠っていた。そのカオスを見て、ノエルは呆れた。
「ったく、暢気なツラして眠ってんなぁ、オイ」
「ふふふふ」
そのノエルの後ろ、カオスの世話をしたメイドは苦笑いをしているだけだった。